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【短編】男の娘の天王洲アイルちゃんが東京流通センターでがんばるお話

作者: 伊藤紙幣

 山手線・浜松町駅から東京モノレールに乗り換えて三駅目、流通センター駅で降りて徒歩二分。

 東京都、太田区郊外にたたずむ東京流通センターの一階ホールは、四年に一度のすさまじい熱気につつまれていた。


『レディーース&ジェントルメーーン! 大変長らくお待たせしましたァ! 四年に一度開かれる禁忌の花園……この日、今宵限りの禁じられし裁定の場へとようこそお集まりいただきました! ここに謹んで――全国"男の娘”コンテスト決勝大会の開催を宣言いたしまーーす!』


 あけっぴろげなアナウンスと同時に、場内に割れんばかりの喝采がこだまする。しかしそのいずれも、女性アイドルに身体と魂をささげるような野太く熱い男達の声ではない。


 黄色い声援であって黄色い声援でないもの。


 そう。この場に集まった乙女達はみな、運命のいたずらか、奇遇きぐう因果いんがによって身体のみが男としてつくられてしまった、侵されざる禁断の存在――すなわち、男の娘たちなのである。


『実況はわたくし〝実況系〟男の娘、木更津きさらづマギサがお送りいたしまぁぁす! 盛り上がって参りまっっしょーーーーぃ!』


 特設ステージの上でハツラツとしたトークを振るう実況者のツインテールの弾みに負けじと、日本一の女子力を持った男の娘を決める戦いを見守るために集まった全国千人の仲間たちは熱狂的な声援を上げる。


 その誰もが審査の結果、一定基準の〝男の娘力〟を持つと認定された強者たちだ。事情を知らない者が一見すれば、ちょっぴりオタクな服装のファッションショーを目当てに集まった女の子たちにしか映らないであろうこの場所には、しかし、逆に女性の立ち入るスキのない空間が作られている。


『それでは、さっそく参加選手の紹介をさせていただきまぁす!』



『――エントリーナンバー・ワン! 今大会優勝の最有力候補! 神様は何故この人に【ピーー】を与えてしまったのか!? 関東・中部ブロック代表、天王洲アイル!」


「ぅぅ……恥ずかしぃ……」


 天井から、足下から、遥か向こうの突きあたりの壁から容赦なくライトが照らし、暗い会場の中に天王洲アイルただ一人の姿を浮かび上がらせる。


 短く切りそろえたクセのない髪の下、くるりと丸い栗色の目は恥じらいを含んで苛烈かれつなライトの前に細まる。


 薄桃色を貴重としたチェック柄のワンピースに身を包み、極限まで削られたスカートの丈と、肉付きのふくよかな太ももと、そこから下を包む黒いニーハイソックスの三段からなる流れの構成バランスは、まさしく絶対不可侵領域アヴソリュート・テラーズ・フィールドと表するにふさわしい。


 十人中、九十九人が男とは思うまい仕草と立ち姿は、ただそこに居るだけで並の少女の存在を蹂躙してしまう無慈悲ささえ漂わせている。


『ホラっ、天王洲さん、一言! 意気込みドーゾ!』


「え、ああ……ぇっと……よろしく、です」


『うきゃあああ照れてるぅぅぅぅぅかわいいいいいねええええ。ぶっちゃけお持ち帰りしたいのは私だけ?

 さてさて、続いてエントリーナンバー・ツー!

 毒も薬もお手の物! 北のゴスロリっ娘は世界を股にかける誘惑の化学パイオニア! 東北・北海道ブロック代表、匂守さきがみカルカ!』


「フフフ……やってきましたね、ついにこの日が」


 続いて折り重なる照明に映し出されたのは、黒いレースのところどころに赤のラインの入ったゴシックロリータ風の出で立ちの男の娘。


 千の歓声にひるむ様子などおくびもなく、悠然とした振る舞いで、肘まで伸びる黒いドレスグローブをまとった艶やかな指先でフリルのスカートを軽く持ち上げながら一礼してみせた。


 切れ長の瞳の下、左頬の上には泣きぼくろがあり、世界に名を轟かせる化学者という地位の凄味もあってか、わずか十四歳にしてすでに傾国の毒婦とでも言うべき色香が匂い立っている。


「愛のニトログリセリン中毒にして差し上げますわ」


『おーーっと、言葉の意味は良く分からないが、とにかくすごい自信だーーッ! でも危険物の持ち込みはやめてね!


 どんどん行きましょう、エントリーナンバー・スリー!! 

