正義の断罪者
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兄が死んだ。自殺だった。
兄の通っていた学校で『いじめ』があったらしい。こういうと、兄がいじめにあっていたようだが、兄は加害者だった。
それも相当えげつないことをしていたらしい。被害者の子を使われていない教室に呼び出しては、大きな声で威圧的に嘲笑し、財布を出させてからその場で土下座をさせた。それから男の子の頭を足蹴にしながらアプリケーションで十分ほど遊び、それに飽きてくるとスマートフォンをしまって男の子の腹に二、三回蹴りを浴びせて、苦しみもだえる被害者を嘲笑しながら、幾度も追撃を浴びせてから教室を去った。
その映像がインターネット上に流出したのが一ヶ月前のこと。それが原因で、兄は今までいじめの傍観者だったクラスメイトと教師から非人間扱いされて、そのまま高校を退学になった。情状酌量の余地なし。お母さんを泣かせてお父さんには殴られて近所の人たちには嘲笑と侮蔑を浴びせかけられた。兄の部屋には火炎瓶が投げ込まれひとたび外に出れば後ろから殴られ、小学生にまで『いじめっ子、いじめっ子』と指をさされ手を叩かれる始末。それに癇癪を起こした兄がその小学生を羽交い絞めにすると誰かが呼んだパトカーの中から数人のお回りさんが現れて、兄は警察署に連行されて二泊してから戻ってきた。その小学生の家にお母さんと謝りにいった際には『サルの親子がやってきた』などと嫌味を叩かれ『おふくろまでバカにするのか』と逆上した愚かな兄は、玄関においてあった壷をつい叩き割ってしまい謝罪を台無しにした。弁償代は八十万円だった。
そんなあれこれがあって兄は引きこもりになって、でも連日訪れる警察やら裁判所の人やら、マスコミやら、嫌がらせの人たちの所為で、引きこもっていることすらできなくなって、がんじがらめになった兄は家で首を吊った。
昼夜逆転した兄の様子を、日付が変わる前に見に来ることにしていたわたしが、それに気づいた。もう大分時間がたっていたようで、顔は青くなり黄色い鼻水を出し黒い涙を流し糞と小便を垂れ流しながらの無残な死に様。遺書らしきものには『ごめんなさい』とだけ描かれていた。
兄がそこまでになったのは一重にいじめの被害者だった藤堂宗助という人物が、いつも恐喝に使われている空き教室にカメラを隠しておいたことが原因だった。
クラスメイトから笑いものにされ暴力を受け恐喝をされ続ける藤堂は、現状からの脱出方法として、いつも恐喝が行われる空き教室にカメラを仕掛けることを思いついた。六回の施行でようやく兄が藤堂をいじめている例の動画が撮影された。それを手に藤堂は、いっそ妄執的なまでにあらゆる児童相談所に雑誌やテレビ局のマスコミ、警察、果てはインターネットなどで自分が哀れな被害者であることをアピールした。
その映像はインターネットのあちこちに拡散し、その事件は一躍有名なものとなった。そして胸糞悪いいじめ恐喝を行った兄は『唾棄すべき加害者』ということで侮蔑と嘲笑と断罪の対象となり、学校側が兄の退学という極めて妥当な判断をするところに繋がった。
ここまでの経緯を、藤堂は勝利宣言と共に、アングラなネット掲示板に書き込んだ。反響は『よくやった』『DQNざまあ』『当然の報い』『加賀山× 一(兄の名前)は首を吊って詫びるべき』などというものだったらしい。藤堂がさらに『家族から慰謝料とか取れないかな?』と書き込んだところ、ネットの自称知識人たちがこぞって回答した。
『きちんと証拠もあるしできるよ。前に階段から落とされたんだって? じゃあ殺人未遂の金額を取れるはず』
大勢のネットユーザーによるレクチャーと、藤堂自身の執念の働きかけによって、事態は国が動くまでに発展した。優秀な弁護士を獲得した藤堂はわたしたち一家に多額の慰謝料を迫ってきている。母はノイローゼで倒れ父は家に寄り付かなくなり、わたしは学校で居場所がなくなり友達も全部なくして、授業中はゴミが飛んでくるようになった。兄は後悔の念で首を吊るにまで至ったが、それによって慰謝料を迫る追求の手が休められることも当然なかった。兄の葬式が開かれる日となっても、マスコミは家に押しかけ続けた。
あの遺書に書かれた『ごめんなさい』がなんだったのか。わたしにはそれが分からない。それが順当に被害者である藤堂に対するものと解釈されれば、裁判で『加害者は反省していた』ということの証拠品にもなるらしい。そう考えたからこそ兄はあんなものを残したのだろうか。
いや。そんなところまで考えて行動できるような兄ではなかった。もしそうだとすればあんなことは起こらなかった。責任感が強く家族には優しかったけれど、平凡の範疇の中で短慮で年齢相応に愚かなところも確かにあった兄。
「おい。来てるぜ。藤堂の奴」
