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GWは、ふと思い立って郷へ戻ることにした。
『戻る』という言い方はおかしいけれど、その表現の方がしっくりとくる。
今住んでいる場所よりも、あちらの空気の方が遥かに肌に馴染むのだ。
短い日程だけど、行きたいと思ってしまった自分がいる。
疾風にそのことを告げ、色々と手配しようとしたら、疾風に止められた。
「俺がやる。在原たちや菅原を誘うか?」
ふと問われ、思わずコクコクと頷く。
「皆の予定が空いているのなら。無理強いはしたくないけれど」
「了解。あいつら、瑞姫がいればそれでいいって言うぞ。予定詰まってても無理やり空けそう」
「まさか!」
「認識が甘いな」
笑う疾風に、そんなことはないだろうと言えば、逆に諭される。
自分の予定を入れ替えてまで、私に付き合うのはおかしいだろうと思っていたら、後から本当に予定を入れ替えたと聞いて驚いた。
君たち、友より自分の予定を優先させなさい。
後日、彼らを前にそう説教するハメになるとは、思ってもみなかった。
***************
四方を山と急流で挟まれた小さな盆地。
小京都と呼ばれるその地は、交通の便が発達した今でも、行くのに相当な時間がかかる。
だが、旅とは情緒だ。
車で移動、なんて野暮はせずに、飛行機と新幹線を乗り継いだ後、SLに乗り込んだ。
観光列車として、1日1往復、観光シーズンは2往復のみの運行だが、元々本数が少ない地域なだけに、あまり問題はない。
全シート予約なので、ちょっとばかりひやひやしたが、運よく確保できた。
「うっわーっ!! SLだよ、SL!! すっげー……ぴかぴかじゃん」
男の子は列車が好きと相場が決まっているが、例に洩れず在原がSLの車体に夢中になっている。
「…………静稀、記念撮影する?」
時間はさほどないが、記念撮影をするくらいの余裕はある。
全席予約制というのは、こういう時、便利だ。
「えっ!? いいの?」
「……他の方も撮影しているし、大丈夫だと思うよ。乗り遅れさえしなければ」
実にイイ笑顔で橘が告げる。
喜色満面だった在原の顔が青ざめる。
「まさかと思うけど、忘れたふりして僕を置いて行ったりしないよね!?」
「さあ、どうだろう?」
「視界に入らなければ、忘れるよな、普通」
恐る恐る確かめる在原に、橘と疾風が真面目な表情でからかう。
「ふたりとも、からかわない! 意地悪するやつは置いていくぞ」
小さい子供に対するような言葉を言う羽目になろうとは。
呆れたような表情で言えば、2人とも首をすくめている。
「静稀、写すなら、早くしよう」
そう声を掛ければ、在原が嬉しそうに頷く。
「ありがとう、瑞姫! 瑞姫が一番優しいな」
「そうか? 多分、違うと思うぞ。ちなみに、SLの内装も可愛らしい」
この中で、一番優しい性格をしているのは、間違いなく誉だ。
そして、疾風。
私の方が容赦ない性格であることは、私が一番よく自覚している。
記念撮影を終え、車内に入り、座席に着いても在原のテンションは上がりっぱなしだった。
「うわあ、汽笛が何か可愛い! 座席が木製でレトロだし、デザインがお洒落だよな」
わくわくそわそわと実に嬉しそうだ。
それが最高潮に達したのは、ワゴンサービスの案内放送が入った時だった。
「特製アイス!? しかも、焼酎アイス!? 食べたいっ!! 駄目かなぁ……?」
アルコールは駄目だと思うが、上目遣いでこちらを見ないでくれ。
あと数年したら食べられるのだから、私は普通のアイスで今は十分だ。
とは言っても、このアイスも充分特製だしな。
「……在原、アルコールがもたらす未成年への悪影響について、語ってあげましょうか?」
ひやりとするような冷ややかな声で千瑛が告げる。
「いやっ!! いい!! 我慢するからっ!!」
慌てて首を横に振って拒否する在原の様子に笑いながら、菅原家の双子が揃っていないことを残念に思う。
「千景が一緒じゃなくて、残念だったな」
「そう? ちーちゃん、いつもふらっといなくなるから、全然気にする必要ないのに」
「ふらっといなくなったら、問題だろう!?」
「放っておくのもまた教育の一環よ」
けろりとして言う千瑛の言葉は絶対に嘘だ。
居たら、ガミガミ怒られると思っての発言だ。
「それで、千景は今、何処にいるんだ?」
少しばかり気になって、千景の居場所を問いかける。
「お父様と一緒に、中近東あたりかしら? それか、エジプトとか」
「……何故に?」
「香油の勉強してくるって」
けろっとした表情で答えた千瑛の言葉に、私は呆気にとられた。
千景よ、何が君を駆り立てた?
何故、アジアではいけなかったのだ?
