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19

漂う冷気。

人の体をすっぽりと覆い尽くす程の巨大な氷塊。

足元から頭部までを氷に覆われ、氷の彫像と化した少年を、哀しそうな目で見降ろすエリザベスは氷の表面にそっと手を当て、囁くように言葉をつづけた。

「―――――永訣こおりの王に願い奉る 氷よ 監獄となりて かの者を包め―『氷棺アイス・コフィン』」

溢れる蒼光。

人の吐息を白く塗りあげるほどの冷気が周囲に拡散ひろがる。氷塊を、外側から更に補強するように、無数の蔓が巻き付いていく。幾重にも重なっていく氷の蔓はやがて、無数の華――――氷で象られた薔薇となって開花した。

これを破れるものはいない。この国で頂点たる九大貴族の当主が発現した強大なる精霊術は、文字通り、永劫解けぬ監獄となって一人の少年の道をここで絶った。

「―――――ごめんなさいね、アッシュ君」

その結果を見届けて、彼女は謝罪の言葉を唇からこぼした。

「……だけど、こうしないと貴方はきっと走り出していた。その先に待っているのが、例え自分自身の死であっても。貴方は、そういう類の人間よ」

だから。

「傷つけても、怨まれてでも、貴方を止めるの」

ぽつりと呟いたエリザベスは一度目を閉じ、息を吐いた。

「――――エリザベス」

どこか無感情に聞こえた背後からの声に、振り返る。

無言でこちらへと視線を向けてくる白髪の少女に、彼女は苦笑を浮かべた。

「……ごめんなさいね、シア。貴女には見せたくなかったのだけれど」

「……なぜ、そのように思うのですか?」

「何故って………貴女、この子のこと気に入ってたんじゃないの?」

「――――――私が?」

シルヴィアは目を見開く。

それは、自分でも認識できていなかったことに今気づいたと言わんばかりの表情だったのだが、対するエリザベスは、何を今さら、と言わんばかりに笑みを深めた。

「他人を信じない貴女がこれだけ入れ込んでいるんだもの。それも、貴女の身近にいる同格の精霊使いなんかじゃない。何の変哲もない、今日あったばかりの城下街の人間だなんて」

何も知らない第三者が見たなら、きっと気づかなかっただろう。だが、この、年齢不相応に成熟した精神を持つ少女のことを昔から知っているエリザベスにしてみれば、今の彼女の姿には驚きを隠せない。

ましてや、九大貴族の中においても超堅物として有名な、彼女の父親が今の娘の姿を見たら、驚愕に目を見開いただろうに。

「…………そんなことは、ない、はずですが」

逆に、シルヴィアは相手から送られてくる暖かい眼差しにすっと目を逸らした。

(………私が、アッシュさんのことを気にいっていた―――ですか)

………正直、分からない。

気に入っていたと言われても、あまりピンと来ない。ただ――――何故だか目を離せなかった、というより、気にかかっていたのは確かだ。

あの時、家族を助けるといって奔走していた彼を見て、放っておけなかっただけ。それが彼女の言う、気に入っているという事を指しているのかまでは分からなかった。

ただ。

(―――――――)

ふと、懐に仕舞われている少年からの贈り物に手を触れた。

(……気に入っているかどうかはともかく、まだ、頂いた物へのお返しもさせてもらえてませんから)

心の中でそう呟き、シルヴィアは目を閉じた。

と、そんな彼女を眩しそうに見つめていたエリザベスだったが、唐突に顔を引き締めると耳元に手を当てた。

闇夜の中だからこそ見える、彼女の耳に着けられた蒼い宝石の耳飾りが淡い光を放つ。

「―――――そう、やっぱり、そうなったわね。ええ、引き続き、情報収集を」

耳飾りの光が消えるのと同時に、シルヴィアが問いかけた。

「エリザベス、今のは」

「ええ。セバスから連絡が来たわ。やっぱり王室は、精霊術を用いた一斉攻撃という案を承認したわ。貴族議会の承認もあったというし、間違いないでしょ。ただし、実行するのは九大貴族わたしたちではなく、精霊騎士団の全部隊で、ということみたいだけど」

「……全部隊。たった一部隊だけでも一軍に匹敵する彼らを、総動員するというのですか?」

「国土巡回にあたっている第二部隊と、王域守護特務を帯びた第一部隊は別としても、それ以外の全員だって言うんだから、過剰戦力よね。まあ、王室もそれだけ本気ってことでしょうけれど」

腰に手をあて、目を閉じたエリザベス。

「王室にはある程度の情報―――敵が黒の旅団であることと、彼らが反転精霊を呼称する怪物を要していることは伝えてある。今回の過剰な戦力を裂いた攻撃の決定を聞いた限り、さぞ上も肝を冷やしたんでしょうけれど―――――」

