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「はぁ………疲れた」

顔をテーブルに突っ伏して、力なく座り込んでいるのは空色の髪の少女だった。

先ほどまであれほど精力的に店内を走り回っていたとは思えないほどの脱力ぶり。だらんと両腕を机の下までぶら下げて、全身から力を抜いた彼女は、このまま溶けて消えてしまうのではないかとさえ思えるほど。

精霊祭の有無に関係なく、カプリコルを日常的に訪れる常連客が、彼女の今の姿を目にすれば、間違いなく驚くことだろう。

最も、驚きを示す客は、誰一人としてこの場にはいない。それどころか、今店内にいるのは彼女を含めても三人だけだ。

他の客はもう食べ終えてこの場にはいない。正確には、休憩時間というべきだろうか。精霊祭が開催してから訪れた、体を休めることが許された貴重な時間だ。

「お疲れね、シルフィー」

そして、そんなテーブルに突っ伏したシルフィーの顔の横に、アリアーデが一杯のコップを置いた。

硝子造りのコップに並々と注がれているのは純白のミルク。よほど冷えているのか、表面が結露しており、無数の水滴がスっと滑り落ちる。

一汗働いた後ならば一気に飲み干したくなるような衝動を感じさせるソレに、しかし彼女はピクリとも反応しなかった。

「あら、普段なら何も言わずにすぐに飛びつくのに。要らないの?」

「―――――飲む」

むくりと起き上がったシルフィーはガシっとコップを鷲掴み、ぐっと呷る。

まるで中年の親父が酒を呷るような絵面に見えなくもないが、それは言わぬが花。

「――――ぷはぁ!」

「どう?少しは落ち着いた?」

「――――うん」

コトリとコップを置いたシルフィーはひとつため息をつく。

「………なんだか、凄く疲れた。主に労働以外の部分で」

「私は話しを聞いただけで現場を見ていないから何も言えないけれど、本当に大変だったみたいね。まさか、私の店で精霊使いの戦闘が繰り広げられることになるなんて、思いもしなかったわ」

お盆を抱えたまま、アリアーデは嘆息。

「何か表が騒がしいとは思っていたんだけど。でも、精霊祭開催で盛り上がっているとばかり思って、あまり気に留めていなかったのが仇になったわね」

アリアーデが勘違いしてしまったのはきっと、あの金髪の女性があまりにも鮮やかな手際で、騒ぎになってしまうよりも早くに不審者を無力化してみせたからだろうとシルフィーは思った。

彼女にとってあの光景は衝撃的だった。

ナイフのような武器を持った青年。それをあっという間に倒した金髪の女性。そして、彼女が何か一言呟いたと同時に魔法の如く現れた巨大な氷。

そのすべてが、シルフィーが生きてきた短い人生の中で始めて遭遇するものばかりだった。

まるで御伽の絵本から飛び出してきたとすら思えるほど。

思えば、あの女性の人は精霊使いだったのだということは、今ならおぼろげながらでも理解できた。

けれど、精霊使いなんて存在は、城下街で生まれ育った彼女にとっては直接的に関わることは愚か、目にすることすら滅多にない。時折、街で配られる号外で名高い御貴族様の精霊使いが活躍したなどの記事は見たことがあるが、私生活に関わってくることなど一度もなかった。

国の守護者とされる精霊使い。けれどそれは自分とはかかわりのない、どこか遠い別の場所に暮らしている存在だと思っていたくらいだ。

この国に確かに存在するのだと一般常識では分かっていても、実感したことなんてなかった。

あの場面を前にしたとき、シルフィーは混乱して何が何だか分からなかった。次から次へと急展開していく事態に、全く理解が追いつかなかった。

なのに。

(何も分からなかった私に比べて……アッシュは、凄く落ち着いてた)

目の前で起きたことの全てを、冷静に観察するかのように。

彼女の知る普段のアッシュとは、少し雰囲気が違ったようにも思える。そう、あの場面で、普段と同じ、もしかするとそれ以上に落ち着いて状況を俯瞰していたアッシュの姿はまるで、あの精霊使いの女性とそっくりで――――――。

と、自分が何ら脈絡のない考えを繰り返して居ることに気づき、頭を軽く振った。

(なに考えてるんだろ、わたし)

