お留守番は健気に5
「ああ、そうそう。忘れる所でしたわ。姫様、今日はお外に出ちゃ駄目よ」
「えっ」
下方から聞こえてきた小気味好い音と、僅かな呻き声は聞かないフリをしておいて、あたしはテシアの言葉にぎょっと目をむいた。
普段は一人で城の外に出ないよう、パパやママ、それにセーレにきつく言い含められている。
おまけに破ったら罰として、城の地下にある使用形跡がありまくりの拷問器具が散らばった牢屋の中に、一晩閉じ込められるのだ。
以前、一度だけ外に出てしまったことがバレて、ママに閉じ込められたことがあるのだけど、あれは尋常じゃない怖さだった。
な、謎の呻き声だとか叫び声だとかが一晩中聞こえ、正直言って、目の前のスプラッターなクレイドさんと添い寝していた方が遥かにマシだったかも、とそんなことまで脳裏に過ぎった程だ。
……いや添い寝は少し言い過ぎかも。
だが実はこの後、服を着替え、ケルベロスと一緒に城の外にこっそりと再挑戦をしに行こうかと考えていたのだ。
ママのお仕置きは怖いが、要はバレなければ問題ないのである。
あいにく魔界では、セーレやケロベロスの保護なしに城を歩けば、たちまち非力なあたしは魔王の座を狙う魔族によって誘拐され、確実にパパの弱味になってしまうし、最悪魔王の娘とは知らず美味しそうなご馳走としてぺろり、と食べられてしまう。
だから、あたしと同じく非力な人間という生き物が住む外界は、とても魅力的な場所だった。
前回は魔王城の門をくぐり、いざ外界へと通じる扉を探そうとしていたところ、ちょうど外界から帰ってきたセーレに運悪く出くわし、連れ戻されてしまったのだ。おのれ仮面男め。
考えを見透かされたと思ったあたしは、内心でどきりとしながら誤魔化すように口を開いた。
「あ、あはは、大丈夫よ。さすがにあたしだって、力のない自分が外に出ればどうなるか分かってるもの」
「そう。それならいいのだけど」
「でもどうして?何か今日は外にいるの?」
「んん?理由ですって?……ああ、クレイドそれは……」
テシアがクレイドの腕を凝視し、頷いたとき、唐突にその腕だけが宙を舞った。そう、腕だけが。
「あああー!ジョンー!?」
どうやら彼には、目の前でフリフリされる腕がとても素敵な玩具に見えたらしい。大人しくしていた二頭を差し置いて、頭だけを伸ばしたジョンは腕に食らいつくと、勢いよくそれを放り投げていた。
綺麗な弧を描いて宙を舞っていくソレ。
ソレ、とはちょっとお茶目な子供が力を込めすぎたあまりに飛ばしてしまったボールでも、次こそは自分と息巻く令嬢達が狙う、花嫁のブーケでもございません。
人の腕。人の腕です。大事なことなので二回言わせて頂きました。
「あらあー?随分と遠くまで飛んでっちゃったものねえ」
飛んで行った方向を眺め、のんびりとテシアが他人事のように言う。どうやら腕は塀の外を飛び越えていってしまったらしい。
あたしは慌ててクレイドに謝った。
「ご、ごめんね!うちの馬鹿犬たちのせいでっ」
「あら、姫様が謝る必要はなくってよ?誰だって目の前に玩具をぶら下げられたら、つい遊んでしまいたくなるのはしょうがないことですもの」
おほほ、とテシア。
何やら玩具認定されたらしい当の本人からは密かな哀愁が漂い始めている気がしないでもない。
「わぁぁ!落ち込まないでクレイド!今拾ってくるから!」
「あら、姫様がそんな事をする必要はーー」
ジョーイ!行くよー!とあたしはテシアの言葉を遮って、ケルベロスの背中に華麗に飛び乗ろうとしたのですが実際は足の長さが届かず、走り出した彼の毛皮に無様にしがみつく結果となってしまった。
いやいや、結果オーライだよね!
* * * * * * * * * *
魔獣ケルベロスの脚力は魔界一である。お城の塀さえ難なく乗り越えて、周りの景色が風のように目まぐるしく変わってゆく。流石にテシア達でもこの速さではすぐには追っては来れないだろう。
ふ、計画通りね。とニヒルに格好良く笑いたい所だったけど、あいにくこちらとしては必死にしがみついているのが精一杯な現状でして。
「わふっ!わふっ!」
走るのがやたら嬉しいのか、ケルベロスはもさもさの尻尾をぶんぶん振り回しながら猛進している。その尻尾が遠慮なくあたしの顔とか身体に当たるので、鬱陶しくて敵わない。
というかどこに向かってんのかしら。一応クレイドの腕だけは回収してやらねば。と思う。でなければ、魔王城唯一の善良な心の持ち主(とあたしが勝手に思っている)である彼があまりにも可哀想である。
外界にちょっと出てみて、とりあえず人間とやらを一人見つけて観察したあと、帰りにクレイドの腕を持って帰れば外に出たこともバレずに済むに違いない。と考えたのだけれど、よくよく考えてみればそういやあたし、外界への扉がある場所を全く知らないような。
「……ジ、ジョーイ止まってー!」
「わふわふっ!」
あれ、止まらない。
試しにジョンとジョニーにも声を掛けてみたが、飼い主の意に反して全く止まる気配がなかった。
あ、あれー?それどころか先ほどよりも加速している気がする。
「ばふー!」
「わう!わう!」
君たちー!飼い主の言うことは聞くべきだよ!!