エリザベスは顔を曇らせた。

「――――――動きが、些か早すぎるわね。これじゃあ、セバスが行動を起こす前に手を打たれかねない」

「………手を、打つ?」

彼女の言葉に妙な違和感を覚えたシルヴィアが眉を顰める。

「エリザベス、貴女、一体何を考えて――――――」

その言葉が言い終わるよりも早く、夜の闇夜に覆われた王都に。


眩い光が満ちた。


『――――――!』

二人の視線が細められ、同時にそのへと向けられた。

――――――黒の虚空。

黒々と広がる星の海。

その場所に、突如として眩く輝く光球が顕現した。

赤、蒼、翠、赤銅。四色の色彩が溶け合うようにして入り混じる光は、遍く闇夜を払うが如く明滅する。

美しい虹を思わせるその輝きは、今も尚、地に蹲る黒の巨人の真上に浮かんでいた。

あたかも、人の手の届かぬ空の高みで輝く黒紫の門と巨人の間を隔てるように。

次の瞬間、煌々と王都を照らしていた光球がその形を解き、轟っと、流れ落ちる流水のように、滝のように、光の波濤となって巨人へと降り注いだ。

頭部から足元まで、大障壁にも匹敵する大きさの巨体を、光がすっぽりと覆っていく。

「――――――これは」

シルヴィアが呆然と呟くのも無理はなかった。

あの光に込められているのは、埒外ともいえる精霊力。個人が行使しうる範囲を遥かに凌駕するほどの量だ。

夜と相反するように煌々と輝きを放つ光の帯に、何故か険しい顔を浮かべたエリザベスが呟く。

「………四方属性による拘束術式、『四象封印ドラウプニル』か。禁術指定ものの精霊術とは、また随分なものを持ちだしてきたわね」

「―――――流石は、エリザベス様。王室の誇る術式を、こうもあっさりと見抜かれるとは」

『――――っ!?』

唐突な、声。

思わず二人が背後を振り返った。

気配など微塵もなかった。突如としてその場に現れたのではないかと思ってしまったほどだ。

「―――――あなた」

エリザベスが鋭い声音で呟く。

振り向いた先に立っていたのは、白銀の甲冑を着込んだ、ひとりの騎士だった。

細部の金の装飾が施され、夜の中にあって尚、薄らと淡い光を纏う騎士甲冑からは濃密な精霊力が渦を巻いているのが見て取れた。

「―――――本来であれば、麗しき淑女の前に跪くのが我らが礼儀ではありますが、この場はご容赦いただきたい」

「結構よ。それよりも、所属を名乗るほうが先ではなくて?」

「失敬。わたくし、精霊騎士団第三部隊所属、一等騎士シユンと申します。王室より下された勅命に従い、我が国に仇名す御敵を誅すべく、罷り越した次第。偶然とはいえ、栄えあるヴェドヴィア様と、アヴァロン家御息女、お二人の拝謁の栄に浴することができたこと、感激の至り」

「―――――一等騎士」

目を細め、鋭い眼光で相手を睨みつけたエリザベスが小さく舌打ちした。

対して、ガチャリと物々しい音を立てて軽く一礼してみせた騎士が真っ先に視線を向けたのは、エリザベスでもなければ遥か彼方で聳え立つ黒の巨人―――でもなかった。

「――――それは、エリザベス様が拘束なさったのですか?」

騎士がその視線を向けているのは、二人の背後にある彫像。

今も尚凍り付いたまま時を止める、一人の少年を覆った氷の揺り籠だった。

「―――――」

しまった、と言わんばかりに顔を引きつらせたエリザベスに、騎士がとった行動は早かった。

「ふむ、精霊使いの気配ではありません、か。であれば」

己の腰に吊るされた長剣の柄を握ると、目にも留まらぬ速さで抜剣。

エリザベスが止める暇すらない。

殺気はない。闘気も、何の感情の揺らぎもなく、呼吸をするのと何ら変わらないとばかりに、必殺の刃となって騎士の手より解き放たれていた。

人の動体視力で捉えられる限界をはるかに超えた超速の剣は、ただ静かに氷漬けのままで佇立する人型の首元を正確に、無慈悲に両断しようと迫った。

(―――――早い!)

エリザベスが歯噛みしても既に遅い。

虚空を裂く剣は最早、瞬き一つの時間ですら追いつけぬほどの速さへと加速。白銀の閃光とも思えるほどの斬撃へと昇華される。

真空を生みだしながら駆ける刃が、真っ直ぐに氷の彫像へと触れ―――――刹那、周囲一帯の空間を押しつぶす程の重圧によって停止した。

「―――――剣を、おさめなさい」

聞く者全てを震え上がらせるような“圧”の宿った声が響く。

それは王が放つ勅命。人を統べる、人に命じることが当たり前であるかのような“何か”が宿った声だった。

白銀の騎士は剣を振りぬこうとした体勢のまま、静かに口を開いた。

「――――それは、アヴァロン一族としての命令ですか」

「――――いいえ。しかし、それ以上貴方が剣を動かせば、私は貴方を決して許しません」

騎士は見た。

白銀の髪を靡かせ、蒼く輝く眼に冷たい光を宿した少女が、ただ無表情にこちらを睥睨しているのを。

「…………ふむ」

しばしの沈黙。

「貴女様がそこまで言うのであれば、剣を引きましょう」

氷の彫像の手前で剣を納めた騎士に、今度はエリザベスが鋭い声音で問いかけた。

「――――貴方、敵かどうかの判断すらせずに剣を放ったわけ?」

「敵かどうかの考察は無用でした。エリザベス様の精霊術による拘束を受けている段階で、敵対勢力、もしくはそれに準じる相手であると判断しただけです。それに………この、少年、ですか。彼からは言いようのない異質な気配・・・・・を感じましたので。処断すべしと断じたまでです」

