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ある世界の幼馴染は  作者: 夢前 日陰
ある世界の幼馴染は
1/8

変わらぬ日常を

世界は、私なんていなくても動き続けるし、時間は、私なんていなくとも進み続ける。

それは当然の摂理であって、誰もが心得ているはずの了解だった。






「ルー!」


振り向く動作で金の髪が揺れる。


「なんだ?」


彼は鋭い金の瞳を和らげて私を見ると、それまでしていた作業の中断を意味する息を軽く吐いた。

それから流れるように自分の汗を拭おうとして、両手が泥まみれなことに気がついたのかやめる。

私はそれを見ながら彼に近づくと、用意していたハンカチを取り出して頬の汗をふいてあげた。


「お疲れ様、ルー。ご飯できたから休憩にしよう?」


にっこりと笑いながら労わって、ポケットの中にハンカチを仕舞う。

彼はそんな私を見ながら少し視線をさ迷わせると、そっぽを向いて何かを誤魔化すように頷いた。


「わかった。イークは先に向かってろ」


当然のようにそう言って、家ではなく農具置き場へと向かった彼を見送り、私は食べ頃な野菜が多く並ぶ畑を見回した。

涼しい秋の風を頬に感じて、輝く太陽を見上げるように空を仰ぐ。


この場所でこの季節を迎えるのは、二回目だった。


*


私と彼は家が近く、親同士の仲も良かったため、幼い頃からよく一緒に過ごしてきた。

一時期他の人にからかわれることを厭い距離を置かれたこともあったが、ちょくちょく頭がいいからだとか、生意気だからだとか、よくわからないことで絡んできた男の子達から助けてくれたこともあった。

