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両手に菅原。
何てことはないはずなのに、何故か先程から注目を浴びている気がする。
中庭へお昼ご飯を食べに行く途中、合流した千景と千瑛に挟まれ、歩いているのだが、視線が突き刺さる。
「……どうかしたの? 瑞姫ちゃん」
「んー……何で見られてるんだろうかなって思って」
「珍しいものなんてないと思うな」
「……だよね」
まあ、6人もぞろぞろ歩けば目立つだろうけど。
「いや、珍しいと思うよ」
後ろを歩いていた橘が笑いながら言う。
「あまり人前に出ない菅原弟が瑞姫の隣に陣取っているんだからね」
「え? わりといつものことだよね」
千景が人前に出ないというのは、微妙なところだが、隣に陣取るのは、わりとよくあることだ。
そう思って言えば、橘は首を横に振る。
「人前では、そうないよ。いつも、サロンや中庭とか、カフェとか、あまり人がいないところで隣に座ることはあってもね」
「そうだっけ?」
「んー……気にしてないから」
首を傾げて千景に問えば、千景も首を傾げて答える。
「そうだね」
千景は他人があまり好きではないが、人目を気にする方でもない。
ただ千瑛が暴走するのを止めようという気だけは、とりあえず持っているようだ。
GWを過ぎると、日差しも随分強くなってくる。
外で食べられるのも、あと少しだろう。
梅雨が待っていることだし。
お昼御飯を食べ終え、のんびりと寛ぎの時間に入る。
「あ、そうだ。千景にお土産」
ランチボックスと一緒に持ってきていたお土産の袋を千景に差し出す。
「ありがとう。じゃあ、僕から瑞姫にお土産」
「交換だね」
ふたり、顔を見合わせ、笑いあった後、手にしたものをそれぞれ中身を取り出して眺める。
「うわあ! 香油瓶だ!!」
箱の中に香油瓶が3本入っている。
掌サイズだが、薔薇色に金があしらわれている見事なものだ。
そうして、瓶の中にゆらりと揺れるものが。
「その香油、僕が作ったんだ」
「へえ……」
ちょっと得意げに笑った千景が箱の中に入っていた香油瓶の一本を取り出す。
蓋を開けて差し出されたので、手で扇いで香りを確かめる。
「あ。いい香りだね」
「よかった。瑞姫の好みの香りだったか」
ほっとしたように言った千景は、私に腕を出すように告げる。
左腕を差し出せば、手際よく袖を捲られた。
どうしてこの姉弟は、こうも手際よく人の服を脱がそうとするのだろうか。
一瞬、そんな考えが過ったが、考え過ぎだと笑って見逃す。
自分の掌に香油を落とし、その熱で温めた後、千景が私の左腕をマッサージし始める。
「千景?」
「大丈夫、シャツは汚さないから」
いや、そういう話ではなくて。
何故今マッサージをしているのだろうかという、単純な疑問なのだが。
「……んっ! 千景、ちょっと待って……」
「少しだけ、試させてよ」
「ちょっ! あっあのね……気持ちいいんだけどっ! 何か、これ、温かく感じるのは、何で!?」
人肌に温められたオイルが、それ以上、ぽかぽかしているのに驚いて、思わず問いかける。
「体を温めるためのオイルだから」
「そんなの、あるんだ……」
「うん、あるんだよ。本来の用途はちょっと違うんだけど……マッサージ用であることは間違いないけどね。瑞姫にも使えるだろうと思って」
「へえ……」
そんなものがあるんだと感心していれば、何故か在原が盛大に噴き出していた。
「静稀?」
「ちょっと!! 本来の用途って、何!? 菅原弟!! 妙なモノを瑞姫に使ってるんじゃないよね!?」
何故か妙に焦った様子で、在原が千景に問い詰めている。
「妙なモノ? 僕が、瑞姫に? そんな真似、するわけないだろ? きちんと学んできたんだから」
「どこで何を学んだわけ!?」
鬱陶しそうに顔を顰める千景に、在原がまだ問いかけている。
「あ。わかった! コレ、ボディビルダーさんたちがつけてるやつとか?」
微量をつけたにも関わらずツヤツヤと輝く皮膚を眺め、記憶を探り、正解ではないかと思ったことを口にしてみる。
「ほぼ正解。彼らはこれを改良したものを塗ってるんだ。これは、言わばその基本オイルのようなものだよ」
「……ボディビルダー……」
何故か呆然とした表情で在原が呟く。
「筋肉冷えたら困るからねー、彼らは」
「うん、そういうこと」
私に頷いた千景は、酷く冷めた表情を在原に向ける。
「……で? 君は一体何を想像してたんだ?」
びくっとした在原は、視線を彷徨わせる。
「いや、それは、その……」
「そこら辺りで手を打ってくれないかな? 瑞姫に聞かせたい話でもないんだろう?」
橘が割って入る。
「ちーちゃん、お遊びはそこらで切り上げよう。マッサージは続けていいから」
千瑛が宥め、目を眇めて在原を一瞥した後、バッグの中から紙を取り出した。
「これが、今現在、東雲の理事会のメンバーよ」
ネットで調べたと告げて、テーブルの上に乗せる。
中庭の奥にはちょっとしたテーブルセットがいくつか点在していて、周囲の植栽に溶け込んでいるため、パッと見にはそこにテーブルがあるようには見えないのだ。
それぞれが身を乗り出し、そこに書いてある理事の名前を読み取る。
知っている名前と知らない名前。
それなりの人数の理事がいるが、知っている名前の方がやはり多い。
「東條の孫娘を転入させたのは、この男」
とんとんと指先で叩いて示した名前が、島津の父親だった。
「目的は何だ?」
即座に反応したのは、疾風だ。
疾風もいろいろ調べていたらしい。
だが、千瑛ほど迅速に、そして詳細まで調べられてはいなかったようだ。
「目的? わかるでしょ。瑞姫ちゃんよ」
「私?」
「一族の悲願になってることよ。瑞姫ちゃんを嫁にしたいんだって」
「……誰の?」
橘が険しい表情で聞いてくる。
誰のと聞いたのにはわけがある。
島津には兄弟がいるし、その父親も離婚して現在独身だ。
離婚した理由と言うか原因が、また微妙だ。
あまりにも遊びが過ぎるので愛想を尽かされて離婚を突き付けられたのだ。
それでも懲りずに、花の独身だと喜んでさらに遊んでいるらしい。
今のところ、島津斉昭に腹違いの兄弟は出現していないようだが。
「つまり、東條との問題を煽って、それを上手く解決して恩を売ろうというハラかな?」
険しい表情が一転して、笑顔を作って問う橘だが、その笑顔が怖い。
橘の言葉を聞いた瞬間、疾風が呆れたように溜息を吐き、視線を彷徨わせる。
「……無駄なことを」
私が思ったのは、その一言だけだった。
「うふふふふ~ 私、何であの一族が今まで相手にされてこなかったのか、わかっちゃった!」
千瑛がとてもイイ笑顔になる。
「ムリよね!」
きっぱりと断言した声に迷いはない。
「自力で解決できるのに、人の手を借りようなんて思わないものねーっていうか、色々詰んじゃってるし、東條家も島津家も」
「他の理事は?」
島津家だけではごり押しはできないだろう。
そう思って、念の為に問いかける。
「やっぱり気付いちゃった? だから、瑞姫ちゃんって大好きなのよね」
にこやかに笑う千瑛に、私は再び溜息を吐くことになった。