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―――――――我を止めよ。

その“声”は、確かにそう言った。

けれど、シルフィーはそれに対して明確な返答を返すことが出来なかった。どうということはない。純粋に、この“声”の言う内容が理解できなかったから。更に言えば、今自分が置かれている状況を全くもって分かっていなかったということに起因していた。

「と、止めるって………何のこと?大体、あなた、何なの……?ここは、どこなの!?」

徐々に声量を上げ、最後にはほぼ絶叫に近かった。だが、無理もない。ヒステリックにならなければ、どうにかなってしまいそうだった。少なくとも、十代半ばの少女に全てを読み取り、呑み込み、理解するだけの胆力を期待するというのは無理があった。


『其方が、我が依代として選ばれているからだ。我を止めることが出来るのは、我の霊体をこの現世うつしよに繋ぎとめている其方だけである』


「より、しろ……?」


『然り。汝は“世界の大敵”たる我を世に降ろすための依代、いわば『巫女』。魂という回路で直接我と繋がるのはこの世で其方のみ。故に我は請う。この世に堕ちた我が霊体を、葬り去らんことを』


「い、意味が分からないわよ!一体私は、どうなっているって言うの……!?」

分からない。全てが分からないのだ。

なんで自分がこうなっているのか。手首足首を、こんな鎖で縛られているのか。いや、そもそもの大前提として、ここはどこなのか。


『――――そうか。やはり其方は何も知らぬのか。ただ、あ奴ら・・・に都合の良い存在として消費・・させられているだけ、ということなのだな』


ここに来て、何か納得したように言う“声”は、更に。


『現状の思念伝達による意思疎通は難しい。互いの認識の大きな齟齬があるようだ。であれば、致し方あるまい――――あまり、この姿はとりたくはないのだがな』


すっと、頭上に瞬いていた真紅の双眸が消え去ったことに、シルフィーは気づいた。

全身に重石の如く降り注いでいた重圧が、まるで嘘のように消えていく。

そんな、いきなり身軽になった全身を見渡すシルフィーの前に、人影がぼんやりと浮かび上がった。

「………ひっ」

突如として現れた気配と人影に思わず悲鳴を出しかけ、けれど懸命な精神力でもってそれを呑み込んだ彼女は、そのの姿に呆然と目を見開いた。

「――――――う~ん、人型をとるのは随分と久しぶりだからね。上手く出来ているかどうか」

赤褐色の髪を無造作に生やした少年だった。背丈は丁度シルフィーと同じ程度。簡素な貫頭衣のようなものを着こんだ少年は目を引くような赤褐色の髪と眼の色をしている。

この意味の分からない世界で初めて出会った人の姿をしたモノをただただ眺める少女へ、赤褐色の少年は手を振った。

「やあ」

旧知の友人にでも出会った時のような気軽さで、少年は言った。

「どうかな、なかなか上手く出来ていると思うんだけど。即興の身体アバターとしては申し分ないんじゃないかな。少なくとも、君と僕の意思疎通に用いる分にしては」

その台詞の数々に、シルフィーは何となくではあるが、この少年の正体が薄らとはいえ分かったような気がした。

「も………もしかして、あなた。さっきの、声の………!?」

「正解。うん、理解が少し早まったかな。この姿をとったのは大正解だったみたいだね。人間族は面と向かって対話することを好むというのは聞いたことがあったけれど、本当だったんだね。いちいち肉声をかわさなければならない人間族は不便だと、昔の僕は思ったものだけど、これはこれで悪くない」

左右と己の姿を確認する少年は、さて、とこちらを見つめた。

「会話もしやすくなったことだし、そろそろ本題に入ろうか。君はまだ、自分が今どういう状況に置かれているのか、まだ理解していないみたいだからね」

「………あなたは、知ってるのね」

「まあ、君よりはね。当事者の本人が知らないままなんて、筋が違うと思うし。何より、何も知らないフリ・・をしたまま死ぬのは、嫌だろう?」

笑みすら浮かべた少年に、しかしシルフィーは硬直した。

「し……死ぬ?死ぬって、なんのこと……?」

自分の心臓が一際大きく、嫌な音をたてて鼓動するのが分かった。

「言った通りさ。このままいけば、君は近いうちに死ぬだろう。それも、ただ死ぬんじゃない。僕という存在をこの世に縫い止める“基点”として、全ての力を吸い尽くされて死ぬことになる。今は必死に意識を逸らしているんだろうけどさぁ、君だって、本当は分かっているんじゃないのかい?」

