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そこは、大小様々な物に埋め尽くされた薄暗い部屋だった。

一度見ただけでは何に使うか分からない物から、何故こんなところにと思ってしまうような物まで、様々な道具や箱、更にはガラクタと思しき廃棄物ゴミまで。何ら共通点のない物たちが所狭しと押し込まれた場所。

「う~ん、確かこのあたりだと聞いていたんだけど………」

そんな山のような物たちに囲まれて、何やら手を動かしているのは少年だった。

「よいしょっと。この下かな」

一際大きな箱。中に何が入っているのかは分からないし、知りたいとも思わないが、明らかに重量だけは立派に備わっているのであろう箱を、少年はあっさりと持ち上げ、脇にどかす。

身長は至って平均的。高くもなく低くもない。体格は比較的細めだろう。しかし、身に纏う衣服の上からでも、その体全体が引き締まっていることが分かる。少なくとも、重量のある箱を、簡単に動かすことができる程度には。

「―――あれ。これは……オルゴール。それにフライパン……なんでこうも乱雑に物を放り込むかな、あの人は」

ため息をひとつ。少年は腰に手を当てて肩を落とすと、周囲をぐるりと見渡した。

そこは、倉庫だった。

足の踏み場がないほどに積まれた物の数々。積み上げられた箱の山は、高いものであればこの倉庫の天井に今にも届きそうなほどだ。

もしここを片付けようと思ったら、一体何日かかるのか、想像すらしたくない。

「こんな大量のガラクタの中から、ひとつを探せなんて。相変わらず無茶なことしか言わないなぁ、店長・・は。こんなの、僕には見つけられないや」

仕切り直しかな。そう呟いた少年は凝った肩を解すように軽く腕を動かし―――

「あ」

トンと、一際高く積み上げられていた荷物の山に当たってしまった。

「あ、ちょ、まっ――――――――」

少年が焦って振り向いた時にはもう遅い。

絶妙なバランス感覚、いっそ神がかり的なまでの超感覚で保たれていた荷の山の数々が一斉に崩壊した。

一つの山の崩壊は周囲を巻き込み、連鎖的にその崩壊は広がって。

「あ――――――――っ!!!」

ズドーン!!と大小様々な音がその場に響き渡った。

硬質な何かが砕ける音、紙が破れる音、果ては何かよく分からない金属同士がぶつかった時のような雑音等々。見本市とばかりに盛大な音の不協和音が炸裂した。

「――――――――」

一方で、その崩壊に巻き込まれた少年が立っていた場所には、残骸と思しき沢山の箱がうず高く積みあがっていた。

空中に漂う灰色の粉塵は、何年にもわたって蓄積した埃だ。人体に害すら与えそうな大量の埃は、いかにこの倉庫の持ち主が清掃を怠っていたのかを明確に表していた。

「―――――――なんで、なんで僕がこんな目に」

荷物の隙間から這い出るようにして少年が姿を見せた。何とか荷物地獄を抜け出した少年は立ち上がると、ジト目で衣服を見下ろし、大量にこびりついた埃を見るとがっくりと肩を落とした。そして、倉庫を囲む木の壁の隙間から差し込む日の光に視線を上げ、光を受けてキラキラと輝いては宙を舞う埃に目を細める。

「そろそろ戻らないと、店長怒るかな。でも……一体どこにあるのやら」

そう呟いてこの場を後にしようとした少年の歩みが、何かに引っ掛かったように停止した。

「あ………あったよ」

少年が床に倒れていたソレを持ち上げ、己の身長と同じくらい大きな看板を眺めた。

『喫茶店カプリコル』。

白地の板に緑のペンキを使ってそう書かれた大きな看板に付着している大量の埃をさっと手で払い、少年は苦笑い。

「いろいろ大変な目にあったけど……結果良ければ、すべてよしかな」

よいしょっ、と腕の力を入れて看板を横に抱えた少年は今度こそこの場から立ち去ろうと倉庫の出口へと足先を向ける。

しかしそれよりも僅かに早いタイミングで、出口の扉が勢いよく開かれた。

薄暗い倉庫の中を照らす光の先にいるのは、一人の少女。白と蒼を基調とした給仕服を着て、ツインテールの髪を靡かせている少女は、怒り心頭とばかりに腰に手を当てた格好で叫んだ。

