File.17 接触
たった四機で切り込んでくるスワンに、クリスタは一瞬息が詰まった。
「これがスワン……!」
機体の性能だけではない。一見無謀な戦いに躊躇なく踏み込んでいく、ある種の狂気が人ならざる強さを創り出している。
「総員、作戦行動に移ってください! 互いのカバーも忘れないで!」
格闘戦の距離に入ってしまう前に、クリスタ達は陣形を拡散させた。全方位からの攻撃でじわじわと敵を削っていく作戦だ。
十八対四、圧倒的に有利な数字だからこそ取れる手段だが、数で押して勝てる相手ならこんな事態にはなっていないだろう。もっと腕の良いパイロットが数多く生き残っているうちに対処できたはずだ。
勝つためには同じ第三世代機の力が必要だった。
しかし、歴戦の戦士達が打ち崩せなかった相手に、脆弱で未熟な自分の力でどこまで変えられるのか。何も変わらず、無残に敗北を喫したら?
クリスタは静かに目を閉じると、口の端を僅かに持ち上げた。
くよくよ悩むのはもう遅いし、未定の結果に思いを馳せるにはまだ早い。
「私達に負けはあり得ません!」
いち早く突っ込んでくる二機のスワンと槍を向け合うように、クリスタもアリオールを加速させた。すれ違いざまに急反転し後ろを取りたい。
惜しみなく牽制弾を放ちながら距離を詰める。しかし二機のスワンは常識外れな挙動でほぼ垂直に上へと昇り始めた。
反応の遅れを取り戻そうとクリスタが機体を起こそうとした時、カミラが鋭く叫んだ。
『追うなクリスタ! 罠だ!』
「えっ?」
真っ直ぐ上昇したスワンのうち一機がこちらを向いている。自分のミスを自覚する間もなくミサイルが発射された。
ここで走馬燈を浮かべるほど諦めの早い女ではない。
クリスタはミサイルを撃たれたと認識すると同時にCIWSを起動。艦船搭載タイプには劣るが無駄ではないはずだ。
放たれた二発のうち一発は空中で炸裂し、もう一発は機体すれすれを通り過ぎて地面へと落ちていった。
カミラの制止もあってかろうじて攻撃を躱すことができたが、既に一度死にかけたようなものだ。
これから何度死ねばいい。
『間違いない、こいつらダブルタップの部隊だ』
カミラが舌打ち交じりに口走る。
スワンの中でもずば抜けた死神達だ。事前の話し合いではもし出会ったら退却するという結論だったが、
「大丈夫です! いけます!」
クリスタは自信を見せて叫んだ。
戦闘を続けるか否かの判断はカミラが下すことになっている。しかし、その責任を彼女に負わせたくなかった。
『焦る必要は無いんだよ! クリスタ!』
「これは……私の選択です!」
この先、今よりも良い状況が巡ってくるとは限らない。もしかしたら今が最悪の状況かもしれない。けれども、自分の無力で戦争を長引かせるのはご免だ。
応えたカミラの声からも迷いは消え去っていた。
『分かったよ! バルテスとエドガーはクリスタの援護に、他はスワンを飛び回させるな!』
「ありがとうございますっ!」
『気合だけでどうこうなる相手じゃないんだ、肝に銘じておきな!』
「ご安心を、手はありますから」
クリスタのその一言でカミラは全てを察したようだ。そして何も言わなかった。
クリスタは機体接続システムの安全制御装置を手動で解除していった。
全てを出し切らずに負けたら絶対に後悔することになる。ここで終わらせるのなら、後のことを考える意味はない。
「エドガーさん、バルテス中尉、無理を承知でお願いします。今から三十秒間私を守ってください!」
二人は文句も泣き言も漏らさずに返してきた。
『三十秒と言わず、停戦までエスコートしますよ』
『エドガーの戯言は置いておくとして、全身全霊を尽くしますよ』
クリスタは小さく笑うと、接続深度を限界まで上げた。
