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ミハシラ=アーカイブス  作者: 岩橋のり輔
5/9

ミハシラ=アーカイブス (5)




毎度の長大な神話染みた説話が不意に途切れ、不意に深いまどろみの底から這いあがった寅吉が環の方を見ると、環はまるで恐山のイタコか糸の切れた操り人形マリオネットのようにダラリと頭を下げていた。


そして程なくして上げた表情は、まるで再起動リブートされたかのように無垢で呆けていた。


「終わった?」


まったくもって脈絡のない質問に面喰いかけたが、そこは短からぬ縁。


「そりゃあもう――」


寅吉は眉一つ動かさず、淡々とした口調で答えようとした矢先。


鬼頭医師が持ち前の癇癖性を発揮して、鋭く割り込んだ。


「もう当の昔にな。今度から死人向けにその愚にもつかない創世記を電気信号にして、プラグでもぶっ刺して脳に直接流し込むようにしたらどうなんだ。そうすれば少なくとも儂らは何遍も聴かされんで済む」


鬼頭医師はヌラヌラとした髄液に塗れたチップを今一度乱雑にガーゼで拭うと、丸めてポイと放り投げた。


環は意外にもすばっしこい小動物のような挙動でそれをキャッチすると、「判り切ったことを」とでも言いたげな、鼻持ちならない一歩手前の諭すような表情を浮かべて言った。


「だから、精神世界では全部が万事合理的には行かないんですよ」


環の長口上の最中にすっかり最後の勤めを終えた遺体は、また元通り白い布を被せられ横たわっていた。流石の鬼頭医師も切開個所をそのままにしておくという暴挙に出ることはなく、神がかった縫合技術もしくは申し訳程度の死化粧によって、きちんと尊厳が保たれたといえる。


盥回しにあった大須邦明氏の〈記憶〉を、半世紀も前に時代遅れとなったフィルムケースにきちんと入れると、まるで胡麻粒のようなチップをカラコロと弄びながら寅吉が言った。


「それにしても、本当にこんなゴマみたいなものに人間の一生分の記憶が入っているとはねェ。未だに信じられませんよ。そして何より、こんな物騒なプライバシーもへったくれもありゃしない得体のしれない物体が、ずっと誰の眼に止まるわけでもなく収まっていたとは。久世輪太郎博士ってのは、スゴい人だったんですねェ」


「何をいまさら」


環は飛び切り侮蔑的な様子で、


「私の唯一無二のお父様よ、当たり前じゃない。第一、人体は細胞を絶えず入れ替えて、老朽化した個所を再生させているのよ。小さな部品チップは柔らかい薄皮饅頭のような大脳皮質に埋もれてしまうし、頭蓋骨だって十数年周期で成分的には丸ごと新しいものになってしまうしねェ。手術した形跡すら見当たらなかったってのが正解じゃないかしら」


すっかり手術道具を片付け終えた鬼頭医師が、その折り畳み傘のような痩躯をポキポキと鳴らして立ち上がる。一応外界とを分け隔てていたカーテンを大きく開け、ついでにガタガタと音のするサッシの窓も開け放つと、新鮮な真冬の北風がピューピューと吹き込んできた。


彼はいつまでたっても死体の一種独特な冷え切った臭気が好きではなかったし、医師故に換気の必要性も重々承知していたが、それ以上に鳩尾に風が通り抜ける感覚が堪らなく厭だったため、インナー代わりに着込んでいたダウンジャケットのジッパーを急いで天辺まで上げた。


「まあ用も済んだことだし、儂は一足先に帰らせて貰うかね。仮にも儂を非人間性の塊のように貶めるのなら、お前等も相応に礼儀正しくさっさと退散するんだな。間違っても死者の部屋を荒らし回ったりしないように――例によって、この老体の手助けは要らんのだろう、寅吉君?」


雲を突くような大男の寅吉はのっそりと頷いた。


「ええ。華奢な人ですし、階段とはいえ二階ですからね。自分一人でも充分可能ですが、仏様を片手でアンバランスに担ぐのが失礼とのことでしたら、ちょっくら社長の手を借りるとしますよ。口以外も少しは動かす習慣を付けさせておかないと、生きながらにして死後硬直しちゃいそうなんで」


鬼頭医師はカラカラと笑った。


「違いねェ。アイツがくたばったときには必ず儂を呼べよ。責任もって解剖バラして――しゃれこうべだけになっても、ガチガチ口動かしている様を見届けてやる」


「私はいつまでも生きるわよ」


環が明るく言った。



「でもセンセの言うことも一理あるわね。記憶メモリを回収したらもうこんな所に用はない。さあトラキチ、私らもさっさと帰るわよ。箸より重いもの持つのが大キライな私が、猫の手や孫の手以下の力仕事をしてやろうという気を起こしているうちに、さあ早く。私の自宅兼仕事場の家に戻って、ワイングラス片手に映写会とでも洒落込もうじゃないの」




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