会社を辞める
「そうだ、スペインへ行こう」
密かにそう決めた瞬間、心の中に小さな針穴が開き一条の光が射し込んだ。1984年の春のことである。
それにしても、何故 スペインなのか。
改めて自分の心に問うてみた。
音楽に目覚めた高校生の頃、ナイロン弦の中古ギターを数千円で手に入れた。ベタな動機ではあるが〈禁じられた遊び〉が弾けるようになりたかったのだ。
ギターの腕前のほうはともかくとして、高校を卒業しても音楽への関心は広がる一方で、そのままクラシック・ギターの魅力に取り付かれていった。そして、いつしか興味の対象はフラメンコ・ギターの世界へとつながって行く。
昔、青森から出て来た男が言ってた。
「津軽三味線を聴くと血が騒ぐね…… 」
分かる気がする。
私の場合は、フラメンコ・ギターを掻き鳴らす音を聴くと血が騒ぐのであった。少しでもこの音楽をかじった者としては、やはり本場の空気に触れてみたい。
心が そう決まると、早速NHKラジオのスペイン語講座を聞き出した。
スペイン語の語感はエキゾチックで新鮮に感じたためか、どんどん耳に入ってくる。ほぼローマ字読みで発音できることが何よりもの救いであった。
スペインのことを色々調べて行くと、物価がすごく安いことが分かった。
当時の物価ではあるが、ミネラルウォーターの価格は日本と同じある一方、大衆的なグラスワイン一杯の値段なら50円ほど。素泊まり民宿は一泊 1000円もしない。これは助かる。
ラジオ講座のテキストの後ろのほうに、外国人向けのスペイン語学校があることを発見した。おまけに、通学期間中の下宿先も格安で斡旋してくれるという。さっそく私は申込みの手続きを終え、ここを拠点にして2か月半ほどスペイン周辺を放浪することとした。
働き詰めで使う機会もなく貯まる一方だった金はそのまますべて旅の資金となり、旅行代理店を経由した学校の申込み金や航空券、トラベラーズ・チェックなどに形を変えて行く。
着々と勤務先からの逃亡、いや 日本からの逃亡の準備は整って行った。そして、その年の9月末に会社に辞表を提出する。
不思議と何の感傷も無いまま最後の日を終えると、街にはすでに秋の風が吹きはじめていた。