赤褐色の瞳が、シルフィーを射抜く。

「自分の置かれている状況が分からない?ははぁ、嘘はいけないなぁ。自分の事は自分が一番よく分からないなんて言うけれど、僕はそれを否定するよ。自分の事は、自分が一番よく知っているものだ。それを知らないなんてのたまうのは、ただ必死に知らないふりをしているだけさ」

「………わ、私」

「だからさ、いい加減目を逸らすことを止めたらどうだい?もし運命とやらが在るのなら、君のソレはもうある程度の方向性で定められてしまったんだよ。そう、あの時、あの男と出会ってしまった瞬間から」

少年は両手を広げて嗤った。暴いてやろうと、彼は嗤った。

嗚呼、と。シルフィーはその姿を見て漸く悟った。

何も、換わってなんかいない。さっきの“声”、今思い出すだけでも、怖気が全身を貫く。到底人が理解できる存在ではないのだと、人知の及ばぬ何かなのだと、彼女は直感した。

だけど、この少年の姿になって、それが少しは変わったのだと思った。少なくとも、あの重圧が消えたことで、幾分か、気持ち的に楽になったのは言うまでもなかった。

けれど違った。

何も変わってない。

少年の姿をとろうとも、この存在は、この人の形をした何かは、まぎれもなく、人が、シルフィーが理解できるモノではなかったのだ。

少なくとも、君は死ぬと笑顔で告げる存在を、理解できるとは到底思えなかった。

「君は動揺した。君の大切な家族、その土台を揺るがすことを言われて、まんまと罠にはまってしまった」

暴かれる。

「君の家族、そう、君と同じ店の従業員……アッシュ君、ああ、そうだ。彼だ、彼の隠されていたモノをあの男が暴いてしまった。そして、それを聞いた君は――――疑った」

「っ………」

シルフィーの全身が、震えた。

「あの男は何と言ったかな。ああ、そうだ。貴族、九大貴族。君の暮らす国の頂。君たち城下街の人間とは立ち位置が天と地ほども違う人間たち。君のよく知る少年が、そういうモノだと知らされた」

秘めていたモノが、必死に隠していたものが、目を逸らしていたものが白日の下に晒されていく。

「そして、あの男は言った。アッシュは君たちを騙しているんだと、内心では平民だと見下していると。そこで君の脳裏に過ぎったんだ。今まで彼と過ごした日々が、全て偽りだったのではないか、と。あの男は虚無系統の精霊力を用いていたけれど、そんなものは微々たるもの。向ける対象に少しでも増幅させるべき感情がなければ作用しない」

つまりそれは、あの男の奇妙な力を抜きにしても、アッシュを疑う気持ちがあったのだと、少年は告げた。

「――――――めて」

だから、ぽつりとシルフィーは呟いた。

悲鳴にも似た、その声を。

だが、少年は止まらなかった。

「あの男の虚無の精霊力は、君の心にほんの僅かだけ巣食った、“疑心”という感情を捉え、増幅した。そして、君は今に至っている。それはつまり」

「――――や。いや………やめて」

顔を覆い、膝から崩れ落ちたシルフィーを、尚も少年は微笑んだまま、顔を近づける。そして、その耳元で囁くようにこう言った。

「君は信じられなかった。家族を、大事な人を―――――密かに、淡い気持ちを寄せる彼のことを、君は物の見事に疑ったんだ」

「―――――もう、やめてぇっ!!!」

慟哭が木霊し、シルフィーは全身を震わせて涙をこぼした。

「あはは、ごめんね。でもさ、こうでもしないと君は君自身を認識しなかったと思うんだ。それってすごくつまらないことだと思わないかい?少なくとも、それを明らかにしておかないと、今君の心を攻めたてている“最愛の家族を信じられなかった”という罪悪感は一生消えないからさ」

