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千瑛が言った、理事会の他の理事の思惑。
それは、様々だ。
理事に名を連ねる者たちの名を見て、想像できることはある。
相良を取り込みたいと思う者、そうして、島津の力を削ぎたいと思う者。
今回の場合、おそらく後者だ。
島津家は、常に中央を脅かす存在だった。
脅かす存在であって、入れ替わったことは一度たりともない。
つまり、それだけの存在でしかないというのが現実なのだが、脅威であるということも事実だ。
その力は侮れない。
つけ入る隙があるのなら、それにつけ入って力を削ごうと思うのが、この世界の醜いところだ。
いくつもスキャンダルを起こしても、それに揺らがない強さが島津にはある。
だが、島津が思ってもいないところで、楔となることがあれば彼らは容赦なくそこから喰らいつき、引き裂くつもりなのだろう。
虎視眈々と狙っていたところに、その楔を島津が己が身に打ってしまった。
ならば、従う振りして時期を見計らい、牙を磨こうと思っているのだろう。
(ま、無駄な努力よね)
あっさりとした口調で瑞姫さんが断じた。
うん、私もそう思う。
これは、相良と東條の問題だ。
他の家が介入する余地などない。
つまり、島津は墓穴を掘っただけなのだ。
(瑞姫の理解力もすごいけど、千瑛の調査力もすごいよね。理事会のメンバーまでなら私でも何とかなると思うけど、その思惑まで調べ上げるのは、流石としか言いようがないな)
白旗掲げちゃうよと告げる瑞姫さんに、私は別の意味で驚く。
相手の能力を認めるのは、ある程度のことなら誰でも何とかなるけれど、自分の限界をあっさり認めるのは難しいことだ。
特に、この世界、プライドが邪魔をすることが多々ある。
矜持というものは必要だけれど、時としてそれが最大の敵となる。
自覚できればいいが、自覚できていなければ、とてもじゃないが醜い存在だ。
幼い頃の諏訪がいい例だ。
幼稚舎の頃、無謀を通り越して単なる無茶で林檎の木の枝を折って落ちたアレは、武勇伝でも何でもない。
いまだに恥ずべき行為として幼稚舎で先生方が生徒たちを諭す例として告げているそうだ。
本人は黒歴史から逃れられないのだから、悪夢もいいところだろう。
今の諏訪なら、もうしないだろうが。
(甘いって、瑞姫! そりゃね、瑞姫から注意されたら諏訪は木登りなんてしないだろうけど、注意したのが疾風なら、絶対登るから)
何故!?
(諏訪が男で、疾風も男だからって言っても、瑞姫にはわからないかー……ま、それこそ、男の矜持ってやつに邪魔されるんだよ)
うん、意味が全くわからない。
わからなくても、まったく気にならない。
(いいんだよ、わからないことが気にならなくても。そう言えば、東條凛はいつまで謹慎処分なわけ?)
苦笑した瑞姫さんが話を変える。
そう言えば、そうだな。
「千瑛、謹慎中の人は、いつ、処分が解かれるのか知ってる?」
この中で一番知ってそうな千瑛に尋ねれば、生温い笑みが返ってきた。
「さあ、知らない? 一応、謹慎処分の期間は過ぎてるんだけどね。課題が終わってないみたいで、許可が下りないんだって」
ぷぷっと笑いながら答える。
「…………課題って、見せてもらったアレ?」
GWに入る前、教師に東條凛に課された課題の内容を見せてもらった。
授業の代わりに解くべき課題だ。
つまり、1日中真面目に机に向かっていれば、1週間で終わらせることができる内容になっている。
私だと3日あれば充分だ。
授業に沿っており、教科書を見ていれば、それなりに解けるものばかりなのだ。
難易度としては、東雲の平均値で出されているため、そこまで難しいとは思わなかった。
そう、東雲が必要とする学力を持ち合わせていればという条件付きだ。
東雲に来る前に東條凛が通っていた高校は、一応、公立高校だがランクとしては中の下だ。
一方、東雲は上の上。
基礎学力に問題があるのは当然だろう。
島津も無茶をする。
「……今思ったんだけど、中間テストに間に合うんだろうか?」
月末には中間テストが始まる。
