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「瑞姫!」

 週が明け、橘が登校してきた。

 こちらへやってくる足取りは軽く、湛えた笑みも柔らかい。

 どこかほっとしたような様子は、家よりも学び舎の方が橘にとって居心地がいい場所だからかもしれない。

「瑞姫、久し振り。その前に、おはよう、か」

 近付きながら橘が両手を広げる。

 む。これは、ハグをしようというわけか。

「おはよう、誉。元気そうでよかった……うわっ!」

 ハグならば、返さなくてはと思っていたが、どうやら違ったようだ。

 ぎゅーっとぬいぐるみのように抱き締められてしまった。

 今のところ、力加減は絶妙だけれど、潰さないでください、苦しいのは苦手ですから。

「橘、長すぎる!」

 黙って見ていた疾風が、口を挟む。

「もう少し! 先週から会ってないんだ、瑞姫が足りないからチャージ中なんだ」

「私が足りないって、どういう意味なんだ……?」

 苦しくない程度にむぎゅむぎゅされながら、首を捻る。

「瑞姫は本人だから、わからないと思う」

「そうなのか?」

「そういうモノなんだ」

 よくわからないので、疾風に視線を向ける。

「疾風はわかる?」

「俺にはわからないな。そもそも、ずっと傍にいるから、瑞姫が足りないってことはまず起こらない」

「そっか」

 淡々とした口調で返されてしまった。

 いや、待てよ?

 何となくわかってるような口ぶりだったぞ。

「じゃあ、疾風とも会ってなかったから、疾風も足りないんだ? 次は疾風とハグする?」

「絶対、嫌だ!!」

 橘と疾風が異口同音で拒絶した。

 何故だ?

 こんなに息があっているのに!?

 納得いかないぞ。

「男は嫌だ。潤いがない」

 きっぱりとした口調で橘が言う。

「なるほど。確かにそれは納得できる……」

「納得されると複雑な気分だが。ごつごつしてるのよりは柔らかい方が何倍も嬉しい」

 続いて疾風も言う。

「うんうん。それは言えるな! 柔らかいと気持ちいいし」

 犬も可愛いが、ごつい犬よりもしなやかな猫を抱きしめるのは気持ちがいいものな。

 私がそう答えると、橘も疾風も複雑そうな表情で私を見た。

「絶対、何か、違うこと考えての答えだと思うけど……」

「間違いなく違うことを考えてるけど、方向性は間違ってないから怖いんだよな、瑞姫の場合」

「え?」

「……いや」

 何のことを言っているのだろうかと2人を見上げれば、2人とも私から視線を逸らす。

 そこへ、賑やかな声が響き渡った。


「ずっるーいっ!! 誉ばかりずるいぞ!!」

 在原が駆け寄ってきて橘に抗議を申し入れている。

「ああ! そうだな。私が悪かった! 在原、代わろう」

 いまだに私に抱き着いている橘を在原の方へと押しやる。

「瑞姫?」

「静稀も久し振りだったのだろう? 思い切り誉をハグするといい」

「違ぁーうっ!! ハグするなら瑞姫の方だって!! 男は嫌だ!」

 これまた先程の2人と同じことを言う。

「なるほど。同性同士が嫌なのか……」

 そう結論付けようとして、ふと思う。

「いや、待てよ? 別に同性が嫌というわけじゃないよな」

 女の子同士でハグするのはよくあることだ。

 別に嫌でも何でもない。

 勢いよく抱き着かれるのはさすがに嫌だが、そうでなければさほど問題はない。

「……そりゃあ、瑞姫は女の子だからさ」

「女の子ってよくハグしてるよね。仲の良い子達だと。あれは目の保養だな」

 微妙な表情の在原に橘が言う。

「女同士なら目に楽しいが、男同士だと視覚の暴力だよな」

 しみじみとした様子で疾風が告げる。

「なるほど。男同士だというのが問題だったんだな」

 うん、納得した。

「……瑞姫。問題解決したのはいいんだけど、何について考察してたんだ?」

 げっそりした表情で在原が問う。

「ハグする相手についてだ。3人とも『男は嫌だ』と即答してたからな」

「いや、考えなくてもわかるでしょ、それ?」

「ちなみに私の感覚だと、ある一定レベル以上は親しい相手以外は嫌だ、になるな」

 呆れたように告げる在原に対して、自分の考えを述べれば、一瞬、3人が固まった。

「ある一定レベル……? 知人とかそういう線引きかな?」

「知り合いでもハグできる人とできない人がいるってことか?」

 ぼそぼそと顔を寄せ合って相談している。

 相変わらず仲が良いな、彼らは。


 そう言えば、今日はまだ千瑛と千景の姿を見ていないな。

 そう思って視線を巡らせて、思わぬ人物と視線が合った。

「早い時間なのに賑やかだと思えば、君達でしたか」

 穏やかな表情を作ってこちらに近寄ってきたのは、大神紅蓮だった。

「しかも、廊下の真ん中でハグとは……羨ましいですね」

 にこやかな笑顔。

「誉と久々に会ったから、挨拶していたところだよ」

「ああ、そうでしたか。僕とは挨拶していただけないんですか、相良さん?」

 にこにこと人好きのする笑顔で問いかけてくる大神。

 これは、企んでいるな。

 私がどう反応するのか、読んで試すつもりなんだろう。

 時々、こうやって人の反応を試すのは、大神の悪い癖だ。

 シナリオ通りに人が動くものだと思っている。

「挨拶か」

「ええ、挨拶です」

 ここで私が『おはよう』と告げれば彼の読み通りになるんだろう。

 無視をするという選択肢もあるはずだ。

 疾風たちが乱入するということも考えられる。

 実際、じわりと疾風から不機嫌そうな感情が揺らぎ始めている。

「そうか、挨拶か」

 私に挨拶を求めるからには、それ相応の覚悟があるというわけだ。

 ならば、受けて立とうではないか。

 正面撃破が望ましい。

 大神と私ではそんなに身長差がない。

 実に好都合だ。

「瑞姫! 無茶をやらかすな!」

 大神に向かって歩き出した私に、ぎょっとしたように疾風が制止の声を掛ける。

 無茶じゃないが、やらかしますとも。

 誰でもそうだろうが、私は試されるのが好きではない。

 相手が心底後悔する方法で徹底的に打ち砕くべきだろう。

 七海さま直伝の庶民ハグを実践して見せようではないか!

