別離ー逃走ー
悲哀?な短編小説です。別視点(恋人)あります。
他のサイトでも公開していました。
今日は晴天。
朝から心地の良い風が吹き、開け放たれた窓からは朗らかな陽が差し込んでいる。
絶好の引越し日和だ。
「高橋さん、次こちらのお荷物運びますねー」
「あ、お願いします!」
高橋と呼ばれた青年、幸也は声を掛けてきた作業員に軽く頭を下げ、最後の私物を詰めた段ボールに封をした。
中腰になっていた体を伸ばすと、軍手をはめた手を払いグルリと辺りを見回す。
大学入学と同時に越してきて、4年間もの間過ごしてきた部屋は今やカーテンすら取り外され入居前の状態に逆戻りしていた。
残すところ数個となった段ボールを運べば、この引越し作業も完了する。
昨日までいつも通りに暮らしていたとは思えない。
さすがはプロの仕事といったところだ。
次々と荷物を手際よく運ぶ作業員を幸也は邪魔にならぬよう部屋の隅にて眺める。
意識せず、小さく溜息がもれる。住み慣れたこの場所を離れる淋しさもあるが、幸也の心は暗く落ち込んでいた。
(……アイツ、驚くだろうな)
小さく溜息を漏らし、幸也は恋人である龍太郎を想い目を瞑った。
今日の引越しは龍太郎には告げていないのだ。
入学式で一目惚れしたという龍太郎の1年をかけた強い押しに負ける形で付き合い始めてから丸3年。
記念日でもある今日のこの日に、幸也は失踪という最悪な別れを決意した。
一朝一夕で固めた意思ではない。これは、付き合いを承諾した当初から決めていた事。
龍太郎を自分という重りから解き放つと決めていたのだ。
承諾の意を告げた時の龍太郎の子供のように無邪気に笑う顔を今でも鮮明に思い出せる。
だが、自分はその笑顔を見ながら既にこの別れの日を考えていた。その想いは幸也の胸にだけに秘め、龍太郎にはけして悟られぬようにしていた。
でもそれよりなにより、絶対に悟られぬようにしていた幸也の秘密――。
(知らなかっただろう? 龍太郎、本当は俺の方が先にお前に惚れたんだぞ)
*****
想い出すは高校の下校時に電車を待つ駅のホームで密かに見ていた龍太郎の横顔。そう、幸也は高校生の頃から龍太郎を知っていたのだ。
物陰から見つめるだなんてストーカーじみた自分を省みて、幸也は自嘲するように口元に微笑みを浮かべた。
大学が一緒になったのは偶然だ。
でもまさか見ているだけで幸せだった龍太郎と、付き合うようになるとは思ってもいなかった。それも龍太郎からの告白なんて――。
「荷物積み終わりました。忘れ物なければ、出発しましょう」
「っ!? ……分かりました。すぐ行きますので、先に降りていて下さい」
もの想いに耽っていた幸也は、急に掛けられた声に驚き肩を奮わせたものの一息つきゆっくりと作業員に言葉を返した。
瞬きをし最後にもう一度、部屋を見回す。
龍太郎との思い出が詰まった部屋。
しっかりと目に焼き付けるように、幸せだった時間を胸に刻み付けるように見遣り目を閉じた。
再び上げたその瞳に、先程まであった迷いはなかった。
潔い足取りで玄関まで向かった幸也は、語りかけるように小さく声に出し呟いた。泣き顔を見られたくなくて、本人には言えなかった言葉を。
「……お別れだ、龍太郎。大好きだよ」
嫌いになった訳じゃない。
むしろ、付き合うようになって想いはますます強くなっていた。
でもだからこそ、龍太郎を自分の縛りから解放しなければいけない。
男同士の関係に未来などないのだから――。
「お前はきっと、俺に引きづられただけなんだよ。俺さえいなければ普通の恋愛をして幸せになれる」
学生の内はいい。
でも社会にでれば、自分の存在は龍太郎の足を引っ張る事しか出来ない。
だから、決めた。
龍太郎から逃げ出す事を。
端に寄せていた靴をはくと慣れた動作で玄関の戸を閉める。
幸也は手にしていた鍵を鍵穴に差し込むと、ゆっくりと錠をかけた。
「さよなら。龍太郎」
カチリと微かな音がいやに耳に響いた。