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「逢坂さん、足の具合はいかがでしょうか?」
一度、家に戻り、支度を整えて逢坂さんが一時入院されている病院へやって来た。
「相良様! それに岡部様も。ええっ!?」
ベッドの上に足を延ばして座り、参考書を読んでいた逢坂さんは驚いたように声を上げる。
そのまま逢坂さんの表情は笑顔に変わった。
よかった、迷惑ではなかったようだ。
「お見舞いに来ました。これを、どうぞ」
小さなボックス仕立てのアレンジの花籠を疾風が差し出し、私はプチケーキの詰め合わせのボックスを差し出す。
「うわあ……可愛い! ありがとう!!」
疾風の花籠に視線が釘付けだった逢坂さんは、ケーキのボックスを受け取って喜色満面になった。
「お母さん、お母さん!! どうしよう!! 見てみて!! ケーキが可愛い」
大きな声で呼ばれた母親らしい女性は、私たちの姿を見て驚いた表情を浮かべたものの、すぐににこやかに笑って挨拶をしてくれた。
「あらあら、お友達? お見舞いに来てくださったんですか? ありがとう」
「いえ。もとはと言えば、私が原因だったのですから……本当に、申し訳ありませんでした」
自己満足と言われればお終いだけど、きちんと謝罪をすべきところで頭を下げなければ、自分が許せない。
「やめてください、相良様! 相良様が悪いわけじゃないですからねっ!!」
逢坂さんが慌てて私に向かって手を差し出す。
「ですが……」
「あの女が悪いんです! 決められた規則を守ろうとしないどころか、注意されて暴力をふるうなんて最低です!! 相良様は皆に迷惑がかからないように登校されて教室から離れていらっしゃったことは、誰だって知ってます。もし、教室にいらっしゃったら、あの女、調子に乗ってもっと見苦しいことやらかしますからね。その点では、相良様は被害者なんですから、全然気にしなくていいんです。まぁ、私の場合、あの態度にムカついちゃって、ちょっと失敗しただけだから」
「でも、痛かったでしょう? こんなに腫れて……」
足首を動かさないために、ぐるぐると幾重にも巻かれた包帯は分厚く、余計に痛々しく見えてしまうことは知っているが、それでも普通の女の子だ、痛かっただろう。
余計な争いを避けようと思って、その場にいなかったことが悔やまれる。
「大丈夫ですよ、大袈裟に巻いてるだけですからって……相良様の方がよくご存知でしたね。茉莉先生の妹さんですし」
「相良先生の! あらまあ、妹さんっ!?」
逢坂さんのお母様は、私を見て驚いたように声を上げる。
よく似た反応はやはり母娘だからだろうか。
「ええ。わけあって男子用の制服を着用しておりますが、戸籍上も生物学上の間違いなく女性になっています」
「そうでしょうねぇ。男の子にしては綺麗すぎるもの」
感心したように逢坂さんのお母様は呟く。
「兄が、いるんですけどね。それはもう、ひどくて……」
くすくす笑いながら、逢坂さんが説明してくれる。
「身嗜みがとても綺麗だっていう意味なんですよ。岡部様も在原様も、もちろん、身嗜みは整っていらっしゃいますが、女の子ですから」
男子と女子とでは、整え方が違うのだとそう言っているらしい。
「在原様と言えば、倒れたときに支えてくださったんですが、すごくいい香りがして……男の子なのに、四族の方はお洒落ですよねぇ」
感心したように逢坂さんが告げる。
「橘家もそうですが、在原家も男子は香道を嗜むように教育されていますから。自分の持ち物には、自分の香を焚き染めるようになっているそうですよ」
「うわあ……そうなんですか。すごい……」
「それは表向きで、香は防虫効果がありますから、特に衣類にはほんのり薫る程度には焚き染めているらしいですよ」
「防虫剤代わり!? ええっ! 面白すぎるっ!!」
華やかな明るい笑い声を響かせて、逢坂さんが大笑いしてくれる。
よかった、笑ってくれて。
怪我をしたショックはそれほどひどく残っていないようだ。
「ああ、じゃなくって! お母さん、相良様からケーキ、岡部様からお花をいただいたの!! どうしよう! 可愛らしすぎてケーキ、食べられないよう」
本題に戻った逢坂さんは、お母様にケーキを見せてはしゃいでいる。