泣き崩れる少女を前にしてなお、薄らと笑みを浮かべる少年を、シルフィーは涙で濡れた眼で鋭く睨み付けた。

「言っておくけど、僕を怨むのは筋違いだよ。どうせ怨むのならあの男にしておきなよ。僕には寧ろ、感謝をしてもいいくらいさ」

「…………あなたは、何なの。どうして、どうしてそこまで、私のことが分かるの」

「そりゃそうさ。だって僕は、君の魂と直接つながっているんだから。正確には、契約されているというべきだけどね。随分とまあ歪な契約式だけど、これはこれで新鮮だから目を瞑ろう。とにかく、君と繋がっている僕は、君の記憶、そのすべてを見ることだってできるってことさ」

少年の言葉で思い出すのは、あの大男の台詞だった。

「ああ、因みにあの男とは全く違うよ。彼は虚無の精霊力で盗み見したに過ぎないけれど、僕は君と直接つながっているからね。君の記憶は僕の記憶同然。自分同然の記憶を遡るくらい、簡単さ。だからこそ、あの男が弾かれた封印式・・・の影響を受けずにいられるんだけどね。しかしまあ、触りがないからいいものの、もし敵対者と見なされたら、この僕でさえ消滅させられかねないなあ、この封印式。誰が君に刻んだか知らないけど、恐ろしいものだよ」

シルフィーには最早立ち上がる力すら残っていなかった。

この少年を前に隠し事なんて意味がないのだと悟ったからだ。

彼の言葉の全てを理解したとは到底言えないけれど、それでも分かる部分はあった。

「…………あなたは、私のことならもう、何だって分かるってことなんでしょ……」

「うん、それは僕が人間ではない存在だと認識しているからこそ出た言葉だね。それは結構。そうでないと、本題に進めない」

赤褐色の少年はパチンと指を鳴らした。

直後、黒の地面が罅割れ、岩で出来た椅子が現れた。椅子というよりも、椅子の形をした岩と思った方が良いかもしれない。

「さあ、とりあえず座りなよ。人間族は対談する時、こうして座ることが多いんだろう?」

一足先に座った少年は、あ、と思い出したように目を見開いた。

「そういえば忘れてたよ。その鎖はもういらないね。無粋だし、話しに集中できなくては困る」

再度、少年が指を鳴らした次の瞬間には、シルフィーを四肢を拘束していた黒の鎖が弾けとんだ。

「…………礼なんて、言わないから」

「良いよそんなの。言ったでしょ、話しの邪魔になると困るって。別に壊したのは君のためじゃないよ」

ささ、と、少年は椅子を勧めた。

本当は、座りたくなどなかった。だけど、ここで地べたにへたり込んでいても、事態は何も解決しないということだけは分かる。そして、その事態の解決への道筋を知っているのは、今この場においてはこの少年だけしかいないのだ。

よろりとふらつきながら岩製の椅子に座ったシルフィーを確認し、少年は頷いた。

「さて、これで漸く、本題に移れるわけなんだけど。まず最初に、君は僕が何なのか、分かるかい?」

………知らない。知っているはずがない。

「だろうね。まあ、僕を定義する言葉は色々とあるんだけど、君でも分かりやすい言葉で言うと『精霊』が一番近い言葉になるんだろうね」

「………精霊、あなたが?」

呆然と、伏せていた顔をあげたシルフィーに、少年はむっと目を細めた。

「あ、信じてないね。かつての僕は精霊の中でも上位、偉大なる『精錬の王』の座の傍に侍ることを許された、高位の精霊なんだけどなぁ。まあ良いけど。君の考えや思っていることは筒抜けだ。君が精霊を神聖な神様みたいな捉え方をしているのは分かった」