 一般的に、ハグは軽く肩を抱き合いながら互いの頬を交互にくっつけあうのだそうだ。

 余程親しくない限り、キスはしないのだそうだ。

 まあ、これも、各国や地方によりけりで、どれが正しいというわけでもないようだ。

 頬にキスをするにせよ、ちゅっとリップ音を立てるのは上流界では下品とされることが多いようだ。

 確かに、マナーの授業でリップ音は立てないことと習ったし。

 ところが世界は広い。

 とあるところでは、ハグをしたときにキスではなく頬をつけるだけなのに、わざとリップ音を立てるという挨拶をする。

 何故そんなことをするのか、ちょっとばかり疑問に思ったが、昔からだからという一言で疑問は解明できなかった。

 気になるところだが、悪戯するにはこれがいいだろう。

 無表情のままで大神の前に立てば、大神が初めて戸惑うような表情を浮かべる。

「相良さん?」

 その呼びかけをまるっと無視して手を差し伸べる。

 ぎょっとした大神が、一歩、後ろへ引いた。

 それと同時に私が前に出たので、距離は変わらず。

 そのまま首の後ろへ腕を回し、大神の左頬へ私の右頬をあて、ちゅっとリップ音を立ててやれば、がちっと大神が固まった。

 調子に乗って今度は右頬へ左頬をあて、同じくリップ音を小さく響かせる。

 そのあと、すっと後ろに下がって大神を見ればまだ固まっていた。

「おーい? 大神様? 意識在りますか?」

 目の前で手を振ってみたが、大神は動かない。

「挨拶しろと言ったから、挨拶をしたのに、返さないとは失礼なやつだな」

 これを聞けば、皮肉や嫌味の1つでも言いたくなるだろう言葉を言ってみたが、やはり凍っている。

「…………疾風、これ、どうしよう?」

 振り返って疾風に相談してみたら、深々と溜息を吐かれてしまった。

「だから、無茶をやらかすなと……」

「無茶はやってないぞ。挨拶しただけだ。要求されたからな!」

 胸を張って言えば、また溜息が返ってくる。

「岡部、言っても無駄だよ。瑞姫に悪気は一片もないからね」

 諦めたかのような口調で橘が言う。

「悪気……悪戯心ならあったけど」

 正直に言っておこう。

 どうせ、言わなかったらさらに怒られるに決まっている。

「いや、瑞姫は悪くない。だけど、この手の悪戯は、相手を選ぼうね」

 小さな子に言うような口調で橘に窘められてしまった。

「相手を選ぶ……大神は駄目だったということか。誰ならいい?」

「……う~ん。難しいところだね、それは」

 苦笑する橘の表情は、確かに複雑な色合いを湛えている。

「一番の問題は岡部だから、仕方ないしね」

「疾風?」

「そ。岡部が瑞姫の傍にいたから、あんまり男に対して恐怖心や警戒心を持ち合わせてないのが問題なんだ」

「警戒心は持っているぞ」

「うん。瑞姫が考えている警戒心とは違う方面だから、この場合」

「そうか。なら、持っていないのかもしれないな」

 よくわからないが、橘がそういうのなら、そうなのかもしれない。

 頷いたところで、ようやく大神が息を吹き返した。

 顔を赤く染め、耳まで真っ赤になっている。

 そうしてそのまま座り込んでしまった。

「……参った……」

 ぼそりと告げて、膝の上に乗せた腕に顔を埋めて隠してしまう。

「この場合、おまえの自業自得だからな」

 大神と私との間に立った疾風が、大神を見下ろしてそう告げる。

「自業自得、確かに。行動が読めない相手にすべきことじゃなかったな」

 反省しきりの大神だが、何だか私が悪者になった気分だ。失敬な!

「女性に挨拶を強要したこと自体が、問題行動だよ、大神君?」

 橘も冷ややかな声音を作って大神に告げる。

 そう! そうなんだ!

 問題は、そこなんだ。

 撃破できたようだから、これ以上は気にしないでもいいかと思ったんだけど。

 そこまで親しくもないのに、自分にも挨拶しろと言うのはどうかと思うんだ。

 挨拶してほしかったら、自分から声を掛ければ相手は返すだろう。

 それだけでいいのに、何故、相手を不快にさせる方法を取るのか。

「二度目はないと思え」

 疾風がそう言うと、教室へ戻るようにと皆を促す。

「疾風、あれは?」

 とりあえず、自分がやったことなので責任は取るべきかと大神を指して問う。

「言ったろう? 自業自得だ。捨て置いていい」

「そうか。わかった」

 捨てていいのか。

 何となく釈然としないものがあるが、まあ、いいか。

 あとで千瑛にでも聞けば、教えてくれるだろう。

 そんなことを考えて、教室へと向かった。

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