「おっそぉ~い!何を油売ってるの、アッシュ・・・・!」

少年―――アッシュは数度瞬きを繰り返し、開かれた扉から差し込む逆光を背に立っている少女に向けて言う。

「ごめんごめん。看板を見つけ出すのに手間取っちゃって。というか、僕は悪くないよこれ。普段から倉庫の手入れを怠ってきた店長が悪いんじゃあ」

「ふ~ん、言い訳なんて格好悪い。ウチの広告塔ともいえる看板をいち早く見つけられないなんて、アッシュ、従業員としての意識が足りないんじゃないの」

「いや…意識とかどうとか、そういう精神論じゃどうにもできないレベルで散らかりすぎてると思うんだ、ここ。とりあえず取っておこうっていうのは何も店長だけの悪い癖じゃないよね、シルフィー・・・・・

アッシュの苦笑いに少女―――シルフィーはふい、と目を逸らす。

「何のこと。身に覚えがないしぃ。それに、まだ使える物を捨てるなんて勿体ない。いつか役にたつときが来るかもしれないじゃない」

いや、そういうのが駄目なんじゃないかな。つい口を裂いて飛び出ようとしたその言葉を、結局のところは呑み込むことにした。

どの道ここで意見を言うくらいで変わる程度なら、とっくの昔にこの倉庫は綺麗に整理整頓されていただろうし。

「それにしても埃っぽいわね、ここ。店長からの頼みだったけど、断っておいて正解だったかも。精霊祭・・・を前に埃まみれなんて、ごめんだし」

シルフィーは耳元の髪をかき上げた。

「アッシュも看板見つけたんだし、早くお湯で埃を洗い流して来たら?埃だらけの人と一緒には働きたくないし、その格好じゃ、御客さんの前には出られないでしょ?」

ついでにその埃まみれの髪も一緒にね。パチリと、去り際にウインクまでしてこの場を去っていた彼女に、アッシュはため息。

「……埃まみれなんじゃなくて、この髪は生まれつきなんだけど」

くしゃりと、アッシュは自身の……特異ともいえる灰色の髪を握りしめた。

…………生まれつき、か。

ふっと目を細め、暫し沈黙。

「―――――というか。倉庫探しを押し付けてきたのは、シルフィーじゃないか」

がっくりと肩を落としたアッシュは、仕切り直しとばかりに看板を抱え上げるとその場を後にした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「店長、言われてた看板見つけたよ。凄く苦労したけど――――って、あれ…店長は?」

アッシュが店内に入ると、そこにはテーブルを拭いているシルフィーの姿があった。

「今さっきよ。足りない材料があるとかで、近くのお店まで買い出しにいったのは」

ひとつのテーブルを拭き終わると、水桶の中で布巾の汚れを落とす彼女にアッシュは首を傾げる。

「足りない材料って……あと数時間で精霊祭が始まるっていう時に?店長、一体何の仕込みをしてるんだろ」

「さあ。私にも詳しいことはさっぱり。でもそういえば、『カプリコル新商品超巨大アイスパフェを作りあげるのよ!!』……とかなんとかは言ってたけどね」

「………一体何を作る気なんだろ、店長。ここ、喫茶店のはずだけど……ゲテモノ専門店にでもするつもりなのかな」

「さあ。でもまあ…店内の雰囲気も、店長自身も、このお店の料理も、全部完璧なのに、あの人が作りあげる創作系料理さくひんだけは、残念としか言いようがないわね」

ぐるりと、店内を見まわした二人は、同時にため息をつく。

艶のある木材で造られた、広い店内。壁際には赴きのある暖炉や食器棚など、派手さはないが、質の良い調度品と思われる数々が設置されている。床は隅々まで磨き上げられており、光沢を放ち、塵一つ落ちていない。