先ほどと何ら関わらない。感情の一切が感じられない平坦な声でそう告げた騎士に、彼女は歯を食いしばった。

「相変わらず、貴方たちは頭の中まで筋肉ね。もう少し真面な思考回路を養えなかったのかしら」

「貴女様の仰ることが分かりかねます。そも、我ら騎士団には―――――」

更に言葉をつづけようとしていた騎士だったが、唐突に口を閉じる。明後日の方角へと視線を向け、虚空へと手を伸ばし――――遥かな空の彼方からとんでもない速度で吹き飛んできた拳大の石ころをあっさりと掌で受け止めてみせた。

「―――――随分な仕打ちでは、副隊長・・・

ぽつりと呟いた騎士に、エリザベスが目を見開いた。

「待って、第三部隊の副隊長って――――――」


「―――――この馬鹿弟子。アンタはもう少し感情の機微ってものを覚えるべきだと、口うるさくアタシは言い聞かせているはずなんだけどねぇ」


闇に満たされた道から現れたのは、一人の女性。

白銀の鎧を纏う騎士とは相反して、身軽な装束を身に纏った、褐色の肌を持った女性だった。

さらりと、闇に同化するような黒髪が風にたなびく。

「――――ザザ・ノースランド」

「おう、久しぶりだなぁエリザ。半年前の貴族議会以来か?」

よっと片手を上げて男勝りな口調で挨拶する女性に、エリザベスは暫し沈黙した後、嘆息。

「……貴女の部下なのね、この子」

「ああ、不出来な弟子で悪い。こいつは少しばかり人とズレた感性の持ち主でなぁ。アタシが数えきれないほど指導してやってるんだが、中々どうして成長しない」

そこまで言いきった女性はジロリと視線を動かし、光に覆われた巨人を睨み付けた。

「――――とりあえず拘束は完了したか。作戦・・の開始に際しての留意点は、あの巨体がいつ動きだすかっていう一点のみだったわけだが、動きがなくて助かったな」

ひとしきり巨人の姿を見上げていた視線がエリザベスとシルヴィアへと向けられた。

「………それより、ここで何をしてたんだ?いや、エリザのことだ。どうせ込み入った事情なんだろう。おまけにシルヴィア嬢ちゃんまでいるときた。九大に名を連ねる二人が一緒に居るってだけで、厄介ごとの匂いがぷんぷんとするわけなんだが」

すっと目を細めた女性は打って変わって、今までの朗らかな雰囲気、その一切を消し去った。

「――――状況の説明を求めるぞ、エリザベス。王室に情報を寄越したのはアンタのとこのお抱えだったね。事態の最前線にいたのは間違いなくアンタだ」

「………まあ、当然でしょうね」

「なら、遠慮なく。まず、この王都を襲っていた怪物どもはどうなった」

「私が相手をした分は全て屠ったつもりだけど?他の場所でも騎士か術者かは知らないけど、王都を覆っていた嫌な気配は全部消えてる。他の場所でも同じように誰かが討伐してみせたんでしょ。私と同じように、ね」

目を閉じ、若干素知らぬ態度でそう言ったエリザベスに、女性は頷きを一度。

「ならば次だ――――――アレは、何だ?」

彼女が指差す先に在るのは、漆黒の巨人。

ちらりと同じように視線を向けたエリザベスだったが、首を横に振った。

「さあ、それに関しては本当に知らないわ。王室に伝えた情報と違いはないわね。ただ―――――」

脳裏に蘇るのは、仮面の男の台詞だった。

「……黒の旅団が言うには、真の反転精霊、らしいけど」

「………真の、反転精霊だと?」

大きく目を見開いた褐色の女性は考えこむように目を伏せた。

「…………いや、詮索は今でなくても良い。それよりもアンタ、敵のひとりと刃を交えたのか」

「ええ、それも報告は上げたはずだけど」

「聞いている。だが、剣を交え、取り逃がしたというのは本当か?」

「そうよ。手加減はしてなかったんだけどね、物の見事に手玉に取られたわ」

「――――九大貴族の当主を退けるほどの使い手が、敵に居るということか。厄介だな」

顔を険しく歪めた女性は更に。

「――――じゃあ、アンタの後ろのソレ、何だい?見たところ精霊使いではない……一般人か。一体何故そんなことになってる?アンタが拘束してるってことは、まさか、敵ではあるまいね?」

