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「諏訪の隠居が動きよったわ」

 家に帰ってすぐに御祖父様に呼ばれて開口一番がこれだった。

 『諏訪の隠居』とは、先代のことだろう。

「諏訪伊織のおじいさまが、ですか?」

 念の為、確認してみれば、そうだと頷かれる。

「……今頃、ですか?」

 もっと早くに動けば色々と良かったはずなのに。

 つまりは、動くつもりが一切なかったご隠居様が動く必要が出て来たということだ。

「……理由は2つ、ですか?」

「そうだ」

 苦笑を浮かべて御祖父様が頷く。

「明日、そのまま本社へ来れるか? 会長室へ直接通すように話をしておく」

「承知いたしました。家長命令に従いましょう」

 普通であれば諏訪家の申し出など、素気無く切って捨てる御祖父様が、ご隠居の申し出を受けるのにはわけがある。

 御隠居様が動けば、話が早かったという所以もそこにある。

 まあ、だからこそ、ご隠居様が動かなかったという理由も納得できるけれど。

 了承した私は、部屋に戻り、明日の予定変更を疾風に伝えた。




 翌日、迎えの車に乗り、相良の本社ビルへと向かう。

 到着後、迎えに出て来たのは疾風のおじいさまだった。

「ひいさま、わざわざ足をお運びいただき、申し訳もございません」

 恭しく頭を下げる岡部家の当主に、通り過ぎる人々が一瞬ぎょっとしたようにこちらを振り向いたが、私が誰だかわかったらしくそのまま行ってしまう。

 創業者の一族とはいえ、まだ未成年であるがゆえに会社とは無関係だ、会社に顔を出すこともあるだろうが無視してよいと言われているのだろう。

 でないと、大変なことになる。

 私とて、傅かれたいなどとは思ってもいない。

 仕事の邪魔になりたくはないので、無視してもらった方がちょうどいい。

「いや。時間に間に合ったつもりだが、お客様はもう到着されただろうか?」

 待ち合わせの時間はきっちり守るのが当たり前のことと教育されている身としては、そこが一番気にかかる。

「いえ、大丈夫でございますよ。疾風、おまえはここでひいさまをお待ち申し上げよ」

「承服いたしかねます!」

 家長の命に平然と疾風が楯突いた。

「疾風!」

「俺の主は瑞姫だ。いかなる時でも傍から離れるものか」

 諌めようとしたところで、意地になっている疾風が聞くわけがないことを知っている疾風のおじいさまは、厳しい表情を見せる。

「ならば、任を解こうか」

「解いたところで変わらない。俺の主は瑞姫ひとりだ」

 今日会う客人が諏訪家の人間でなければ、疾風もここまで意地を張ることはなかっただろう。

 疾風は私の傍を離れたから、事故が起こった時に私を庇いきれなかったことを今でも悔いている。

 それを知っていて、無碍に扱うことはできない。

「今回の件は、相良と諏訪の話だ。疾風は同席できない、それはわかっているな?

 甘いと思うが、確認を取る。

 ぐっと拳を握りしめた疾風が、無言で頷く。

「どんな話でも、口を挟むことは許されない」

「理解、している」

「私が戻るまで、隣室に控えて待っていろ」

「瑞姫!」

「私ができる譲歩はそこまでだ。何があろうとも、部屋から一歩たりとも出るな。そこで私を待て」

 私が疾風の手綱を握れていなければ、問答無用で引き離されることをわかっている疾風は、顎を引くように頷く。

「承知」

 反駁していた表情を消し、私の譲歩に素直に応じる疾風に頷き返し、岡部の当主に向き直る。

「未だに周囲がきな臭いので、連れて行きたいのだが、良いだろうか?」

「確かに。話は聞き及んでおります。本社内で何事が起きるものかと断言することもできますまい。疾風、ひいさまをしっかとお守りせよ」

「無論」

 実の祖父を睨みつけるように頷く疾風。

 さすがにそれは態度が悪いと思うのだが。

 疾風はおばあちゃんっこだが、おじいさまと仲が悪いわけでもないはずなのだが、何でだろう。

 今、聞くべきことでもないしな。

 意識を切り替え、案内の為に先に立つ岡部家の当主の後に続いた。


 本社ビルの最上階は社員食堂が入っている。

 その下は、プレゼンや会議に使うための部屋。

 勿論、その部署ごとに各階に会議室は用意されているが、大きな会議をするときの為にそういった部屋が用意されているのだそうだ。

 社長や会長、他の役員たちのための部屋は、ビルの中腹あたりにある。

 秘書課の人たちが動きやすいようにあまり高いところはやめた方がいいのではないだろうかということらしい。

 それがどういう意味なのか、秘書の仕事をよく理解していない私にはわからないが、他の部署と連携を取るために必要な処置なのだろうか。

 同じ階に総務部があるということなのだから、秘書課は総務部に属しているのだろうか。

 ちなみに、疾風のおじいさまは秘書ではなく役員の方だ。

 イメージ的にはうちの御祖父様の秘書が似合いそうだが、生憎と岡部家が経営する会社の会長でもあるので非常勤の役員なのだ。

 なので疾風がごねたら最初から自分の部屋に押し込むつもりだったようだ。

 それだと絶対に疾風は暴れると思うので、それは賛成できないけれど。

 会長室の隣にある秘書の控室に疾風は待機してもらうことになった。




 会長室に入ると、仕事をしていた御祖父様が顔を上げ、ソファに座るように促す。

「なんぞ、茶菓子でも用意させるかの?」

 ぽつんとソファに座った私を眺め、御祖父様が呟く。

「お客様が来られる前にテーブルを汚すのもなんですし」

 いやいやいや! お茶してる最中に来られたら、片付けるの見られちゃうことになりますって!