少し古めかしいが、風情のあるオレンジがかった灯りが優しく店内を照らしている。

まさしく、紳士淑女のカフェと言うに相応しい、洗練された店内だった。

喫茶店カプリコル。この国、『ジルヴェリア王国』の城下街の外れに佇む、しがない喫茶店。しかし、知る人ぞ知る、アッシュやシルフィーの雇い主が経営している店である。

「シルフィーから店長に何とか言ってもらえれば、楽なんだけどな」

「無理ね。あの人、普通の料理を作る分には天才的だけど、自分自身で考えた独自の料理に関してだけは壊滅的だもの。あんな組み合わせ、どこで思いついてくるのかしら」

「分からない。けど、僕やシルフィーを使って・・・人体実験あじみさせることだけは勘弁してほしいよ」

おかげで何度、劇的な味の料理を食べる羽目になったか。最早数える気にもなれなかった。

真面目に料理をしているうちは良いのだが、一度レールを外れる度にとんでもなく苦労することになるため、そういう時は二人で結託して危機を乗り切るようにしてきたのだが。

「シルフィーの話しがほんとなら、また変な方向に突っ走ってるみたいだね……」

「ええ……その通り。出来ればこれ以上何もして欲しくないんだけど――――――」

直後、彼女の台詞を遮って、店内の入り口が開け放たれた。

「ただいま、二人とも!今帰ったわよ~!」

びくっと二人は肩を震わせて、その声の主へと視線を向ける。

緋色。二人の視線の先に立っているのは、緋色の長髪をなびかせた美女だった。

どこの誰が見ても超絶美人と称するであろうプロポーションと顔立ちは、幾人もの男たちの心をかっさらってきた事は間違いない。例え女性であろうとも、この人を前にすれば性別など構わないと思ってしまう同性は、はたして何人いることか……きっと、少なくないだろう。

そんな、男女問わず虜にしてしまうほどの容姿を持った女性に、しかしアッシュとシルフィーは冷や汗を垂らしたまま、固まっていた。

二人は知っている。そんな容姿など気にならないほど、この人物が変人であることを。

「店長……シルフィーに聞いたんだけど、また変わったものを作ろうとしてるみたいだね」

アッシュの視線の先にあるのは、女性の持つ大きな袋。その中に買い出しに行ったという食材が入っていることは間違いないだろう。

「また、とは随分失礼な言いぐさね。私は常に、自分自身の力量の限界に挑むべく、日夜切磋琢磨しているだけよ。勿論、あなた達にも協力してもらっていることには感謝しているわ。これからも、あなた達の意見を参考にしていくつもりだから、協力あじみ、お願いね」

にっこりと、恐ろしく整った顔から放たれた、破壊力すら秘めた笑みを浮かべる彼女に、しかしアッシュとシルフィーは何か感じ入るどころか、あまりの怖気に一歩後ろへと下がっていた。

そう、何を隠そう、この人物こそ『喫茶店カプリコル』が主にして二人の雇い主アリアーデその人である。

「うぅ……と、ところで店長……今回は一体何を作る気、なの?巨大パフェがどうのって言ってたけど……まさか本当に」

若干顔を青ざめさせながら問いかけるシルフィーに、アリアーデはふふんと微笑み。

「よくぞ聞いてくれたわね、シルフィー。今回私が作りあげる作品は――――あらゆる氷系素材を駆使して作りあげる、超低温巨大アイスパフェよ!ガブリエ山脈の氷結洞窟の最奥でのみ生成される超高密度の氷結晶に、極寒地帯に生える雪見草、雪国にのみ生息するアイスベリー等々…私が必要と思った最高級の素材を、伝手を最大限利用して集め、作りあげる作品……ああ、今から心が躍るわね!」

熱く語る彼女を、アッシュとシルフィーは少し彼女から離れた場所でコソコソと意見を交わす。

「……それって、食べた人の口の中が大変なことになるんじゃ……凍傷でも起きたら」

「ええ……御客様にそれを食べさせるのは拙いけど、それを、私たちが食べるなんてことになったら、もっと悲惨よ。お腹が冷えるなんてものじゃないわよ、きっと」

そんな会話を交わす二人など目に入らぬとばかりにアリアーデは両腕の袖を捲り上げ。

「さあ~って!精霊祭開催まであと三時間を切ったわ。もうじき、城下街と貴族街を隔てている『大障壁』が取り払われる。そうすれば、がばがばの緩い紐で結ばれた財布を持った御貴族さまや、精霊使い・・・・様たちが城下町までやってくるわ!彼らに特別メニューと称したぼったくり料理を振るまってやるわよ!」

片腕を勢いよく突きあげる彼女に、二人は呆れ顔にならざるを得ない。アッシュとシルフィーが思ったことは全く同じ。

………この人いつか絶対不敬罪で捕まるんだろうなぁ。

「じゃあ二人とも、ここからは私たち三人で、共同作業で行くわよ。急ピッチで準備を進めないと、間に合わないんだからね!」

『お、お~……』

そして、そんな彼女に流される自分たちも同罪なんだろうと、二人は思った。


―――――精霊祭。


それは、『五大国』に名を連ねる『ジルヴェリア王国』において行われる、三年に一度の国を挙げての祭祀行事。この世界で生きる全ての者に様々な恩恵を齎す存在である『精霊』に感謝を捧げ、祭りあげるものだ。