馬鹿らしい。

今までの考えを一蹴したシルフィーは、打って変わってジト目を明後日の方向へと向けた。

アリアーデも同じように、その視線を彼女に倣うように動かす。

二人の視線の先にいるのは、頬杖をついて窓際に座る一人の少年。無言で座っている少年はただひたすらに外の景色を眺め続けていた。

「――――で、アッシュってばどうしたのかしら。さっきからずっとあのままじゃない」

ぽつりと呟いたアリアーデに、シルフィーは鼻を鳴らした。

「さあ、知らない。御客が全員出ていってから、ずっとああなのよね」

先の一件の後、件の女性が去っていたあと、何か考え事をしているのか、あの灰色の少年はずっと動こうとせず精霊祭で盛り上がる景色を眺めるだけの置物と化していた。

いつもとは明らかに違う様子の少年に首を傾げる二人だったが、ふと、アリアーデが思い出したかのように両手を叩いた。

「そういえば、シルフィー言ってたわよね。アッシュが戻ってきた時、真っ白な衣服を頭までかぶった女の子と一緒だったって」

「……ああ、そういえば」

真っ白なローブを被った人物。容姿は見えなかったから分からなかったが、聞こえた声は確かに年若い、それこそ自分と同じくらいの年齢の少女のものだった様に感じたが。

「もしかして、失恋ってやつじゃないの?」

「は?」

どこかキラキラした表情でそんなことを言い放ったアリアーデ。

「ほら、よくあるでしょう?浮ついた空気に中てられてっていうの。普段はそんなものとは無縁の硬派なアッシュも、精霊祭の活気に呑まれてしまえばあら不思議――――」

「――――店長、馬鹿馬鹿しすぎて全然笑えないんだけど」

何故か無表情のシルフィーに、アリアーデは笑顔のまま硬直、すすすと引き下がった。

「……冗談よ、冗談。そうよね、ウチのアッシュに限ってそれはないわよね。シルフィー、謝るからその顔止めて、怖いから」

「別に、怖い顔なんてしてないし、謝る必要もないけど……」

「ね、ほら、機嫌直して。アッシュの買ってきた林檎飴でも食べましょう」

アリアーデが持っている二つの林檎飴、その内のひとつをシルフィーに差し出した。

無言でそれを受け取り、じっと眺めた。真っ赤な林檎飴に映る自分の顔が、何故か不機嫌そうな表情をしていることに気づいた。

(……どうしてこんなにささくれ立ってるのよ、私ってば)

さっきのアリアーデの台詞の何が気に入らなかったのだろう。考えてみてもよく分からない。ただ、無性に気が立ってしまった。

どうしてそうなったのか、理由はいまいち分からないが、原因は、何となくわかる。

「…………」

ちらりと、視線を件の少年の方へ向ける。そして、林檎飴に映る顔が益々不機嫌になっていくのに気づく。

シルフィーは、それを見たくないからか、それとも気分転換のつもりだったのか、林檎飴を淑女らしからぬ動作でバリバリと噛み砕いた。

即座に食べ終わるなり、勢いよく立ち上がった。

「……店長、外に出て気分転換してきても良い?」

「え、ええ。全然かまわないわよ」

若干顔を引きつらせながらぐっと親指を立てたアリアーデ。

「休憩時間が終わるまでに戻ってくるから」

くるりと身を翻したシルフィーはスタスタと玄関まで早足で歩いていく。そんな彼女の後ろ姿にアリアーデはぽつりと呟く。

「…………青春ねえ」

「何か言った?」

「いいえ、なにも」

にっこりと微笑んだアリアーデは、それからふと思い出したとばかりに目を見開く。

「―――あ、シルフィー。外に出るのなら、ひとつ頼んでも良いかしら」

「頼み事?」

足を止め、不機嫌そうに眉を顰めながら振り返ったシルフィーに、彼女は笑顔のままで頷く。

「ええ。実は、午前中だけで必要な材料で使い切ってしまったものが幾つかあってね。ここに書いてあるものを買い足してきてほしいのよ」

アリアーデが差し出したのは一枚のメモ。

そこに書かれている文字の羅列をしげしげと眺める。

「……これ、かなりあるような気がするんだけど」

「良いの良いの。どうせ午後からだって大繁盛間違いないわけだし、それくらい買って補充しておかないとね」

メモに書かれている材料の種類は十種類近くあった。

「それに、これくらい動き回った方が、いい気分転換になるでしょう?」

「………何だか、上手く誘導されてるだけのような気もするんだけど」

「気の所為よ、気の所為。じゃあ、任せたわよ」

ひらひらと手を振るアリアーデを尻目に、シルフィーは仕方ないとばかりにがっくりと肩を下げると店を出た。

―――――眩しい。

外に出た途端感じる、吹き抜ける微風の匂いと暖かく降り注ぐ陽光に、深呼吸をひとつ。

「………良し」

嫌な気分を振り払うように、シルフィーは意気揚々と歩きだした。




店内の窓から見える外の景色。思う存分に精霊祭を楽しむ人々の姿を眺めながら、アッシュはため息をついた。

――――どうして、忘れられないんだろ。

先ほどから何度繰り返したか知れないことを、アッシュは再び脳裏に思い浮かべていた。

精霊祭の中で出会った白髪の少女。真っ白なローブに身を包んだ、謎の少女。

彼女は己を貴族と称し、また、この国の守護者たる精霊使いだと名乗りを上げた。

貴族にして精霊使い、それは間違いなくこの国の社会構造において最も最上位に君臨することを示す肩書だ。

少なくとも、城下街で暮らす一平民が出会えるような人物ではなかった。

けれど何の因果か、アッシュはその少女と精霊祭を廻り、僅かな時間だけではあったが、共に過ごすこととなった。

アッシュが忘れられないのは、そんな少女との最後の場面。

『貴方と過ごしたこの僅かな時間、とても楽しい時間ひとときでしたよ』

振り返らずに、彼女はそう言った。

その表情はアッシュからは見えず、窺い知ることは出来なかった。

けれど、どうしてだろう。今この時も、彼女のその去り際が、その後ろ姿が、脳裏に何度も思い浮かぶのは。

共にいた時間は本当に僅か。ほんの数刻の間。今日偶々出会っただけの少女のことが、心のどこかに残り続けているような、そんな感覚がアッシュには確かにあった。

少女が持つ幻想的なまでの美しさのため?