 孫に甘いという評判を立てられるのはまずいでしょう。

「アレは客とは言えん。構わんよ」

「私が構います!」

 思わず全力で拒否った私に、お茶の用意をしていた秘書の方が笑い声を響かせる。

「申し訳ございません。相変わらず仲がおよろしいので和んでしまいました」

 父様くらいの年齢のダンディという言葉が似合いそうなおじさまだ。

「爺に甘えもせん孫だがの。いいか、滝野。孫は甘えてくるから可愛いものだぞ」

 拗ねた御祖父様がご自分の秘書に訴える。

「そのくらいに、御祖父様。あんまり仰いますと、御祖母様に言いつけますよ」

「ぬ。可愛くない!」

「会長、お言葉と表情が一致しておりませんよ。ああ、お客様がお見えのようです」

 笑いを収めて指摘した滝野さんは、ノックの音に動いた。


「おお! イイ女に育ったじゃないか、瑞姫ちゃん!!」

 ドアが開くなり、聞こえた声に私は視線を泳がす。

 声の持ち主は、諏訪家先代当主だ。

 当代の斗織様とは全くと言っていいほど似ていない豪放磊落な性質の方だ。

 顔立ちは似ているので、ものすごく違和感を感じるのだ、いつも。

 勝手知ったる何とやらで、案内の方に気安く礼を言い、部屋に入ってくると定位置のように私の向かいのソファに座る。

 その後ろで、そんな祖父の姿に驚く諏訪伊織の姿があった。

「伊織! そんなところに固まらずに、早く座れ! 迷惑だろうが」

 思わず誰の迷惑なのか、突っ込みたくなってしまったが表面上の平静を保つことに成功する。

「おじいさま、御挨拶もせずに……」

「ああ? 口上なんてな、時間の無駄だ。やることだけを押さえておけばいい」

 窘めようとする諏訪をご隠居が切って捨てる。

 うん。どう見てもご隠居って言葉が似合わない方だな。

「人のところに押しかけて、口上が時間の無駄とはどういう了見かの?」

 呆れたように御祖父様がぼやく。

 実はこの2人、あまり知る方はいないが、昔馴染みで仲が良い。

 この方があの事件の時に出てきて、頭を下げたのなら、相良は強く出ることができなかっただろう。

 許さざるを得なかった状況を作ってしまっていたはずだ。

 それがわかっていたからこそ、前面に出なかったのかもしれない。

「ジジイな口調が似合うようになったなー。まあ、瑞姫ちゃんがここまで別嬪に育ったのなら、おまえがジジイになるのもあたりまえか」

 滝野さんが差し出すお茶を当たり前のように受け取りながら、軽口を叩くご隠居。

「しっかし、本当にイイ女になって。うちのがいなきゃ、後添えに迎えたいくらいだな」

「おじいさまっ!!」

 顔色を変えて声を荒げる諏訪。

「いつもながら、盛大な惚気をありがとうございます、ご隠居。亡くなられてもそうやって惚気ていただけるのなら、大刀自様も喜んでおられるでしょう」

 それこそ聞き飽きたと言いたくなる惚気を聞かされ、呆れ加減に言えば、諏訪が驚いたように私を見ている。

「いやあ、バレちゃってるわ。普通、御嬢さん方はこう言うと喜んでくれるんだけどなぁ」

 苦笑を浮かべ、首を捻るご隠居に諏訪が困ったように顔を顰めている。

 いまだ衰えることのない容貌と女性を喜ばせることを至上とする性格のため無類の女好きと誤解されやすい方だが、亡くなられた大刀自様一筋の方なのだ。

 諏訪家中興の祖と言われる方は、諏訪家の歴史において異端すぎる性格の持ち主だ。

 それゆえ、そこまで諏訪家を大きくできたと言いかえることもできるだろう。

「うちの女房がいなきゃと言われて、惚気だと気付かずに喜べるほど駆け引きに長けてはいないようです」

「ああ。そこで、うちの孫じゃなくてうちの女房と変換しちゃうあたり、強者だねぇ。誰に似たんだか」

「間違いなく、ご隠居の親友ですね」

「なんて勿体ない!」

 言いたい放題とはこのことだろう。

 御祖父様のこめかみに青筋が浮き出ている。

 諏訪は祖父同士が仲が良いということを知らなかったのだろう。

 思いもよらぬ展開に呆然としている。

「うちの孫で遊ぶな! 用がないなら追い返すぞ、諏訪の」

「冗談じゃねぇか。融通きくようできかねぇんだから」

 どこまで本気で話しているのかわからない2人は、お互い、ソファにふんぞり返る。

「さて、冗談はさておき、本題に入るかね」

 一瞬で態度を改めたご隠居は、居住まいを正し、私と御祖父様を見据えた。

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