お留守番は健気に6
あ、やばい。意識が遠のきそう。
それに一体、どこまでやってきてしまったのか見当もつかない。
やっぱりいい子にお留守番しておくべきだった!とあたしが半ば絶望的に後悔し始めたところで、不意に身体が宙を舞った。べしゃっ、と顔面から沼地に着地したところで、かったい地面じゃなくて良かったぁと呑気に安堵する。身体は涎まみれから泥塗れにランクアップしてしまったけど。
「うぅー」
離れたところからケルベロス達の唸り声が聞こえてくる。どうやら彼らが急停止した反動で、あたしは投げ出されてしまったらしい。
「もー!止まるんなら止まるって言ってよね……」
人語の喋れない獣達に到底無理な小言をぶつぶつ呟きながら、あたしはよいしょと沼地から這い上がった。
うーん。泥だらけだけど毒の沼じゃなかっただけマシかも知れない。でもこれは帰ったらさすがにセーレにバレるわよね……。
「ジョンー、ジョーイー、ジョニー、あんまり我儘ばっかりだと……」
晩御飯抜きになっちゃうよー。あたしも含めて。とあたしが憂鬱な面持ちで彼らを宥めようと声をかけたところで、あたしはぴたりと口を閉ざした。
……あれ、なんかいる。目の前に。
「ど、どうもこ、こんにちわ……」
「あっ、こんにちわ……」
あたしと全く同じ全身泥塗れの状態でその場に佇んでいたその人は、突然現れたあたしの姿にびくっと肩を揺らしてそう挨拶してきた。
あたしも思わず返事してしまった。
……何かすごい親近感を感じるんですけど。
泥塗れで姿が分からないんだけど、声からして男の人なんだろう。多分、通り掛かりの魔族の人なんだと思う。その人はきょろきょろと辺りを見回してから、辛うじて分かる藍色の瞳であたしを不安そうに見つめた。
「君、どこから来たの?まぁ、不運にも僕と同じように沼地に着地したって事だけは分かるよ……」
「あ、あはは……」
あたしは誤魔化すように笑った。
ケルベロスにしがみついてたら振り落とされました。なんて恥ずかしくて言えないので黙っておく。
「そっか……」
相手も何か思い出したくない着地の仕方をしてしまったようで、若干遠い目をしている。
すると再び、ケルベロス達の唸り声が聞こえてきたのであたしは首をかしげた。
あれ、どうしたんだろ。あの子達。
普段は常にご機嫌最高潮で尻尾ぶんぶん状態なのに、何かを警戒するように威嚇状態になっているなんて珍しい。
少しだけ考えて、あたしはここが沼地だということにようやく気付いた。ぞわりと背筋が粟立つ。
「あ、やばいかも」
「え?」
「おにーさん、逃げなきゃ!」
惚けた顔をして突っ立ている男の人、以下おにーさんの手を掴み、あたしは強く引っ張った。
途端、背後からけたたましい水飛沫とケルベロス達のものとは明らかに違う咆哮があがった。
「何あれ!?蛇!?首がいっぱいついてる!!」
「いーから走って!」
人の三倍はありそうな身長と巨大な胴体には蛇の頭部が九つ。その頭部は切り落としても切り落としても何度でも生えてくるし、吐く息はあっという間に死に至る猛毒の息。ケルベロスに次ぐ魔界随一の強者。
頼もしい沼地の番人こと、ヒュドラーさんだった。
どうやら自分の住処に侵入者が入ってきたのでとてもご立腹の様子。一体誰のせいだ!あ、あたしのせいか!いや、もう一人のせいでもあるよね!?
あのーあたし魔王の娘なんですが、そこんトコロお許し頂けないでしょーか。とか言って話の通じる相手でも、ましてや魔王の娘効力が発揮される訳でもないので、ここは一先ず一目散に逃げる他ない。
おにーさんの方はというと、あたしに手を引っ張られるがまま困惑顔で走っている。あーもうっ、大丈夫かなこの人!
そうこうしている内にやはりあたしの脚力じゃヒュドラーから逃げ切れるはずもなく、迫ってきた頭部の一つに足を思い切り振り払われてしまった。ぎゃっ、と悲鳴をあげる。
また沼地に顔面着地するの、あたし?なんて目を瞑って身構えていたら、不意に身体が浮いていた。