4.腹に据えかねる、と言います。
今さらですが、『』のところは「」とは時系列が異なります。査問会に至る理由などを補足しているつもりです。
飛び込んできたのは華奢な令嬢だった。ふわふわと揺れるストロベリーブロンドはレナ・カルロ子爵令嬢である。
「レナ…っ!」
王子が慌てて子爵令嬢に駆け寄ると衆目には晒すまい、と虚勢を張って背に庇う。すると子爵令嬢はボロボロと涙を零しながら訴えた。
「王子は、ルークは重婚だなんてそんなこと考えてません!少しだけ順番がおかしくなってるだけではありませんか!」
それは正論だ。しかし、歪みを知らない真っ当な正論は貴族の世界では通用しない。シルヴィア様は冷たく光る孔雀石の瞳で子爵令嬢を見た。こういう時のシルヴィア様は、本当にカッコイイ。
(…状況が状況ではありますが)
事情を知らない第三者が眼光鋭いシルヴィア様と、涙目の子爵令嬢をみて眉をひそめてしまうのが残念だ。
「…国王陛下の御前です。涙をみせるのは淑女としてはしたないですわ」
シルヴィア様が言外に「お涙頂戴は通じないのよ?」と含んだ。その真意を読んだのかはわからないが、子爵令嬢はキュッと唇を引き結ぶ。庇護欲を掻き立てられるような仕草に私は関心した。
(さすがはヒロイン枠、といったところでしょうか…。無意識なら両手放しで褒めてあげたいところです)
ことの成り行きを見守っていた貴族の方々から手が上がり始め、ここが「査問会」であることを思い出す。
「ラシドフ侯爵、どうぞ」
旦那様は国王陛下の意を受けて、挙手をした数人の貴族を指名した。
「殿下に質問をさせていただきたい。殿下はカルロ子爵令嬢を“妻”と呼ばれましたが、それは事実でございますか?」
「もちろんだ、ラシドフ侯爵。必要とあらば証書を持って来させよう」
王子が部下に指示する前に旦那様がそれを持って広げていた。いろいろと旦那様もすごい。
「これは大司教殿の署名ですね」
「そうだ。彼は『愛し合う者同士が引き離されるのは忍びない』と手ずから書いてくれた」
どうやら、王子はこの証書を盾にするようだ。偽物でもない限り有効な手段であることは間違いないだろう。
「…だそうです。どうですか、フランシス大司教殿」
ふむ、と聖職者のローブを身に纏う大司教様に視線が集まった。
「私は婚姻証書ではなく、婚約証書に手続きしたつもりでいたのですがねぇ…。どこで事実が歪んでしまったのやら」
のほほんとした口調ではあるがその眼光は鋭い。
「…私とルークの婚姻は、婚約にすり替わっていたというの…?」
呆然とした子爵令嬢の声がやけに大きく聞こえた。怒りで端正な顔を歪めた王子が大司教様に掴みかかろうとするのを、子爵令嬢が必死に止める。
「離せ、レナ!!謀られたのだぞ!?」
「いけません!そんなことをしたら、本当に…!」
激昂した王子はその一言で思いとどまったようだ。
(…なかなか見どころのあるヒロインですね)
王子が何の考えもなく大司教様に殴りかかっていたら、こちらとしては随分とコトを運びやすいのに。
「…では、殿下は本当に重婚まがいのことをしでかしていた、ということですね」
吐き捨てるようにシルヴィア様は言った。それは集まっている方々、すべての思いを代弁している。王子と子爵令嬢を見つめる多くの視線に剣呑な光が宿り、2人は震え上がった。
「…っ!これはお前が仕組んだことなんだろ!シルヴィア!!父上も、なぜ何も言わないのですか!大司教だって、宰相だって、いい加減この査問会がおかしいことぐらいわかるだろっっ!!!」
王子の叫びが届くことはない。
これは政治的な意味も含む「査問会」なのだ。そもそも「公爵令嬢が第二王子の“愛妾”に嫌がらせをした」という起訴内容自体がおかしい。
旦那様が密かにその陳腐な内容を「内政干渉」と変えたのは、せめて貴族の方々に納得してもらうため。
大司教様が「婚姻」を「婚約」と書き換えたのは国王陛下のお考えを以前耳にし、機転を利かせたから。
そして、その国王陛下はいつまでたっても成長しない王子にとうとう痺れを切らした。