貴族という特権階級?

それとも、精霊使いというこの世界において頂点に位置する肩書ステータスのせい?

――――いや、そのどれもが、違う気がした。

では、一体何がそこまで気になっているというのか。アッシュはその疑問に対する明確な答えを思い浮かべることが出来なかった。

「―――――はぁ」

そんな精神状態の所為だろうか。活力というべきか、何か行動しようという気に全くならない。

今日は精霊祭だというのに、だ。

こんなことをしていても、何の意味もないというのに。こんなことは、初めてだった。

(―――もしかして僕、あの子に嫉妬でもしてるのかな)

精霊使いであり貴族。間違いなくエリート中のエリート。三年前までは自分も立っていたその場所に、彼女は立っていた。

もしかすると、無意識にそれを羨んでいるのかもとも考えたのだが――――。

(……いやいや、まさか。今さらそんなものに未練はないし)

過去に囚われて今を見据えることが出来ないなんて、そんな感慨はこの城下街にやってきて暮らし始めた頃に捨て去っている。それに、そんなことがどんなに意味のないことかも知っている。今さらそんなことはないはずだ。

なら、一体何がそこまで気になっているんだろう?

答えの出ない堂々巡り。延々と繰り返す意味のない思考。全くもってらしくないアッシュのその思考に終止符を打ったのは、他でもない、この場にいるもう一人に他ならなかった。

「――――冷たっ」

頬に感じたひやりとした感覚に、アッシュは飛び上がった。驚いて目を見開くと、苦笑を浮かべるアリアーデの姿があった。

彼女が持っているのはよく冷えたミルクの入ったコップ。さっき感じた冷たい感覚は、アレを頬に押し付けられたかららしい。

「………店長」

「やっとまともに言葉を話したわね。今の今まで心ここにあらずって感じだったけど、どう?目が覚めたかしら」

にっこりと微笑む彼女に、アッシュは呻いた。

「ご、ごめん店長。精霊祭だって言うのに、ぼうっとしちゃって」

「本当よ。今日という日は三年に一度しかないのよ?もっとしっかりして欲しいわね。ウチの大黒柱なんだから、貴方は」

「は、はい……すいません」

というか、大黒柱って……使い方間違えてるよね。

ぴくりと口元を引きつらせながらアッシュは謝罪した。

実際、今の今まで呆けていたのは間違いないわけだし……。

「……って、あれ。そういえば、シルフィーはどこに?」

きょろきょろと、普段であれば忙しそうに動き回っているはずの同僚の姿がない。

いつもなら、どこに視線を向けても、彼女の空色の髪が目についたというのに。

「シルフィーなら、買い出しよ。午前中に材料のほとんどを使ってしまったからね。なにせ、私の作品パフェをおかわりする猛者がやってくるだなんて、考えてもいなかったしねぇ。早急に補充しておかないと、午後から店開きが出来ずに困っていたところよ」

「そっか……ひとりで行くなんて、声をかけてくれたら荷物持ちくらい――――」

何気なくそう呟いたアッシュに、アリアーデはドンと目の前にコップを置いた。

並々と注がれている中身が大きく揺れてこぼれそうになっていた。

な、何だろ。もしかして、怒ってる……?

「アッシュ、女の子って言うのはね、とても精密な作りをしているの。貴方たち男みたいに、単純な作りじゃないのよ?今の言葉、あの子の前では言わないことね。それに、呆けて外を見ていた貴方じゃ、きっと役に立たなかったと思うわよ?」

「は、はひ」

「よろしい。じゃあ、それを飲んだら店内の掃除。塵一つでも残したら、晩御飯の賄いは抜き、良いわね」

「わ、分かったよ」

ずいっと迫力のある笑顔で迫ってきたアリアーデに、アッシュはすぐさまコクコクと頷いた。

こういう時の店長が如何に恐ろしいか、身をもって知っているアッシュからすれば、何が何でも彼女の言葉に従わなければどうなるか……想像するのも恐ろしかった。

手早く出されたミルクを飲み干すと立ち上がり、店の掃除箱から箒を取り出す。

バタバタと素早い動きで動き始めたアッシュを尻目に、アリアーデは腕まくり。

「さて、私も洗い物を―――――」

「アリアーデ、いる~?」

店内に響く声。見ると、入り口に立っているのは一人の女性。アリアーデと同じようなエプロンを着用したその女性に、アリアーデは声をあげた。

「あら、ジェシカじゃない」

栗色の髪につり目が特徴的なその女性は、短い髪を相まって、ボーイッシュな雰囲気を思わせる。

ジェシカ・バルカ。カプリコルの斜め向かい側に居を構える生花店『妖精の庭フェアリーガーデン』を営む人物で、店長とは旧知の仲だとか。

店内に飾られている生花は全て、彼女からの頂き物がほとんどだ。

「は~い。相も変わらぬ盛況ぶりで何より。相変わらず、貴女の作る料理は人気なのね。私には、ただの奇抜な料理にしか見えないていうのに、分からないものね」

彼女は店内に入ると近くの椅子に座った。指先で一枚の硬貨を机に置く。

「何か飲み物をちょうだいな。そうね、紅茶でも頂こうかしら」

「貴女からお金なんてとる気はないんだけど」

「良いのよ。料理はともかく、貴女の紅茶は本物だもの。硬貨一枚を支払う価値はあるわ」

微笑んだ彼女はそこで箒を握るアッシュに気づくとひらひらと手を振った。

「アッシュ君も久しぶりねぇ」

「こんにちは、ジェシカさん。お久しぶりです」

ぺこりと頭を下げたアッシュ。

「はい、こんにちは。良いわねぇ、アッシュ君みたいな礼儀正しい好青年を従業員として働かせているなんて。ねえアッシュ君、アナタさえ良ければ、ウチに働きに来てみない?」