「ぐっ――!」
視界はぐにゃりと歪み、耳の中で発砲されたように頭が痛む。激痛に苛まれる腕の中では何かがのたうち回っているようだ。
「とんでもない欠陥品ね……」
絞り出すように呻いて、意識の糸を繋ぎ止めた。
苦しみの渦の中で、どうにか最低限の操縦をして機体を飛ばす。仲間のパイロットが必死に何かを叫んでいる声が遠くから聞こえた。
痛いのか苦しいのか。それを理解する前に自分と世界の境界が少し曖昧になる。
『大佐! 大丈夫ですか?!』
明瞭になった脳がバルテスの声を判別し始めた。
クリスタは大きく息を吸い込んで肺に酸素を届ける。何とか答える言葉を発せられた。
「ええ、あとは任せてください」
一旦下がった高度を上げて乱戦から距離を取る。この状態でのレスポンスを確かめるためであり、戦闘の様子を把握するためでもあった。
ほんの少しの動作であったが、既にクレイバードが完全に手足の一部と化したことを実感する。
眼下では敵味方が入り混じり、共振周波通信の轟音が鳴り響いていた。
スワンはまだ一機も墜とせていないというのに、こちらは既に一機が撃墜され、もう一機が中破して離脱した。
味方機が狙われる寸前に他の味方がスワンに食らいつき、引き剥がす。完璧とは言えずとも、当初の計画通りに事は進んでいるはずなのに、この削り合いを制する確証は得られなかった。
焦燥感に首を掴まれる。クリスタは一機のスワンに狙いを付け急降下した。
相手もあらかじめクリスタ機を警戒していたようで、すぐさま回避行動に移ったが、反応速度はこちらが上だ。クリスタは相手の逃げた方向に合わせ降下の軌道を変えると、造作なくスワンの後ろを取った。
自分でも驚くほどあっさりと、鮮やかに。
「これで……終わりです!」
勝利を確信し、運命を司る神にでもなったかのように、言い放った。その時、
『大佐、危ない!』
バルテスの叫び声が聞こえ、コクピットに影が落ちた。
頭上には、白くのっぺりとしたスワンの腹面。両翼下の稼働機銃は二つともクリスタに銃口を向けている。
間違いない。ダブルタップだ。
多少の高揚感があったとはいえ油断していたつもりはなかった。急降下して眼前の敵の背後に付く直前まで、他の三機の位置は把握していたはずだ。
しかし、現にダブルタップは頭上にいる。
すぐに反応すれば間に合ったかもしれない。だが思考は硬直し機体を即座に動かせなかった。
ここで、死ぬ。
その直感が、言葉が、体をより一層強く縛り付ける。
一瞬後、短く銃声が響いたが、鉛玉がクリスタの四肢を貫くことはなかった。
側方から浴びせられた攻撃に、頭上のスワンは機体を翻して距離を取ったのだ。
『ご無事ですか、大佐』
ダブルタップに攻撃を仕掛けたのはバルテスだった。
「申し訳ありません、感謝します」
大口を叩いておきながら助けられてしまったクリスタは、短く礼をする。
『これで借りは返せま――』
バルテスからの返事はノイズで、いや、金属が砕かれ引き裂かれる音により中断された。クリスタは目を見開き周囲を見渡す。
バルテスのクレイバードが火を噴いて、小さな破片をばら撒きながら落ちていくのが見えた。
「バルテス中尉!」
クリスタの叫びは届く先を見つけられず、空に漂い消える。
微塵の意思も感じさせず地面へと真っ直ぐ落下していくクレイバードの残骸が、バルテスの死を無慈悲に裏付けた。
バルテスはクリスタを助けるために、味方のカバーの範囲外まで突出してしまったのだ。そして、その隙を見逃してはもらえなかった。
自分のせいで仲間が命を落としたという事実に砕けてしまいそうになる心を、軍人としての理性が悲しく押し留める。
『バルテスの代わりにサーシャがクリスタの援護に付け!』