寧ろそれが度々起きたせいか、心配性の彼はいつの間にかまた私とよく過ごすようになった。


一緒に学校へ行って、帰ったらお互いの家の畑を世話して、その後できた時間を勉強したり本読んだり何かで遊んだりして過ごす。

そんなことを繰り返して、やがて成人を迎えた頃のことだった。


『十五年に一度、村の中から一人を選出し、街へと送り出す』


少し遠いところにあると聞く大きな街の周りに点在するように、いくつもの村があるらしい。

その村全てに伝わる慣習だった。

私と彼の村は簡単に言い表すならば閉鎖的な村で、中からも外からも人を出入りさせないようにいつも門を閉めているけれど、その慣習のときだけはその門を開く。

私はその時期が近づいていると親から聞かされても、初めはなんとも思っていなかった。


『イーク、お前が十五年に一度の一人になったらしい』


その言葉を告げられるまでは。


『………え?』


見上げた親の嬉しそうな顔が、今でも思い出せた。


*


「イーク?」


野菜から目を離し、道具を片付けてきたらしい彼を見れば、どこか訝しげな表情で私を見ていた。


「…返事、してないもの」


短く、すぐにはわからないようにそう言った私はきっと、悪戯が成功したときのような顔をしているんだろうなと思いながら、彼の少し考えるような様子を見守った。

さて、先に向かってるよう言った彼の言葉に、うんともううんとも返していないことを言ったのだと、いつ気がつくだろう。


「…屁理屈か!」


ふと、そう間を置かずに顔を上げた彼が叫んだ。

私はそれに大きく声を上げて笑った後、一転して照れたように笑って見せて、家へと繋がる扉を片手で示しながら言う。


「待ってたんだよ、ルーを。…さっ!早く行こう?」


そうして彼に背を向けると、私は先に家の中へと入っていった。

その後ろ姿を見ながら、僅かに赤く染まった顔をブンブンと横に振る幼馴染の姿があったとか、なかったとか。


*


その日会ってすぐ、彼に自分が選ばれたことを伝えた。

いったい私はどんな顔をしていたのか、彼は宥めるように私を撫でると、零すようにその言葉を呟いた。


『…寂しくなるな』


私の胸が締めつけられるように痛む。


『そうだね、離れたくないね』


けれどそれを誤魔化すように笑顔を浮かべながら戯けてそう言えば、彼はいつもみたいにバカ、と言いかけて、黙った。


『ルー?』


私の頭に手を乗せたまま静止した彼を見上げ、首を傾げながら名前を呼ぶ。

彼は暫くしてから、何かを躊躇うように一度手を下ろして私を見ると、そっと私を抱き寄せた。

驚いて目を丸くしたまま固まった私の頭を撫でて、彼は耳元でそっと囁く。


『元気でいろよ』


何かたくさんのものを抑えて、それだけを絞り出したような、ただ、複雑な雰囲気を感じた。


『…うん』


私は自然と彼の背中に両手を回そうとして、バッと体を離されたことにまた驚いた。

行き場のない手を思わず胸の前で組んで、私は少し目元を赤く染めた顔を横に向けながら一歩離れる彼を見る。


『ほら、もうそろそろ学校行くぞ』


あっ、と声を上げて、私は歩き出す彼を追いかけた。


*


「もうそろそろルーも来るよ」


私は食卓のある部屋へと入ると、中でお皿を並べていた女性に声をかける。


「あら、りょーかい!こっちもそろそろ準備ができるわ。少し手伝ってくれる?」


柔らかく微笑んだ彼女はすっと台所を指すと、お皿とお皿の位置を確かめるように微調整を始めた。


「うん、わかった」


私は自然と笑みを浮かべて、台所へと足を進める。

そうしてそこにあったお皿をいくつか持ちながら、引き返して食卓へと向かうのだった。


*


それは、私が寝る準備を終えて、今にも寝ようとしていたときだった。

コンッ、と私一人しかいないはずの部屋で音がして、驚きながら勢いよく振り返れば、窓に何かが当たるのと同時にまた同じ音が鳴った。


『…ルー?』


覚えのあるそれに無意識でそう呟きながら窓に駆け寄ると、私は念のため音を立てないように窓を開ける。

そうして見慣れた金を纏うその人の名前を呼ぼうとして、それは彼が唇に指を当てる動作をしたことにより遮られた。

それから彼は両手を動かして何かを形作っていく。

それもやっぱり私には覚えのあるもので、不思議に思いながらも頷いた。

確認した彼はまた何かを両手で、または片手で形作る。

私はその度に頷いて、その“言葉”を繋げていった。


“明日、朝、親、井戸、後、家、裏”


家、のときに私の家を指していたから、つまり、要約すると『明日の朝、私の親が井戸に水を汲みに行った後、私の家の裏で会おう』ということだろう。

これは昔、私と彼で作った会話の仕方だった。

確かあの時は暇だったからという理由で作ったような気がするが、今でもよく使っているためお互いにやり方を覚えている。

理解できたかどうかの確認のために一つ一つ頷かなければならないので少し時間はかかるが、自分達以外の誰にもわからない会話が誰にも気づかれることなくできるのだから、とにかく便利だったのだ。