「え、えっと……」

何とも返答に困るジェシカの問いに、アッシュは頬をかいて苦笑い。

「やめてくれないかしら。引き抜きは。御法度よ、ジェシカ」

「良いじゃない、少しくらい。今どき男の人が花屋なんて、って古臭いことは言わないわよね」

「そういうことじゃなくて、ウチの主戦力を持っていかないでってことよ」

キッチンからティーセット一式を持って現れたアリアーデは手早く机の上に置くと、子慣れた手つきで白塗りのカップに赤みを帯びた黄金色の紅茶を注ぐ。

「ちっ……いいじゃない少しくらい、減るもんじゃなし」

「減るわよ、主にウチの労働力と売り上げが」

ぼそっとそう呟き、注ぎ終えた紅茶を差し出したアリアーデは首を傾げた。

「で。一体今日はどんな用だったのよ」

「ん~?何が~?」

湯気の立ち上る紅茶を飲みながらジェシカは棒読みで返した。

「決まってるじゃない。ここに来たってことは、何か話したいことがあったからじゃないの?お喋り気質……もとい野次馬精神持ちの貴女のことだもの、何か要件があってのことだと思ったけど」

ふぅと息を吹きかけながら紅茶を飲んでいたジェシカはひと息つくように、カップを置いた。

「流石、アリアーデね。アナタ、午前中に何か騒ぎが起きなかった?私も店舗の中からちらっと見えただけだから、詳しいことは分からなかったんだけど」

「……よく見てるわね、貴女」

若干呆れ顔でそう言ったアリアーデは、ほんの少し前に起きた騒ぎの内容を簡単ではあるが説明した。

「――――ふぅん、不審者。それに、それを取り押さえた精霊使い様、か」

「ええ。といっても、私はシルフィーとアッシュから又聞きしただけだから、実際の現場は見ていないんだけど」

「………そう」

少し考えこむような仕草を見せるジェシカに、アッシュとアリアーデは首を傾げた。

「ちょっと、一人で考えこんでないでよ」

「ああ……うん。そうねえ、これ、話していいかどうか分からないんだけど……。私の旦那、大障壁の巡回任務に携わってるんだけどねぇ。今日は非番だったって言うのに、急に駆り出されちゃって。なんでも、多くの人手を必要としてるみたいでね。普段はそんなことなかったから、少し話を聞いたんだけど――――」

紅茶を一口飲み、彼女は続けた。

「なんでも、この城下街全域で立て続けに事件が発生しているみたいなのよ」

「事件?」

「ええ。精霊器……ああ、アッシュ君はあまり難しいことは知らないと思うけど、退屈なら聞き流してね。で、武器型の精霊器を使った事件が多発しているみたいなのよ。それも、精霊祭が開催されてから、急激にね」

精霊器とは、有体に言えば、精霊の力を利用して稼働する道具全般を意味する。

本来は精霊使いや、それらに類する力を持った人間だけが干渉できる、大気中に満ちる『精霊力』を、自動的に吸収し、それを動力源として様々な恩恵をもたらしてくれるものだ。

種類は様々で、街の至るところに設置されている夜道を照らす街灯―――もとい精霊灯や、シンボルとして造られた噴水。身近なところで言えば、どの家にもあるであろう暖炉など、私生活で使用される家具や道具にさえ、精霊器は活用されている。

ただ、そんな数ある精霊器の中で、この城下街でも手に入れることの敵わないものが、武器型と呼ばれる精霊器。文字通り、武器、即ち剣や弓、鎧などといった、日常生活では無縁の、武力に精霊の力を利用した精霊器のこと。

武器型の精霊器は、容易に他者を殺傷することが出来るため、所持は基本的に一般住民は禁止されていて、その管理は国軍が任されている。

個人で所有することが許されるのは、それこそ、精霊使いや貴族、もしくは軍人くらいのものだ。

本来、城下街でそんなものが出回ること自体、あり得ない話しだ。

「それでね、精霊器を使った事件が多いんだけど……それよりも大変な事件も起きてるみたいなの」

「あまり、聞きたくないわねぇ、それ」

「でも、ここまで話したんだもの。私も喋って楽になりたいわ」

ため息をこぼしたアリアーデに、ジェシカは目を閉じ、そして。

「――――精霊器を手に入れた城下街の人間が、精霊使い様を殺傷する事件も、何件か起きてしまっているみたいなの」

「………!」

アッシュは驚愕に目を見開いた。

思い出されたのは、先ほどの一件。金髪の軍人が一瞬で無力化したが、彼女と相対していた青年が持っていたのは短剣だった。しかも、ただの短剣ではなかった。あの時あの女性が氷漬けにしていなければ、その後どうなっていたのか。