「――――――ねえ、無駄なのは分かっているんだけど、人の心を声に出して云うのは止めてよ」

言葉にしていないのに、それを相手に読み上げられるのは、正直言って気持ちが悪かった。

「うん?ああ、君たち人間はそういう感情の動きをするのか。これは知らなかったな、うん、分かった。さっきみたいな言い回しは止めよう」

一度目を閉じた少年は、何から話そうか、と小さく呟く。

「――――そうだね、とりあえずは、今“外”がどういう状況なのかっていうところから教えてあげるよ」

少年は視線を真横へと逸らした。それをシルフィーもまた追いかけて、そして、驚愕に目を見開いた。

シルフィーと少年、二人が向かい合う、丁度中間地点。そこに楕円形に光が浮かび上がり、ある光景が映し出されたからだ。

それは、ある場所の風景。

普段は見ることのない遥かな高みからその場所を移したその風景は、シルフィーにとって非常に見慣れた場所だった。

「………王都」

ぽつりと呟いシルフィーの眼尻から、涙が伝う。

「そう。君の暮らしていたジルヴェリアという国の中心、王都だ」

少年が言うと、その風景は一気に地上へと近づき、そして、城下街と思しき場所を写しだした。

「――――――な、んなの、これ。どういう、ことなの………ねえ、これはなにっ!?」

シルフィーの視界に飛び込んできたのは、紅蓮の炎に包まれた街の姿だった。

無数の瓦礫と粉塵、燃え盛る紅蓮の炎によって、城下街は完全に崩壊していた。

風景は次々に移り替わり、やがて、うず高く積もったある瓦礫の山を写しだして止まった。

「………なんなの、これ。何を写してるの…………」

「また嘘だ。言ったろ、僕と君の魂は繋がってる。だから、君が必死に目を逸らしていることでも、読み取れる。君の思った通りさ、その予感は正しいよ」

「――――――うそよ」

「嘘じゃない」

「――――――現実じゃないわ」

「現実だよ」

少年は目を細める。

風景は瓦礫の一点、隅っこに転がっていたある物を写しだした。

それは看板。砂埃で所々が隠れ、要所要所が炎で炙られたように黒く焦げているが、それでも分かった。分かって、しまった。

『カプリコル』。そう書かれた木の板が、そこには転がっていた。

「―――――いや、いやぁああああぁあああああっ!!」

シルフィーは立ち上がり、風景へと駆け寄った。両手を伸ばし、まるで幼子が母親を求めて抱き着くように前方へと駆ける、が。その体はするりと通り抜けるだけだった。

「無駄さ。これは所詮、像に過ぎない。遥か彼方にある風景を、僕の力で一時的に繋げてあるだけさ」

「―――――風景。なら、ならこれは」

「言ったでしょ、現実さ。これが、今の君の故郷の姿だ。君の暮らしていた都は、たった一夜にして灰燼に帰した」

少年の言葉に、シルフィーは地面に崩れ落ちたまま、微動だにしない。

頭の中で、繋がりつつあったからだ。

その証拠に、今見せられている風景、それを引き起こした者が誰かとは、シルフィーは問わなかった。

「――――――あの、男」

「うん、確かに、彼が要因のひとつではある。けど外れ、この街をこんな風にした張本人は、別にいる。あの男はあくまで、きっかけになっただけだ」

「なら、誰なの!?こんなことをした奴が、他にいるっていうのなら―――――――」

彼女の言葉が途中で止まる。理由は簡単。少年が、人差し指で少女を、シルフィーを指差したからだ。


「君さ、シルフィー。君が、この王都を破壊した、その張本人だよ」


――――――え?