理解できたことを同じく手で伝えて、彼が頷いたことを確認すると、私はまた静かに窓を閉めた。

そうして、どうして彼が突然この方法で私を呼んだのかを考えてみる。

数日前に私が街へ行くことになったと伝えたとき以来、何の変わりもなかったのに。

その街へ行く日ももうすぐではあるが、だからと言って今更関係はしないだろう。

それなら、彼が誰にも知られたくないような話とはなんなのか。

結局思いつかなかった私は、一先ず明日になればわかるだろうと眠りについた。


*


ちょうどお皿を並べ終わり、はー、と息を吐きながら彼女が椅子に座った頃、彼はやってきた。

その姿は作業服ではなく家の中で過ごすときの服に変わっていたので、どうやら一度部屋に戻って着替えてきたらしい。


「さ、食べようか」


椅子に座った私と彼を見ながら、彼女はにっこりと笑ってそう言った。

それに各々返事をして、全員で食前の挨拶をすると、美味しそうな料理に手を伸ばした。


*


『行くな、イーク!』


え、と声を抑えて叫ぶ彼を見ながら首を傾げた。


『突然ど、っ!?』


それからどこか必死さの垣間見える彼を見上げて事情を尋ねようとしたとき、気を抜いていた私は腕を引かれたのに反応できず前に倒れ込んだ。

温もりが私を包んで、強く抱きしめる。


『イーク…街に行くな』


いったいどこで、何を聞いたのか。

彼はいったい何を知って、何を感じてそう言うのか。

それを彼が話してくれないのなら、私に知る術はないのだろう。

けれど私は、彼を無条件で信じている。

彼がそこへ行くなと言うのなら、私はその言葉に従ってそうしたい。

そうしたい、けれど。


『…ルー、無理だよ』


抱きしめられる力が増して、いっそ苦しいくらいだったけど、彼が私を心配してくれているのはわかったから、私は今度こそ彼の背中に両手を回して片手でポンポンと叩いた。


『わかってる』


彼は悔しそうな声音でそう言うと、続けて『だから』と囁いた。


『――イーク、逃げるぞ』


また私の唇から零れたえっ、という言葉は、彼の腕の中へと消えていった。


*


食後、彼はまた部屋で作業服に着替えると畑の世話をしに行った。

私と彼女は洗い物や片付けを済ませて、それぞれ野菜の仕分けと晩御飯の支度を進めていく。


「ね、今日はお芋が多いよ」


やがて私が野菜の入った籠を見比べてそう言えば、彼女は振り返りもせず言葉を返した。


「ん、じゃあ二つくらい持ってきて」


私はその言葉に了承をした後、他よりも大きいそれを二つ選んで持っていく。

はい、と手渡せば、短く礼を言ってさっさと水洗いし始めた彼女の背に、随分と言い慣れた言葉を送った。


「残りはいつもの場所に持っていくね」


お願い、と、柔らかく響いた返事を聞いて、彼女の横顔を見ながら笑顔で頷く。

それからいくつもの籠を野菜置き場まで往復して運んだ。


それはいつもの、日常だった。


*


小声で伝えられた彼の案は、そう複雑なものではなかった。

門の外に出てから大きな音がしたら右に走れという、言葉にするだけなら簡単なものだ。

後から聞いたのだが、この大きな音は人手を分散させるための仕掛けだったらしい。

そしてどうやらその音は彼が動くための合図でもあったようで、彼も私と同じ方向へ走って合流したら一緒に逃げる、が計画の全貌だ。


尚、右に向かう理由としては、まず少し行くと深い森があるので隠れて逃げやすい上に、森を越えた先にある村が他のどの村よりも近いからである。

その情報源は学校の先生なので、あの人が正しいことを授業で教えてさえいれば、私達は隣村まで逃げることができるだろう。

もしも嘘だったら、とか、私達の村みたいに閉鎖的だったら入れないんじゃないか、とか、考えたら不安になることは多くある。

けれど、その時はその時だと、彼が困ったように笑いながら言ったから、私も同じような顔をして頷いた。


『ルー!待っ、て!』


そして今は、突然のことに驚いて身動きの取れていない村の人達から逃げ出し、彼と合流して隣の村に向かっている最中だった。

もう森の中に入ってから、随分と時間が経っているような気がした。

何せ体力のある彼でさえ呼吸を乱していたのだから、私なんて息をするのも辛かったし、手を引かれていなければ走れないくらい疲れていた。

急がなければいけないと、休む暇などないとわかってはいても、限界を感じずにはいられなかったのだ。