今となっては知る由もないが、ジェシカの話しを聞いた今なら、あの時の真実が分かる。あの青年は手にした武器型の精霊器で、金髪の軍人を狙ったのだと。

そして、同じことをジェシカも理解した。だからこの話しをしたのだろう。

「……そう、それが本当なら、シルフィーとアッシュに何もなくて本当に良かったわ」

神妙な顔で静かに呟いたアリアーデに、ジェシカは顔を近づけて、口元を手で隠しながら言葉をつづけた。

「――――それでね、ほんのさっきのことなんだけど。ここから少し離れた場所で、精霊使い様の死体が発見されたそうよ。沢山の騎士様が立ち入りを制限していたから、間違いないわ。それでね、その殺された精霊使い様の遺体なんだけど―――年頃の女の子みたいなのよ」

それこそ、アッシュ君と同じくらいの年齢の、ね。

ジェシカのその言葉に、アッシュの思考は空白に染まった。

カランという音が耳に飛び込んできて初めて、自分が箒を手放して呆然と立ち尽くしていたのだと気づいた。

「――――アッシュ……?」

心配そうにこちらを見るアリアーデに気づき、アッシュは掠れたような吐息を漏らす。

とりあえず、落ちた箒を拾おうと上半身を屈め―――。

『殺された貴族様の遺体なんだけど―――年頃の女の子みたいなのよ』

ジェシカの言葉が、再び脳裏によぎった。

体を動かしたことで一瞬だけ頭から消えていたことが再び蘇った。。

白髪の少女。己を精霊使いと称した少女。

『………ありがとう、ございます』

アッシュが買った何でもない髪飾りを大事そうに抱えていた彼女の姿が思い出される。

『………人から本当の・・・贈り物を頂いたのは、初めてです』

嬉しそうにそう呟いていた彼女の姿が、鮮明に思い浮かんでは消えていく。

『ありがとう、ございました』

そこで、アッシュは両拳を強く握りしめていたことに気づいた。

手汗がべっとりとついて気持ちが悪いのに、そんなことに意識を割く余裕はないとばかりに、心臓が早く脈を打つ。

――――――まさか。

何故、こんな考えが浮かぶのか。

年頃の少女の精霊使いの遺体――――?

(―――――いや)

だとして、その事件があったとしても、そんなことがありえるはずがない。

それに彼女は精霊使いだ。一騎当千の強者。並の常人がいくら逆立ちしても傷などつけようもない。

いくら精霊器を使っても、そんな簡単に。

それに、それにだ。もしそうだったとしても、ただ一度会っただけの他人に等しい少女を、自分が心配するのも奇妙な話しだ。そこまで心配する必要が、一体どこにあるというのか。

ドクドクと早く鼓動を刻む心臓を抑えようと、胸をおさえた。無意味だと分かっていても、そうせざるを得なかった。

頭ではおかしいと分かっているのに。

冷静に考えれば、自分がこんなことを思うこと自体が変だというのに。

他人のことだ、なのに、なのにどうして。

(―――――僕は、一体)

そこまで考えるのが精一杯だった。

――――――行かないと。

体を勝手に突き動かしたのは、そういう理論的な思考とは一切無縁な、衝動的な“何か”だった。

「アッシュ」

「ごめん、店長―――」

顔をのぞき込んでいたアリアーデに気がついたのも、今さっきだ。

だが、アッシュは彼女に懇切丁寧に今の自分の精神状態の説明する気は全くなかった。

ただ今すぐに駆け出そうとして――――。

「――――気をつけて、行ってらっしゃい」

彼女の口から放たれたその言葉の意味を、理解することはなかった。ただ、振り返ることなく出口めがけて走り出した。

逸る心に従うように、アッシュはカプリコルを飛び出した。

目の前に広がる大勢の人の群れ。右も左も人混みだ。どちらがアッシュの目指す場所なのか。いや、そもそも自分自身が一体どこを目指しているのかも、釈然としていない。

だから、アッシュがその方向を選んだのは、偶然だった。強いて理由を上げるとすれば、初めて彼女と出会った場所がそっちの方だったから、というのがもっともらしいかもしれない。

アッシュが駆け出した。

大勢の人込みの中を、僅かなタイムラグすらなく駆け抜ける。その動きは最早、その姿を見ていない周囲の人間からは突風が吹き抜けたとしか思われないであろうほどの速さだった。

少年が走り始める場面を見ていた数人の人々はあまりの素早さに目を見開いて立ち尽くしていた。

ただ、常人離れした速さで走る少年の視線はただ真っ直ぐ前だけを向いていた。

やがて、その少女と共に歩いた、見覚えのある景色が広がる場所へとやってきた。アッシュと彼女を歓迎してくれた屋台や出店へ一瞬だけ視線を向けながら、アッシュは更に走りぬけ――――。


