一般化と単純化
他愛もない話ですが。
世の中で、「これこれを一般化してみる」というような話があったりします。そういう話を聞くと、「一般化してないよなぁ」と思うことがあります。少なくない割合で、具体的にどの程度かはわかりませんが、「強引に解釈とかを押し付けてる」だけだったり。でも、「そう一般化できるのか」とうなずいている人がいるのを見ると、なんで一般化できてると思えるのかと不思議に思ったり。
科学あたりで「一般化する」という場合、ある記述やある概念が適用できる範囲を広くするという意味になります(まぁ、たぶん)。その場合、「適用できる範囲を広くする」と書いたとおり、記述や概念が扱う範囲が当然広くなります。同じ言葉を繰り返しているだけに見えると思いますが――実際そうですが――、ここ、大事なところです。
扱う範囲が広くなった場合、その記述や概念てどうなると思いますか? ご想像のとおり、記述や条件や処理とかが、それともしかしたら概念も、だいたいは面倒になります。慣れないと、そこのところに違和感を感じまくりかもしれません。でも、扱う範囲が広くなるんですから、単純に考えれば普通そうなりますわな。なので、「これこれを一般化すると」という言葉を聞いた場合、科学・工学畑の話でない限り、まず眉に唾をつけることをお勧めします。
ですが、そうやって面倒になっていくと、「え〜い、やっとれんわい」となるのもまた事実。「別の何かがあるんじゃないか?」と思うのもまた事実。そうなってしばらくすると、科学における法則とかは、突然、記述が簡潔になったりします。まぁだいたいむちゃくちゃ才能のある人か、むちゃくちゃ運のいい人の手によって。
記述が簡潔になったことで、理解も簡単になれば便利でいいんですけどね。そうなるとは限らないのが困ったところです。いくつもの法則として書かれていたことが、一つの法則や式で書けるようになったとしましょう。その一つの式って、元はいくつもの式で書かれてたことがシュッと一つになっているんです。だいたいの場合、わかりにくくなりますわな。そのため、突然その式を勉強するのではなく、その前にいくつもの式を勉強しとかないとならないという状況になります。単純になってるけど、単純になってない……
で、単純化の話。
世の中で「単純に考えてみよう」という言葉が発せられた場合、だいたいは「面倒なことは切り捨てて考える」と同じ意味ではないかと思います。
ですが、「単純に考えてみよう」と科学・工学畑の人が言った場合、だいたいは「モデルで考えてみよう」と同じ意味です。そのモデルはある法則や式かもしれませんし、いくつもの式がシュッと一つになった式かもしれませんし、統計的な特徴かもしれません。でも、それは必ずしも些末事を切り捨てるのと同じ意味ではありません。モデルで考える場合、式とかにまとまっているものとして考えるので、ある意味記号処理的には何も切り捨てていないのです。いや、切り捨てることもありますが、それは何に注目するかを明らかにしての話です。
ですので、「単純に考えてみよう」という言葉を聞いた場合も、科学・工学畑の話でない限り、まず眉に唾をつけることをお勧めします。
科学方面と一般方面(?)の距離は大きいなぁ。