女性の視線が、シルヴィアとエリザベスの背後へと移った。

「あら、この状況で気になるのがそれ?」

唇の端を持ちあげたエリザベスに、女性は一度頷いた。

「ああ。シユンが剣・・・・・を抜いた・・・・んだろ」

「………それが?」

エリザベスの試すような問いに、女性は背後で控えるように立ち尽くす白銀の騎士を一瞥した。

「確かにアタシは部下の不始末を叱咤したが、同時に、此奴が何の確証もなく剣を抜くような奴じゃないってのも分かるのさ。此奴は、恐ろしいほどに気配察知に長けていてな。それこそ、こと感知能力にのみ言えば、アタシよりも上だろうさ」

「………貴女がそこまで他人をほめるのは珍しいわね」

「当然だ、こんな馬鹿でも弟子だからな。だからこそ、此奴が剣を抜いたのには、何かの理由がある。仮にも一等騎士、精霊騎士団全部隊で十八人しか拝命していない上位席次を持つ奴だけにな」

女性の瞳が淡い光を帯びた。

比喩では無い。現実に、闇夜の中に薄く淡い光が浮かび上がり、彼女の瞳に宿っていた。

二人はそれが精霊力の行使によるものだと一瞬で見抜いた。

「―――――アンタ、何かアタシに隠してること、ないかい?」

そう問いかけてきた女性に、シルヴィアは一瞬だけ真横に立つエリザベスへと視線を向けた。

どうするのか。まさか、事情の全てを話すわけにもいかないだろう。

もし全てを曝け出してしまえば、この少年は間違いなく身柄を拘束される。それも、黒の騎士団の情報を知る重要参考人として。

下手をすれば、余計な情報を知った罪人として罪を問われかねない立場に、この少年はある。

(――――エリザベス、どうするつもりです。如何に貴女といえど、相手が精霊騎士団では)

九大貴族の当主と精霊騎士団、どちらが上なのかという議論に意味はない。

国内外において絶大な権力を持つ九大貴族だが、精霊騎士団もまた国の秩序を守護する存在。

秩序を維持することに関して、騎士団の右に出る存在はいない。例え貴族であろうとも、秩序を乱すのであれば等しく罰せられる。

そこに平民と貴族の区切りはない。いくら貴族だからと言って、容易に逆らって良い相手では無い。

エリザベスと褐色の女性、二人の視線が絡み合う。

チリチリと、肌を焼き焦がすような痛い沈黙にシルヴィアは顔を曇らせた。

(拙いですね。最悪の場合―――――)

考え得る中で最悪の状況になりつつあることを予感した彼女だったが、今までこの場所を満たしていた痛いほどの重圧があっさりと霧散したことに瞠目した。

「――――――ふ。あはははは!下らない茶番はここまでにしておこうか!」

にぱっと快活な笑みを浮かべた女性に、エリザベスはがくっと脱力した。

「貴女ねぇ……」

「はは、許せよエリザベス。アタシだって立場上、詰問の形くらいはとっておかないとねぇ。大体アタシがアンタを疑うわけがないだろう」

「………だからって」

未だに納得しきれないエリザベスが何事かを呟こうとしたとき。

「――――副隊長」

「あん?」

「――――私には副隊長の威厳や尊厳がどうなろうと関わりはありません。ですが、弟子として、師の見下げ果てるような評判は聞きたくありませんので、不毛な言葉は慎んだほうが良いでしょう」

白銀の騎士が簡潔に言葉を漏らした直後、風を切るような音が響き渡ってきたことに納得の色を示した。

「――――そうかい、もう来たんだねぇ。随分と早い到着だよ」

褐色の女性が背後を振り返った直後、彼女が視線を向ける場所に無数の人影が降り立った。

僅かたりとも隊列を乱すことなく空から降り立った、白銀の鎧を纏った複数の騎士たちの姿に、褐色の女性は口を開いた。

「―――アンタら、第一部隊だね。王室守護の特務部隊の癖して動きが早いねぇ、誰の指示だい?」

女性の問いかけに答えたのは、複数の人影の先頭に立つ騎士だった。

「第三部隊、ザザ副隊長。我々はこの王都に蔓延る敵の殲滅を命として与えられております。城下区画に聳える謎の敵生体、そして、遥か上空より飛来する数多の個体、それらすべてを迅速に、必要最低限の犠牲でもって破壊せよ。それが、第一部隊長ルルベル卿よりの命であります」

「………あの男、『軍神』が動いているのかい。なら、対応が早いのも納得だ」

「全くですね。エリザベス様の報告を聞いた瞬間に、“抜け駆けなど許さん”と叫んで隊を抜け、単身で飛び出した副隊長に追いついたわけですし」

ぽつりと意趣返しの如く言葉を漏らした一等騎士シユンに、女性はピクリと唇を引きつらせた。

「アンタは黙りな、シユン。で、あの男の命を携えてきたんだろう?聞こうじゃないか」

その声音に宿っているのは、仲間に対して向けるソレではなかった。

どこか気に食わないとばかりに鼻を鳴らした女性に、しかし複数の騎士たちは何も言わなかった。

「――――精霊騎士団第三部隊ザザ副隊長、並びに、シユン副隊長補佐、お二方にも、作戦に参加せよとの命が下っております」

「はっ、アタシらが部隊を飛び出していることも、あの男には御見通しってわけかい」

益々気に食わなさそうに目を細めた女性だったが、騎士たちから告げられた言葉に硬直した。

「――――命をお伝えいたします。これより、精霊騎士団は城下区画に顕現した敵生体の殲滅の為、敵生体を中心とした一定範囲内の空間を遮断。隔離した後、一斉攻撃にて敵を蹂躙。その後、空中より飛来する個体を一掃せよとのことです」