―――――『精霊』。

彼らがいつから存在しているのか、多くの学者や賢者が追及し続けてきたその真理は、今を以ってしても完全には解明されていない。しかし、『精霊』について記された書物に曰く、人間がこの世界に生まれるよりも遥か古の時代、この世界が創られた時より存在する者たちである、と記されている。

彼らの力とは、自然界における水であり、火であり、風であり、光そのもの。まるで、本来であれば形を持たないはずの自然現象が意思を持ったかのように、自然界において摂理とも、概念とも呼ばれるものを司る。しかし、彼らは確かな形を伴ってこの世界に存在し、人々に大いなる恵みを与え続けてきた。

例えどこの国であろうと、街中を少し歩いていれば必ず一つは『精霊』に祈りを捧げるための教会が見つかる。もっと注意深く見れば、その教会に祷りを捧げようと、大勢の人々が列を成していることに気づくことができるだろう。

それは、何も特別なことでは無い。日常の中で当たり前のように行われてきた、人間の生活の一部だ。

そう、人々は遥か昔から『精霊』に感謝を捧げ、生活してきた。

『精霊』の加護や恩恵なくして、この世界で生きていくことはとても過酷なこと。

故に、そんな『精霊』と契約・・を交わし、彼らの力そのものを己の物として行使しうる奇跡の存在――――『精霊使い』たちは『精霊』と同じく大勢の人々から敬われ、場合によっては信仰される。

ジルヴェリア王国における精霊祭は、『精霊』とその力を振るうことの出来る代行者である『精霊使い』に感謝と敬意を捧げるものでもある。

城下街に住まう住民たちは様々な趣向を凝らし、精霊使い達を歓待する。もしも精霊使い達を満足させることが出来れば、彼らより祝福を賜り、より一層の繁栄を願う。

内容自体はそれを行う個々人によって芸術、演劇、音楽、食事、商売と様々だが、その中でも、特に力を入れているのが、商売を生業とする一部の商人や店主たちだ。

彼らの心の裡においては、『精霊』に対する感謝よりも、己の利となるか否かという選択肢の割合の方が上回る。勿論、個人差はあれど、感謝や畏敬の念はあるだろうが、それよりも、貴族や精霊使いという存在は、彼らにとって人生をかけた一世一代のチャンスへの切符としての意味のほうが大きい。

料理、衣服、調度品、ものの種類は何であれ、彼らを満足させるものを提供できれば、普段では手に出来ないような大金が転がり込むことがあるのだ。

更に、商魂逞しい者たちは、彼らに目をつけてもらおうと、様々な施工を凝らす。もし覚えが目出度かった暁には、勝ち組と言っても過言ではないほどの恩恵に与ることが出来る。

実際、過去にはさる貴族に目をかけてもらい、大きな商会にまで発展させることに成功した者もいるぐらいだ。

通常、精霊使いは貴族街に住居を構えることを王室より許される。故に、城下街の住民が接触を持つことはまずない。しかし、例外としてそれらの区域が解放される精霊祭は、数少ないチャンスになるのである。

そして、アッシュとシルフィーの雇い主である彼女も似たような考えを抱くひとりで―――――

「アッシュ、氷結晶をすり潰して粉末状にしてくれる?それからシルフィーはアイスベリーをカットして、一口サイズになったと思ったら皿に盛り付けて頂戴。ああ、アッシュ、それが終わったら紅茶を用意してくれるかしら。お湯は必ず沸騰直後の時に入れて頂戴。そうすれば一番いい状態で提供できるわ」

早口で次から次へと指示を出すアリアーデに、アッシュとシルフィーは厨房で大忙しだった。

一瞬でも立ち止まれば、この厨房せんじょうからは立ち退かなければならなくなる。動けない兵士じゅうぎょういんに役割が与えられるほど、ここは優しくなかった。

「紅茶はOK?……良し、合格ね。なら次はケーキの生地作りよ。シルフィー、貴女はグリーンミントの葉を手ごろサイズに千切って、砂糖を軽くまぶして頂戴。ええ、そんな感じよ――――ああ、アッシュ、貴方は一度ここで休憩に入りなさいな」