 全国的に有名な女性ロックシンガーは実は男の娘だった!? 先のワイドショーでのカミングアウトで全国のお茶の間をお茶まみれにしたメジャー歌手! 中四国・近畿ブロック代表! 《日向リオ》改め、日向リオト!』


「っしゃあ!」


 次に前に出たのは、真っ白に脱色した長髪の所々にピンクのメッシュを入れ、大きく胸のはだけたラズベリー色のキャミソールにダメージジーンズを穿き、ベルトからは銀鎖を垂らしたパンキッシュ系男の娘。


 今や国内に知らぬものも居ないといって過言ではないミリオン連発の十六歳。新鋭女性ロックシンガーが生出演したお昼の番組にて男であることを告白したのは、今大会の予選が始まる少し前のことだ。


「女子力なんてくだらねえぜ! 私の歌を聴けーッ!」


『なんとォー、早々に主旨を放棄だーーっ! 実にロック! スタッフ、スタッフゥー! 歌いだす前にマイク没収しちゃってください!


 次! エントリーナンバー・フォー!

 おしとやかな清純派!

 ご家庭に一人は欲しい男の娘界の良妻賢母! 九州・沖縄ブロック代表、浅見あさみシノ!』


「よ、よろしくお願いしますっ」 


 名前を呼ばれ、小柄なセーラー服姿の男の娘は恥ずかしさのあまり目に涙を溜めながらそそっかしい一礼をした。

 前の三人に比べれば華のある容姿も肩書きもないが、チークも塗っていないのにぷっくりと赤いほっぺたに黒のショートカット、童顔で大きな目にメガネという姿はクラスの委員長を連想させる。地味ながら親近感を覚える、女の子ですと言われて何の違和感もないという点では飛び抜けているかもしれない。


『そして本日ラストの参加選手!

 最強の刺客がはるばる海を超えてやってきた! 日本に次ぐオタクの聖地と名高い国を制し男の娘はついに本家をも平らげてしまうのか!? 昨年の男の娘コンテスト、イギリス大会覇者! 海外特待枠かいがいとくたいわく


 レナード=ネヴァー・ウィンチェスター!!』


「Hello everyone!! 準備はいいデスかー? 今夜の主役はこの私デース! 遅れずしっかり付いてきてくれないとダメだヨ! 盛り上がっていきま Show!!」


 いかにも晴れやかな舞台に慣れている口上を披露する男の娘は、背中まで伸びる白金髪に青いカチューシャを編み込み、宝石のような碧眼を宿したメイド服姿の生粋のイギリス人。


 激戦の末イギリス王者に輝き、同じように特待枠を設けている国の大会に参加しては優勝を総ナメにしている世界最強の男の娘である。会場の盛り上がりからも分かるように、彼を一目見ようとこの場にやって来た男の娘も決して少なくはない。


『以上が今年最カワの男の娘の称号をかけて戦う五人の男の娘たちだァーー!! さぁ、続いては最初の種目の発表です! 最初の種目は――こちら!』


 会場に備え付けられた巨大なスクリーンに『お料理』の三文字が並ぶ。


『最初の審査種目はお料理! シンプルゆえに女子力が発揮されやすい競技となっております!


 ここで、選手の皆様は一旦準備のため控え室へお戻りください! 健闘をお祈りしていまーーす!』










「はぁ~……もう。恥ずかしいったらないって。こんなの絶対おかしいよ」


「そんなに弱気ではだめですよ"お姉様"。気合い入れて行きましょ、気合い!」


「ううう……お姉様じゃないのにぃ……」


 天王洲アイルは控え室の大きな鏡の前でエプロンのひもを妹に結ばれながらこぼした。

 アイルの妹――兄と瓜二つな姿の天王洲エイルは、兄のおっくうな気持ちを知ってか知らずか意気揚々とした手つきでエプロンを着せると、次はメイク道具を取り出してお色直しを始めた。


「ねえエイル……。ぼくは本当に一番になれるのかな」


「んもうっ、お姉様! 昨日から何回目です? だいじょうぶですよ。お姉様は天王洲家の次男にして当代一の男の娘。それはつまり、この世界のこの瞬間において誰よりも魅力的で優れた男の娘だということを意味します! お家の名前を信じましょう」


「いや……その家が嫌だからこの大会に出てるんだけどね」


 天王洲家からなる天王洲グループは、いまやその豪名を世界に轟かせる、オタク業界の通商をたばねる有名企業群である。


 元々が大きな財閥であり、現代に至るまでは古豪とよばれた家だった。豊富な財力と人脈をかけたオタク産業参入という起死回生の事業が功を奏し、見事にアジアを支配圏に入れたのち、北米、中国をも傘下に入れ、世界中に吹きすさぶ萌えの嵐を総括する巨塔のような存在になっている。


