89話 緊張
か、か、かわえええええ!
俺は胸に抱くこの気持ちを抑えるのに必死になっていた。
いつも通学路を並んで歩く雫には緊張を感じることはほとんどなく、なんなら気持ちを落ち着かせてくれる。
だが、通学からデート、制服から私服に変わるだけでこんなにも心持ちが変わってくるとは……。
さっきから変な汗がドバドバ出るし、心音のボリュームも小さくなる気配がない。顔はなんとか平静を保っているが、雫の反応を見る限り緊張しているのはバレているみたいだ。
雫もさっきまでは声が裏返ったりして緊張してる風だったのに、今では心に幾ばくかの余裕があるように見える。
正直こんなに緊張してしまうなんて思いもしなかった。この前セイン達と遊園地に行った時も、異性として意識することもなく、単純に友達として楽しく遊ぶことができた。それはあいつらが死線を共に乗り越えた仲間で心を許しているからという点もあるが、心を許しているのは雫にだって大いにいえることだ。だから今更緊張なんてありえないと思っていた。
しかしまあ、昨日中々眠りにつけなかったこと、なのにめちゃくちゃ早くに目が覚めたこと、服のチョイスにかなり時間を割いたこと、今日行く場所の情報を念入りに調べ頭に叩き込んだこと――思い返してみると これらは全て緊張してるが故の行動だったんだろう。普段の俺ならとても考えられない行動のオンパレードだ。
「拓実、そっち違う」
「ん? あいてっ」
雫の声で我に返ると目の前に電信柱が現れた。勿論急に止まれるはずもなく俺は電信柱に頭突きをかます羽目になった。
「頭、大丈夫?」
「……うん、たぶん」
心配そうに見る雫に精一杯の笑顔でなんともないことを伝える。少し返事に間があったのは、頭の中は緊張やら羞恥やらでとても大丈夫な状態ではないからだ。
しかし、雫は電信柱にぶつかったことによる痛みの心配をしているのでここはこの回答で合ってるはずだ。
「ちゃんと前見ないと」
「すまん、ちょっとぼーっとしてて」
「体調、悪いとか? ……無理、しないでね。辛かったら帰って休むのも――」
「いや! それはダメだっ!」
反射で雫の言葉を遮る。雫は急に大きな声を出した俺に驚いている様子だ。
「ほ、ほら! 雫だって今帰っても暇だろ? それにチケットも予約したし、今日行くからって色々調べたりとか、それに延期したらまた予定空けて貰うのも申し訳ないっていうか……」
考えるよりも先に口は勝手に動き、言葉を紡ぎだしていく。そして自分の発言を早々に後悔してしまう。
「色々、調べてくれたんだ」
「……ま、まあな。誘ったの俺だし」
「今日が無理でも、中止じゃなくて延期にしてくれるの?」
「そ、そりゃそうだろ。てかさっきからなんでニヤニヤしてんだ」
「そんなこと、ない」
雫は満面の笑みでじわじわと俺を追い詰める。最後こそ頬を染めていつもの雫らしい一面が見られたが、それまでは中々に意地悪な質問でエマを思わせるほどだ。
「……拓実」
「……なんだ」
二人の間に少しばかりの静寂が流れる。俺の前にいる雫は左腕を俺の方へゆっくりと移動させる。
「手相でも見て欲しいのか」
「ち、ちがっ」
残念ながら俺のパニクった頭は冗談ではなく本心でそう思っていた。
「またぶつかったら、危ないから……」
雫はそう言って掌を俺に向ける。流石の俺でもここまでされれば察しがつくことが出来た。
向けられた左の掌に躊躇いつつも右の掌を重ねる。途端、さっきまでと比べ物にならないくらいの緊張が押し寄せてくる。
「い、行くか」
こくりと頷く雫を確認すると、俺は前にいる雫と横並びになり、再び歩を進め始めた。




