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 小さな、とても小さな町。

 それこそ、小京都と呼ばれていても、その細い路地が示す通り、戦国の世の名残を色濃く残す町並みだ。

 町名が昔の区画を教えてくれる。

 大工町、紺屋町と名付けられた町は、職人を集め、相良家が何を考えて街作りをしていたのかを考えさせる貴重な資料ともいえる。

 鍛冶屋町はそれこそ鍛冶屋さんが集められて、刀鍛冶が盛んだった地域だ。

 今はわずか数件しか残っておらず、農器具や包丁などが主である。

 包丁の切れ味はとても素晴らしく、今年の誕生日に私用に誂えてもらったほどだ。

 今度、魚のおろし方を教えてもらおうと思っていたりする。

 温泉や焼酎が有名であるが、もう1つ、盆地の特徴である朝霧が齎す特産物がある。

 それがお茶だ。

 山の斜面に作られた茶畑は、朝霧に包まれ、たっぷりの水と寒暖の差、いくつもの条件が重なって、非常に美味なお茶を味わえる。

 これは余所へ出荷していないため、銘茶として名を馳せることはないが、名産地のお茶に比べても遜色ないだろう。

 焼酎は芋ではなく、米が原料だ。

 つまり、ここは名水があり、米も美味しいのだ。

 ちなみに、温泉はアルカリ性で珍しいらしい。

 どういうことかというと、島津家は中央へ出る拠点としか考えてはいなかったが、というか、知る由もなかったのだが、ここは余所の人間が思っている以上に豊かな土地だったのだ。