 そんな古くから続く家にはしきたりというものがいくつか存在する。

 アイルはその中のひとつに見事にハマった、生来の被害者だった。


「やはりお気持ちは変わらないのですか」

「うん。ぼくはこのコンテストで優勝して、絶対に天王洲の家を出る。そして……れっきとした"男の子"として胸を張って生きるんだ」


 膨大な財産と家督権の相続争いが起きないように、次男以降に生まれた男を例外無く『女』として育てる。それが天王洲家始まって以来の揺るがぬ家訓のひとつだった。


 このコンテストの優勝賞品――『なんでもひとつ願いを叶える』という副賞には、オタクコンテンツの発展を押し進めたい政府の出資が絡んでいる。


 よからぬ輩とのトラブルを避けるために出家は許さないという天王洲家のスタンスも、さすがに国の勧告には従わざるをえないだろう。


「そうですか、安心しました。お姉様を手助けするために私はここにいるんですもの。いつかお兄様と呼べる日が来るまで応援いたします」


「父さんもぼくの優勝を望んでいるのかな」


「……そうですね。お姉様がもし優勝すれば天王洲家の持つ産業の特情からして、またとない宣伝になるでしょう。純利益で相応な増収になります。皮肉ですが……お姉様の家を離れたいという願いが、家のためにもなるんですよ」


「なるほどね。だからエイルのサポートを許してくれたのかな」


 悲しそうにつぶやくアイルの背を、エイルは化粧道具を置いて、椅子ごしに抱きしめた。


「お姉様の男として生きたいという気持ち、ずっと前から知っていました。ときどき男装して街へ出ていることも。あなたは普通の男の子として生きていけたら、きっと素敵な殿方です。もし――もしもお家を無事に出られても、エイルのことを忘れないでください。お姉様……」


「エイル?」


 ただの兄妹以上の感情の込められた耳元への言葉の直後、控え室の扉が勢いよく開く音で、エイルは兄の背から離れた。


「失礼しますわ!」


「あなたは……レナードさん?」


 女中の服装そのままでコンテストに望むのだろうレナードは、後ろに五人ほどの侍女を引き連れた先頭に立ち、椅子から立ち上がったアイルの目へと一直線に指をさした。


「天王洲家次男、天王洲アイルサン! おわかりいただいてるかと思いますけれど、改めて決闘の意を確認させていただきに参りましたの。

 イギリスの大企業、ウィンチェスター・ファクトリー社と日本の天王洲家は世界のオタク産業の覇権を争うライバル! わたくしとあなたの対決は、いわば自家のこれからの発展をかけた代理戦争デス! 必ず完膚なきまでに叩き潰してあげますわ! 覚悟はオーケイ?」


「ああ、うん。よろしく」


「な……なんですの? 分かってマスですか、この意味!」


「負けたら衰退ってだけでしょ。勝負って何でもそういうものじゃないか」


 家柄、こういう人のあしらい方には慣れっ娘のアイルである。不服ではあるものの覇道に生きる才能を宿しているのだ。


「SHIT!! 無自覚な人デスネ! 今に見てなサイませ! その余裕、ケン・シムラがチョースケ・イカリヤを叩いた後の一斗缶のようにベコベコにしてさしあげマース!」


 最初から最後までにぎやかに口上を叩いたレナードはお供を引き連れてアイルの控え室を後にしていく。

 そんな様子を廊下の影から盗み見ていた影――浅見シノは、拳を強く握り、ステージへと向かった。








『さァーーそれでは行ってみましょう、第一種目はお料理! ルールは至ってシンプル。こちらの用意した多様な食材の中から自分がもっとも得意とする料理を制限時間三十分の内に完成させて、審査員に味わっていただきます! 審査員は美食系〝男の娘〟の神宮ミルトさん、出雲ルルナさん、比良坂ひらさかアカネさんが担当いたします!』


「ども~」


「どもども~感」


「……」


『なお、採点に関しましては例年通り非公開加点式とさせていただきます! 最終ステージを終えた後に得点・順位が発表されますので、スリリングに全力投球しちゃってください。それでは準備はいいですね? スタートです!』



「フフフ腐……料理なんて簡単ね。完璧に計量した調味料。

 それぞれを口に入れやすい体積に切り分けた具材をコンマ0,1秒単位の火加減で調節。最後に鍋の中にグルタミン酸、イノシン、グアニル……キサンチル……コハク酸の粉末を入れて、あと6分30秒01で完成です」