頼まれた作業を何とか必死に終わらせたアッシュに、アリアーデは声をかける。

「貴方のおかげで、作業が短縮できたわ。疲れたでしょうし、少し外の空気でも吸ってきたら?」

「え、でも……」

「まだ『天輪の鐘』は鳴ってないから、精霊祭の本番ではないけれど、それでも城下街の人たちはもうお祭り騒ぎも同然でしょう。屋台も沢山出ているのは間違いないし、少し散歩して、好きな物でも買ってくると良いわ」

広々としたキッチンの上。丁寧に研がれていることが遠目でも分かる、鈍い輝きを持つ包丁を慣れた手つきで動かしながら調理を行うアリアーデは、こちらを一瞥もせずそう言った。

「………分かった。店長がそう言うのなら、少しゆっくりさせてもらうとするよ」

「ええ。でも、鐘がなる時には戻ってきてね」

「了解。それまでには戻れるようにする。じゃあ、あとは任せたよ、店長、シルフィー」

片手を上げて厨房を後にしようとするアッシュに、シルフィーは横目で一言。

「アッシュ、私、林檎飴が食べたいわ」

「―――――はいはい……」

ちゃっかり自分の希望を通すシルフィーにアッシュは苦笑し、熱気篭る厨房から外へと出た。




―――――ジルヴェリア王国隔離特区、『聖隷学院』祈祷の間。

静謐。ありとあらゆる音という音、そのすべてを排した究極の静寂。

肌を突き刺すような、人には過ぎた静寂が満ちるその場所を照らすのは、七色の輝き。

虹の天井。

燦々と輝く太陽から降り注ぐ陽光が、天井に張り巡らされたステンドグラスを通ることで、奇跡の色彩へと変貌を遂げる。

幾何学模様や複雑な彫刻が成された硝子の天井に描かれているのは、七つの人型。

燃える剣を掲げる赤色の王。

大きな水瓶を抱える青色の王。

吹き抜ける風の中に立つ翠色の王。

輝く稲光を纏う黄金色の王。

巨大な盾を持つ茶色の王。

二本の鎗を握る空色の王。

光る扉を仰ぐ無色の王。

七つの色彩に染め上げられた七人の人型の姿絵。

厳かな雰囲気を放つそれらが描かれた硝子の真下。即ち、神聖なる光が一心に降り注がれているこの場所の中央。世界の中心点にも思えるような聖域にて、跪く一人の少女の姿があった。

虹色の髪。いや、正確には頭上より降り注ぐ輝きを受けて色彩を変化させている純白の髪だ。

世にも珍しい、一切の曇りなき純白の色彩を宿す少女は白と黄金の基調にした修道服を着込み、ただ無言で両手を組み、頭上を見上げている。

その後ろ姿は、何人も近づかせないような絶対的な何かを纏っていた。

直後、背後から硬質な音。

彼女だけの空間へと繋がる唯一の大扉から聞こえてきたのは、扉を軽くノックするかのような、そんな音だ。

『――――シルヴィア・・・・・様。聞こえていらっしゃいますでしょうか』

扉越しに響くのは、若い男の声。

「………ええ、聞こえています。どうかしましたか」

『精霊祭開催まであと僅かとなりました。正式な開始の合図として『天輪の鐘』を鳴らせとの、王室よりのお達しでございます』

「………その話しは断ったはず。あの鐘を鳴らすのは、彼女に――――アイシアに一任したはずです。以前にそうお伝えしたはずですが」

目を閉じたまま、静かな口調でそう語る少女に、扉の向こう側に居ると思われる人物は少し沈黙したものの。

『ですが、シルヴィア様は聖隷学院が誇る『信仰科』の席次持ちナンバーズでございます。ましてや、九大貴族筆頭たるアヴァロン家次期当主ともなりますれば、もはや貴女様以外には。それに、貴女様が名誉ある地位に立たれれば、我ら『教会派』も動きやすく――――』

「そんなものは関係ありません。『天輪の鐘』を鳴らす者の条件は貴族であることと、聖隷学院における各科序列五位以上の成績上位者であることでしょう。単純に家柄と学院の序列で決めるのでしたら、いくらでも候補者は居るはず。他の九大貴族の血を継ぐ者たちは、この学院に多く在籍しているのですから」