何も知らないのは、当事者だけなのだ。
「第二王子に王の名を以って蟄居を命ずる。ほとぼりが冷めるまで、大人しくせよ」
「父上っっ!!」
最も悲痛な王子の声が謁見の間に響く。がっしりと騎士に両わきを拘束され、なにも出来ない。「父上!」と呼びかける王子の声が扉の奥に消えたとき旦那様が宣言した。
「…それでは、査問会を解散いたします」
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『ソフィ、お許しがでたみたい』
と、寝起きのよろしくないシルヴィア様は難しい顔をして一通の手紙とにらめっこをしていた。朝が極端に弱いシルヴィア様は、私が起こしにかかってもなかなか目覚めてはくれない。だというのに、起きているのはなぜか。
…うっすらと目元に残る隈から、昨夜は一睡もしていっしゃらないことが見て取れる。
『国王陛下もお力を貸してくれるそうよ。…やるなら徹底的に、ですって』
ニヤッと不敵に浮かぶ笑みは相変わらずだ。
『国王陛下も容赦のないお方ですね。…モーニングティーをお持ちしましょうか?』
『…残念だけど、気分じゃない…』
ふわぁあ、とシルヴィア様は公爵家の令嬢らしからぬ大きな欠伸をした。、
『…リストアップ、終わってるー?』
『はい。昼餐の折にでも目を通していただけたらと』
『ん…。わかったー…。…おやすみ』
ぼすん、とシルヴィア様はベッドに倒れこむ。昼過ぎまでは目覚めないことを他の使用人たちに伝えておかなくては。
…その前に。
『先程からテラスにおられる、そこの方。我が公爵邸に潜入なさるならもう少し腕を上げてからにしていただきませんと』
少し大きめの声で呼びかけながら外に出る。ここ以外の扉はきちんと鍵がかかっていることを確認済みだ。
『…シルヴィア様に害をなす者ですか?』
低く呟いたその言葉と同時に私は短剣を二本抜き放つ。それを双剣のようにして速い斬撃を相手に浴びせた。
(…ちっ)
『これはなかなかの腕前…。是非ともうちに一人欲しいな』
いつの間に手にしていたのか、相手も短剣を構えている。闇に紛れる黒いフードで全容は見えないが、声や剣さばきで男だとわかった。
『…こちらの質問に答えてください』
『怪しい者じゃない。シルヴィア嬢にちょっと所用があっ、て!?』
私は無言で男に蹴りを入れる。『ぐっ…』と呻きながら男はテラスを転がった。
(そういう人に限って怪しいのです。…不意打ちも戦略の一つですからね?)
足蹴にしたまま、にっこりと笑うと男は観念したようだ。
『…ある方の意思で俺は動いている。言っておくが、シルヴィア嬢のやろとしてる“風通し”には全く引っかかっていない』
『そうですか。…ある方、とは?』
『…さぁ』
(…言えない主人、ということですか)
『わかりました。今回は特別に見逃しましょう。ですが、寝室で会うことは止めてください』
なんて言ったって、シルヴィア様の純潔が疑われてしまう。公爵家にはそんな噂を広める使用人はいないが、万が一もあり得る。
『…了解した』
男の返答を聞いて、私はすぐにでも立ち去ろうと踵を返す。だがそれは叶わなかった。
『あんたさぁ、強いよね?俺が見てきた女で一番だ。うちで一緒に…どう?』
『私の主人は公爵家、ひいてはシルヴィア様です。…もう一度蹴られたいですか?』
『あんたみたいなのに蹴られるなら本望だよ』
ではお言葉に甘えて、と構えると『嘘だよ!』と悲鳴が上がる。世の中と言わず日本にいた頃もこんな男がいたなと半ば呆れてしまう。それは図らずも万国共通、ということだろうか。
遠くで『ソフィー?』と呼ぶ同僚の声が聞こえる。そういえば、使わなかったティーセットをそのままにしていた…。
『では私は仕事がありますので』
先程の反省を活かして、ダッシュでその場を離れた。走りながらちらりと後ろを伺うと、もう男の姿はなかった。
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