『やっぱりね! 知ってた! 知ってました! カルカさん、ケミカルの力は審査員の身体に差し支えない範囲でお願いしますね!』


「あ~……これでいいんだっけ? あと何入れりゃあいいんだ。まぁいいや、あと選択できるもん全部入れてみっか」


『リオトさんはさすがに豪快だ! でもカレーに鯛はなかなか強気ですね! なにより骨抜きどころか包丁も入れないところが最高にロック!』


「なんで? タイカレーとかよくあるじゃん」


『いやいやいやいや、コレ私だけでツッコミ間に合うんすかー!?』


「Oh.ニッポンの男の娘は野蛮デスネー? イギリスの娘はもっとおしとやかで控えめデスヨ」


『おっと、レナードさんはオーブンで焼き上げた大きなパイ状のものを等間隔で切り分けていますが、これは……?』


「イギリスの家庭料理『コテージパイ』デース! サクッとしたパイ生地の中には豚肉、ポテトをミートソースで包んでありまス! とってもジューシーなのデス!」


『良い香りデース! これは高得点が期待できそうデーース! さて、今大会優勝の期待がかかる英才教育系男の娘のアイルさんは――』


 アイルはまだ料理の最中だった。

 実況には目もくれず、フライパンにかぶせてあるフタをあけて中のスープに漬かっている米の固さをうかがう。


 ちょうどよいと判断し、フタを外して強火に切り替え。水分が完全に飛んだのを確認して再度フタをして蒸らす。

 出来上がり、フタを開けると、ニンニクの香りの輪が広がり、アサリとネギの散らされたご飯がふっくらと炊きあがっていた。


『ア、アイルさん!? この途方もなくおいしそうな物質は一体!?』


「あ、えっと。パエリアです。にんにくマヨネーズのパエリア」


「パエリアだって!?」


「知っているのか、ルルナ!?」


「ああ、聞いた事がある感。スペイン・バレンシア地方に伝わる海鮮ピラフの通称だ。当地では香草などを使って香り付けするそうだが、日本人向けににんにくで香りを付けている……あの娘、やはりただ者ではない感!」


『おっと、美食の達人たちがざわめき立っているぞ!


 さぁ、ここで五人全員の料理が出揃いました! さっそく試食に行ってみましょう!』




 一作目・匂守カルカ ケミカルシチュー

「……ウン。あの。不自然なまでにおいしいけどさ」

「食べているこちら、非常に心中おだやかではない感……」

「パクパク」



 二作目・日向リオト ワイルドカレー

「あたたたた! 鯛! 鯛の骨イッタ!」

「あと辛ッ! 口から食道を通って胃まで痛くなる感!」

「パクパク」



 三作目・レナード=ネヴァー・ウィンチェスター

 コテージパイ

「んんんんおいふぃーー」

「外はサクサク、中はトロトロのミートソース感!」

「パクパク」



 四作目・天王洲アイル にんにくマヨのパエリア

「ンメーーーーーー!! ほどよいピリ辛でドンドン食べれちゃう!」

「隠し味にショウガとほんの少しのミリンも使っているもよう感!」

「パクパク」



『さぁ! ここですべての試食が終わりました! 採点は審査員にお任せいたしまして、さっそく次の種目の発表を――』


「あ、あのう……」


 横合いからの控えめな声にマギサがふと振り向くと、困り顔でたたずむセーラー服姿の男の娘。


『ッッッッ、大っ変失礼しましたァ! 審査員さん、最後に浅見シノさんの料理も召し上がってください!


 それで、シノさんは何をお作りに?』


「えっと、はい! こ、これです」


 手に持った大きめのお皿には、緑一色の菜っ葉のたば。

 かつおぶしと炒りごまを散りばめられた、ほうれん草のおひたしだった。


「うち、貧乏だから……こんな高級な食材とか見た事なくて。おばあちゃんに教えてもらったこれにしました」


「……! ムホーーっ! なんぞこれええ!!」


「なんて素朴な味! いろいろキョーレツなものを四つ食べた後の身体をやさしくリフレッシュしてくれる――実家のような安心感!」


「ハラショー」


『なんと! シンプルゆえの威力なのか!? シノさんの作品が高評価だ!

 これはアイルさん、レナードさん、シノさんが頭ひとつ抜け出た形か?

 さぁ、勢いのまま次に行ってみましょう!