疑問に思ったところで、答える者はいない。
「そうか。成果が得られるといいな……」
それ以上、私に言えることはなかった。
SLの旅は、実にゆったりとしていて、楽しいものだった。
滾っていたのは在原1人で、他の者は、のんびりと寛ぐことができたようだ。
目的地へ着いたときには、在原1人が疲れていた。
「あら。意外とこじんまりしたところなのね?」
駅に着くなり、千瑛が漏らした感想は、誰もが思うものだった。
さびれているわけではない、活気があるわけでもない。
玄関口ともいえる駅前は不思議と落ち着いて、淡々とした街なのだ、ここは。
「市とは言っても、端から端まで歩いていけるほど小さいからね、ここは」
笑って言えば、珍しくバツの悪そうな表情を浮かべる千瑛。
正直レベルが上限に達し、毒舌と言われても仕方がないほどすっぱりと言う千瑛だが、言っていいことと悪いことの区別はついている。
そうして、根はかなり善良にできているのだ。
悪意に対して容赦はないが、善意に対しては免疫がないのかどう対応していいのかわからない時があるらしい。
「ようおざったな」
駅前の広場に立つ私たちに声がかけられたのは、その時だった。
「大叔父様!」
車から降り立つ大柄な老人が、にこにこと笑いながら近寄ってくる。
姉たちに『鬼の寿一』と言われる大叔父だが、私には幼い頃から優しい人だ。
「御無沙汰しております、寿一さま」
直立不動になった疾風が、大叔父に頭を下げる。
「おお、岡部んとこの。ひいさんが世話になっとるのう」
大らかに笑った大叔父様は、目を細めて疾風を見る。
「いえ。あまりお役には立てず」
「それはなか。こまかひいさんを見りゃ、ようわかる。健やかなんはおまえさんがよう努めとうからじゃ。礼を言う」
大叔父様の言葉に、疾風は返す言葉を見つけられず、ただ頭を下げる。
ちなみに、大叔父様は、疾風の武術のお師匠様になる。
こう見えて大叔父様は、一族随一の使い手なのだ。
ふらりと道場に現れては、見込みのありそうな子供を鍛え上げるという趣味をお持ちだそうで、その際、一切の手加減をなさらないので『鬼の寿一』という名前が付いたそうだ。
私の師匠も大叔父様なのだが、厳しいと感じたことは一度もなかった。
「大叔父様、お忙しいのでは?」
何でこんなところに来たのだろうと、首を傾げて問えば、不満そうな表情を浮かべた大叔父様が恨めしげに私を見る。
「ひいさんがこっちに来るのに、迎えに出んことはなかろう? 本家に泊まりゃあいいものをわざわざ旅館に泊まるなんぞ」
「滞在期間が短いですから」
本家ではなく、旅館にしたのは理由がある。
それを知っている大叔父様は、仕方なさそうな笑みを浮かべる。
「まあ、しゃあないな。あれは確かに旅館の方がいいやろ。わっちの名前で予約ば入れとるけん、行けばぁわかる」
「ありがとうございます」
「なんの。こまかひいさんの頼みじゃけん、引き受けねばわっちの名がなくね」
子供だけで旅館の予約をするわけにはいかないので、大叔父様にお願いしておいたのだ。
子供と言うのは時に不便なものだ。
「そいで、宿にチェックインするまであちこち見やるやろ? 荷物が邪魔やろうけんが、先に宿に届けておこうかと思ってな」
わざわざ荷物を受け取りに来てくださったのか。
ありがたいが、申し訳ないような気もしてくる。
「いいのですか?」
「わるかりゃ来んけん、気にせんといてもいいんやが」
「ありがとうございます」
大叔父様にお礼を言って、それから一緒にいる友人たちを紹介する。
頷いて彼らの挨拶を受けていた大叔父様が、千瑛を見て目を丸くする。
「ひいさんの友達かいの。こりゃあ、よかおなごじゃ。別嬪さんやなぁ」
ミニマム美少女の千瑛だからというわけではないらしい。
大叔父様は、見目に重きを置かないことでも知られている。
どうやら千瑛の中身を察して別嬪と言っているらしい。
「あの……」
見た目ではなく、別の個所からそういう見解に達したと悟った千瑛が、面食らったように瞬きを繰り返している。
「ひいさんをお頼申します、こまか別嬪さん」
そう言われ、千瑛は頷く。
「それは、もう。あの……」
「さて。重か荷物はわっちに預けて、ひいさんと散策してきたらええのう」
車のトランクにキャリーバックを入れるように指示を出しながら、大叔父様は散策を勧めてくる。
「じゃあ、まずはお茶と蔵めぐりでもしてこようかな」
背伸びをしながらそう言うと、大叔父様が何度も頷く。
「それがええ。工房の方は逃げやせん。ゆっくり見りゃあいい」
「わかりました。じゃあ、行ってきますね」
厚意に甘え、最低限の荷物だけを持った私たちは、大叔父様に見送られ、街の散策という名の観光に向かうことになった。
ただいまです。
いや、実に寒かった。
それが今回の出張の感想です。
現場は野外と決まっているので、それなりの対策はしていってますが、寒いものは寒いのだと思いました。南国ですけど!!
ムーン様の方の作品も連休中に仕上げるつもりです。