お留守番は健気に7
お腹には以外と逞しい腕ががっしりと回され、両手足は地面に向かってぶらぶら。そう、あたしは今や走るおにーさんにお荷物よろしく抱き抱えられていた。なんだ、ちゃんと走れるじゃない。この抱えられ方はちょっと異を唱えたい気分だけれど。
ヒュドラーの咆哮と攻撃は相変わらず続いている。でも、先程と違って直撃を受けていないのはこのおにーさんの足がなかなか速いおかげもあるんだろう。動きも機敏で、ヒュドラーの頭の猛攻があるたびにひょいと器用に避けている。曲芸師かな。あとでどちらの魔族の方か聞いて置かないと。
ただこのままじゃ、巨大な体躯には見合わず俊敏な彼らの餌食になってしまうのは、時間の問題だった。
狙った獲物は逃がさない。番人の鏡のような彼らを魔王の娘としては褒め称えたいところだ。いやー仕事熱心すぎて涙が止まりませんね、ほんと。
「一体、どこに、逃げれば……!」
さすがのおにーさんも、あたしを抱えたまま走るのはきつくなってきたらしい。息を切らし始めている。お荷物ほんとごめんなさい。
要は彼らの住処たる沼地さえ抜けてしまえばいいんだけれど、魔界の沼地はとにかく広い。ああーケルベロス達さえ居てくればなー沼地なんて一飛び……。というか飼い主の危機にどこ行ったんだあの子たち!?とあたしが思ったところで、おにーさんがちょうど絶望的な声を上げた。
「くっ、前からも魔獣が……!?」
「わふっ!ふわうー!」
どどど、と地響きをあげて前方から真っ直ぐこちらに走ってくる魔獣。あたしの心の友ことケルベロス達だった。
よく見れば、ジョンもジョーイもそれどころかあの大人しい性格のジョニーですら、牙を剥き出しにし、魔界最恐と称するに相応しい鬼気迫る形相となりながら走ってくる。
思わず止まろうとしたおにーさんに、あたしは叫んだ。
「いいから走って!」
「えぇっ!?」
後ろからも魔獣。前からも魔獣。ついでに言うとどちらも多頭。こんな危機的状況に、それでもおにーさんはあたしの言うことに従ってくれたらしい。
一切速度を緩めず、ケルベロス達に向かって走る。
目前寸前に彼らが迫ったところで、ケルベロス達はあたし達に目もくれずに、風を切りながら横を通り過ぎていった。途端、背後からヒュドラーの悲鳴が聞こえたので、どうやらあたしのワンコ達はあのまま勇猛果敢に番人に飛びかかって行ったらしいというのを悟った。
みんなあたしの為に……!って思いたいところだけど、悲しいことに単にケルベロス達とヒュドラーの仲が昔から悪くて、顔を突き合わせるたびに喧嘩をしちゃうってことをあたしは非常によく知っていた。そう、それはもう飼い主そっちのけで。伊達に彼らを幼犬の頃から面倒見てた訳じゃない。いやいやちょっとだけ、とか思っていませんよ?
「ああーでも今晩のご飯、奮発しなきゃ……」
「な、何か言った?」
「……何も!」
あとセーレの追求時には精一杯庇ってやろう。
おにーさんはしばらく走ったあと、倒れ込むように地面に腰を落とした。というか仰向けに倒れた。そりゃそうだろう。あたしを抱えて、あれだけ走ったんだから。もうここは沼地ではないし、背後のケルベロス対ヒュドラーの喧騒も全く聞こえなくなっていた。
ぜいぜいとあんまりにも息を吐いているので、お荷物だったあたしは申し訳なくなりながら彼を上から覗き込んだ。
「……えっと、大丈夫?」
「うん、何とか……ね」
おにーさんは苦笑いしながら、ぽんぽんと何故かあたしの頭を撫でた。
そういえば走ったおかげか、彼の顔に着いた泥が乾いて少しばかり剥がれ落ちていることにあたしは気付いた。
茶色の柔らかそうな癖っ毛に、綺麗な青色の瞳が優しげにあたしを見つめている。しかもなかなかに整った顔立ちで、いくら美形の親を見慣れているあたしであっても何だか頬が赤くなるのを感じていた。
「でもおちびちゃんのおかげで助かったよ。ありがとう」
ん?おちびちゃんって!?何その呼称!?そりゃ身体は小さいですけどもね!
「シ、シェーラですぅ……」
こちとら百年と十四歳しか経ってないけども!まだ成人にも達してないけどもー!
その呼び方は流石に断固許すまじ!と抗議しようとしたあたしは、おにーさんの満面の笑みによって相殺されてしまったのだった。