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ある世界の幼馴染は  作者: 夢前 日陰
ある世界の幼馴染は
2/8

ただ複雑な感情を

いつもと何ら変わりない晩御飯の時間を終え、今日も一人ずつ体を清めていく。

一番最初は彼で、次に後片付けを終えた私、最後は彼女だ。

最初は家主を差し置いて先に入るなんて、と軽く揉めたものだが、どうやら食べ終わってすぐは入りたくない質らしく、最後のほうがちょうどいいらしいと知って、今の順番で落ち着いた。

だから私は今日もさっぱりとした状態で彼女の部屋に向かうと、順番が回ったことを告げる。


「はいはーい。あたしはもう少ししたら行くからそっちはもう寝ちゃいなさい」


どうやらまだお腹の中が落ち着かないらしい。

私は軽く頷いて了承の返事をすると、彼女がひらひらと振る手を見ながら部屋の扉を閉めて“二人”の寝室へと向かった。


「…ルー?」


部屋の前に来たところで立ち止まり、そっと扉を叩いて名前を呼ぶ。

それにすぐ返ってくる言葉はなかったが、それでも私は暫く扉の前で立っていた。

辛抱強くできるだけ音を立てないように待ち続ける。

もう一度声をかけたりはしない。

きっと彼なら聞こえているだろうとわかるから。


「………起きてるから気にせず入れ」


うん、と返して、彼の言う通り音を気にすることなく扉を開けて部屋の中に入った。

それから扉を閉めて振り返れば、目に映るのは“一人部屋”だ。

その中には一つの寝具の片側で横になり、外側を向きながら目を閉じている見慣れた彼がいる。

私は普通に歩いてそこまで行くと、躊躇うことなく空いている彼の隣に潜り込んだ。


「…おやすみ、ルー」


静かに、至極穏やかに声をかければ、彼はまた少し黙って、ああ、と頷く。


「おやすみ」


たった一言、その声を聞くだけで胸の内側が擽ったくなって、私の心は温かく揺れた。

目を閉じれば、自然と鮮やかに蘇る、この場所での思い出。

床で寝ようとしていた彼を宥め、必死に一緒の寝具で寝ようと説得していたあの頃が、まるで随分と昔のことみたいに思える。

まだ、と言えばいいのか、もう、と言えばいいのか。

私達がこの家に住み始めてから、二年の時が経過していた。


*


『なんだかまるで、どこかから逃げ出してでもきたみたいな感じね。良ければ事情くらい聞くわよ?あたしの用事にも付き合ってはもらうけど』


普通に挨拶をし、自己紹介を済ませた後で、彼女は何の気負いもなくそう言いきった。


『見たところ何も持ってないみたいだし、ワケアリでしょう?もしも話してくれるなら、村の中に入るときの便宜なりなんなり、図ってあげてもいいのよ?』


それを聞いた私達は結果的に、ここまでの経緯を彼女に説明した。

その時でも彼は私が街に行くのを止めた理由をハッキリとは言わなかったけれど、私はそのことについて特に追求したりはしなかった。


『なるほど…やっぱり駆け落ちだったのね』


しかし、そう言われた瞬間、私も彼も驚いて彼女の顔を凝視した。


『バッ!そんなんじゃ…!』


そして私も彼と同じように否定しかけて、ふと、用法としてはそんなに間違ってもいないのでは、と思い、何も言えなくなる。

それに心のどこかでは、満更でもないと思っている自分もいるとわかっていたから。

結局、最初に勢いよく言ったはいいもののなぜか口淀んだ彼と、ただ困った顔をして何も言えないでいる私を交互に見て、彼女は大きな声で楽しげに笑った。


『そんなあなた達に教えてあげるわ。この村では、ううん、多くの村では、そんな変な慣習、やってないの。さっき見てたからわかると思うけど、だいたいの村は外から来る人を歓迎している。行商人だって来るのよ?』


そこら辺に生えている草を丁寧に採りながら、彼女は何かを含むようにそう告げる。

その内容は、彼がどうしてこんな行動を取ってまで街に行くのを止めたのか密かに考え続けていた私の中に、一つの波紋を広げた。

それは散らばっていた疑問も村で教わった常識も等しく巻き込んで、私にとある確信を抱かせる。


“閉鎖的な村の中だけじゃ補いきれないものは、いったいどこから来ているのか。”


野菜や肉、乳製品などはそれぞれ家庭毎に役割分担し、必要なときに物々交換することで回せる。

しかしそのための道具は?