それまでに謹慎処分が解けなければ、中間テストが受けられない。
学園側の規定では、考慮すべき事由がなければ、公式試験の再試験は認められないとなっていたはずだ。
つまり、謹慎処分を受けている最中であれば、考慮されないということだ。
病気療養や身内の不幸、部活動などの公式試合等であれば、当然のことながら考慮されるが、謹慎は罰だ。
しかも、本来の処分期間は終えている。
どう考えても自業自得で受けられないという結末が待っているだろう。
きちんと課題を終え、反省の意を見せ、それで自ら試験を受けさせてほしいと嘆願すれば、道が開かれる可能性はあると思うが。
「さあ? 無理なんじゃないのかしら。まあ、本人にしてみれば、試験受けずにいられてラッキーってとこかしら?」
くすくすと笑って告げる千瑛は無邪気に見える。
言ってる内容は全然無邪気じゃないけれど。
「瑞姫ちゃんが気にすることじゃないわ。すべては本人が決める事よ……って、何してるのかしら、在原君?」
笑っていた千瑛が、ものすごく冷たい目で在原を見ている。
「え? 瑞姫の餌付け?」
在原がデザートに頼んでいたフルーツの盛り合わせの中からカットしたオレンジをフォークに刺して私に差し出しているところだった。
「瑞姫、オレンジ好きだって言ってたし」
「うん、好きだよ」
正直に頷けば、嬉しそうに笑った在原がオレンジを私の口許へと近付ける。
「静稀、やめろ」
珍しく橘が注意する。
「え? 何で?」
「多分、おまえが後悔する」
「は?」
きょとんとした在原の手がぶれ、オレンジが私の唇に触れる。
「……あ」
疾風が嫌そうに在原を睨む。
口に触れてしまったものを食さないわけにはいかない。
マナーに反するが、食べ物を無駄にするなと言う教育が染みついている身にとって、それを放置するわけにもいかない。
フォークに触れないように気をつけながら、ぱくりとオレンジを銜える。
歯を立てないように気を付けていたが、果汁が唇を濡らした。
「……んっ……」
オレンジを咀嚼しながら、行儀が悪いが指先で唇を拭う。
「ほら、瑞姫、手!」
どこから出したのか、疾風がウェットティッシュを取出し、それで私の指を拭き取る。
「ありがとう、疾風」
お礼を言った瞬間、ごちんという音が響いた。
「……静稀?」
音の正体は、在原がテーブルに額をぶつけた音だった。
ものすごく痛そうな音だったが、何故、撃沈しているのだろう。
「簡単すぎるっ! ついでに無防備すぎるっ!!」
悔しそうな表情で、在原が誰かに向かって訴えている。
「だから言っただろう? 後悔するって」
溜息を吐きながら、橘が告げる。
「何を後悔するんだ?」
今一つ、意味がわからずに問えば、橘は苦笑して首を横に振っただけだった。
「瑞姫ちゃんはそれでいいのよ。悪いのは在原なんだから」
千瑛がすっぱりと切り捨てる。
「ああ、そうだね。食べ物を無駄にするような真似をしてはいけないね」
あれが途中で落ちたらどうするつもりだったのだろう。
商品として出荷するまで、農家の人たちは相当な努力をしていると聞く。
せっかくのものを無駄にするような真似はしたくない。
「さすが瑞姫。思いっきりズレてる」
何故か感心したような疾風の言葉。
「ずれてるって、何が? それより、静稀。餌付けしてどうするつもりだったんだ? あまり、ああいう真似は感心できないぞ」
「給餌行動の意味を瑞姫が知るわけないか……まあ、在原も理解してないだろうけどね」
呆れたように千景までが呟く。
給餌行動?
鳥の親が雛にしているやつか。
それぐらいなら知っているぞ。
そう言おうとして口を開こうとしたら、疾風に睨まれた。
「チャイムが鳴る前に教室に戻ろう」
促され、立ち上がる。
確かに授業に遅れるわけにはいかないな。
教室に向かいながら、ふと私は気になる。
島津斉昭をどう扱うべきか。
今まで通り、総無視というわけにはいかなくなるかもしれないな。
あとで誰かに相談しよう。
相談相手は誰がいいだろう。
相談すべき相手がたくさんいることはいいことだが、相手を選ばなければならないことは果たしてどうだろうか。
微妙な葛藤を抱きながら、私は教室に向かって歩いた。