「ううぅっ!! もったいない。でも、美味しそう。写メってもいいかなぁ」
「それほどまでに喜ばれたら、パティシエもきっと喜びますね。今度はうちのパティシエ自慢のケーキを持ってきましょう」
「はうっ!! 一生の自慢になりそうです、それはっ!!」
キラキラとした表情で言うクラスメイトが可愛らしくて、思わず笑みが零れた。
「ああ。そうだ。大切なものを忘れるところでした。本日の授業のノートです。どうぞ」
鞄の中からクリアファイルを取出し、そのまま差し出す。
中にはルーズリーフに今日の授業の板書及び先生が仰った言葉を添え書きしている。
「え? いいんですか?」
「当然です。本来ならば、逢坂さんが受けているはずのものですから。私のノートの写しなので物足りないかもしれませんが」
「そんなっ!! 学年主席様のノートを見れるなんて、ものすごい勉強になります! ありがとうございますっ!!」
「明日もお休みされるでしょうから、私のノートでよろしければ、届けに参りますが、ご迷惑ではありませんか?」
「いえいえとんでもないっ!! めちゃくちゃ助かります!!」
一番気になっていたことだったのだろう、逢坂さんの表情が先程よりも華やぐ。
「明後日からは、通学されますか?」
「その予定です」
「では、ご自宅までお迎えに上がりますね」
「……は?」
私の言葉に、逢坂さんはきょとんとする。
「その足で距離を歩くのは無理ですよ。姉からの指示もありますので、送り迎えをさせてください」
「えええええええっ!? そんな、もったいない!」
「今週だけでもさせてください」
「……ええっと、どうしよう……?」
逢坂さんはちらりとお母様に視線を投げかける。
「お受けしたらいいじゃない。お母さんも、いつも通りに通学するのは難しいなって思ってたところだもの。送ってくださるのなら、ホントに助かるわ」
にこにこと笑って応じるお母様は、わりと度胸のある方のようだ。
「うちの娘ねぇ、お上品なセレブ校に通って上手くやっていけてるのかと心配してたのよ。この性格だし? 相良さんが来てくださって、安心したわ」
「お母さんっ! 相良様に失礼なこと言わないでよね!! 相良様が一番の御嬢様なんだから!!」
「いや、私は……」
「あら、知ってますよ、そのくらい」
肯定されてしまった、違うのに。
「あ。これ以上長居をしては傷に障りますね。私はこれで……」
失礼させていただこうと口上を述べていたら、逢坂さんがはしっと私の手を掴んだ。
「ちょっと待って! もう少し! もう少しだけ、お話しませんか!?」
「え?」
「だって、相良様、学校じゃあまり皆とお話しされない方ですし。私、いっつももっとお喋りしたいなって思ってても声かけられないしで……色々と聞きたいこともありますし」
好奇心旺盛な方なのだろう。
にこにこと笑いながら話しかけてくる。
「……疾風?」
時間や警備関係は大丈夫かと、視線で問いかければ、ゆっくりと頷いて了承してくれる疾風。
「では、少しだけ。傷に障らないようにお話いたしましょう。聞かれたいことは何でしょうか?」
質問タイムに覚悟を決めて、私はそう告げた。
逢坂さんの質問は多岐に渡っていた。
上流社会の生活という珍しいものに触れる学生生活を送っているため、興味が尽きないのは当たり前のことかもしれない。
「この間のマナーの授業でウインナワルツ習ったけど、あれってデビュタントで踊る以外でもやっぱり踊ることあるの?」
「ありますよ。オーストリアではワルツと言ったらウインナワルツのことを差しますし。踊れて当たり前という感覚ですね」
「そうなんだー。相良様もデビュタントされるんですか?」
「いいえ」
最近、あちらこちらで聞かれる言葉だ。
私がデビュタントするかどうかを、何故か気にされるようだ。
「え!? しないんですか!?」
「ええ、しません」
「どうやったら、デビュタントできるんですか?」
「デビュタントができるボールは決まっています。年に1度か2度、それぞれの場所で決まっているのですが、デビュタントしたいと申し込める場所もあれば、開催者が招待状を送った方でないと参加できないというところもありますね」
「へえ。相良様にも招待状、届きました?」