当たり前に学校で使うような紙と鉛筆もだ。

それらが何からできて、どう作られるのかは知っているけれど、村の中でそれをしている人を見たことがない。

ならばどこから?

そもそも、それらの知識はどこから?

そして、村の中で過ごしているだけの人に、そんな知識があるものだろうか?

圧倒的に文明のレベルが違うのだ。

それなら、あの先生は、どこの人だろう。


『………うん、合格ね』


いったい私はどんな顔をしていたのだろうか。

彼女は私を見て満足げに頷くと、その足を自分の村まで向かう道に進め出す。

隣の気配は、ただ沈黙を保っていた。


『男の力は大事よ。労働力は宝。そして回転の速い頭があるのなら、あなたも十分働ける』


彼女は一度止まってそう言うと、振り返って私達を見据える。

その言葉に、行動に、二人して首を傾げた。


『あのね、私の親は自由な人達で、数年前に家を飛び出して旅に出たまま音信不通なの。それで今までは残った兄と二人で生活してたのに、その兄もつい最近村に来た女性と駆け落ちよ?それで少し気にかかったってのもあったけど…まぁ、だから』


困ったような表情を作ってはいても、どこか楽しげな雰囲気を滲ませた彼女の頬に、風に靡いた髪がかかる。


『――イーク、ルーファス。行くとこがないなら(うち)に来なさいな』


その出会いはきっと、偶然にして必然だった。


*


パッと目が覚めて、なんとなく隣で眠っている彼を見る。

そこにはただ穏やかな、あどけない寝顔があった。

ふっ、と、自然に頬が緩む。

扉が軽く叩かれたのは、その時のことだ。


「…どうしたの?」


彼を起こさないようにそっと寝具を抜け出ると、音を立てないように扉を開く。

目の前には予想通りこの家の主である彼女がいて、どこか深刻そうな顔をしながら私を見ていた。


「…イーク、すぐにルーファスを起こしてそれぞれ外出着に着替えた後、裏口前に来なさい」


先程までの平穏が、じわじわと不穏に変わっていく。


「え…?どうし」


聞き返さずにはいられなかった。


「いいから早く。話ならそこでするから…いいわね?」


それは遮られてしまったけれど。

結局彼女は、私の返事も聞かずに扉を閉めた。

彼がまだ寝ていると知っているはずの彼女らしくもなく、一切の配慮を感じられないやり方だった。


「………イーク?」


バタン、と閉まる音は静かな部屋にとてもよく響いて、彼女の思惑通りか否か、すぐに寝起き特有の低い声が耳朶を打つ。

慌てて振り返り、上体を起こした彼の、どこか問いたげな金の瞳と目を合わせた。

朝の挨拶をするような雰囲気では、なかった。

私はほんの少し前に起きたことを言うべきか言わざるべきか、一瞬躊躇して言い淀んだけれど、言わなければ進まないと思い直し、彼女に言われた内容を彼と共有するために口を開く。

同時に所在なげな両手をお腹の前で組み合わせて、僅かに視線を下げた。


「えっと、急いで外出着に着替えて裏口前に来るように、って、さっき」


そうして自然と扉の向こう、遠ざかる足音を追うように視線を動かせば、彼はそれで察しがついたのか、僅かに眉を寄せて寝具から出る。

それから外出着を一セット持って扉の前にいる私の近くに来ると、少し笑って立ち止まった。


「大丈夫だから、お前もさっさと着替えろよ」


何が、とは言わなかった。

私も、聞かない。

ただ私の頭を一度撫でて離れた手を僅かに名残惜しむように目で追って、背を向ける彼に頷いた。

けれどどうしても、例えば彼がさっきまで寝ていた寝具だとか、パタンと閉まる扉の音だとか、遠ざかる足音だとかが、部屋の中に一人残された私の不安を浮き彫りにするようで、ただとても、居心地が悪かった。

