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 朝から降っていた雨は、昼頃には小雨になり放課後には止んでいた。

 先日のご隠居との対面はあんなに堂々としたものだったのに、どういった方法なのか見事に履歴を消されていた。

 つまり、私はご隠居とも諏訪とも、あの日、会っていないことになっているのだ。

 そうまでして存在を消したのは、目的のためだ。

 現当主を排斥するためには、それ相応の準備が必要なのだろう。

 傑物と言われたご隠居相手に、斗織様が太刀打ちできるはずもないが、ご隠居とて身内の恥を晒したいわけではない。

 最近、とみに前に出だした律子様の足許をすくうために私へある依頼があったのが、諏訪を下へ案内した後のことだ。

 そこから数日後、何も知らない律子様はそろそろ動き始めるのではないだろうか。


 物事は、普通、計画通りにいかないものだ。

 特に相手が人である場合、ある程度の予測は立てられても、確実に実行できるわけではないことを踏まえて計画を立てておくべきだと教えられて育ってきた。

 ある程度の余白、あるいは遊びと呼ばれる余裕をおいて、練られた計画を聞かされ、私は呆れるしかなかった。

「瑞姫、そろそろ帰るぞ」

 疾風が私に声を掛けてくる。

 迎えの車がそろそろ到着するのだろう。

 疾風の言葉に頷いて、荷物を持って車寄せへと向かう。

 そこで待っていたのは、我が家の車と、諏訪家の車であった。

「ごきげんよう、瑞姫様」

 にこやかに微笑む律子様。

(どのツラさげて来やがった!?)

 あ。瑞姫さん、ガラが悪いですよ。

 あまりにもご隠居の読み通りで笑いをこらえるのに精一杯になっていた私とは対照的に、瑞姫さんの機嫌は下降中のようだ。

 背後の疾風の機嫌もやはり下降中だ。

「お久し振りです、律子様。伊織様をお迎えに?」

 白々しくとぼけて微笑むと、会釈をして我が家の車の方へと足を向ける。

「お待ちになって? わたくし、瑞姫様をお誘いに参りましたの。ええ、ちょっとしたショッピングなんですの」

「そのようなお話は伺っておりませんが? 申し訳ございませんが、私にも予定がありますので」

 お断り路線で答えれば、車から降りた律子様が私の前に立つ。

「ほんのちょっとのお時間をいただけませんかしら? ええ、そうね。1時間ほど。わたくし、伊織しか子供がいませんでしょう? 一度、娘と買い物をしたいとずっと思っていましたの。わたくしの我儘にお付き合いいただけないかしら?」

「岡部家の者を同席させますが、よろしいでしょうか?」

 ちらりと疾風に視線を向けて、わざと言う。

「瑞姫様だけがよろしいの。女同士のお買い物をしたいの」

「お言葉ですが、疾風は私の随身です。いついかなる時も、片時も離れず傍にいると交わしております。この約定は、片方が亡くなるときまで有効です。つまり、わたしが嫁いだとしても、疾風は私と共に婚家に行くということです。ですから、ただの買い物でも傍にいるのは当たり前のことですが?」

「嫁ぎ先にも!?」

 一瞬、律子様の表情に嫌悪が浮かぶ。

「それは、問題ね。嫁ぎ先に護衛を連れて行くなんて、愛人を連れ込んだと思われましてよ?」

「異なことを仰います。私は相良の人間です。例え嫁ごうとも相良の人間であることには変わらない。相良の人間が随身を傍に置くことは、何方でも御存知のこと。それを護衛だの、愛人だのと耳を疑うような言葉が律子様から出てくるとは思いもよりませんでした」

 冷ややかに応じれば、マズイと思ったのだろう、律子様が慌てて取り繕う。

「ああ、いいえ! わたくしがそう思っているのではなくて、万が一にもそう思う方がいらっしゃるのではないかと……」

「そのような方がいらっしゃる所には嫁ぎませんので、何の心配もいりませんね」

 冷ややかな態度のまま、笑みを浮かべれば、さすがに『そのような方』に自分が該当すると理解したのだろう、目を瞠ったまま凍りつき、そうして打開策を見つけようと瞳を揺らす。