『了解』
カミラの事務的な命令が飛び、他のパイロットがそれを遂行する。
嘆いている暇はない。ただ戦い続けるしかないのだ。
クリスタは頭は動かさず素早く視線を巡らせた。バルテスが撃墜されたことで、こちらには混乱が拡がり、それに乗じようとスワンが積極的な立ち回りに転じ始めている。戦闘は混沌を極めていた。
空間把握と反応速度に長けたスワンの独壇場になりかねない混戦だが、それはクリスタにとっても同じだ。
強引なコントロールで一機のスワンを標的に定め距離を詰める。振り切ろうと変態的な挙動を実行するスワンに、死に物狂いで追い縋った。
目標を照準に入れてトリガーを引くが、その瞬間にスワンは射線をすり抜けている。
もう少しで手が届きそうなのに、その隙間が果てしなく広く感じる。
「何が……何が足りないというのですか!」
奥歯が軋むほど噛み締め、力いっぱい切り返したと同時に、鈍重な衝撃で大きく機体が揺さ振られた。別のクレイバードに翼が掠めたようだ。
クリスタは、先ほどまで綿密な報告が飛び交っていた通信の音声が、全て途絶えていることに気付く。今の接触で共振周波の調整が狂ったに違いない、そう考えてコントロールパネルに手を伸ばそうとした。
『ん? おい、声が聞こえなくなった』
突然、聞き慣れない声が耳に入ってきた。物静かで若い、薄氷を想起させるような少年の声だ。
仲間の声である、という可能性を捨てきれなかったクリスタは反射的に返してしまった。
「共振周波が狂っただけです、安心して」
『ああ、さっきの衝撃か』
淡白な返事に安心したクリスタは、数秒後に後悔することになる。
『……あんた誰だ? 姉さん……なわけないか』
こともあろうに敵機と周波数が一致するとは。自分の不用意さと無用な奇跡に腹が立つ。
「姉さん」という単語がとても子供っぽく聞こえて耳に残ったが、敵のパイロットと話して良いことは無いだろう。
クリスタは黙って周波数の変更を試みた。しかし、内心かなり動揺している彼女は咄嗟に操作手順を思い出せず、そこに少年の声がまたもや聞こえてくる。
『あんた、赤い機体のパイロットだろ? 随分と若いんだな』
反応はしないと決めていたクリスタだが、この言葉はなぜか無視できなかった。
「何か問題でも? あなただって子どもでしょうに」
少年の声で言われたのが気に障ったのだとしても、我ながら幼稚な反論。これでは本当にただの子どもだ。
皮肉の一つ二つ投げ返されるのを覚悟したが、答えは違った。
『そうだな、俺もあんたも一緒だ』
穏やかに放たれた言葉に、息が詰まった。両手で耳を覆いたくなる衝動を抑え、無言で通信を切断する。
これ以上会話を続けていると、大事な何かが揺らいでしまう気がした。
すぐに通信を繋ぎ直して味方に呼び掛ける。
「こちらクリスタ・ドーフラインです。通信トラブルがありましたが問題ありません」
『良かった、ひやひやしたよ』
『気でも失ってるのかと心配しました、大佐』
カミラとエドガーの声を聞いてクリスタもほっとした。
『気を抜くのはまだ早いよ、バルテスの仇を取らなきゃね』
覚悟に満ちたカミラの言葉はクリスタに重くのしかかるが、却って揺らぐ心を固く打ち付けてくれた。
「分かっています」
頷き、再度スワンへ攻撃を仕掛けようと高度を上げたクリスタ、今度はカミラとエドガーも動きを合わせる。
けれども、意識して燃え上がらせた闘争心に一つの通信が亀裂を入れた。エドガーと仲の良い若いパイロットが、今にも悲鳴に変わりそうな調子で叫んでいる。
『南西より敵の増援が四機接近、この速度はスワンです!』
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