『おやおや、そんなに急いで何処へ行くのかね、アンタは』


耳に飛び込んできた声に、アッシュは立ち止まった。

何故、あれほど急いでいたというのに、自分は足を止めたのだろう。

一刻も早く、そこ・・へたどり着かないと。そんな衝動が自分の中には確かにあったというのに。

吸い寄せられるように、アッシュの視線はある一点へと向けられる。

老婆。白髪の髪を無造作に伸ばしたその人物に、アッシュは目を見開いた。

あの人は、そうだ。あの髪飾りを買った、雑貨屋の主。ある意味で、あの少女との間にあったわだかまりや心の壁を取り払う切欠となった人物だった。

『アンタはまだ若いというのに、そんな急いで、どこへ行こうというんだい』

――――おかしい。

アッシュが奇妙な違和感を感じたのは、その時だった。

何故、距離が離れていて、それも、人込みの騒めきの中であの老婆の声だけがはっきりと聞こえるのか。

まるで、老婆と自分の間にある障害物が全て、消え去ってしまったかのような感覚だった。

『さあ、おいで』

足が、勝手に動いた。

一歩、また一歩と、自分の足が他人のものになってしまったかのような動きで、前へ進む。

思えばそれは、カプリコルを飛び出した時とよく似ている。あの時も、まるで自分の体が自分の物ではなくなってしまった様な気がした。

ついさっきまで急いでいるはずだったというのに、今心は静かなものだ。

まるで、この老婆と出会い、言葉を交わすことが、必要なことなのだと言わんばかりに。

『また会ったね。また今回は、随分と急いでいるようじゃないか』

やがて、老婆の前にたどり着いたアッシュは何も言わない。ただ無言で、老婆の言葉を聞いていた。いや、聞かされて・・・・・いる・・ような、気さえした。

『あの娘っ子がいないねえ。だらしない、離れてしまったのかい?情けないもんさね』

老婆は苦笑し、その皺のよった瞼を僅かに持ちあげる。

不思議な色をした瞳だった。

覗きこむ者全てを呑み込むような、どこまでも深い純黒の眼。だけど、その黒の中で、白く輝く星々のような光が見えたような気がした。

まるで、夜天そのものを宿したような双眸だった。

『―――あの娘っ子に会いたいのかい?』

その言葉に、アッシュの目が見開かれた。

なんと、答えるべきなのだろう。

そもそも、今何故こうしてここに居るのか。アッシュははっきりと実感できていなかった。

まるでふわふわと宙に浮いているような、足が地に着いていないような、そんな曖昧さがアッシュの内にはわだかまっている。

「――――――」

けれど、アッシュは確かに、一度頷いてみせた。

『――――ふむ。そうか、あの娘に会いたいか』

老婆は何度も頷き、そして。

『もしその娘と今一度会ってしまえば、いや、会おうとすれば―――アンタの日常が崩れ去るとしても、それでも、会いたいのかえ』

「え―――――?」

アッシュの口から、呆然とした声が漏れた。

意図して発したものではない。自然に漏れ出た呻きのようなものだ。

この人は一体、何を言っているのだろう。意味が、分からなかった。

『ここは、境界線』

老婆は両手を広げた。

『今来た道を戻れば、アンタは日常に帰ることが出来る。ただ、アンタの大切なものがひとつ、消え去ることにはなるけれどねえ。だけど、アンタ自身はこれからも今と変わらぬ日常を過ごす事が出来るだろう。だけど――――』

先ほどまでアッシュが進もうとしていた方向を指差す。

『今よりも先に進もうとすれば、アンタの日常は崩れ去る。今までの日常は、もう決して手に入らない。アンタは運命・・に絡めとられ、抜け出す術を見失い、やがて―――戻れなくなる』

まるで、御伽に語られる予言者のようだと、アッシュは思った。

老婆の声はただただ威厳に満ちていた。聞く者の体を痺れさせるような、謎の威圧感で象られていた。

『――――さあ、アンタはどうする。平和と停滞が満ちる幸福シアワセな日常と、激動と変革が彩る運命への道行き。どちらを選ぶ』

「……………僕、は」

この人の言っていることの意味は、分からない。

何を言っているのか、さっぱり、皆目見当もつかない。

だけど。

「僕は―――――――」

痛い。

鋭い痛みが、額にはしった。

気のせいかもしれない。けれど、今まで幾度となく感じてきたその痛みはまるで、こんなところで足踏みするなと、言っているかのように感じた。

硬質な杭で打たれたような痛みに、額を押さえたアッシュは、老婆を見据えた。

「僕は――――行かないと。行かないといけない。そんな、気がする」

気づけば、そんな言葉が口から飛び出していた。

『――――――そうかい』

老婆はぽつりと呟き。

『――――やはり、私ではアンタを止めることは出来ないということなんだねぇ。全ては運命・・の流れのままに、進んでいくだけということか』

どこか寂しそうな顔をした老婆はゆっくりとアッシュが進もうとしていた方向へと腕を伸ばした。

『この先に進んで、突き当たりを右に曲がるといい。そこに、アンタの望むものがあるだろう。私にはアンタを止めることは出来ない。もう会うこともないだろう。さらば、若人よ』

