第4話 生きているから出来る事
次男が寺へ私を迎えに来た。
私はご住職と皆に深々挨拶して車に乗った。
家に着くや早々、茶を飲む間もなく土地売却の話しが始まった。
お寺で、地主達との話し合いが上手く行かなかった事に苛々していた私が
「どうにでもなれ」とヤケを起こそうとした時
縁側に、いつもの麦茶が用意されてない事に気がついた。
「おい、麦茶の用意を頼んでおいたろ? 何でやってないんだ」
すると間髪入れずに、息子が鼻を鳴らして答えた。
「一体、誰が飲むんだ? 紙コップに、20も30も注いで。
嫁達に片付けさせたぞ」
私は自分の何処かで、何かがブチッと切れる音を聞いた。
「バッカヤロー! その麦茶はなあ!
この庭を通る、成仏してねぇ霊達を供養する為の物だ!
この大馬鹿者のクソッタレめぇい!!」
居間でくつろいでいた孫夫婦達やひ孫達は
私の怒鳴り声に一斉に振り向き固まった。
次男と三男は長男を押さえ、私へ振り下ろされる拳を止めた。
孫達は私と長男の間に入り懸命になだめた。
「裁判所に相談する……」
荒い息を押し殺しながら長男は言った。
私は興奮で息絶え絶えになりながら言った。
「僕は……お前らが……思うほどボケておらん!
年相応の……ボケはあるがな、そんなもん承知してるわい!」
荒れる呼吸を意地で整えると、鼻から深く息を吸い込んだ。
私は、命一杯の眼光で親族一同を睨みつけ、力一杯宣言した。
「この土地を売りたけりゃ、僕が死んだ後にしろ!
この庭を通る奴らを1人残さず引き連れて成仏してやるからよ!
これは僕の遺言だ! いいか、お前ら! 分かったな!!」
私の言葉は、身体の奥底から烈火の如く飛び出し
日本全国へ響き渡った感じがした。
張り詰める緊張の中、静まり返った居間に柔らかな風が流れ
風鈴がチリンと鳴る。
と同時に、私の視界はスッと白く濁った。
興奮したせいで、急に血圧が上がって脳の血管を切っちまったらしい。
人生終わったと覚悟した瞬間、上質な綿で全身が包まれたような感触がした。
やがて、どこからともなく沢山の『ありがとう』の声が聞こえてきた。
それは心地良い音楽となり、眠気を誘う。
私は逆らわずに全てを委ねる事にした。
*
目を覚ましたら、隣町の大病院の一室に寝かされていた。
私は10日ほど意識を失ったままだったそうだ。
家族は担当医から、私の意識は99%戻らないと言われ
もし目覚めたとしても、かなりの後遺症を覚悟してください
とも言われたそうだ。
だから、私が起き上がりカーテンを開け
朝日を拝んでいる姿を見た第一発見者の看護婦さんは
ぶったまげて悲鳴を上げたワケだ。
「親父……具合悪けりゃ正直に言えよ」
朝のワイドショーを見ていた私への、長男の第一声。
会って早々、喧嘩を売りたいのか呆れ返ったのか
どっちとも取れる口調だ。
ともかく、それなりに心配してくれた事には感謝した。
あらゆる精密検査を受け退院を許されたのは、さらに10日後だった。
長男夫婦に連れられ自宅に戻ると、次男夫婦と三男夫婦が私を迎えた。
「お帰り、親父」
「お帰りなさい、お義父さん……」
息子らの嫁達は、良かったと泣いて喜んでくれた。
70歳前後になっても皆、気立ての良い娘さん達だ。
居間には麦茶が用意されていた。
「若い娘さんや、小さな子供達もいらっしゃるから
喜びそうなカップを少し用意してみました」
長男の嫁が言った。
私が驚いて目を丸くしていると、次男の嫁が言葉を足した。
「評判は良さそうですよ。
私達にも、あの子達の笑顔が見えましたから」
続けて三男の嫁が言った。
「孫達がもう遊ばなくなった玩具も幾つか用意してみました。
仲良く遊んでくれると思ったんですけど……。
男の子達は、取り合いの喧嘩になっちゃいました」
私は顔をくしゃくしゃにして笑い泣きした。
嫁たちの、霊への優しい心遣いがあまりにも嬉しかった。
みっともねぇと思ったが……まあ、いいだろう。
*
昼は皆でそうめんを食べ、庭で採れた野菜で作った天麩羅を一つ残らず食べつくし
満腹になった腹を撫でながら、たわいない話しをしていると
長男が頃合いを計ったように土地売却の話しを切り出した。
まず最初に、私の遺言を守ると宣言してから
ゆっくりと落ち着いた声で、私が入院していた間の出来事を話した。
「……そういう訳でさ、随分しつこく早々の売却を促してきたけど
親父の遺言だからと突っぱね続けたんだ。
『お宅1軒の為に皆が困るのを分かってますか』なんて言いやがったけど
何の相談無しに勝手に計画を立てたのはアチラさんだからな。
追い返してやったよ」
「ありがとう、大変だったな……」
長男の顔を見れば、いかに苦労したかがよくわかる。
白寿を迎える私より、顔のシワが深くなったようだ。
色も土色だ。
「疲れたろう……ゆっくり休もう」
私は急須に茶葉を入れた。
長男の嫁が慌てて私と代わろとしたが、長男が止めた。
皆、私が人数分入れ終わるのを辛抱強く待ってくれた。
ゆっくりと茶を啜りながら、長男がボソリと呟いた。
「すまなかったな、親父。 実は、俺達……。
それぞれ、店の経営が上手く行ってなくてさ。
土地売却の話がきた時、いい塩梅だと飛びついたんだ。
話も結構進めていてさ。
後は親父の印鑑だけだったんだ……」
長男の言葉が詰まる。
私は、まだ何か言いたい事があるのだろうと察して黙って待っていた。
すると再び、長男が口を開き言った。
「あれだけ大勢の霊に頼りにされて頑張ってる親父を守んなきゃ
俺ぁ、親不孝どころじゃねぇ……人として失格だ」
「お前も……見えたのか!?」
驚いた私は長男の目の奥を見て、真剣な瞳を確認した後
全員の目の奥を、一人ひとり見た。
皆、私と目が合うごとに沈黙のままうなずいた。
「親父が意識失って倒れる時。
たくさんの霊達が……透き通って触れる事さえ出来ない手のくせに
俺達より一足早く、次々手を伸ばして支えようとした。
でも……幽霊の手だから、親父が擦り抜けちまうんだよな。
その時の奴らの悲痛な表情と、それでも親父を支えようと
懸命な奴らの姿を見たら……。
倒れ込む親父を実際に支えたのは、今生きている俺達だった。
生きていれば出来る事でも死んだら出来ない。
どんなに懸命に頑張っても願っても、触れる事さえ叶わないんだ……」
長男はボロボロ泣き出した。
嫁が寄り添い、ハンカチをそっと差し出す。
「……死んじまったら、こうやってハンカチを渡す事も出来ない」
長男は涙を拭った。
「だから、俺達は生きてるんだから俺達が何とかしなけりゃな。
……そう思って」
「そうか……ありがとう、ありがとうな」
私は息子達の気持ちに感謝しつつ、心配になった。
「店の経営が苦しいんだろ? 早急に金が必要じゃないのか?」
息子達の顔が、急に暗くなった。