女性の顔から、表情が消えた。

「―――――――おい、ひとつ聞く」

「何でしょう」

「一定範囲を隔離って言ったな。アレだけの巨体を空間ごと隔離するなんてことになれば、一体どれだけの城下街を隔離しちまうつもりだい?」

「正確な範囲は分かりかねますが、城下街の三分の一は隔離範囲に呑み込まれることとなるでしょう」

無感情のままにそう言った騎士に、女性が詰め寄った。

「馬鹿な、それだけの広範囲を巻き込めば、未だ避難出来ていない民だっている可能性がある。分かっているのか!」

それに、と女性は続けた。

「アタシらが前もって聞いていた作戦内容と違う。当初はあの巨人を結界で隔離し時間を稼ぎ、その間に未だ残された城下街の人間を出来るだけ避難、最悪の場合、貴族街へ一時的に収容し、迎撃策を模索する。そう聞いていたんだけどねぇ……!」

「作戦が変更になりました。当初の作戦はその時点における代理案。現在はルルベル卿の案こそが最適解。この王都を守る唯一の策だと受理されました」

「その為に、少なくない城下街の人間を、犠牲にすることになったとしてもかい……!」

「それが、王室の決定した命であれば。その内実を思考する理由は我々にはありません」

きっぱりと断言してみせた騎士たちは一礼すると、一斉にその場から掻き消えた。

移動した、にしてはあまりにも不自然な現象だった。何かしらの転移に属する術式でも組まれていたか。

何にせよ、既に騎士団は動きだしている。下された命令に従って、敵を殲滅するために。

「――――――……」

痛いほどの沈黙が満ちる。

今この場で動きがあるのは、強く握られた、褐色の女性の拳が発する震えだけだった。

「―――――ふ~ん、貴女達騎士団も大変ねぇ。一枚岩じゃないのは私たちと変わらないってわけ。で、どうするのよ、副隊長・・・

その静寂を破ったのは、今の今まで黙っていたエリザベスだった。

彼女は憮然とした顔を浮かべ、こちらを見つめていた。

さぞ面白くないものを見たと言わんばかりの不機嫌さがそこにはあった。

「………エリザ」

「さっきの話し、関わるのも億劫だったから何も言わなかったけど、随分なやり方じゃない。貴族わたしたちもそうだけど、騎士団そっちも中々に酷いみたいね」

吐き捨てるような彼女の言葉に、女性は悲痛な顔を浮かべていたが、ふっと失笑をこぼし、肩を震わせた。

「……確かに、アンタの言う通りだ。全く、恥ずかしいところを見せてしまったねえ」

先ほどまでの勢いは既にない。身内の揉め事を見せてしまった様な、そんな言いようのない居心地の悪さを感じているらしい女性に、しかしエリザベスは唇の端を吊り上げた。

「―――――ねえ、ザザ。少し、私の話しを聞いてくれないかしら?」

「――――なんだって?」

「話したいことがあるの。今回の一件、私だって思うところがないわけじゃない」

提案ともとれるその言葉に何故か警戒するような顔を見せた女性に、エリザベスは笑う。

「何よ、そんな顔しなくたっていいじゃない。私と貴女の仲でしょう?」

「………だからこそ、だ。アタシはアンタのことをよく知ってる。シルヴィア嬢ちゃんだって同じさ。だから、アンタがそういう顔・・・・・をする時は、大抵碌でもないことを思いついた時だ」

一歩、後退すらしてみせた女性に、流石のエリザベスも頬を膨らませ、目を細めた。

「酷い言われようね、まったく」

「だが―――――」

「まあ、事実ではあるんだけどね」

パチリと片目を閉じる。

彼女にとってこの状況は、ある意味、好都合でもあった。

だから提案し、持ちかける。

この最悪の事態を一気に逆転しうる一手、その為に必要な同士・・を増やす為に。

「ねえザザ、貴女に、して欲しいことがあるのよ」




地に君臨する漆黒の巨人と、それを覆った虹の輝き。

その、おとぎ話にも思えるような幻想的な光景を、仮面の男は無言のままで見つめていた。

「なあ大将、ありゃどういうことだ」

仮面の男の傍らに座るのは禿頭の人影。上半身に白の包帯を巻きつけた大男、シンだった。

二人は何処とも知れぬ建物の上で、夜風に吹かれながらこの都を睥睨していた。

「なんだありゃ、全然動かねえじゃねぇか」

「――――致し方あるまい。アレは未だ目を醒ましていない。ただ躰が一時的に顕現しただけだ。地に降りたばかりで、身動きが取れないのだろう。大気中から精霊力を吸収している最中といったところか」