だから私は、まるで何かに追われるようにして外出着に着替えた後、この二年間お世話になった部屋を出たのだ。




「ん、揃ったわね」


裏口前には、なぜか作業着を身にまとった彼女がいた。

その手には珍しく農具を持ち、まるで今から畑仕事にでも行くかのような姿をしている。

一年程前から畑仕事は彼に一任して、たまに様子を見に行くくらいしかしなくなった彼女らしくない、姿だった。


「その格好は?」


それには私だけでなく彼も気にかかったようで、こんな時間にこの場所に呼び出した事情よりも先に格好について問いかけた。


「あら、見てわかるでしょ?畑の世話をしに行くの。そんな不思議そうな顔をしないでよ。薄々察してはいるんでしょう?特に、イーク」


名前を呼ばれて僅かに怯む。

終わりの予感を否定してくれない、寧ろ肯定するばかりの彼女の言動は、私に目を逸らすことを許さなかった。


「ルーファスだってバカじゃないんだから、気づいているでしょう?もう終わりよ。二人とも、今すぐ出て行きなさい」


言い終わるが早いか、私が俯くと同時に彼が彼女の名前を呼んだ。

けれど彼女はそれにもまるでいつもと変わりない調子で答える。


「この村に、隣村の人達が来ているわ。ほんの少し前のことよ。早くに起きたから薬草を採取しようと森まで、あなた達と出会ったあの場所まで向かったときに見たの。門番に“金の髪をした若い男女の二人組を見なかったか”と聞いていたわ。門番がなんて返したかはすぐに帰ってきたからわからないけど、もう少ししたらどこからか聞きつけてこの家まで来るでしょうね」


そこで言葉を区切り、農具を一旦壁に立てかけて、彼女は懐から巾着を取り出すと中身を見せてきた。

そこにはこの村に来て初めて見た、しかし今ではもう見慣れた、多種類の硬貨が入っていた。

思わず湧き上がる言いようのない感情を零すように彼女の名前を呼んで、私は両手をお腹の前で組んだ。


「二人の村は物々交換だったらしいけど、多くの村では硬貨を扱っている。覚えてるでしょ?知っているでしょう?」


彼女はいつになく優しく笑って諭すようにそう言うと、巾着の口を締めて彼に渡した。

反射的に受け取った彼の表情は、硬かった。


「ルーファス。自分で前に言っていたことを忘れないで。何を優先するべきか、間違えないで。狙いはきっとあなた達なのよ。捕まれば良くて離れ離れになる上に過酷な環境に置かれるでしょう。悪ければ死、かしら」


私には彼が前に言っていたこと、で思い当たるものはなかったけれど、二人にはあるらしい。

彼は巾着を一度強く握りしめ、懐に仕舞うと、静かに彼女の名前を呼んで感謝の言葉を呟いた。

それにこの先の行動を察しても、私は動けなかった。

彼に手を取られて引っ張られる。

それでも、動かない。


「イーク」


彼に名前を呼ばれても、動けない。

ただ複雑な感情を堪えるように彼の手を握り返して、私は彼女の名前を呼んだ。

彼女の唇も、私の名前をゆっくりと形作って、笑う。

行きなさい、と、その瞳は私を促していた。

くしゃりと顔を歪めて、私は今度こそ彼に引っ張られるまま裏口から出て行った。

その二つの背中に、裏口の扉を押さえながら彼女が叫んだ。


「イーク!ルーファス!この二年間、楽しかったわ。兄がいなくなって辛くて、駆け落ちした女性ごと恨みたくなったこともあった。でも、二人のおかげで、本当に…幸せだった!だから、」


村に響かないように抑えられた声は、距離が離れるのと比例して聞こえなくなっていく。

それでも私は、いや、きっと彼も、その声を聞き逃さないように耳を澄ましていた。



「臆すな、吠えろ。………そしてまた、会いましょう」



空気が、静かに震えた。


「ぅか、っどうか!元気で…!」


私は彼に手を引かれるまま走りながらも、顔だけは後ろを向いてそう叫ぶ。

言いたいことはたくさんあった。

感謝の言葉なんて、何度言ったって足りないくらい。

けれど何よりも、彼女の健康と幸福を願う。

優しく強かな彼女に、どうか、と。

けれど結局、距離からして聞こえたかもわからないそれに、返ってくる言葉はなかった。

ただ彼女は何も言わずに微笑み、片手を頭の位置まで上げて軽く振るのみで。


「――っ楽しかった!」


やがて曲がり角を曲がって彼女の姿が見えなくなる直前、彼の振り絞るような声が強く響く。

私も彼も、そして彼女もわかっていたのだ。

もうこの村に、そもそもこの付近に寄ることはない。

逃げきれたなら、どこか遠くで過ごすことになるだろうと。

けれど、それでも彼女は、生きろと、絶対に諦めるなと、彼女らしい強かな言葉で伝えてくれた。

そしてまた会おうと、伝えてくれた。

だから私は、絶対に生き抜かなければならない。


――生き抜かなければ、ならないのだ。

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