「え?」
「届いてたよ」
私たちの会話に、疾風が初めて口を挟む。
「やっぱり!!」
「疾風、知ってたのか?」
何故か嬉しそうな逢坂さんと憮然とした表情の疾風が対照的で、ちょっとおかしい。
「デ パリから届いてた。お館様が悩んでいらした」
デ パリなら、ドレスはモード系で白のドレスでなくて構わない。
だが、未婚の若い娘が着るドレスとなれば、大体の型は決まっている。
今の私には、非常に着る勇気が必要となるデザインだ。
肩が露わになれば引き攣れた大きなケロイドや他の傷跡が他の方の目に触れることになる。
デビュタントは、適齢期を迎えた者たちを披露し、婚約者探しをするという側面を持っている。
その際、家柄や物腰はもちろんのこと、容姿は大きな判断材料になるのも確かだ。
身体中に傷が走っている私には大きなデメリットだ。
海外の名家と婚姻関係を結ぼうと思っているならば、だが。
「我が家は海外との結びつきを必要とする事業はそれほど持っていないので、デビュタントする必要性はないのですよ。あとは本人の好み次第ということで」
逢坂さんにそう取り繕うと、彼女は納得したように頷く。
「ああ、そうですよね。デビュタントに必死な方って、商社系の方が多かったようですし。それに、相良様はドレスもお似合いでしょうが、着物姿の方が凛々しくて好きですよ。特に、袴姿は格好良かったですし」
「袴? ああ、去年のマナーの仕舞のときですね。それは、お目汚しを」
「いやいやいや! 所作がすごくきれいで、勉強させてもらいました! 仕舞なんて初めてだったから、外部生は皆、相良様の所作を真似させてもらってたんですよ」
「そうだったんですか。ああいうモノは、人の真似をすることから所作を覚えるのは当たり前のことなので、お役に立てて幸いです」
「能楽とか、見るのもするのも初めてですもん。先生の説明で足りないところを四族の方が教えてくれるのでホント、ありがたいです」
「……我々は、恵まれた環境にいますから、専属で教えてくださる方もいらっしゃいますし。知識があって当然というものもその家々でありますから、仰っていただければ、答えられることも多少なりともあるかと」
「うん、そうですよねー。尋ねれば、あっさり教えてくれるので、驚きましたよ、最初は」
感心したように逢坂さんが何度も頷く。
「え?」
「知ってて当たり前なことを知らないで聞く人間がいるってことに驚かないで、馬鹿にしないで教えてくれるって、聞く側にとってはびっくりですよ」
「そういうモノですか? 少なくとも、聞くということは、学ぶ気があるということですから、知っていることをお教えすることに否やはないですよ」
「それが育ちがいいってことなんですかねー? そんなことも知らないのかと言われるかと、最初は思っていました」
苦笑した逢坂さんの表情から、四族が葉族に向ける態度を言っているのだと察する。
「東雲の内部生は、外部生の皆さんのことを尊敬している者が多いのですよ。狭き門をくぐり抜け、上位成績を保ち続ける努力を惜しまない。見下す要素はそこにはありません。恵まれた立場にいながら努力を怠り、己よりも立場の弱いものを見下す。そういった者を不快に思ってはおりますが」
「ああ、なーるーほーど! 激しく納得です。うんうん」
大きく何度も頷く逢坂さんから、四族に対する嫌悪感がないことにほっとする。
「質問はもうよろしいですか? これ以上は傷に障りますから、今日はここでお暇を申し上げましょう。明日、また、寄らせてください」
疾風に頷いて、暇乞いを告げる。
「また、明日!」
嬉しそうに笑って送ってくれる逢坂さんとお母様に会釈をして病室を出る。
「思ったよりショックが無くてよかった」
思わず告げた言葉に、疾風が私の頭を撫でる。
「元気でよかったな」
「そうだね。茉莉姉上にお願いしておこう」
「それがいいな」
それと、坂田さんにお見舞いのケーキを焼いてくれるようにお願いしないと。
相手が負担にならないお見舞いの品はどういうものがあるのだろうか。
雑誌もいいと聞いたが、どんな雑誌なんだろうか。
八雲兄上に相談してみよう。
それとも、瑞姫さんの方がいいだろうか。
そんなことを考えながら、車の方へ向かって歩いた。