「あ?つまりはなんだ?あの木偶の棒はまだしばらくあのままだってのか?」

それでは、いくら巨大な力を秘めた怪物と言っても、ただの良い的だ。この国の頂点、九大貴族共が動きだしてしまっては遅い。

あんなただ膝を着いているだけの体躯など、一斉攻撃でも浴びてしまえばどうなるか。

「連中だって馬鹿じゃねぇ。何かしらの対抗策は練っているはずだ」

「動きたくとも、精霊力が枯渇しているのだろう。アレが封印されていたのは、そういう場所だからな」

「それじゃあ―――――」

「なればこそ、目を醒まさせる」

シンが何かを言うよりも早く、仮面と男は懐へと手を入れた。

「長く続いた惰眠から、アレを呼び覚ましてやらなければならない」

彼が懐から取り出したのは、小さな宝玉のような物だった。

硝子玉にも見えるソレは夜の中にあって尚、黒と明確に分かるほどの漆黒に満ちていた。

仮面の男が掌でその宝玉を転がすと、玉そのものが淡い光を帯びる。

「目覚めてもらうぞ、第二の獣。例えその目覚めが、貴様の望まないことだとしても―――――」

彼は片手を振りかぶり、夜天に向かってその宝玉を投擲した。

「―――――その身に帯びた忌々しい封印を解く。種は芽吹き、扉は開く。天より溢るる力を贄として、目覚めるが良い―――――第二星権アスモデル


〈―――――世界を作りし偉大なる精霊王に願い奉る〉


仮面の男が告げたのは、ひとつの言霊。

それは、力有る言葉となって世界に沁み渉る。

足元に浮かび上がるのは黒紫に輝く光の円環。


〈――――七つの理司る王 世界を廻る力の意思へと繋がる扉よ 開け〉


光の円環が、より光量を増す。

まるで、男の言霊に応えているかのように、禍々しい輝きはその範囲を広げていく。


〈――――幾星霜過ぎし刻針の此方より 原初の記憶逆巻く大海の彼方へと駆けよ〉


その時、遥かな宙でも同じ色彩の光が生まれ、爆発的にその光を強めていく。

男の足元から湧きあがる円環の光と、対する宙で光を放つ黒の宝玉。天と地、相反する二つの間で全く同質の光が夜を彩る。


〈――――転輪する運命の環より注がれる力を束ね 今 契約の証を我らが下へ〉


刹那、宙で光を放っていた漆黒の宝玉が砕け散った。

儚い破砕音を響かせながら、無数の欠片となったソレを見た仮面の男が手を伸ばす。

「定まれ」

一言、その言葉だけで無数の破片たちの落下が止まる。そして、それらは示し合わせたように一斉に形を変えていく。

宙に浮かぶ無数の欠片が集い形を成したのは―――光の回廊。

幾重にも重なりあう回廊の輝きを前に、更に言霊は続く。


〈――――されどその証は黒く濁り 真理への扉は開かれん〉


〈――――汝は理を否定し反逆する者にして 満ちて広がる混沌の守護者〉


〈――――開かれし扉より溢るる波濤 黒き力の申し子よ〉


「契約の光よ、放て」

男の足元から溢れるように、光が怒涛の勢いで立ち上った。

煌々と輝く光の波濤が、まるで吸い込まれるように前方のソラに浮かぶ回廊へと向かう。

夜を照らす光が回廊へと直撃。

衰えを知らない怒涛の光の波の全てが回廊へと吸い込まれ、そして。

回廊の先端が、ため込んだ光を一度に吐きだすように、遥か夜空の彼方へ向けて怒涛の極光を解き放った。

最早、網膜を焼くほどの光量へと達した閃光が、一筋の流星の如く空へと翔ける。

迷いなく、躊躇いなく、ただ一直線に空を翔けあがる光たちの先に在るのは――――巨大な門。

今も尚この王都の遥か高みで輝き続ける、黒紫の門だった。

「〈大始祖〉の封印を砕き、門を開け」


―――――汝は楔を打ち破り、反逆の翼は翻る


最後の言霊ワンフレーズが男の唇から放たれたの同時に、眩い光が巨門へと突き刺さった。

刹那、空が光に埋め尽くされた。

夜空全てを払拭するほどの光の瞬き。世界全土を照らすが如き、圧倒的な光量が王都を満たす。

まるで、夜に太陽が現れたとすら思えるほど。黒紫色の太陽と化した巨門が今、この王都の全ての人間にその存在を知らしめた。

「“門”の完全開放。こちら側と彼方側・・・の連結を確認した」

ほんの一瞬、刹那の間の沈黙の後、遥かな空の彼方で鮮烈な光が瞬き、次の瞬間、膨大な光の柱が地上に向けて降り注いだ。

――――――無垢なる銀光。

あらゆる色に当てはまらない白銀。無色透明でありながら、銀の色彩を帯びた光の渦が、永劫尽きぬ泉のように巨門から滾々と溢れ、地上――――今も尚、膝をつく漆黒の巨人の元へと堕ちていく。