だから私は弱々しい声で必死に叫ぶと、耐えきれずに立ち止まって彼と繋いでいないほうの手を膝に置き、は、と短く息を吐いた。


『…くそっ!』


すぐに振り返ってそれを見た彼が小さな声で悪態をつくと、合流してからずっと繋いでいた手を離して私の前でしゃがみこむ。

そうして驚く私に早く乗るよう催促すると、彼は動かずに私が動くのを待っていた。


『で、でも…っ!』


けれど離された手も膝に置いて息を吸った私が、息を吐くと同時に躊躇うようにそう言った時。

ザッ、ザッ、ザッ、と、少し早い足音が遠方から聞こえて、思わず膝に置いた両手に力を入れる。


『早く!』


呼吸を整えることも忘れて、促されるままに飛びついた。

彼は私がきちんと掴まっているかを確認してから立ち上がると、態度とは裏腹にひどく丁寧に私を背負い直し、できるだけ音を立てないように走り出したのだった。


*


「ご飯できたわよ!早く来なさい!」


畳んだ洗濯物を仕舞っていた私のいる部屋に迷うことなく入ってきた彼女がそう言ったので、私は急いで残りの洗濯物を仕舞った。


「お待たせ!待っててくれてありがとう」


仕舞い終わるまで待っていてくれた彼女に笑いかけながら立ち上がって言うと、私は彼女と一緒にその部屋を出た。


「ルーファスは早めに終わったみたいで、さっき部屋に行ってたわよ」


するとそんなことを言われたので、思わず目を丸くする。


「そんなに暗くなかったはずだけど」


いくら日が落ちるのが早いこの時期でも、昨日の今頃はまだ作業中だったし、そんなに早く終わるとは思ってなかった。

なんて、そんなことを考えながら不思議そうに首を傾げた私を見た彼女がまぁまぁ、と笑い、食卓を通り過ぎて台所に入る。


「そんな日もあるのよ。さ、イーク?またお皿並べるの手伝って頂戴な」


そう言いながら湯気の立つ美味しそうな料理が乗ったお皿を持って出てくる彼女を見ると、私も慌てて台所へと向かった。


「あ、うん!…ふふ、今日も美味しそうだね!」


お皿を持ってUターンした私の口から自然と出てくる言葉に態度を変えることはなく、ただ料理を並べながら後ろ姿の彼女は言う。


「当たり前でしょ?…ああでも、明日はイークの当番なんだからね!楽しみにしてるわよ」


しかし一度間を置いて呟いた、ああでも、から先の言葉は、お皿を持って食卓に近づいた私を振り返って、どこか楽しげに笑いかけながら言った。


「うん、楽しみにしてて!」


だから私もにっこり笑いながらそう返して、彼女と二人、変わらぬ日常を確かめたのだ。


*


私達はそれから二日、森の中を進んだ。

途中までは追いかけてきていた村の人も、暗くなってきたのに焦ったのか夜になる前に慌てて帰って以来、追手の姿を見せていない。

思えば順調と言っていい旅路だった。


夏の終わり、秋の初めという季節ゆえ食事は自然の恵みを頂くことで済んだし、寝る場所は大きな木を選んだら行く方向に石で低い位置に印を付け、その傍で彼と離れないように寝ることで解決した。

私は夜の森という昼とは全く雰囲気の違う状況に恐怖を抱いてはいたものの、彼の傍ということで気が抜け、疲れからか襲ってきた眠気に安心したように身を委ねたのだ。


そして今、漸く、私達の目に森の終わりが見えてきた。

心做しか私も彼も、代わり映えしない景色に変化が訪れて足取りが軽くなったような気がする。

けれど今はそんなことどうでもよくて、一先ずの目標を前に歩く速度を上げた私達は、遂に、森を越えた先にある“それ”を見た。


『………えっ?』


呆然と立ち止まる私達の中に、思わず零した小さな声は、よく響いた。

そこには私達が今まで見たこともない光景が、ずっとずっと先まで、広がっていたのだ。

開け放たれた門、その横で欠伸をしながら立っている人、それを見て笑いながら何かを言う人、村の中を行き交う人々、それらがひどく、目につく。

私達の村では、絶対に有り得ないそれを、私も彼も息を呑んで見ていた。


それから幾許か、村の中から一人で門に近づき、そこにいる人と少し話して外へ出てきた妙齢の女性が、私達に気がついたのかこちらを見て僅かに首を傾げる。

後から聞いた話だと、この時彼女は森にある薬草を採りに行くところだったらしい。

しかし私達は、目を丸くしてこちらを眺める彼女を見ながら、その時、混乱から会釈も何もできずに突っ立っていた。


――それが、出会いだった。

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