2.飛んで火に入る夏の虫、と言います。
第二王子と婚約したシルヴィア様は私の知らない所で『悪役令嬢』だった。お屋敷にいるときはいつものシルヴィア様に変わりはない。だが、お屋敷にどなたかのご令嬢がいらっしゃると『傲慢』で『高飛車』で『尊大』な人になってしまうのだ。
これはいけない。…このままではシルヴィア様が『バットエンド』ルートへ進まれてしまう。乙女ゲームの中において、最も忌避すべきルートはそれなのに。
乙女ゲームでいうところ、ヒロイン枠はレナ・カルロという子爵令嬢。ストロベリーブロンドの髪と空色の瞳をしており、見るからに“ヒロイン”という可愛らしい感じだそうだ。
そして我らがシルヴィア様は悪役令嬢。黒髪と孔雀石色の瞳で、非常に華のある顔立ちである。…見方を変えれば冷酷にも見えるらしい。
(あぁ…。どうしましょう…。顔立ちは遺伝だから致し方ないとして、シルヴィア様には悪役令嬢たる要素に満ち満ちている…)
ひとつ、王族に次ぐ身分と血統であること。
ひとつ、公爵令嬢が故に手足となり得る人が多すぎること。
ひとつ、勘違いされやすい言動が多々あること。(ここ重要!)
ひとつ、シルヴィア様らと子爵令嬢の衝突が多数の人に目撃されていること。
ひとつ、…。
考えれば考えるほど、当てはまる部分の方が多い。
そして、今日も…。
「シルヴィア様、しっかりなさってくださいませ」
「あのような子爵令嬢ごときに、殿下はなびきませんわ」
「美しさはシルヴィア様のほうが…」
押しかけてきた数多のご令嬢たちでお屋敷のサロンは一杯である。肘掛けにしなだれかかりながら、頭を抱えるシルヴィア様の色気のまぁすごいこと。同性であるはずのご令嬢たちも頬を染めている。
「…気にかけてくれてありがとう。私は平気ですわ」
顔色は芳しくなく、その孔雀石の瞳は憂いを帯びでいる。
( これって、奥様が旦那様に強請るときの表情では…)
奥様はとても素直で、旦那様を前にするとさらに拍車がかかる。全体的にふんわりとした貴婦人だ。旦那様にはとても甘え上手で、見ているこちらが恥ずかしくなる。
「シルヴィア様、王宮からのお呼び出しでございます」
ご令嬢たちに囲まれるシルヴィア様の側へ行き、恭しく差し出す。いつ言うべきか迷っていたのだが、シルヴィア様の顔に引きつった笑みが見え始めたところでそれを渡した。
デキる侍女は主人の如何なるサインも見逃してはならない。父の“心得”第十五条である。
(これは元日本人特有の『雰囲気察知能力』のお陰ですけど)
「まぁ…。すぐにお伺いします、と伝えて頂戴」
「畏まりました」
シルヴィア様の孔雀石の瞳がキラリと光ったのは私の気のせいではないだろう。
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『決めた、私は悪役になるわ!』
婚約を旦那様から聞かされた後。就寝の準備を終えたシルヴィア様は清々しい笑顔でそう言った。これって悪巧みするときの旦那様の笑顔にそっくりだと思う。
『聞いて驚かないでね?巷では主人公たちを幸せにするために“悪役”或いは“障害となる人物”がいるの。…それって、私みたいじゃない??』
『話が読めないのですが…』
『バカ王子───いえ、ルーク殿下には憎からず想う令嬢がいるらしいのよ』
バカ王子、と聞こえたのは気のせいだ。そう、気のせい。
『私はバカ────…ルーク殿下と結婚したくない。ルーク殿下も私とじゃなくてその令嬢と結ばれたいはず。…どうかしら、この利害の一致』
乙女ゲームの悪役令嬢が『彼の方を奪うなんて許せない、あの女が消えないとわたくしは彼の方とは結ばれないわ!』と悲壮な決意を固めるのならわかる。その光景なら何度も悪役ルートでプレイし、見たことがあるのだから。
だが、こんなにも嬉々として「悪役になるわ!」と宣言したスチルは見たことがない…。
『利害云々よりも、シンディーが被害を被るのでは?』
『その辺は上手くやるつもりなの。私が手を下さなくてもいいような状況を作るか、最後に私が黒幕だとルーク殿下にわかるように仕組むか…。あ、そうだ。色々なお友達も誘ってみようかしら?そろそろ風通ししろ、ってお父様にも言われたし。…どうしましょう、とても楽しみ!!』
その色々なお友達と風通しが気になるところだ。意味がわからないでもないが。
『…旦那様はきっとシンディーが傷つけばたとえどんな相手であろうと容赦しないと思います』
愛する奥様との大切なお子様だ。旦那様が目に入れても痛くないほど溺愛していることをシルヴィア様は知らない。シルヴィア様の兄君、つまりは公爵家次期当主にはアメとムチでビシバシ教育しているらしいが。
『確かにね…。でも公爵家が潰れない限り、私には“公爵令嬢”の肩書きがあるんだもの。こういうときこそネームバリューを最大限活用してあげないと、ご先祖様だって浮かばれないでしょ?』
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王宮の大きな謁見の間にシルヴィア様は呼び出された。それは他国の使者を迎える際にも使われるもので、何故か多数の貴族が集まっている。
「シルヴィア・フォード。お呼びと伺い参上致しました」
「…うむ、ご苦労である」
優雅な一礼をして見せたのは言うまでもない。指先まで洗練された仕草には気品がある。他人の目を惹き付ける方法を心得ているからこその芸当だ。
(…流石です、シルヴィア様)
うちのお嬢様は凄いでしょう、と鼻が高くなってしまうのは仕方がない。後方でその凛とした背中を見つめながらシルヴィア様の指示通りに動く。
その時、バァン!と大きな扉を蹴破るようにして入ってきた人物がいた。金髪碧眼でまさに物語から出てきた王子様のようなひとである。彼はその青い瞳を怒りで染め上げていた。
「シルヴィア!!」
この謁見の間で、シルヴィア様は天下の公爵令嬢である。呼び捨てにできる人は王族ぐらいだ。そして現に、この人物は王族であった。
「…落ち着け、ルーク。お前がそんな調子では何も進まない」
全てを見下ろす上座でどっしりと構えるのはこの国を統べる王。壮年の王は憤慨する王子を宥めた。
「ですが!!」
「落ち着け」
静かな命令に渋々ながらも従うと今度はシルヴィア様を睨みつける。
「…では査問会を始めよう。議題はフォード公爵令嬢の行き過ぎた内政干渉についてである。挙手での発言を認めよう」
厳かな国王陛下の声が響き渡った。