 次の種目はこちらだ!』


 実況が指し示す先のスクリーンには『アイドルパフォーマンス』の文字。


『女の子と言えばアイドル! 聴衆を引きつける特技を審査させていただきまぁす!』


「うわぁ……遂にきちゃった……」


「ふふん。どうしましたネ、アイルさん? 自信がないですカ? それでも男の娘でス?」


『それではこちらは天王洲アイルさんからとなっております! 事前にお伝えしている通り、用意していただいたパフォーマンスは五分以内でお願いいたしますね!』


 アイルは肩を落とした暗い表情で実況からマイクを受け取り、電源を入れた――次の瞬間だった。



『みんなーーっ☆ おまたせいたしましたーーっ! 昨日嫌なことがあった君も、今日良い事があった君も、今日はもっともっとハッピーになって帰るまで離さないんだから! いっしょうけんめい歌うので聴いてくださいっ。元気に行きます! オリジナル曲「ライド・オン・ラヴ」!』



 はつらつとした顔での完璧なトーキングに一瞬会場が黙ったものの、すぐにアイルのかわいさに射止められた男の娘たちが歓声を上げ始めた。



 天王洲エイル作詞・作曲の五分間の歌とダンスは大盛り上がりの内に終わり、会場の裏手に引っ込んで袖で汗を拭ったアイルは、


「…………ぁぁぁぁぁぁぁ! ああああ!! のわぁぁぁびびびび」


「いけない! いつもの発作だわ! スタッフさん、お姉様にありったけの酸素を!」


「ほ、発作? 大丈夫なんです!?」


「はい、落ち着かせればだいじょうぶです。お姉様は物心つく前から女の子のたしなみやカリスマ性を叩き込まれていますから、マイクなどを持つと自然と秘めたるアイドル性が解放されます。そのかわり反動で膨大な自己嫌悪が発生し、最悪の場合、死に至るのです」


「怖っ!」


 結局その時は緊急の点滴と酸素スプレー缶、四本分で一命を取り留めたという。



 アイルが生死の境をさまよっている間にパフォーマンスの部門は終わっていた。


 匂守カルカは薬学ポエムで会場の観客という観客の頭すべてに疑問符を浮かばせた。レナードは海外から有名バイオリニストを召還して協奏、リオトは言うに及ばずマイク一本で場を盛大に沸かせたそうだ。


 浅見シノは吹奏楽でつちかったクラリネットの演奏をやりきったそうだ。上手さはなかったものの、必死に演奏する姿が観客の心を打ち、大きな拍手で幕を飾ったらしい。



『さぁ、いよいよラスト一種目となりました! 現在誰がトップかはわかりませんが、例年無いほどに白熱した戦いと言って過言ではないでしょう!  審査員も苦慮必死! そこで今年は――最後はこんな種目になりました! どうぞっ』


 スクリーンに映し出された最後の種目。

 その中身に、出場者だけでなく、観客も戦慄する。


「なん……だと……!?」


「うそ……こんなことがあって許されるの?」


『今年の最終種目は〝水着審査〟です! こちらで用意させていただいた水着を選択してもらい、五回ほど着回していただきまして、会場に張り巡らされたランウェイを歩いていただきます!』