老婆のその声を最後に、アッシュの意識がふっと遠のく。

まるで眩暈を感じているかのような、そんな意識の揺らぎが僅かにあって――――気づけば、アッシュは何もない場所でぽつんと立っていた。

屋台も何もない。左右は屋台が立っており、アッシュの居る場所だけ、丁度屋台一軒分の隙間が空いていた。

「―――――――あれ」

自分の立つこの場所には、さっきまであの老婆の雑貨屋があったはず。

しかし今、そんなものは夢幻と言わんばかりに更地だけが目の前に広がっていた。

何ら変哲のない場所で立ち尽くす少年を、周囲の人が不思議そうな目で見つめては通り過ぎていく。

「………おかしい。どういう、ことなんだ」

まるで幽霊に化かされたような気分だった。それに。

「………あれ」

アッシュは胸に手を置いた。カプリコルを飛び出した時と全く同じ動作。

ただ、あの時と違うのは、暴れるように鼓動を刻んでいた心臓が、今は酷く落ち着いているということ。

先ほどまであったふわふわとした衝動じみた感覚が、消えていた。

やっと地に足がついたような。全身の制御権を取り戻したような。そんな言いようのない安堵感がアッシュの中にあった。

「…………」

ふと、老婆の声が、脳裏に蘇る。

『この先に進んで、突き当たりを右に曲がるといい。そこに、アンタの望むものがあるだろう』

あの老婆はそう言っていた。

「…………確かめないと」

その言葉とは裏腹に、アッシュは落ち着いていた。

先ほどのように狂騒に満ちたものではなく、確かめないといけないという冷静な思考だ。

まるで老婆の言葉通り、従うようにアッシュは進む。

道を進み、やがて前方に民家が数軒建ち並ぶ突き当たりへとたどり着く。その右側を、アッシュは見つめた。

遥か前方に見えるのは、人混みだった。

けれど、通りを歩いている大勢の人という意味ではない。明らかに全員が立ち止まり、その場所を囲むような、という意味での人混みだ。

精霊祭だというのに、全員が暗く、沈んだ顔でその場所を見つめていた。

ごくりと、アッシュは唾を呑み込んだ。

一歩。足を進めれば、あとは体がついてきた。

やがて、その場所へと、アッシュはたどり着いた。

大勢の人という名の壁をすり抜け、あるいは力で入り込んでアッシュはその中心へと近づいていく。

そして。

「――――――っ」

そこは、銀色に輝く甲冑を着込んだ数人の騎士たちによって何人も立ち入りが出来ないように囲まれていた。

彼らが纏う甲冑の背から垂れる真紅のマントに描かれているのは、ジルヴェリア王国の紋章。

間違いなく、彼らはこの国の王室直属の治安維持部隊。数多の精霊使い達が在籍しているという噂もある一騎当千の強者たちの集団―――『精霊騎士団』だ。

見れば、この場にいるひとりひとりが、誰が見てもそうだと分かるほど、強大な何かを纏っていた。

ビリビリと肌を突き刺すような威圧感は、間違いなく彼らが強者だと分かる。

だが、今のアッシュの目的は彼らでは無く、彼らが守っている現場の中心だ。

「――――――止まれ。それ以上踏み込むこめば、厳罰に処す」

アッシュが踏み出そうとするよりも早く、銀の鎧に覆われた騎士の一人がアッシュの前に立ちはだかっていた。

行動を起こすよりも早い。実際に体を動かそうとするその一瞬ともいえる気配を読み取って、この騎士は動いたとでもいうのだろうか。

噂通り、いや、それ以上の怪物っぷりにアッシュの背中を冷や汗が伝う。

「いえ、あの――――ここで、何があったんですか」

「小僧、余計なことには首を突っ込まないことだ。過ぎた好奇心は身を滅ぼすことになる」

甲冑の奥から注がれる鋭い眼光は、物理的な威圧感すら秘めているように感じた。

思わず一歩後ろへ下がりそうになるアッシュだが、何とか踏みとどまり、その騎士を見上げた。

「―――――ほう」

その騎士は気丈にもこちらを見上げ、真っ直ぐな視線を向けてきた少年に、僅かだが驚きの声をあげた。

「おかしなものだ。小僧、貴様は一体何が気になってここへ来た。周りと同じ野次馬であるのならば、疾く去れ。だが、違うというのであれば理由を述べよ」

「いや……ここで、精霊使い……様、が襲われた事件があったって聞いて」

「それだけか」

「あの、もしかしたら……その襲われた人が知りあいかもしれなくって――――」

アッシュはそこで気づいた。

自分の言った言葉の意味を。直訳的に捉えれば、何の変哲もない城下街の民が、貴族たる精霊使いと知りあいだと言っているのだ。

変な捉え方をされても仕方ない台詞だった。

「――――知りあい?よもや、精霊使いと既知だとでも言うのか、小僧」

案の定、騎士の発する声音が一段階、低くなった。

拙い。これは、警戒されている――――。

「―――――く、はは」

騎士は、笑い声をこぼしていた。

アッシュが驚きに目を見開く。

警戒されている、下手をすればその腰に佩されている剣に手がかかるとすら思っていたのに。

「――――嘘にしては面白い。良かろう、小僧。その下らなくも面白い嘘に、今回ばかりは乗ってやろう。殺害されたのは、今回の精霊祭のために、王都の外にある領地からやってきていた貴族の令嬢だ。名は明かせぬがな。この王都に到着してすぐ、何者かの手にかかったようだ」