「案の定、理解できていないみたいだね。もう一度言うよ。この事態を引き起こしたのは、君さ。正確には僕と君の二人ということになるのだろうけど」

少年は、嗤った。

「じゃあ、見せてあげよう。今の僕たちの、姿をさ」

楕円形の風景が写しだしたのは、見慣れた王都の城下街、ではなく、そこに君臨する見慣れない異物――――漆黒の巨人の姿だった。

禍々しい黒の巨体。天を貫く双角。まるで、神話や伝説から飛び出してきた悪魔を彷彿とさせる怪物の姿にシルフィーは呆然と目を見開いた。

理解が、出来なかった。……否。理解、したくなかった。あれは、一体何なのか、アレは、アレは。

「アレが、僕さ」

そう呟いた少年の表情は、苦渋の色に満ちていた。

「醜いだろう。かつては王のしもべとまで呼ばれた僕が、今やあんな怪物だ」

黒の巨人に姿が更に拡大されて写された。その先には、巨人の胸部、正確にはそこで眠る一人の少女の姿を、だ。

赤い結晶のようなものに閉じ込められて眠る空色の髪の少女。そんな冗談みたいな風景に、シルフィーは首を振った。

「嫌―――――嫌。なんで、私……?あれが、私?じゃ、じゃあ――――ここにいる私は」

「落ち着いて。もう、人間族は脆いなぁ、少し衝撃があるとすぐに精神崩壊しそうになるんだから」

少年が指を鳴らすと、シルフィーの表情からあっというまに“凶相”が消えていく。

「―――――落ち着きなよ。まあ、現実は現実なんだけど」

「―――――私に、何をしたの」

あまりに不自然。本来の人間の感情の動きからはありえない速度で激情が消えていく。考えること自体がどうでもよくなっていく。水桶の栓を抜いたような勢いで、今の今まで考えていたの情動そのものが無くってしまう。

そんな不気味な心の動きに、シルフィーは能面のような表情で少年を睨みつけた。

まるで、心が自分の物ではなくなってしまったような感覚だった。

「別に、人格を書き換えたわけではないよ。ただ、君の激情という感情を少しばかり食べた・・・だけさ」

感情を、食べた?

少年の言葉は、全くもって理解できる範疇にはなかった。

「人の感情を喰らい、力と変える。それは別に僕だけに限ったことじゃない。精霊は皆、人の感情を目当てにして契約を交わす。もっともそんなこと、精霊とは無縁だった君の知るところでは無いだろうけど」

なんだ、それは。そんなの、そんなのは―――――。

「―――――精霊って、ただのバケモノじゃない」

「うん、君たち人間からすれば、そうかもね。でもまあ、君らも同じじゃないか。君たちが生きるためには栄養摂取が必要。動植物を食べることと何も変わらない。ただ観測者としての立ち位置が異なるだけだよ」

「………じゃあ、あそこにいる私は――――――」

「それがそもそもの間違いかな。君は別に二人に分裂したわけでも、ドッペルゲンガーに遭遇したわけでもない。ただ現実として、あそこで眠っているのは君の肉体で。そして、ここにいる、僕の目の前で立っている君が――――魂の方だってだけの話しさ」

魂、少年は確かにそう言った。

正直、魂だなんて言われても、ピンと来るわけがない。というより、意味が分からなかった。

「簡単に言えば、ここにいる君は幽体離脱しているような感じだよ。もっと言い換えれば、あそこで寝ている君が見ている“夢”、それがこの場所だと思えばいい。僕はただ、その夢と現実を少し繋げたに過ぎない」

「――――――じゃあ、本当に、あなたの言うことは本当の」

「うん、真実だね。だから言ったでしょ、僕と君。それが、あの王都を滅ぼした者の正体さ。かつて、遥か古の時代、世界の敵として封印された災厄の精霊アスモデル、それが僕。そして、封印されていたはずの僕を君たちの世界に降臨させるために選ばれたのが君。僕たちの関係を端的に言い表せば、こうなるかな」

端的かつ明確。

誰にでも理解できる明瞭な内容で言い放たれた台詞に、シルフィーはふらりとよろめいた。

全部を理解する必要はない。ただひとつ分かることがあった。

「………じゃあ、私たちは………敵、なの。あの王都にいる、みんなの」

「良い表現だね。そう、敵さ。僕たちは。少なくとも、君の家族とはもう相容れない。アッシュとも、アリアーデとも、もう分かりあうことも、いや……もう会うこともないだろう」

