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クオリアで説明したらアウト

 「私の見ている赤と、あなたが見ている赤は同じか?」という話があります。誰でも幼稚園の頃に疑問に思うことです。こういう疑問に対していまどき返ってくるものは、「クオリアが同じ」的なものでしょう。日本だと何とかさんのよく言ってたので10年かもうちょっと前からクオリアという言葉がそれなりに使われるようになったと思います。

 結論を先に書いておくと、何かを「クオリア」という言葉を使って説明しようとする人がいて、その人が先生や研究者だったら、その人は先生や研究者としてアウトだと思ってください。SF作品でもクオリアで説明しようとしたらアウトだと思ってもらってかまわないと思います。

 単純な話として、まず、それは「赤」とかなんとかの説明を「クオリア」という言葉に置き換えただけです。そして、クオリアとは何かの説明はありません。wikipediaに項目はありますが、あれは説明とは言いません。

 「赤」とかを「クオリア」だと言うなら、それはそもそもの疑問が「クオリアとはなにか」という疑問に後退したに過ぎません。つまり、最初の疑問を「では、私のクオリアとあなたのクオリアは同じなのか?」と書き換えただけです。質問したいであろう中身は何も変わっていないことは分かると思います。さらに言えば、「クオリアというものについてのクオリア」というのも想定可能でしょう。クオリアについてのクオリアというものはあり得ないという設定も可能ですが、どのように禁止しようとも想定可能であることに変わりはありません。これは認識やらなにやらについての無限後退を始めます。

 そして、「ではクオリアはイデア(イデー)と何が違うのか?」という疑問が出てきます。クオリアを口にする人は、「イデアとは人間が先天的に、あるいはそもそも人間に先立って存在する『本質』である」と言うかもしれません。さて、ではクオリアは? 「経験によって存在する『本質』」と言うのでしょうか? まぁ、この『本質』というところは少し私の曲解が入っていると思ってもらっても構いません。人によっては、この「先天的、あるいは先立って」と「経験によって」というところが「本質的」に違うと言うかもしれません。ですが、問題はそこではないことはあきらかです。クオリアやイデアと言った時に出てきている『本質』の方こそが問題なのですから。では、その『本質』って一体何なのでしょう? そこを答えない限り、クオリアとイデアは「本質的」に同じだとしか言えません。そうなると、議論は2500年ほど昔に遡って繰り返すだけです。


 さて、ちょっと補足を。「クオリア」と言っただけでは、アウトではありません。「クオリアとは何か?」という疑問はあって当然ですし、それを探求することも当然あるでしょう。「クオリア『で』 説明しようとしているか」と「クオリア『を』 説明しようとしているか」という違いです。両者が全く異なることは説明する必要はないでしょう。

 こちらが「そのクオリアって何なの?」と問いかけた時に、「クオリアとは脳のある種の状態、あるいは活動の状態だ」と言われれば、「ふむ、なるほど。ではそれは何なのかを探求しよう」となると思います。ですが、「クオリア」という言葉を使う人は結構そういう「状態」であるという話、あるいは「脳の話である」ということは認めない傾向があるように思います。クオリアという謎のものについての疑問を呈すると、「哲学的ゾンビ」と反射と思えるような反応が返ってきたりもします。

 もう一つ補足を。上で「無限後退」を否定的な感じで使いました。ですが、これは必ずしも否定的な意味のみで使われるわけではありません。そういう場合は別の言葉を使うのかもしれませんが。例えば、「自販機を見ている私」がいるとします。「自販機」は別に意味はありません。適当に思いついただけです。すると、「『自販機を見ている私』を見ている、あるいは認識ないし意識している私」というのも普通に意識できます。さて、これもまた「~している私」がどんどん膨らんで、どんどん入れ子になっていきます。概念的には無限に。実際の所は、人間は「多重、あるいは無限の入れ子」を認識しているかのように「誤解」しているだけなのかもしれませんが。まぁ、ここまでの話だと、「やっぱり不毛だ」と思われるかもしれません。ただ、行動の計画とか、周囲をどのように脳内にモデル化しているかという話になると、こういう考え方が俄然強みを持ちます。まぁ実際に計算機にそういうモデルをどうやって組み立てるかという話になると、「誰か天才がうまいこと考えてくれないかな」と思いますが。論理形式として書くこともできるみたいですが、その演算は結構面倒臭そう。まぁ無限後退と言っても否定的な意味だけではないということで。


 えー、実際どうなるかはわかりませんが、「宮沢弘の科学エッセイ」もある程度話が増えたので、30話あたりを目途に一旦しめようと思います。そのあとは「宮沢弘の科学エッセイ2」に続けようと思います。続くとしたらですが。


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