騎士が顎先で示したのは、騎士二人が担架を運んでいる場面だった。担架には白い布が被せらており、姿は一切見えないが、人一人分の膨らみがあった。

唯一分かるのは、頭部と思しき場所から垂れる、金色の髪・・・・だった。

「―――――――」

アッシュの目が見開かれる。

担架から垂れていたのは、金色の髪。そして、アッシュが探していたのは、白髪の髪の少女。

金髪と白髪、似ても似つかない。ある意味正反対ともいえる色彩だった。

その意味を、アッシュが噛みしめていると。

「どうだ、小僧。知りあいだったか?」

鼻で笑うような声で問いかけてきた騎士に、アッシュはゆっくりと首を振った。

「いえ……僕の、勘違いだったみたいです」

「で、あろうな。小僧、今回は面白がって情報をくれてやったわけだが、今後はそのような気の迷いは捨てておけ。人にはそれぞれ分相応というものがある。良からぬ気持ちで手を伸ばし、よくないモノに噛みつかれ、全てを失うこともある」

ゆめゆめ、忘れないことだ。

そう言い残して騎士たちはやるべきことを終えたのか、この場を去っていく。

周囲で屯していた人たちも、もう見るべきところはないと感じたのは、散り散りに散っていく。

立ち尽くすアッシュは、目的の場所で犠牲になっていたのがあの少女では無かったという安堵と、僅かに感じる気づかれで、ため息をこぼしていた。

とにかく、この場から立ち去ろう。そう思い、身を翻したアッシュの耳に、周りの住民の会話が飛び込んできた。

「しっかりまあ、恐ろしいもんだ。お前、その光景を見たんだろ?」

「ああ。真っ黒なローブを着込んだ大きい体の男が血まみれの女の子の前に立ってたのを見た時は、本当に怖かったぜ」

死ぬかと思ったと笑う男は、更に言葉をつづける。

「それにしても、やっぱり騎士様が調査をするのは、ご貴族様か、精霊使い様に関してだけなんだな。俺はもう一人、その黒い大男の脇に抱えられていた女の子がいたってことも話したんだけどよぉ、その子が城下街の人間みたいだって言った途端、興味を失ったみたいだった」

「けっ、やっぱり、なんだろうなあ。どこか高飛車なところがあるんだよなあ、騎士様ってなあ」

「ああ、全くだ」

頷きあう男たちに、アッシュの意識が吸い寄せられた。

もう一人・・・・

「そんで、お前が見たって言うその女の子、どんな子だって言ったっけか?」

「ああ。空色の髪をした子だったよ。給仕服を着てたから、どっかの店の従業員者ねえかと思うんだけどよぉ。全く、気の毒だぜ、騎士様もあんな感じだったし、きっと今頃殺されてるんだろうなぁ」

――――――――え?

衝撃、いや、これは、そんなものではない。これはそう、強いて言葉にするのなら。

アッシュの目が、光を失う。

ふらりと、前に踏み出していた。

「ま、仕方ねえわな――――――って、なんだお前?」

男は自分の服を掴んでいる灰色の髪の少年に眉を顰めた。

少年は何も言わず、ただゆっくりと顔を上げた。そして、その少年の瞳に宿る虚無に、男は畏れを抱いたように顔を引きつらせた。

「―――――その、女の子、本当に……空色の髪を、してたんですか」

「あ、ああ。というか、お前大丈夫か……?顔色すげえ悪いぞ……?」

「髪型は……髪型は、どんな感じでしたか」

「……え~っと、髪型は……ああ、なんていうんだ、あの、後頭部で二つに縛っていた感じだったぜ」

男のその言葉に、アッシュは膝から崩れ落ちていた。

地面に強く打ちつけたショックで痛むが、そんな痛みなど、最早アッシュには感じ取ることすら出来なかった。

「お、おい、こいつヤバくないか……?」

「あ、ああ。お、おいお前、ほんとに顔色悪いし、病院行った方が――――」

「早く行くぞ、どんだけお人よしなんだ」

「わ、分かってるよ―――――」

去っていく二人に視線を向けることすら出来ない。

アッシュの思考を満たすのは、絶望だけだった。

まさか、まさかまさかまさかまさかまさか。

ありえない、ありえないありえないありえない。

絶対にありえないだろう、そんなこと。

そんな考えだけが、アッシュの中を廻り廻る。

血の気が引く、どころではない。体内から血を含めた赤の成分が全て抜け落ちてしまったのかと言わんばかりに、顔が青白く染まっていく。

頭の中がまっしろになる。

貴族の令嬢を殺した相手とシルフィーが一緒に居る?

―――――きっと今頃殺されてるんだろうなぁ

男の台詞が蘇り、アッシュは零れ落ちそうな程に目を見開く。

「ど、うして。どう、して―――――どうして!!!」

突然絶叫した少年に、周囲の人々は驚き、距離をとっていく。

アッシュを中心に人混みができる。奇しくもそれはまるで、先ほどの事件があった場所のようで。

『今よりも先に進もうとすれば、アンタの日常は崩れ去る。今までの日常は、もう決して手に入らない。アンタは運命・・に絡めとられ、抜け出す術を見失い、やがて―――戻れなくなる』

老婆の言葉が、何故か今になって思い出す。

それは、思い出すというよりも、あの老婆が再び目の前に現れてそう告げたかのような、そんな臨場感を伴って聞こえた。

「――――――あ、ああ………ああああああっ!」

意味のない声が漏れる。

「シルフィー!!!!!!」

アッシュの絶叫が、木霊した。

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