なんだろう、それじゃあまるで、出来の悪い物語か何かみたいだと、シルフィーは思った。

まさしく、終わり。誰も救われず、誰も報われない。バッドエンドという言葉が似合う状況はきっと、これ以上ないだろう。と、そんな他人事じみた感想しか、彼女はもう懐けなかった。

だって、どうしようもない。もう何もできない。ただただ、大切な人たちと、大切な場所が壊れていく様を、ここでこうして見ていることしか出来ることはないじゃないか。

(ううん………違う)

何を、思い上がっていたんだろう。

この王都をここまでしたのは私だ。あの二人ともう一度、だなんて、なんておこがましい。そんなの到底許されることじゃない。あのカプリコルの惨状を見て分かった。アッシュや店長アリアーデが生きている、その保証すらない。いや、もしかしたら、もう――――私が殺してしまった後なのかもしれない。

――――――それなら。それならばいっそのこと。

「――――――待った」

少年の声が、シルフィーの絶望的な思考の連鎖に歯止めをかけた。

「さっきも言ったけど、ここは魂だけの場所。不安定な場所だ。だから、そんな思考をつづけたら、○殺しようなんて考えを明確に自覚したら、君、本当に消えちゃうよ。ここはそういう場所なんだから」

「――――――だって、だってそうじゃない。どうしようも、どうしようもないじゃない!!」

叫んだ少女の顔は、涙で濡れていた。

今まで堪えていた感情が、一気に爆発する。

「私だって、私だって、本当はみんなと会いたいよ!!店長に、アッシュに会いたい!!どうして、どうしてこんなことになるのよ!!訳が分からないことに巻き込まれて!私はただ、二人と一緒にあのお店で働きたかっただけなのに!アッシュと一緒に、居たかっただけなのにっ!!!わたっ、私は――――――っ!!!」

「うん、そこが君の思い違いだ。魂だけの存在、そんな僕たちにはもう、何も出来ない。そんなこと、僕は言ったかな?いや、言ってないとも。そして僕は最初にこう言ったはずだよ―――――我を止めよ、とね」

泣き叫んだシルフィーとは相対的に、静かな笑みを浮かべた少年は、指を立てた。

「漸くこれで折り返しだ。これでようやく、僕が最初に言った言葉の意味を、君に伝えることが出来る」

最初に言った言葉。少年が殊更に強調して告げた内容を、僅かに残った思考力で思い返す。

―――――――そうだ。

ぐちゃぐちゃの心中で、それでもシルフィーは思い出した。

思えば、最初にこの少年――――声を聞いた時、確かにそう言っていた。

「シルフィー、僕はね、別にこの世界を滅ぼしたいなんて、欠片も思っていないんだよ」

赤褐色の瞳が、僅かに伏せられた。

「ただ僕は、眠っているだけだった。ただそれだけで良かったんだ。それだけで、僕の望みは叶っていた。僕が反転したことも、十二の災厄として封印されたことも、全て僕自身の同意があってのことだった。僕が眠ることで、世界の調和は守られる――――それこそが、『大始祖』と交わした契約だったからね」

この少年が、シルフィーの感情を読み取れるように。シルフィーもまた、少年の感情が己の内に流れ込んでくるのが分かった。

悲哀や苦しみ。そんな負の感情が、少年の中に渦巻いているのだと、シルフィーはこの時知った。

間違いない、この少年は、このまま王都が破壊されることを、欠片ほども良しとしていない。

「あの王都に顕現しているのは、僕という“霊核”の手を離れた霊体。魂亡き、器。言うなれば、僕と言う本体、その影に過ぎない」

風景に写る黒の巨人、本来であれば己の躰であるはずのそれを、しかし少年は忌々しそうに睨んでいた。

「あの霊体は僕の手を離れている。だから僕には制御すら出来ない。魂である僕はここに隔離され、その力と体だけを切り離して、ああして良いように支配しようとしている」

忌々しい召喚式だ、と少年は吐き捨てた。

「あれは、本体じゃない。僕の〈真体〉は今も彼方側・・・にある。この世界に降りているのは、所詮は影。たかだか僕という存在の投射に過ぎない――――そう割り切るのは簡単だ。だけど、僕の影だ。その力はもう、人知の及ぶ範囲にはない。かつての古代ならいざ知らず、現代の精霊使い達のレベルじゃ、到底抵抗できない。この国の九大貴族、彼らであればどうにか対抗できるかもしれないけれど、それも確証はない」