『し、しかし―――――――』

やや狼狽えた様な声を遮るようにして、一際大きな重低音が木霊した。

背後に聳え建つ両開き式の大扉がゆっくりと開かれていく。本来であれば決して開かれることのないその扉が開かれたことに、しかし少女はため息を一つこぼしたのみだった。

「祈りの時間を邪魔してはならない。『信仰科』の不文律を問答無用で破る気ですか――――アイシア」

「お生憎。私は『精霊術科』の席次持ちナンバーズだもの。そんな不文律きまりごとは知らないし、適応されない。それに、それはアナタの返答次第なんじゃないの、シルヴィア」

普通の感性を持つ者であれば、神聖な空気が満ちるこの場所へと踏み込むことは出来ないであろう。しかし、彼女・・は何ら臆することなく、足早にずかずかと踏み込んできた。

蒼い髪を生やした少女。まるで彼女の髪そのものが宝石であるかのような色彩。大海そのものを宿しているかのような、蒼。そんな蒼髪を靡かせて、彼女は中央で今も跪いている修道服の少女――――シルヴィアの元へと歩を進める。

「まったく……またこんな埃っぽいところに引きこもって。そんなに大事なものなのかしらね。その祈りとやらは」

虹色の輝きが満ちる静寂の空間を埃っぽいと一刀両断する蒼髪の少女に、しかしシルヴィアは瞳を閉じたまま何も言わない。寧ろ、少女の言葉に反論したのは、開かれた大扉の近くで立ち尽くしていた白い衣服を身に纏った男の方だった。

「き、祈祷の時間は我ら『信仰科』にとっては、神との交信に等しい重要な時間なのです!いくら、『精霊術科』の席次持ちナンバーズとはいえ、少しお言葉が過ぎ――――」

「構いません」

「は……は?」

「構いませんと言いました。同じ言葉は二度と言いません。彼女の言葉には確かに問題はありましたが、私たち『信仰科』の精神を、他の科である彼女に押しつけることは出来ません。学院に存在する五つの科同士は如何なる干渉も厳禁……その気まりを忘れましたか」