 一長一短ではなく、長い年月をかけて育て上げた土地だからだ。

 何が言いたいかというと、酒好き美食家にとって、この地はただの田舎ではなく聖地に準じる地だと言えるらしい。

 瑞姫さんがそう言っていたので、そうなのだろう。

 何せ、急流には鮎だけではなく天然の川鰻がいたりするのだ。

 もちろん、天然の川鰻は非常に珍しく、それを食せるのはここだけだ。

 知る人ぞ知る的な、地味な土地だが、知らなくてもいいと思えることも確かだ。

 下手に奇妙な観光地化されて、この地が持つ良さが損なわれてしまっては嫌だと思う。

 友人たちを案内しながら、時が止まったかのような街並みに、私は笑みをこぼした。




「ごめんください。こんにちは」

 一軒のお茶屋さんの暖簾をくぐり、声を掛ける。

 なぜ、『ごめんください』と声を掛けるのか、いつも不思議に思うのだが、そういうものだと割り切って習った通りの言葉を口にする。

「いらっしゃいませ……あらまあ、ひいさま!」

 奥から現れた中年の女性が私の顔を見て驚いたような声を掛ける。

「まあまあ、お帰りやしたの!?」

「ええ。アイスクリーム、いただけますか?」

 ここの抹茶じゃなく煎茶のアイスが私のお気に入りだ。

 それを皆に食べてもらおうと、案内したわけだが、もうひとつ、ここに来た理由がある。

「はいはい、そちらに座ってくださいな。今、用意しますけん」

 おかみさんはお店の人にアイスの用意を告げると、奥へと声を掛ける。

「ばあちゃん! ばあちゃん!! 相良のひいさまがお見えですよ! はらはら、ばあちゃん!!」

 ここの地域の掛け声は、微妙に独特だ。

 『ほらほら』と普通言いそうなのに、ここでは『はらはら』と言う。

 特に年配の方がその掛け声を使うことが多く、聞いていてとても可愛らしい。

 奥からちんまりとした御老女がゆったりとした動作で現れる。

「あんれ、ひいさま。よかおごじょにになりやしたなぁ」

 泥染めの地味な着物姿の御老女は、私を見上げ柔らかく微笑む。

「御無沙汰しております、お元気でいらっしゃいましたか?」

 この御老女は、御祖母様と私の針の師匠だ。

 おそらく80歳は越していらっしゃるだろうが、それでも針仕事ではこの地域随一の腕前で、今でも着物を仕立てていらっしゃるそうだ。

「この通り。年は取って多少は足腰弱うなりもうしたが、畑には出ておりやすよ」

 にこにこと機嫌よく笑って私の手を握る。

「はら、敦子。ひいさまにお茶と漬物、お出しや」

 御老女は、おかみさんにそう声を掛ける。

 ここでの最高のおもてなしがお茶と漬物だ。

 各家で漬けるお漬物が違うのだ。

 自分が漬けたお漬物を持ち寄って、茶飲み話に花を咲かせるのがこちらの主婦の昔からのお楽しみ。

 だから、お茶とお漬物のもてなしは、何時間でもうちにいて楽しんでくださいという歓待の意味だ。

 これが男性の場合だと、漬物は一緒だが、お茶ではなく焼酎がもてなしになるようだ。

 この焼酎にも作法があるのだが、まだ教えてもらってはいない。

 だが、わりと聞く『駆けつけ三杯』という言葉は、この地が発祥なのだそうだ。

 この地のおもてなしは、慣れていないと実に恐ろしい目に合う。

 次から次へと御茶請けを出され、そうして頃合を見計らって暇乞いをすれば、お土産攻撃を受けるのだ。

 純粋な厚意だとわかるだけに、お断りするのが心苦しい。

 うっかりありがとうなんて言おうものなら、手に持てないほどどっさりと持って帰らされるのだから。

 人が好すぎるのも、時に罪なのだと、幼い頃に学ばされた。

 御先祖様は、さぞかしこの人たちの人の好さに危機感を持ったのだろう。

 相手に尽くそうと思う気持ちはとても嬉しいものだが、逆に物凄く心配してしまう時がある。

 全力で守ろうと思っても無理はない。

「煎茶のアイスって初めて食べるけど、美味しい!!」

 在原が嬉しそうに言う。

「お口にあったようでようございましたな。そんなら、もう1つ、いかがやろ?」

 にこにことおかみさんが笑いながら声を掛けてくる。

 意味がわからなかった在原が、きょとんとして私を見る。