「ちょ、ちょっとお待ちくださいませ! 例年ならファッションショーのはずでしょう!? なんで今年に限ってこんな……」


「それにだぜ!? 水着審査ってお前、……ええ……? ええっ!?」


 異議を申し立てるカルカとリオトは顔を真っ赤にし、自分が女物の水着を来た姿を想像して震え上がっていた。


 ファッションショーならまだしも、水着では身体的な特徴を隠しようが無い。それが意味するところをアイルもレナードも、そしてシノも理解していた。


『ええ、例年になくハイレベルな戦いですので、ファッションショーでは勝負がつかないだろうとの審査員の見解です! グヘヘへ……』


「今の卑劣な笑いはなんですの!?」


「じょっ、冗談じゃあねえぜ! あたしは辞退するからな!」


「私もですわ! こんなの男の娘への冒涜です!」


『ああっと、ここでお二人が棄権か!? たしかに無理もありません、男の娘における水着など常識的に考えれば禁忌的な所行! あとのお三方は継続でよろしいですか!?』


「も、もちろんです! ここまで来たんだから!」


「オフコースデース! ワタシのbudyで日本中をメロメロにして差し上げマース!」


「…………。」


『シノさんはいかに?』


「……やります! やらせてください!」


『オーケィ! 継戦の意志ある三名に盛大な拍手を! それでは楽屋に用意しております、水着の中から五つをチョイスして準備をしてください! 健闘をお祈りしています』




「大丈夫なのですか、お姉様! アイドルになっただけであれだけのダメージを負ったというのに……水着だなんて!」


「うん……覚悟は決めてるよ。タダで天王洲家を出れるなんて思ってないさ」


 控え室に置いてあった水着から五つを選出し、アイルとエイルは再びステージへと向かっていた。

 その途中、廊下の曲がり角から聞こえてくる声に、アイルは足を止めた。


「あなたも棄権したらどうデス? 運良く残ってるみたいデスけれど。ここから先は間違いなく天王洲さんと私の対決になりますヨ?」


「…………。」




「あれは……」

「レナードと、浅見シノさんだね」




「わたくしが欲しいのはただひとつ、優勝の名誉デス。少しのお金が欲しいというならさっきのお二人みたいに恵んであげなくもないですわよ」


「っ!? どういうことですか、それ!?」


「言葉通りデスヨ。あのお二人――カルカサンとリオトサンは、それぞれ研究施設の拡充と、世界中を回るライブツアーが夢だったみたいですからネ。少しのお金をめぐんであげまシテ、次の種目が水着審査でなくても折れてもらう予定でしたのヨ。すべては私と――アイルさんの一騎打ちのために」


「……そうだったんですか」


「アナタの願いは何ですカ? 見たところあまりお金のある家ではないようデスね、やはりお金デスか? それなら――」


「残念ですけど……拒否させてもらいます」


「What!? もしかしてアナタも優勝という肩書きが欲しいのデスか!?」


「いいえ。私は、好きな人に振り向いてもらうために――本当の女の娘になるために来たんです!」


「何ですっテ……!? アナタ、それでも男の娘ですカ!? 男の娘としての矜持はないのですカ!」


「プライドなんて関係ありません! 外国へ行って、手術を受けて、戸籍も女の子になって、好きな人に愛してもらえる存在に生まれ変わること。それが私の願いですっ。少しのお金なんかじゃあ足りませんし、その権利はお金では買えません!」


「……ナルホド。あくまで大会の優勝をしなければいけないというワケですカ。仕方ありません……受けて差し上げまス!」



「……お姉様。なんだかあの子って」


「うん。ぼくのお願いとよく似てる……。でも、ぼくにだって負けられない理由がある」


「そうですね。頑張りましょう、お姉様!」






『さぁ、時刻は夜の七時ジャスト! 最終種目となりました! この審査員は観客皆様です! 皆様一人一人が良いと思った人に投票してもらい、それがそのままポイントとして加算されるシステムとなっております! それでは行ってみましょう! 第三種目、水着審査です! イッツァ・ショウタイム! Here we GO!!』


 実況の煽りと共に、会場に設けられた特大のスピーカーがキャッチーな重低音を放ち、天井のミラーボールと壁面からのレーザービームが光を躍らせる。


 そして出てきた三人の水着姿に、観客から嬌声じみた声が上がる。いずれもキワどい――実にキワどいビキニ姿を選んでいたからだ。


 特に浅見シノはその傾向が強かった。必要最低限度まで布のない水着を選び――何かの拍子にナニかがこぼれ落ちてしまうのではないか、という不安と期待を抱かせる余り、観衆の目は釘付けになった。


 水着、サングラス、帽子、上着、歩き方など、手を変え品を変えて三人はランウェイを歩いていく。


 ここでも水着のチョイスと歩調にはやはりアイルに一日の長があった。


 伊達に英才教育を受けていないと言わんばかりに、男の娘としてすべての潜在能力が解放されているアイルは目の合う観客すべてに誘惑するような視線と仕草をばらまいていく。


 まるで今日が女として生きてきた最後の日とばかりに気力を振るうアイルを舞台袖から見守るエイルは、思わず握りしめた手にこめる祈りを強めた。


 レナードもほぼ同等の立ち回りをみせている。技術的に見てこの二人の一騎打ちになっていることを観客も薄々と勘付いていた。


 そして、事が起きたのは四巡目だった。


「う……うう……っ」


 それまで普通に歩いていた浅見シノの歩調が鈍った。

 よく見ていれば、しばらく前から目に涙を溜め込んでいるのが分かっただろう。ついに足を止めて、膝を折った。


「っ!? シノさん!」


 前を歩いていたアイルが振り返ってシノに走り寄る。


「やめて――こないでくださいっ!」


 必死の涙声にアイルは足を止めた。何かトラブルでもあったのかと観衆達がざわめき出す。


「私は……がんばらなくちゃいけないんだ……いけない――のに……!」


 足が震えて動かない。

 浅見シノは限界だった。

 生まれた時から、心の底から女の精神である彼が、今、この舞台に立つ事で感じている羞恥心を誰が推し計れるだろうか。

 このままでは二人に勝てない、などというつまらないことで涙をこぼすのではない。否が応でも自分は『男の娘』なのだという現実を身体的に叩きつけられている今、この瞬間が。