唖然とした表情を浮かべる男に、シルヴィアは更に畳みかける。

「それに―――あまりこう言うことは言いたくありませんが、九大貴族の次期当主同士の会話に、貴方は介入するとでも言いたいのですか」

「っ!!し、失礼しましたっ………!」

自分のしでかしたことを再認識したのか、顔を一気に青ざめさせて身を翻した男の後ろ姿を見つめ、蒼髪の少女は鼻を鳴らした。

「ふん……馬鹿な男。祈りだの、神だの……だから嫌なのよ、『信仰科』……特に『教会』の息のかかった連中は」

「そう言わないでください。噛みつく相手を間違えたことは彼の反省すべき点ですが……彼はただ、信心深いだけなのですよ」

「信心深い?縋っているの間違いでしょ。自分一人では立つことさえできない弱者の考えね」

鋭い眼光を浮かべ吐き捨てる彼女を尻目に、シルヴィアは立ち上がり、膝についた埃をさっと手で払い、振り返る。

「相変わらずですね、貴女の信仰嫌いの筋金入りっぷりは」

「……当たり前でしょ。今さら変えられるとは思わないし、そもそも変えようとも思わないわよ」

「それは、貴女の過去にまつわることでしょうか。三年前に失われた、貴女の――――」

そのまま言葉をつづけようとした彼女を、一層鋭さを増した眼光が貫いた。

琥珀色の瞳。本物の琥珀アンバーよりも、なお強い光。言葉を介さずとも理解できるほどの激情を宿した視線に、シルヴィアは閉口した。

「………。申し訳ありません、失言でしたね」

頭を下げて謝罪したシルヴィアに、少女は瞳に浮かべていた感情の揺らぎを消し去り、ふっと目を逸らした。

「良いのよ、別に。今さら何が変わるわけでも、過去が消え去るわけでもない。アナタに気を使われるような問題でもないわ。ただ、これ以上その話しはしないでちょうだい」

「――――――分かりました」

最後に再び謝罪の意を込めて軽く頭を下げてから、ところで、とシルヴィアは首を傾げた。

「それで、アイシア。『精霊術科』の上位席次ともあろう貴女が、一体ここへ何要ですか」

漸く、この場で訪ねておくべきだった最初の話題に戻ったとばかりに問いかける彼女に、青髪の少女―――アイシアは先ほどとは別の意味で感情を露わにした。

「そう、それよ!シルヴィア、アナタ王室から『天輪の鐘』を鳴らすように頼まれたでしょう。それをどうして私に押し付けようとするのよ!」

「ああ、わざわざこの場所まで来たのは、それが理由ですか」

「当然でしょう。でなきゃ、私がこんな足を踏み入れたくもない『信仰科』の本拠地にまで来やしないわよ」

「それもそうですね」

ふむ…と顎先に手を当てるシルヴィアに、アイシアは辟易した。

「アナタのおかげで、私は今てんてこ舞いなのよ。同じ科の連中が名誉や勝利なんて言葉を持ちだしては『信仰科』を出し抜いたって、次から次へと騒ぎ立てて。で、かくなる上は私にこんな厄介ごとを持ちこんでくれた友人に直接会いに行こうと思ったわけ」

「なるほど。どうやら私は余計なお節介を焼いてしまったようですね。貴女の点数稼ぎの一つになればと思ってのことだったのですが」

「点数稼ぎ?何の話よ」

彼女の言葉が理解できなかったアイシアは眉をひそめて問い返した。

「父上から聞きました。貴女が家名復興・・・・のために、各方面へ手を回していること。学院から発布されている任務を達成し、点数を稼いでいること……その他、諸々です」

シルヴィアのその言葉に、ううっと顔をしかめたアイシアは、呻くように呟いた。

「なんで知ってるのよ……いや、アナタの御父上なら、知られていて当然よね」

「私が初めてその話を聞いた時は、あまりに手広くやっているようなので、隠すつもりがないのかと思っていたのですが……どうやらそうではなかったのですね」

「し、仕方ないじゃない!私はそういう、隠し事が苦手なのよ!」

若干顔を赤く紅潮させて叫んだアイシアに、シルヴィアは苦笑した。

「ええ、知っています。貴女はあまりにも感情を表に出しすぎる所がありますから。まあ、私は貴女のそういうところ、好きですよ」

「う、うるさいわね……!アナタが私より年上だからって、子ども扱いしないでよね!」

顔を真っ赤にして喋り続ける彼女をシルヴィアは微笑ましそうに見つめていたが、ふと視線をあげて天井に張り巡らされたステンドグラスを見上げる。

「……そろそろ、ですか」

「なに、何か言った?」

「いえ。こっちの話ですよ、アイシア」

さて、と呟いたシルヴィアは一歩を踏み出した。厳かな空気が満ちるこの場所での用は済んだとばかりに、この場所に唯一存在する出口、あけ放たれている大扉へと歩を進めながら言う。

「話を戻しますが、精霊祭の開始を告げる鐘の役目、貴女に任せても構いませんか」

「え、ええ。まあ、構わないけど……どこに行くわけ?」

目の前を通り過ぎていった白髪の少女に向けて問いかけるアイシア。

そんな彼女に向けて、ちらりと背後を一瞥したシルヴィアの顔に浮かんでいるのは、薄い笑み。

「――――勿論、散策ですよ。精霊祭の」

あっさりとそう告げる。未練などないとばかりに大扉からこの空間から出て行った彼女の後姿に、アイシアは唖然とした表情でつぶやいた。

「え、なに。もしかして私、外出したいなんて理由で、この役割を譲られたわけ……?」

譲られたというより、押し付けられた……?

愕然とした思考の中で、若干の後悔の念を覚えたアイシアは、そんな感情を振り払うように勢いよく首を振った。

「……というか、この学院から貴族街に出るつもり?いやいや、王室直属の精霊騎士団が警備をしているのに―――――」

そこまで考えた彼女は、そこで更なる突拍子のない考えに思い至った。

「それとも、まさか―――――城下街に降りるつもりじゃないでしょうね……!?」

叫び声をあげた蒼髪の少女に応えてくれるものはこの場にはいない。澄んだ空気の中を、甲高い少女の声が響き渡っていくだけだ。

応えはない。だが、あの白髪の少女シルヴィアのことを昔から知っているアイシアはなぜか、自分で口にした馬鹿馬鹿しいその考えを現実にしてしまいそうに思えて、恐々となるのだった。

天井から虹色に降り注ぐ光の帯だけが、そんな少女を優しく見守っていた。

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