葬式に来ていた兄のもとクラスメイト達がささやくようにしてそう言った。その視線の先には件のいじめられっ子の藤堂が体を丸めていた。太った頬に、どこか力のない瞳。大きいばかりで愚鈍そうな体を小さなパイプ椅子に抱え込んでいる。
「絶対こないと思ってた。今日は休むとばかり」
「いやおかしくないだろう。あいつが自殺に追い込んだようなもんだ。敵の屍を見に来たってことも……」
「いやなこと言うな。ま、否定できないけどよ」
わたしはたまらなくなって藤堂のところに駆け寄った。会場にいた人たちの視線が集中する。
こちらを覗き込む藤堂は、意外な程澄んだ瞳を持っていた。
「あの」
上手く言葉が出てこなかった。出てくるはずなどなかった。けれど言いたいことはたくさんあって、さんざんどもって、舌を噛みそうになって、顔を赤くしてわたしはとうとう大きな声でこう吐き出した。
「まだ満足しませんか?」
会場が騒然となる。駆けつけていたマスコミの一人が、歓喜の表情を浮かべてマイクとカメラを持ってこちらにスキップしてきた。藤堂は鬱陶しそうに一瞥して手でそれを制する。それから鈍い動きでこちらに視線を向けて、言った。
「外で話そう」
のそのそと立ち上がる藤堂。わたしはそれに付いていくことにした。「おい、待て」静止するお父さんに、わたしは「いいからそこにいて」と声を荒げる。自分が父にこんな口を聞けたのかと、酷く新鮮な気持ちになった。
人目をはばかるようにして、藤堂がわたしを連れてきたのは近所のホテルだった。わたしはそのピンク色の部屋のベットに腰掛けて藤堂に言う。
「どういうことなの?」
藤堂は首を振る。そして蚊のなくような声で言う。
「どうもこうもない」
下卑た声ではなかった。親に言い訳をする小さな子供のような、どこか純朴な、しかし聞き苦しい声。
「ぼくとしてくれよ。そうしたら君の家族をつぶすのをやめてあげるから」
その言葉を聞いて、わたしは妙に納得したような気分にもなった。ここで思いっきり、目の前の男を大きな声で嘲り笑ってやろうかとそう思う。けれどわたしは、そうはせずに問いかけた。
「そうするのはどうして?」
「ぼくの見てくれで分かるだろう?」
「そういうことだとは思えない。ひょっとして、わたしがお兄ちゃんの妹だから?」
藤堂は何も答えない。ただ伏せた瞳は何よりも雄弁だった。この男は兄から何もかもを奪うつもりなのだ。社会的に抹殺するだけに飽き足らず、その命を奪っても満足せず。わたし達家族の尊厳まで奪おうとする。妹のわたしが犯されると知ったら、確かに兄は発狂しただろう。
「でもどうしておにいちゃんなの?」
わたしは問う。
「兄から聞いたわ。お兄ちゃんは普段は追従しているだけの立場で、もっとあなたに酷いことをした人はたくさんいたはず。お兄ちゃんはあなたをいじめる末端の一人でしかなかったのに、どうして」
「たまたまあいつがカメラに写った」
藤堂は言う。そうか、わたしは思った。この男は、特定の誰かを不幸にすることを目的で、こんなことをしているのではない。
「誰でもいい。徹底的に報復をしてやらないと、ぼくはいじめられて尊厳を奪われて何もできなかったクズになるんだ。ぼくはそうなりたくなかったんだ」
ただ、この男は敗北者になりたくなかった。やられたら、やり返したい。いじめられても、ただでは済まさない強者になりたい。そのためには、相手は別に誰であってもかまわないのだろう。あのカメラに写ってしまった兄を徹底的に蹂躙することで、彼は世界中の誰から見ても一目で分かる勝利者になることができる。
藤堂の望みは、つまりそういうことなのだ。そういうことだったのだ。
「今までの会話、全部録音したよ」
わたしはそう言って自分の携帯電話を示した。
「これを使えば、あなたがしたことと同じことが、わたしにもできる」
「それは困るな」
藤堂は驚きつつも……その様子は照れたようですらあった。その表情には、どこか、安心したような様子もある。
「だったら、全部やめて。裁判からももう手を引いて。そしたらこのことは黙っていてあげるから」
「ああ。分かった」
それをきっかけに、救われたような、そんな表情だった。
それからわたし達はお互いに何も話さないままで、同じ空間にい続けた。泣いていたのはわたしだけだった。話すこともない、あるはずもない。ただ共有しなければならないことはあった。
しばらく沈黙していて、藤堂が先に部屋を出て。わたしはその後に続いた。
あの誰もいない場所であれば、藤堂はわたしから無理矢理携帯電話を奪うことができた。携帯電話奪って、復讐を継続することもできた。けれども彼は、あえてそうはしなかった。そうしなかったから、わたしは藤堂に何もしない。
わたしは携帯電話を取り出して、先ほどの藤堂とのやり取りの録音を消した。藤堂は静かな町の中に消えていく。
濡れたアスファルトの匂いがした。夕立があったらしい。
いじめなんかする奴は死ねばいいと思うよっ!