 ここまでの積み重ねが。

 あまりにつらすぎた。


「――つらいよね。分かるよ」


「えっ……?」


 アイルは挫けたままのシノに投げかける。


「ぼくもこれからの生き方を勝ち取るためにここにいるんだ。誰にも負けたくない――そして、君にも負けてほしくない」


「アイル……さん」


 アイルの優しいまっすぐな瞳に、シノはいつの日か出会った一人の男の子を思い出した。

 たった一瞬だけ。たった一度だけ話をしただけの彼。名前も知らない彼。

 上京した時に出会った彼に恋い焦がれて、自分は今、ここにいる。

 彼にもう一度出会えたら胸を張って告白するために。

 自分は女になるのだと決めたんだ。


「…………っ!」


 震えの止まらない足で。身体で。

 彼は――彼女はもう一度だけ立ち上がった。








 山手線・浜松町駅から東京モノレールに乗り換えて三駅目、流通センター駅で降りて徒歩二分。

 東京都、太田区郊外にたたずむ東京流通センター一階ホールは、四年に一度の静寂と緊張に包まれていた。



『――お待たせいたしました。採点が出揃いましたので……これより、審査結果を発表いたします!』

 実況の煽りに、しかし、声を上げるものはいない。

 今年一年の日本において最高の男の娘が決まる瞬間を、集まった男の娘たちは固唾を飲んで見守っている。


『2020年度、栄えある全国男の娘コンテストに輝いたのは――』










『獲得評点・1406ポイント!

 関東・中部ブロック代表!

 天王洲アイルさんです――おめでとうございます!』




 直後、歓声と喝采とが会場を包み込んだ。


「……はは、……やった……。うぅぅうぐ……!」


「いけない! 発作が! お姉様、すぐに治療を――」


 舞台袖から医療スタッフを従えて飛び出しかけたエイルだったが、アイルはそちらに向けて手を振るって「来るな!」と表した。


 胸を押さえて額には大粒の汗が浮かんでいるにも関わらず、目には強い意志が宿っている。何か意図があるのだろうと悟り、エイルはうなずいて後ろに下がった。





『続いて二位の発表です! 獲得票点1258ポイント! 今年の第二位に輝いたのは……!

 九州・沖縄ブロック代表!

 浅見シノさんです!』



「なんですってエ!?」

 呆気に取られているシノの横でレナードが絶叫を上げた。


「一位を逃したばかりでなく……ワタシが三位!? SHIT!! 何かの間違いデス! 採点は合ってるんデスか!?」


『はい! レナードさんは獲得評点1228点、僅差で三位となっております!』


「チッ、やってられませんネ! ひどい出来レースデス! アイルさんのみならず、ワタシがそこのイモッちい娘にまで負けるはずが無いデス! セバスチャン、すぐに準備をしなさい! 本国に帰って正式に大会事務局に抗議表明を準備しマス!」


『あらーっ? ご立腹のご様子……。しかし、勝者が何を言っても負けにはならないように、敗者が何を言っても勝者にはなれません! 優勝は天王洲アイルさん、アナタです! 皆様、今一度、盛大な拍手でお祝いください!』


 再度、割れんばかりの祝福が会場を埋め尽くす。その中でスポットを浴びてキラキラと輝く笑顔を浮かべるアイルを見て、この人には敵わないな、とシノは目を閉じた。


『それではアイルさん――この大会の賞品、なんでもひとつ願いを叶える権利を行使していただきます。ずばり……あなたの願いはなんですか!?』


 観客たちが一瞬で静寂を取り戻して耳をすませる。

 そして待ち望んだアイルの言葉に、その場にいる全員が耳を疑った。


「ぼくの願いは――そこにいる浅見シノさんの願いを叶えてあげることです」






 ……ええええええええええええええええええええええええええええ!?






 一拍を置いて会場が驚愕に包まれた。

 そして、誰よりも驚いているであろうシノは呆然とした表情でアイルを見ていた。


「お姉様……」


『えええ!? 本当にいいんですか?』


「はい。ぼくよりも彼女がこの権利を受け取るに相応しいと思います」


「――待ってください! そんなの、私が認めません! そんなお情けをかけられるなんて……この上ない屈辱だってことが分からないんですか!?」


 怒声を放ったシノに、アイルはゆっくりと視線を放つ。

 ふたたび向けられたその目に、まっすぐな瞳に、シノは射すくめられた。


「情けなんかじゃありませんよ。確かにぼくが評点で一位を取りました。けれど……あなたの頑張る姿に胸を打たれた人は少なくありません。ぼくもその一人でしたし、あなたの目標へのひたむきな姿が評価されて、点でレナードさんを上回ったのも事実です。


