お留守番は健気に1
『ちょっとママと新婚旅行に行ってくる。いい子にしてるんだぞ!』
――こら、待て!糞親じ……じゃなかった!パパ!
この世に唯一無二の美しい彫像みたいな顔を綻ばせて、にっこりとパパは愛娘の暴言などものともせず微笑みました。
『うふふ、シェーラはパパの子だもの。きっと上手にお留守番出来るわよ』
―――シ、シェーラ出来ないから!パパの子供だけど出来ないからっ!
パパの隣でパパにべったりとくっついた、同じくこの世に唯一無二の美しい顔をしたママに、愛娘のそんな必死の訴えは毛ほども聞こえなかったようです。
ママはパパの腕を人差し指でなぞりながら、パパの耳に唇を近付けて何やらぼそぼそ。
『マ、ママ!』
途端にあからさまに耳まで真っ赤になったパパは、私の顔をちらちらと気遣わしげに見ました。物凄く殴りたい気分です。
『そ、それじゃあ行ってこようかね。お土産を楽しみに待っていてくれたまえ!』
『じゃあね、シェーラ。うふふ、帰って来る頃には貴女に妹か弟が――』
『――ママ!』
ぱちん、とパパが慌てて指を鳴らすとパパとママの姿は瞬時に消え去ってしまいました。
後に残されたのは……。
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「ぐあああー!今思い出してもむかつくっ!何なのよそれってえええ!」
頭を抱えて叫ぶ。
「シェーラ様、他の者もおりますのでどうかお静かに……」
横から静かな低音が降ってきて、思わずあたしは振り返った。
「静かになんて出来ないわよ!これが!大体、新婚旅行ってナニ!?もう結婚してから五百年も経ってんのよ?」
足下から首もとまできっちりと肌を見せないよう黒服を纏った身体は、長身な上に細身ときている。しかもその顔には始終、白い仮面が張り付いているので顔色など一切伺えた試しがない。辛うじて分かるのは銀髪の合間から覗いた二本の短い角と雄だという性別だけ。あ、もしかしたら実は雌だったりするかも。
そんなヤツは、長年の付き合いで分かるが恐らく今は仮面の下で渋面を浮かべているであろう声音で私に進言した。
「……ですので五百年という節目に、“魔王様”も“お妃様”も旅行に行かれたのでしょう」
「だぁからって、こんな――」
あたしの名前はシェーラ。本当はもっと長々とした名前があるんだけど、皆は愛称のシェーラと呼ぶ。
何を隠そう。あたしの父は、人間様が泣いて恐れ戦く魔族の王、十六代目魔王である。
そしてここは鬼畜下道の人間様を千切っては投げ、千切っては投げ、血で血を拭う戦いを繰り広げた末にご先祖様が作り上げた魔王城の中である。
この世に魔王の娘として生まれて、早百と十四年ばかり。
絶世の美男美女と唄われるパパとママの間に生まれたのに、悲しいことに容姿は平凡に地味を上塗りしまくった姿。せめて二人みたいに金髪赤目だったら幾らかマシと言えるのに、色素までもが遺伝子を裏切って暗い黒髪黒目ときている。
ママ曰く、慰める気があるのかないのか満面の笑みで「突然変異ね。そういうこともあるわあ」だそうだが、娘としてはいつか二度目の突然変異が訪れることを願って止まない今日この頃だ。
ちなみに出会ってからママに超がつくほど一筋のパパは、あたしをママ同様に馬鹿みたいに溺愛している。本当に馬鹿みたいに溺愛してくるので、近頃はうざったくて仕方がない。
いっそ人間の国から、ごくごくたまーにやってくる勇者ご一行とやらにこてんぱんに伸されてしまえと思ってるんだけど、なかなかそうは行かないのが現状なんだよね。無駄に力だけは強いから。無駄に。
「お二人はシェーラ様だからこそ、信頼してこの城をお任せになられたのだと思いますよ」
魔王城の広間、つまりは王の間でぬけぬけとそんなことを言うこの不審極まりない仮面男はセーレという名前で、第一の側近としてパパに仕えている。その正体はパパとママを除いて、魔界で最も力ある魔族の一人で一族の長もやっているらしい。
「でもやっぱり無理!あたし、魔力もないのよ?そんなあたしがどーやったら魔界のいざこざとかを解決出来んのよ!ちょーっと反乱でも起こされたらあっという間に潰されちゃうじゃないの!」
「……まあその通りですが」
「少しは否定しなさいよっ!」
うう、とあたしはパパがいつも座っている豪華な椅子の上で唸った。
問題はそこだ。容姿の似ていなさはともかくとして、魔王の娘の癖にあたしにはその力の片鱗とやらが全くない。
別に結婚五百年記念日なんだから、あたしとしても旅行だろうと子作り旅行だろうと勝手に勤しんでくれればいいと思うんだけれど、だからといってそんな魔力値ゼロの平凡・地味・非力の三拍子が揃った小娘に魔王城の留守番をしていろ、との命令はこれいかに。と思うのよ。
「そんなのセーレに任せればいいのにぃー」
強いんだから。と、そううっかりあたしが言ってしまうと、何故かセーレに微笑まれた気がした。……あれ、なんかコワイ。見えないけど。
「それはそれは。シェーラ様にそう言って戴けると光栄至極にございます。ですがそうしますと“うっかり”ではなく、“ちゃっかり”私が玉座を奪ってしまうかも知れませんね」
「……」
あ、あり得そう。そしてあたしはもう一つ重大なことに気付く。
「あ、あれ……もしかしてこの状況でもその、“ちゃっかり”が出来ちゃうんじゃ……」
「おや、今更お気付きになられましたか」
……うわーん。