88話 歩調
「お待、たせ」
「お、おう。じゃあ行くか」
いつも通り、雫は待ち合わせ場所である家の前にいる拓実に声を掛ける。
そしていつも通り、横並びで歩を進め始める。
いつもと違うのは、今日が休日で、お互い私服を着ているということだ。
そう、今日は約束の土曜日――デートの日である。
雫は平静を装いながらどこかおかしなところがないか今一度チェックする。
今日の為に買った服にタグは付いていないか、お母さんに教えて貰った化粧はおかしくないか、お金は持ってきているか、恋愛成就のお守り、ハンカチ、携帯の充電――家でも入念に確認したというのに、それでもなにか忘れていないか不安に駆られてしまう。
「そわそわして、どうした?」
「いや、なにもっ」
「そっか、ならいいけど」
不意に掛けられた言葉に驚き声が裏返ってしまった。恥ずかしい、死にたい……。
雫は羞恥で顔がみるみる赤くなっていくのを夏の暑さのせいだと自らに言い聞かせる。
「まずは映画でよかったんだよな」
「うん……」
素っ気ない雫の返事のせいで、会話はすぐに途切れてしまう。普段はそんな沈黙が心地よく感じる雫だが、今日に限っては沈黙が重苦しく窮屈なものに感じられる。
なにか話さなければ、と頭の中では思うもののいずれも実行するに至らない。それはそうだ、普段からできていないのにこんな緊張している状況でできるはずもない。
「なあ、雫」
「は、はいっ」
またも声が裏返ってしまう。ああ、情けない。この日の為に渋る美和子のアドバイスをなんとか貰い、頭の中で何度もイメージトレーニングもした。それなのにいざ本番になるとこのざまだ。気を沈めながらも、なんとか拓実の方に顔を向ける。
「肩の力抜けよ。そんな気張らなくて大丈夫だって。その……俺とお前の仲なんだしさ」
雫の反対方向に視線を飛ばし、頬を掻く拓実を見て雫は思わず頬を緩ませる。
普段以上に緊張している雫を元気づけようとする拓実だが、どうやら拓実もそれなりに緊張しているようだ。もしかしたら今の言葉も半分は自分に言い聞かせているのかもしれない。
「あっ、俺とお前の仲って幼馴染ってことな! 別にそんな深い意味はないからな!」
「うん、わかってる」
よく見ると頬を掻く手は小刻みに震え、目は執拗に瞬きを繰り返している。
やはり、緊張しているようだ。疑念が確信に変わると不意にフフッと声が漏れた。
「なんで笑うんだ? なにかおかしいこと言ったか?」
「なにも」
「いや、じゃあなんでまだ笑ってんだよ」
「教えない」
気付くとさっきまでの緊張はだいぶ取れ、今は拓実の動揺を見て楽しめるくらいの余裕が生まれている。
尚も慌てた様子の拓実を見て、雫は一層頬を緩め、歩調を早めた。