 それに……あなたの夢とぼくの夢は似ていました。あなたを応援したくなったんです。付け加えて言うなら――」




「こんな簡単なコンテスト、何回だって優勝してやりますよ」




 限りなく自信に満ちた台詞に、会場が震えた。


『なるほど……確かにこんな強気な発言をする〝イケメン系〟男の娘に、女子力コンテストの優勝杯を贈呈するわけにはいきません。そうですね!? 皆さん!』


 粋な実況の言い回しに観客たちが喝采で応えた。

 そんな中、シノはアイルの毅然とした姿に、かつて出会った一人の男の子の影を重ねた。

 初めて上京したその日、電車の中で痴漢から自分を助けてくれた人。

 名前も聞かずに去っていってしまった人。

 一目惚れした、初恋の人。

 もしかして――それは。


『それではお聞きしましょう――浅見シノさん! あなたの願いとは!?』


「……好きな人に、愛される身体になることです!」


 アイルの目をまっすぐに見返し、シノは涙を流しながら示した。






「本当に行くんだね、シノさん」


 数日後、シノとアイルとエイルの姿は成田空港の搭乗口にあった。


「はいっ! タイで性転換手術を受けて帰ってきます。それから大会事務局を通じて戸籍改訂になるって説明を受けました」


「怖くないんですの? その……切除、じゃありませんか」


「それは……怖くないと言えば嘘ですけど。それよりもうれしさの方が大きいですよ! 私、子供の頃からずっと本当の女の子になりたかったんです。小さい頃から男のくせにっていじめられて……でも、女の子になる方法も調べれば調べるだけ貧乏なウチじゃあお金なんて出せないなって。そんな矢先に知ったのがあの大会でした。過去の優勝者の人も何人か同じ夢を叶えてるんです」


「なるほどね」


「あの……今更なんですけど、本当によかったんですか? アイルさん。あなたこそ本当の男の子になりたかったのに……」


「いいんだ。言った通り、もう一回優勝すれば済む話だし。それに……」


「それに?」


 あ、いや、なんでもないよ、とアイルは苦笑した。

 エイルはその兄の横顔を顔をほころばせてのぞき見る。


 最後の競技――水着審査を終えたとき、アイルの自己嫌悪はすでに治療で中和できる範囲を大幅に越えていた。

 あのまま誰かに権利を譲渡して、「男らしさ」の自己満足を得られなければ、五分と保たず精神が壊死を始めていただろう。そうならなかったのはシノのおかげだ。

 レナードにシノが得点で勝っていなければ、会場を味方にできず提案は成立しなかっただろう。権利を放棄するなら二位に譲られるべきという通念をおろそかにはできない。


「それじゃあ、そろそろ時間なので。お見送りに来てもらってうれしかったです!」


「うん。じゃあ、がんばってね」


「はい。あの――アイルさん」


「なに?」


「アイルさんもがんばって男の子になってくださいね! 私、アイルさんよりもずっとかわいい女の子になります! そうしたら――その……」


「え?」


「あ、あははは。ななな、なんでもないですっ。じゃあ、またお会いしましょう!」


 そう言い残し、シノはトランクケースを引いて手を振りながら搭乗口の向こうに消えた。


「お姉様、もしかしてあの人に会ったこととかあるんですか? 例えば男装して出歩いている途中とかに」


「いや……覚えがないけど。どうだろう」


「むう! だめですお姉様! お姉様がいつかお兄様になってもお姉様は私のものなんですからね!」


「はは……なんだよそれ」


 ぷんぷんと頬をふくらませる妹をなだめながら、アイルは空港を後にした。

 また妹ものかな?

 否、男の娘により男の娘のための男の娘な話。と書くと僕が男の娘になってしまう不思議。Why。


 男の娘なんて書いた事ないしこれから書く機会もないだろうということで、なら思い切って男の娘しか出さねーぞ! ドーン! ってやったら東京文学フリーマーケットでしか存在が許されないような局地点兵器が完成したでござるの巻。

 『男の娘』という主題とするには相当ムズカしいやつをテーマにしたことで人事ビッグベンは編集に苦慮し、当の一兵卒の僕たちはあわや小説の闇に捕われかけた始末。寝返り打ったら出来上がったけどネ。


 さんざ言われた『男の娘や百合って物語に落し込む要素として輝くものであって主題にするとやべーな』ってやつをこの身を以て味わった結果となる一作でした。

 やべーな。

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