 これは、マズい。

「アイスクリームは1つで充分ですよ。次も回らねばなりませんからね」

 にこにこと笑って答えれば、おかみさんは何度も頷く。

「ええああ、そうやねぇ。ひいさま、次はどこに行かれますの? 車でお送りしましょうか?」

「うん。ありがとう。でも、お隣だから」

「はら! 隣やったら、車はいらんね。ほんなら、ちょっと声かけてきましょうか」

「あははははは……いや、いいよ。驚かせたいし」

 声を掛けたら最後、いろいろ用意して待ち受けられてしまうから。

 それなら悪戯すると笑えば、面白がって引き下がってくれる。

「ほんに、いくつになっても落ち着きないな、敦子は。ひいさま、申し訳のうて」

 御老女が呆れたように娘を叱り、私に頭を下げる。

「いや。いつ来ても仲が良いですね。ああそうだ。今度、浴衣の縫い方、教えてください」

「ほ。浴衣ですかね? ええですよ。いつでもお呼びくだされば、本家にお伺いしますによって」

「教わるんですから、私が伺います。約束ですよ?」

「はいはい。約束、ですな。承知仕りましたわ」

 にこにこと笑いながら小さな約束をする。

 夏休みになったら伺いますと告げて暇乞いをする。

 見送られながら次へと移り、それを繰り返す。

「……すごいな、瑞姫……」

 在原が感心したように呟く。

「ん?」

「会う人、皆、知り合いだし」

「そりゃ、小さな町だからね」

「話がすぐに合うし、いろいろ覚えているし」

「小さな頃から出入りしているから、当たり前のことなんだよ」

「約束して、ちゃんと果たしてるし」

「大きな約束はしてないからね」

 領地を持っていた家とそうでない家の違いだ。

 名家と言えど、様々な成り立ちがある。

 皇族の在原、橘と、地族の相良、岡部では全く意味合いが違うのだ。

 我々の当たり前が、彼らとかけ離れていても当然だ。

「可愛がってもらっているから、顔を出して喜んでもらえるなら、いくらでも顔を出すし。話を聞いて、必要なことを祖父や父に伝えることなら、私にもできるだろ?」

 本当はそれくらいしかできないけれど、小さな話が重要なときもある。

 父たちに話せないことを、私になら話せることだってあるだろう。

 そう考えて、祖母は幼い頃から私を連れて、このあたりを歩いていた。

 本家一族の中で私に課せられたことは、年上の皆とかなり違うことは幼いながらわかっていた。

「それが瑞姫の仕事なんだ?」

 柔らかな笑みを湛えた橘が、そう問いかけてくる。

「そうだ。父たちができない細かなところに目を向けるのが私の仕事だ」

「そうか。勉強になったよ」

「まあ、ここでのお仕事は、瑞姫ちゃんに合ってるみたいだから。学校だとストレス溜めまくってるのに、ここはリラックスしてるしねー」

 ほうじ茶アイスを舐めながら、千瑛が言う。

「そうかな?」

「そうよ。顔色良いし、のんびりできてるみたいだし。食べ物も美味しいし」

「うん。美味しいけど、千瑛、良く入るね?」

 煎茶のアイスから始まって、ずっと千瑛は食べ通しだ。

 在原もかなり食べ続けているけれど、千瑛には負けるだろう。

 この小さな身体にどれだけ入るのか、考えるのが恐ろしいくらいだ。

「だって。歩いて運動してるもの。いくらでも入るわよ」

「……もしかして、燃費悪い?」

「若さの特権よ。瑞姫ちゃんが普通すぎるのよ」

「……普通は普通であって、すぎないと思うんだけど……」

 納得がいかずに呟けば、橘が横を向いて吹き出している。

「瑞姫は小食なんだ。もう少し食べればいいのに」

「岡部! 瑞姫は普通だと思うよ。俺らと比べる方が間違ってる」

「そうだ、必要量はきちんと食べてるぞ。丼飯なんて無理だ!」

 この際だからはっきり言ってやる。

 成長期真っ只中の男子の食事の量と一緒にするな。

 橘の助成を受けてきっちりと言ってやれば、疾風は憮然とした表情で橘を睨んでいる。

「さすがに丼飯はないわよねー」

 千瑛も大きく頷く。

「憧れの王子様な瑞姫ちゃんの前に、丼飯が置かれてたら、嘆き悲しむ女の子が一体どれだけいるかしら」

 え? そっち!?