だから、と少年はシルフィーへと視線を戻した。

「だから、僕を止めるのに協力してくれ。僕は所詮、過去の異物。本来は、この世界を掻き乱していい存在じゃない。何より、かつて守ろうとしたものを、他ならない僕の手で破壊するだなんて、絶対に許せない」

そっと少年が片手を伸ばしてきた。

まるで握手を求めるようにも見えるが、全く違う。込められている意味は、そんなものじゃない。

「シルフィー、君はさっき、死ぬことでしか責任を取れないといったね。確かにそれもひとつの回答ではあるだろう。けれど、それは偽善だ、最善の回答じゃない。さっきも言ったけど、僕たちは魂。魂が消えたところで、切り離されているあの霊体は止まらない。ただの無駄死ににしかならないんだよ」

赤銅色の瞳に、強い光が宿るのを、シルフィーは見た。

「――――止めよう、シルフィー。君がもし、家族や大切な人を疑ったことを悔いているのなら。あの国をあんなふうにした自分が許せないというのなら、僕の手をとって欲しい」

災厄の精霊と呼ばれたかつての少年は、そう言いきった。

(…………そんなの、ズルいよ)

そんなこと、断れるわけがない。

きっと、この少年は知っていた。全部分かったうえで、話しの順番を組み立てていた。

シルフィーが決して断れないように。全てを仕組み、順序立てしたうえで。

既に背後には一歩も下がれない。もうひけない。否という答は用意されていない。あるのはただ是という一択のみだった。

(――――――ああ、分かった)

そして、少年の顔を見た少女は、今更ながらに気づいた。赤褐色の少年の顔に、見覚えがあった。

(――――――アッシュに、そっくりだ)

髪と眼の色が違うだけで、顔の輪郭や、鼻や目の位置、顔つきにいたるまで、あの灰色の少年と瓜二つだということに、シルフィーは感づいた。

嗚呼、益々、断れるわけがない。

全ては、この少年の掌の上だった、そういうことだろう。

「――――――ほんっと、良いように使われるだけじゃない、私」

涙をこぼしながら、それでも薄らと笑ったシルフィーに、少年もまた笑みを浮かべた。

「知らなかったのかい、僕は、策士なのさ。望みを叶える為なら、どんなことだってしてやるとも」

そうして、空色の少女は少年の手をとった。

どこか見覚えのある顔をした少年のその手を、もう離さないと言わんばかりに、強く強く、握りしめた。

僅かに驚いたような顔をした赤褐色の少年だったが、ふっと瞠目。シルフィーもまた涙をぬぐった。

シルフィーは己の手を見つめ、更に強く力を込めた。本来であれば、別の少年とこうするべきはずだったことを。

「――――さあ、これでようやく本番だ。今ここに、僕と君の間で契約は交わされた」

赤褐色の光が二人を祝福するように周囲を舞う。

幻想的なその風景は本来であれば正当なる儀式でもって、極一部の適性のある人間だけが執り行うことを許された儀。

それによって顕れたものは、まぎれもなく、精霊力の発露だった。

「〈精霊契約〉は完了した。我が真名を伝えよう、我が契約者、我が精霊使いよ」

赤褐色の少年は、真っ直ぐに、それを告げた。

「我が名は『アステリオス』。偉大なる大地の精霊王より授けられし、我が真名。どうか受け取って欲しい。本来ならこの契約は決して絶たれない。僕と君、そのどちらかが死に果てるまで、この契約は続く。だけど、必ず、この契りはこの一夜限りで終わることになるだろう。それでも――――――」

「――――――ええ、言わなくても良いわ。私は絶対に、後悔なんてしないから」

お互いの片手の甲に浮かび上がった刻印が、光を放つ。その輝きは徐々に光量を増し、真っ暗な二人の世界を、赤褐色に染め上げた。

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