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夏みかん  作者: あき
3/3

朝焼けの出来事

俺の横をあっという間に走り去っていった彼女を目で追った。

今日も赤いキャップを被り、風を切りながら走る彼女を見て思った。


俺は彼女がその足を止めているのを見たことがない。


気付けばいつも俺が先に走るのをやめて、自動販売機で飲み物を買ってベンチで彼女の走りをボーっと見ているという毎日が続いていた。


今日も例外ではない。彼女に何度か追い抜かれ俺は何かを諦める様に走るのをやめた。


俺は自動販売機でいつものトマトジュースを購入し、一気に飲み干した。

多少息の上がっている喉にねっとりとした喉越しが何とも気持ち悪い。しかしなぜかいつもこのトマトジュースを購入してしまうのはなぜなんだろう。


「ふぅ」っと息を整え、空き缶をゴミ箱に投げ捨てた。俺はかぼす池に目を走らせた。


彼女がいない。


さっきまで颯爽と走っていた彼女が消えた。


意味のわからない焦りを覚え、俺の視線はかぼす池を一周させた。

そして俺は初めて彼女の走っている姿以外の姿を見た。


彼女は芝生の上に寝転んでいた。というよりも倒れこんでいた。


彼女を発見した安堵からか、俺は近くのベンチに腰を落ち着かせた。


そして思った。この感情はなんだ。


なぜ彼女を見つけることが出来ずに焦る必要がある。

なぜ彼女を発見して安堵しなければいけない。

なぜ彼女を気にする必要がある。


彼女に特別な感情を抱いているのか。

いやそれはない。


ではせっかくの若いジョギング仲間同士仲良くしたいのか。

いやそれもない。


人と関わりを持たないようにするようなニヒルを気取るつもりもない。

人並みに恋愛はしてきたつもりだ。ゆえに今俺が彼女に対するこの感情は恋愛感情ではないと百も承知だ。


では何なのだろう。

少し、イライラする。


彼女がずっと走っていなければならない理由はないし、芝生の上に倒れこんでいてもあのハイペースで走っていたのだ、疲れて倒れこんでもおかしくないだろう。


はぁ、朝からつまらないことを考えてしまった。俺は誰に何を期待しているんだ。


やめよう。考えることも。気にすることも。

ましてや関わり合うなんて事も。


そんな時だった。静寂の中から小さな騒ぎ声が聞こえる。

騒ぎ声のするほうに目をやると、たぶん散歩していたであろうお婆ちゃんが彼女と何か話している。

お婆ちゃんは口に手を当ておろおろしているのがこの距離からもわかる。

彼女は上半身を起こしながらペコペコしている。


何かあったのだろうか。


するとお婆さんがこちらに目をやり指をさす。

彼女は必死で首を振っている。


何かに巻き込まれそうだ。

どうしよう。無性に帰りたくなってきた。


しかし、時すでに遅し。

お婆さんばっちり目が合ってしまった上に、お婆さんは手招きしながらこちらに近づいてきた。


「ちょっとちょっと、大変、大変、あの子転んで足ひねっちゃったみたいなのよ」


なんという爆弾を抱えてこちらに向かってくるんだこの人は。

ついさっきの俺の決意はなんだったんだ。

ちょっとかっこよく決めたのに台無しじゃないか。


「え、本当ですか。どうしよう…。僕に何か出来る事ありますか?」


俺も何言っちゃってるんだよ!


「そうねぇ、実は私も混乱しててこんな時どうしたらいいかわからないのよ。どうしたらいいかしら?」

「わかりました、とにかく怪我の具合を見てみましょう、自力で歩けないようでしたら救急車…あ、携帯持ってきて無いや…えーっと…あ、そうだ僕、誰か呼んで」


きましょうか?といい終える前にお婆さんは「そうね!そうね!」と言い俺の手を引きながら彼女のほうへ向かっていく。


果たして一体何がそうなのか全くわからないまま、俺はお婆さんに手を引かれながら、少女Aと記念すべき初対面を交わす事となった。


彼女は帽子を目深に被っているため、顔全体の表情はわからないが、帽子のの下からでも分かる位、足首を押さえ「ありがとうございます、でも大丈夫ですから…」と言いながら苦悶の表情を浮かべていた。

お婆さんは彼女の肩を支えながら、大丈夫?大丈夫?と声をかけているだけで結局オロオロしかしていなかった。


朝のちょっとしたご近所トラブル。

そんな中俺の頭の中は「年齢は二十歳前後ぐらいだな、思ってたより若いな…」「あ、そのスニーカー最新モデルのやつだ」「足痛そうだな…大丈夫なのかな?」「汗でうっすらとTシャツが透けて下着見えてる」と煩悩が九割九分占めていた。そしてお婆さんと一緒に口先だけで大丈夫ですか?としか声をかける事が出来なかった。


あたりはいつの間にか陽の光に照らされて明るくなってきていた。このままこの状況が続いても時間ばかりが過ぎ埒があかないことは明白だった。

とにかくこの状況を打破するために何か手を打たなければ…打たなければ俺は間違いなく今日会社に遅刻する。そう確信した俺は彼女の前に座り「少しごめんよ」といって彼女が手で押さえている方の足首を持ち、一気に靴と靴下を抜かせた。大丈夫じゃないくせに大丈夫と言い張る彼女の事だ。靴、靴下を脱がせる了解を得ていたらそれこそ手間になってしまう。少し無理やり感もあったせいか彼女は抵抗するよりも、突然走った更なる足の痛みに歯を食いしばっていた。


素人目から見ても彼女の足首は大きく赤く腫れていた。これは痛そうだ。いや絶対に痛い。

「足首動かせるか?」と聞くと彼女は首を小さく横に振った。それを見たお婆さんは「どうしようかしら」とずっとテンパっている。


「運がよければ捻挫、運が悪ければ骨にひび、最悪骨折もありえますね。とにかくこれは病院に行かないと駄目ですね。今僕たちに出来る事といえば足首を冷やしてあげる事と」

救急車を呼んであげることぐらいですかね。といい終える前に「あ、私の家すぐ近くだから氷!氷もって来るわね!」とお婆さんは立ち上がり駆け足でその場を去っていった。


どこかで見た事のある光景だと思ったら、ドラマでよくあるお見合いのシーンで「うふふ、あとはお若い二人でゆっくりとどうぞ、うふふ」といって光速でその場を去る仲人さんにそっくりだった。

いやそんな和やかな雰囲気とは全くかけ離れている状況だけど。


「え、あ、お婆さん?救急車!…呼んで欲しかったのにな…」

という声もお婆さんには聞こえていないだろう。



「はぁ…ホント、最悪」


ん、何か聞こえたぞ。

俺の心の声か?もれてしまったか?


「このくらいで大騒ぎしちゃって馬鹿みたい」


俺が幻聴を聞こえるようになった可能性と、目の前にいる彼女が今の言葉を言った可能性を比べてみれば、どちらが正しいかは歴然だ。


そしてこの女は馬鹿と言った。おそらく大騒ぎしていたのはお婆さんしかいないので、お婆さんに向けた言葉だろう。それが俺は許せなかった。


そして俺は大きく赤く膨らんだ足首に、でこピンをした。

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