「私のイメージの話なのか!?」

「瑞姫ちゃん、さらっさらの髪だから、着流し似合いそう。親衛隊な軍服とかも。あと日向とか陽だまりでぼーっと立ってるのも似合うよね」

「……何故、ぼーっと立ってるんだろう、私は……」

 千瑛が考えていることはよくわからない。

 とりあえず橘に助けを求めるように視線を向ければ、苦笑された。

 そうか、君にも解らないか。

 ならば仕方がない、理解することは諦めよう。

「そろそろ宿に向かおうか。温泉にゆっくり浸かって夕食摂ったら、川沿いを散策してもいいし」

 時刻はそろそろ夕方だ。

 明日は川下りをして鍾乳洞を探索してもいいし、城跡へ行ってもいい。

 そんなことを話しながら、旅館へと向かった。




     ***************




 旅館で用意された部屋は、離れであった。

 あらかじめ、大叔父様には言っておいたが、私と千瑛、そして男子組の2部屋だ。

 未成年者に個室などありえない。

 一般的に考えれば当たり前のことだが、ここは相良の本拠地だ。

 気を利かせてとんでもないことをしでかされることに否定できないところが悲しい。

 現に、離れに案内されるときも、仲居さん達に一番いい部屋じゃなくていいのか、1人ずつじゃなくていいのかと、何度も聞かれたのだ。

 離れの別棟というだけでも、充分特別扱いなので、それ以上はいいと答えたのだが、イマイチ納得してもらえてないようだ。

 何せ、この別棟、それぞれの部屋に露天風呂がある。

 何たる贅沢! と、思ってしまうが、助かることも事実だ。

 部屋に案内され、キャリーバッグから荷物を取り出す。

「千瑛! 先にお風呂に入っておいでよ」

「瑞姫ちゃんは?」

 浴衣やら何やらチェックをしていた千瑛が私を振り返って問う。

「うん。あとから入る」

 そう答えたときだった。

(瑞姫! 逃げて~っ!!)

 笑い含みの瑞姫さんの声が突然響いた。

「え?」

 思わず振り返れば、手をワキワキさせて実にイイ笑顔の千瑛が立っている。

「うふふふふ……そんなこと、私が許すとでも!?」

「ち、千瑛?」

「もちろん、一緒に入るわよねー!?」

(に~げ~て~っ!!)

 げらげらと笑う瑞姫さん。

「え!? ちょっ!! 千瑛サン?」

 女の子に手荒な真似はできないけれど、逃げなければと本能的に悟る。

「瑞姫ちゃんが気にしてる傷跡、私、どうってことないからね! さあ、一緒に入るわよ!! そして、私にマッサージさせなさい!」

 高らかに宣言した千瑛に、私は困窮する。

「ちょっ! ちょっと待って!!」

「フェミニストなのが瑞姫ちゃんの最大の欠点よねぇ。女の子に手荒な真似ができないなんて。同性なんだから、遠慮しなくてもいいのにね」

 慌てふためく私の服を、器用に剥ぎ取っていく小柄な少女。


 そこからあとの事は、思い出したくもありません。




     ***************




 夕食は、別棟の中の囲炉裏がある部屋に用意されていた。

 こちらで食事を摂る間に、それぞれの部屋に布団が敷かれるのだそうだ。

 ごっそりと体力気力を削ぎ落とされた私が千瑛に引き摺られてその部屋に行くと、すでに集まっていた3人の表情が物凄く微妙なものになっていた。

 在原は真っ赤になってこちらを向こうとはしないし、疾風も視線を彷徨わせている。

 橘は苦笑を浮かべて彼らを眺め、肩をすくめている。

「あら、聞いてたの? 修行が足りないわよ」

 そんな彼らを一瞥した千瑛が、さらりと告げる。

「なっ!! 聞いてたんじゃなくて聞こえたんだっ!」

 反駁した在原は、私を見るなりまた赤くなり、片手で顔を隠してしまう。

「や、ちょっ……ごめん……」

「たかがマッサージなのに」

 千瑛がそんなことを言うと、橘が笑う。

「いや、お年頃だからね」

「まあ、大変ねぇ」

 何だかこの2人の会話、井戸端会議のおばさんみたいだ。

「そんな在原にいいこと教えてあげる。瑞姫ちゃんのお肌、つるつるすべすべで気持ちいいわよぅ~っ! 陽に当ててないから色白いし、柔らかいし」

「やっ! 頼むからやめて……」

 何だか泣きそうな在原の声。

 一体何があったのか、よくわからないが疲れ果てた私には、千瑛を止める気力がない。

 半ばよろけるように囲炉裏端に座り込むと、疾風が心配そうに身を寄せてくる。

「大丈夫か、瑞姫?」

「……いろいろ、疲れた……」

 もうそれしか言えない。

「……そうだろうな」

 なぜか納得してしまった疾風に、不思議な気がしたが、もう問い詰める気も湧かない。

「お食事、お運びしますね」

 部屋付きの仲居さんが声を掛け、料理を運び入れる。

 御膳の中に、私の好物を見つけ、ようやく気力が復活した。

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