これこそは、遍く全てに満ちる世界の力。属性を帯びない、純粋なる精霊力。この世の万物全てを形作る、世界元素エーテルである。

「――――微睡の時はこれにて終幕おわり。降り注がれる力全てを喰らい尽くした時、覚醒は成る。その程度の封印式では、最早抑えられん。さあ、どうする」




「―――――これは」

白銀の鎧を着込んだ集団、その先頭に立っていた騎士が驚愕と共に呻きをあげた。

彼らは精霊騎士団。作戦実行の為、もっとも巨人の近くに展開されていた部隊のひとつだった。

この国の守護を司る者。真の強者のみが籍を置くことを許された存在。そんな彼らですら、呆然とその光景を見上げることしか出来なかった。

目の前で起きつつある出来事が、あまりに常軌を逸していたが故に、歴戦の騎士である彼らであっても思考を停止せざるを得なかった。

天から降り注ぐ白銀の光。

轟々と、黒の巨人に向けて叩きつけられる光の奔流に、立ち尽くすことしか出来なかった。

「………なんだというのだ、これは。こんな、こんな力が、ありえるわけが―――――」

その時、巨大な何かに亀裂が入ったような、異質な音が木霊した。

硬質なモノに大きな衝撃を与えてしまった時のような、儚くも美しい音色。それでいて人の心の不安を掻きたてる、そんな旋律が王都中に響き渡った。

「―――――まさ、か」

ガチャリと音をたてて、騎士が一歩後退した。

彼らの視線の先には、巨人と、その巨体を覆う四色の光の壁が見えていた。

しかし、その光の壁には無数の亀裂が生まれていた。まるで、天から降り注ぐ白銀の光の渦に押しつぶされるかのように、刻一刻と粉吹雪の如く無数の光の粒子となって散っていく。

