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右と左

 右と左と言っても、政治とかそういうどうでもいい話ではありません。どうでもいいとか言っちゃうと曾祖父や大伯父が生きてたら怒られるかもしれんけど。はとこにも怒られるかもしれないな。


 そういう話は置いておくとして。

 エビって、背わたがありますよね。でも魚には内蔵になってます。いや背わたも内蔵ですけど。人間に限らないですけど、脳は右脳と左脳の両半球があります。そして右脳は左半身に対して支配的あり、左脳右半身に対して支配的です。また、右目の右視野は左脳に、左視野は右脳に、左目の右視野は左脳に、左視野は右脳に繋がっています(私の勘違いでなければ)。なんでこんなことになっているんでしょう?

 要は、エビから魚へのどこかで(厳密には違いますが)、首の上と下が180度捻るような変異が発生したためと考えれています。そのため、背中の方にあった内蔵が腹の方に来たとか、いろいろです。これ自体もよくわからない変異ではあります。どういう利点があったためにその後にも伝わっているのでしょうか? 謎です。

 

 あるいは、鏡に映ったあなたの像を思い描き、かつその像を頭の中で固定してください。そうしたら、あなたの体を180度回して、鏡の像と重ね合わせてみてください。その状態で、鏡に映っていたあなたの右手は、今のあなたの左手と重なっており、鏡の中のあなたの左手は、今のあなたの右手と重なっているはずです。つまり、鏡の中のあなたと、実際のあなたとは、光学異性体とか鏡像異性体とかにあたるわけです。これはどうあがこうと、あなたの右手と鏡の中のあなたの右手をすっぽり重ねることはできません。友人が言うには、異なる知性と遭遇した場合、右と左の違いを伝えるのには困難が共なうだろうと言われているそうです。あるいは、幼児の場合、親が右手を挙げると、幼児はおおむね左手を挙げます。ですが、これは次第に変化し、親が右手を挙げたら、幼児も右手を挙げるようになります。これだけで判断できるわけではありませんが、アスペルガー症候群(今は何とか症候群に含まれます)を持つ幼児の場合、その習得にかなり時間がかかるらしいです。アスペルガー症候群の方を貶めるつもりはありませんが、右と左の概念の獲得が直観に反して意外に困難である例として挙げる分にはかまわないかもしれないと思います。


 さて、 脳の話に戻ります。右半球と左半球は、基本的に、対応する箇所が対応する機能を担っています。そうすると、一つ、謎となる問題があります。というのは、基本的に言語は左半球がその機能を担っているのです。では、右半球のそこに対応する箇所は何をやっているのか? 今いちわかっていないようです。

 「神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡」〔ジュリアン・ジェインズ (著), 柴田 裕之 (訳), 2005/4.〕(原題: The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind, 2000/8/15)では、神話などにおいて「昔の人間は神の声を聞いていた」という類の話からの仮説として、かなり現代に近くなるまで、右半球の言語関係の野も機能していたのではないか、そしてその機能の結果と言えるようなものを言語的なものとして左脳が聞いていたのではないかという仮説を述べています。この仮説の妥当性はわかりません。ですが、言語に関連する右半球の野が何をしているのかが謎なのは確かです。


 そこで、仮説をもう少し進めてみましょう。

 ホフスタッターもデネットも、「意識とはフィードバックループによって構築される」というようなことを言っています。そのフィードバックループは、ただの神経の結線にすぎないのでしょうか? ただの結線にすぎないのだとしたら、ウィーナーが言ったサイバネティクスの拡張にすぎないように思います。もちろん、その段階、いわば比較的低次のフィードバックループはそういうものだと思います。ですが、空間モデリングと時間モデリングができる動物の場合、あるいはより限定的に人間の場合は、問題はそんなに簡単ではないように思います。

 自分が考えている時、とくに意識し考えている時、おおむねその考えは言葉か、それに近いものになっていると思います。もし、その言葉を観察している、一種のホムンクルスが脳に存在するとしたらどうでしょうか? そして、それができそうな箇所は、右半球での言語関係の野に相当する箇所ではないでしょうか? そしてフィードバックですから、それがまた左半球にも戻ってくる。言語あるいは言語に近いものが右脳と左脳で相互に観測し刺激する。それがホフスタッターやデネットが言っているフィードバックループなのではないかと思います。

 知性の芽生えは、ずっと原始的なものでしょう。環境を観察できるチャンネルと環境に働きかけるチャンネル、そのペアが一つあれば、極めて原始的なものであったとしてもそれは知性だと考えましょう。その積み重ねから、言語的なものの獲得と、言語の獲得とは、それぞれある程度の隔りがあるでしょう。ですが、人間が行き着いた現在における「意識的な知性」を、それで説明することは困難なように思います。脳の内部に、ある種のホムンクルスを想定する方法は危険でもありますが、右半球での言語関係の野とういう限定的なものとしては想定も可能ではないかと思います。


 もちろんこれは仮説の上の仮説であって妥当性はわかりません。ですが、ジェインズの仮説とホフスタッターとデネットの仮説を組み合わせると、可能性として検討してみたい仮説ではないかと思います。


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