「瑞姫様! わたくし、その……」

「律子様。突然、何のお約束もなく学園まで押し掛けて、予定があると言っている人間に自分の都合の身を押し付けるのは、さすがに非礼だと思われませんか?」

 穏やかな笑顔を保ちつつ、そう告げれば、色を失くした律子様の顔色がさらに悪くなる。

 自分が迎えに行けば受け入れられると思っているあたり、我儘なお嬢様のままなのだろう。

 そのことを咎めだてするような人間が周囲にいなかったのか。

 なまじ、中途半端に有能だったから、まかり通ってしまったのかもしれない。

 嫁いだ相手が諏訪家だったのも、その要因の1つだろう。

 諏訪家は強者だ。

 衰退している今では、相良の敵ではないけれど。

 つまり、相手を見ないで喧嘩を売ればどうなるか、まったく考え付いていないということだ。

 想像力が枯渇していると、大変だな。

「それは、その……」

「それとも、諏訪家は我が相良家に何やら含みがあるとでも?」

 受けて立ちましょうと言外に匂わせれば、死人のような色合いになった。

 まあ、数年前のことを思い出せば、顔色も悪くなって当然だろう。

 分家だけが動いてあれだけのダメージを与えたわけだし、次に相良本家が動けば息の根が止まることは予想つくだろう。

 ご隠居が、この嫁のせいで諏訪が潰れるのは嫌だと言ったわけがわかったような気がした。

 息子が馬鹿だったというのなら、これは親の責任だ。

 甘んじなければならないだろう。

 ところが押しかけ女房である嫁が家を潰すのなら、赦せるわけがない。

 絆された息子に腹が立つが、それ以上に押しかけて来たのなら家を栄えることくらいやって見せろと言いたくなる。

 おまけに孫も上手に育てているとは言えない状況だし。

 どうにも斗織様の考えがわからないな。

 表面上では夫婦仲は悪いようには見えない。

 何故、当主として自分の妻を窘めないのか。

 何か考えがあるのか。

 まあ、いい。

 色々な面で派手な父親を持ってしまった斗織様としても考えがあるのだろう。

 ご隠居は越えるにはあまりにも高すぎる障害だ。

 さて、と。

 少しばかり律子様をいじめすぎたか。

 ここでとやかく言ったところで、律子様は狼狽えるのはほんの一瞬のことだ。

 完全に心を折れとというのがご隠居の要望だ。

 真正面からの真っ向勝負で撃破してやれと、無茶なことを仰るものだ。

 言われたからにはやるけれど。

「1時間」

「え?」

 私がぽんと言った言葉に、律子様は何を言われたのかわからなかったようだ。

「1時間だけ、お付き合いしましょう。ただし、私に普通の御嬢様の反応を求めないでください。望まれたような反応を返すのは無理ですから」

 まあ、1時間も付き合う気はないが。

 私にとっては律子様の息の根を止める1時間。

 律子様には起死回生を狙う1時間。

 どちらに軍配が上がるのか。

 ま、軍配は私の女紋だから私が有利に決まっている。

「え、ええ! もちろん、そんな些細なこと、気にされなくてもいいですわ。きっと、瑞姫様も気に入ってくださるに決まっていますもの」

 喜色を浮かべた律子様は、歓迎の意を表すかのように手を広げる。

「疾風」

 そんな律子様を無視する形で私は疾風を呼ぶと相良の車の方へ向かう。

「私の指示通りに動いてほしい。頼めるか?」

「もちろんだ。まずは諏訪の御大への連絡か?」

 意地の悪い笑みを浮かべた疾風が律子様には聞こえないほどの音量で囁く。

「ああ、それも頼む。それから……」

 私が出す指示に、疾風が人の悪い笑みを浮かべだす。

「わかった。楽しんで来い」

 言葉通りに受け止めていいのか、それとも裏読みすべきなのか戸惑うような言葉を投げかけた疾風が車に乗り込む。

 ドアが閉まり、相良の車が先に動き出す。

 疾風を見送った私は、律子様を振り返る。

「さあ、行きましょうか?」

 戦いに挑むような高揚感と共に、私は律子様に向かって微笑みながら声を掛けた。

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