「まさか……ありえん!『四象封印ドラウプニル』が―――――破られるというのか!」

直後――――――破砕。

巨人を覆っていた四色の光の結界。強固無比にして打ち破ることなど出来るはずのない封が、今、破られた。

リィンと、鈴の音のような、澄んだ音色が王都全体に響き渡る。

「ば、馬鹿なっ!」

叫びをあげた騎士たちの前で、崩れ去る光の壁の向こう側で、その黒の巨体が再び姿を現した。

しかし、その姿は最初にこの地に現れたときとは決定的に異なっていた。

全身を覆う漆黒の体表には血管の如く黒紫色のラインが浮かび上がり、ドクドクと脈打つように明滅する。

頭部から伸びる天を衝かんが如き双角は、何らかの力の発露なのか、赤い光を帯びてさえいた。

いや、だがこの場で本当に意識するべきなのは、外見的な変化などでは無く、何よりも。

「―――――この、膨大な力は――――――」

ただ存在するだけで空間を圧砕するような、あらゆる万物を押しつぶさんが如き圧倒的な圧力。

物理的な感覚を伴うほどの力が巨人の全身に渦を巻いていた。

それは、数多くの戦場を経験した騎士たちですら覚えのないほどの、未知の領域。

そして。

「―――――――こ」

人が未知に遭遇した時、冷静な判断力は失われる。

「攻撃せよ―――――っ!!!」

怒号を上げた先頭の騎士に引きずられるように、多くの騎士たちの全身から色とりどりの光が湧きあがる。

「し、しかし!未だ王室よりの指示は――――!」

「構わぬ!!敵が結界を破った今、一刻の猶予もない!敵が何らかの行動を起こすよりも早く、我らが総力を以って敵を殲滅せよ!!」

異を唱える背後の騎士を一喝し、己の手元に精霊力を纏わせ、叫んだ。

状況を分析し、敵の特性を把握する。そんな常識的な判断すら、微塵も考慮しないままに。

そして、状況は動く。

地上から湧きあがった無数の光の瞬きが、王都を照らす。

一つの部隊から始まった動きは、やがて他の部隊にも伝播し、やがては修正の不可能な範囲にまで広がっていく。

王都の東西南北から、数えきれないほどの光が地上から天に向かって打ち放たれた。

赤、蒼、翠、黄色、様々な色彩を帯びた輝きが一斉に王都のある地点―――黒の巨人に向かって飛翔する。

それらは全て、精霊術の光。

敵を屠ること、ただその一点にのみ特化した、正真正銘の攻撃。

燃え盛る業火、渦巻く激流、切り裂く烈風、瞬く雷鳴。効果も範囲も千差万別。退所不可能な手数と範囲、威力でもって巨人を討たんと差し迫る。

もしもこれほどの精霊力が全て直撃すれば、間違いなく、ひとつの街が焦土と化す程度は容易く出来てしまうだろう。それだけの威力と精霊力の込められた攻撃の数々だった。

そして、無数の騎士たちが解き放った精霊術のそのすべてが、狙い違わず巨人の元へと殺到し――――夢幻であったかのごとく巨人の手前にて掻き消えた。

「―――――――」

攻撃の号令を告げた騎士が、完全に沈黙した。

彼には何も理解できなかった。

歴戦の騎士たちの精霊術は、それこそ九大の血族たちにも迫ると豪語できる。だというのに、それが何の効果も出すことなく消滅したのだ。

「な、何故―――――だ。何故、何故我らの攻撃が消える…………!?」

どういうことだ、と叫ぶ騎士に、しかし誰も答えることは出来なかった。

誰も答えなど持っていないし、理解など出来なかった。

ただひとつ明白になったことは、彼らが放った渾身の精霊術が、敵には何も通じなかったという一点のみだった。




「―――――愚かだな。あの程度の密度では、アレの持つ『コトワリ』は越えられないというのに」

目の前で起きた光景、そのすべてを睥睨していた仮面の男がぽつりと呟いた。

その言葉に宿っているのは落胆と失望。

「この王都を襲っていた末端個体たちと剣を交えたのなら、特性に感づいてもおかしくはなかろうに、それすら考慮せず攻撃を放つとはな」

彼にとって、この国の人間がとった行動は下の下と評するしか出来ないものだ。どの様な対応をしてくるか、多少は興味があったというのに、まさかこの程度のことしか思いつかないとは。

「………少し、買いかぶりすぎたか」

小さく呟かれたその言葉に、しかし真横に座るシンは何も言わず、まるで王都の中に居る誰かを探すように、視線を動かしていた。

彼の目には今の攻防は何ら目に入らなかった。

有象無象の人間が放った精霊術など、見るほどの価値もない。

「………術式の構成を見る限り、攻撃を加えたのは貴族共ではあるまい。この国の守護たる精霊騎士団……その内の、下位の位しか持たぬ騎士だろう。上位席次であればもう少しマシな対応をしてみせたのだろうが……あの程度では話しになるまい」

鼻を鳴らした仮面の男に、シンは問いを投げかけた。

「…………なあ、大将よぉ。あのデカブツが纏うアレ・・を破るには、何が一番手っ取り早いんだ?」

「――――何故、そのようなことを問う?」

質問の意味が分からないとばかりに小首を傾げた彼に、シンは笑う。

「良いじゃねえか。ちょっとした出来心ってやつだ。大した意味はねえさ」

「下らぬ思考だ。考えることに意味はないぞ、シン」

真横を一瞥した仮面の男だったが、やがて静かに唇を開いた。

「……アレを突破する方法など、お前も知っているだろう。反転精霊の纏う力は、通常の精霊力と反発する性質を持つ。それゆえ、敵対する対象が巨大な精霊力を帯びていればいるほど、反転個体のソレとは相克しあうこととなる。つまり」

「力有る精霊使いほど、反転精霊の力場を破ることができず、戦えない――――ってんだろ」

その後の仮面の男の沈黙は、何故分かっていながら聞いたのか、と言わんばかり。

「―――――ならよ大将。もし、もしだ」

唇の端を釣り上げ、獰猛に笑うシンは、口調とは裏腹にまるで確信があると思わせる言い様で。

「もしも精霊力を―――――――――――――――」

吹き抜ける突風によって、シンの台詞は拭い去られた。

だが、間近で唇の動きを見ていた仮面の男には声を聞き取らずとも、その言葉の意味が理解できた。

理解できたからこそ、彼はシンの言葉の意図、そのすべてを察した。

「………そうか、お前の言いたいことはわかった」

その視線が再び王都へとむけられた。

窺うことすら出来ない仮面の男が目を向ける先は、今まさに目覚めようとしている巨人でも、無数の攻撃を放った騎士たちでもない。彼は、この王都そのものと比べて、けれど決して無視してはならない“何か”を、確かに捉えていた。

「……確かに│ならば、反転精霊が纏う『理』を超えることができるだろう。恐らくは、この世界にたった一人にだけ可能な、特権行為・・・・。だが所詮、理論は理論。それを本当に成し遂げることができるかどうかは全くの別だ」

そこまでひと息で断言してから、シンへと一瞥を向ける。

「それとも、お前は成し遂げるとでも思っているのか?」

その問いかけに応えず、ただニヤリと歯をむき出しにしたシンは、この王都のどこかで今も歯を食いしばって絶望に抗っているであろう少年・・を思い浮かべ、言った。

「―――――――さあね。ただ俺は、面白ければ、それでいいんだよなぁ」

「………理解に苦しむ感情だ。その無駄な思考は、いつかお前の足元を掬うことになるぞ」

「何言ってんだよ大将。そんな面白いことが本当に起こるんなら、それこそ俺ぁ大歓迎だぜ」

はっと笑い飛ばしたシンに、一度ため息をこぼした仮面の男の視界の端で、再びの光が瞬いた。

見れば、先と同じ無数の精霊術が、再び巨人へと飛来していくのが分かった。だが、結果は同じ。何の効果もなく、ただ無為に消え去っていくだけだった。

「―――――お前の言うことが本当におこるかどうか、生憎と私には興味がない。故に、問答無用でいかせてもらうぞ」

黒紫の輝きが、男の足元を煌々と満たす。

「未だ制御術式は我らの手の中にある。覚醒状態とはいえ、あと一度程度であれば、アレの力をこちらの意思で振るえよう」

掌の先を巨人へと伸ばした仮面の男は朗々と告げた。

「―――――大地の化身よ。汝が威を以って地上を揺らす。有象無象の全てを消し飛ばせ。〈精霊幻想〉――――『地龍降誕』」

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