76
新年一作目です。
本日は、わざと時間帯をずらしました。
0時を待っていた皆様、申し訳ありません。
お待たせしました。
「大変ですわ、瑞姫様!!」
教室へ入ってくるなりクラス副委員長が私に訴えかけて来た。
「何事ですか?」
騒々しいとは思っていないので首を傾げるにとどまる。
「大変なんです! マナーの授業、諏訪様のクラスと合同なんですの!!」
その一言で、クラスがパニック状態に陥る。
「何てこと!! 先生に抗議申し上げねば!」
「そうですわ!! 決してあの者に瑞姫様を会わせるわけには参りませんもの」
凛々しい表情で告げる彼女たちに感謝はするが、決まったことを覆すのは難しいだろう。
「気持ちはありがたいと思うが、闇雲に反発するだけでは先生方も受け入れてはくださらないだろう」
「ですが、瑞姫様……」
「私も好んで彼女と関わりを持とうとは思わないが、かといって逃げを打つのはどうかと思う。私に疚しいことはないのだから」
その言葉に、同意したのは、女子ではなく男子であった。
「そうだよな。あの無礼極まりない者に非があっても、相良さんには瑕疵はないし。まあ、まずはあの無礼な者が本人の許可もなく相良さんの名前を勝手に呼ぶ機会を与えないことが一番だと思う」
「それは、そうですね。瑞姫様のことはしばらくの間、相良様とお呼びすることにいたしますわ。他のクラスの皆様にも、このことは周知しておきましょう」
「それは良い考えですわ!」
上品に手を打って、同意した女の子たちは、他のクラスの友人たちに知らせに走る。
「普通に調べれば、わかることでは?」
諏訪や同じクラスの女子に聞けば、私がどのクラスにいて、フルネームは何であるかなど、すぐにわかることだ。
ついでに言えば、性別も、何故このような姿なのかも、聞けばわかることだ。
一切、何も隠してはいないのだから。
「あら? どなたにお聞きになるのかしら?」
副委員長がにこやかに微笑む。
「あちらでは、諏訪様以外を無視なさっていらっしゃるとかで、いまだにご友人の1人もいらっしゃらないんですよ? 外部生同士、普通は声を掛けあい、仲良くなる方も多いというのに」
「まあ、通常の外部生であれば、成績が50位以内に入ることに対して相当な努力をなさっていらっしゃる勤勉な方たちですもの。全教科赤点なんて方と仲良くなりたいとは思われないでしょう、さすがに」
全教科赤点というのは、さすがに効いているようだ。
「2名も全教科赤点というのは、前代未聞でしたね」
島津はあれ以来、学校を休んでいる。
どうやら、噂は半分事実だったようで、子供ができたと言う女性が現れたのは本当のことだが、その子供が島津の子供かどうかは今、調査中ということだ。
子供ができたということ自体、偽りである可能性があるという噂もある。
つまり、学校側の処分ではなく、島津家の都合で休んでいるということだ。
東條凛の方はというと、これまた色々な噂が飛び交っている。
「確かに前代未聞だとは思いましたが、それ以上に、あちらの方が先生方に食って掛かったというのは、本当に驚きましたわ」
「わたくしも聞きました」
「ああ、それなら、僕も聞いたよ。先生方に、『あたしの答えが間違っているなんてことが、間違っているのよ!』と言ったそうだ」
男子の1人が呆れたように笑いながら告げる。
「何でしょう、それは?」
思わず驚いて呟く。
「自分が書く答えが、この世界の真理なんだそうだ。変わっているというより、思い込みが激しすぎて、心療科を勧めたい気になったよ」
「まったくですわ」
あちこちで大きく頷く姿が見受けられる。
「……ということは、一切勉強しなかったということですね?」
頭痛い。
瑞姫さんの資料には、いきなり10位以内に入って、話題をさらうというイベントがあると書かれていた。
これにも条件があるらしい。
諏訪と八雲兄の好感度が少しでも上がっていれば、というものだ。
八雲兄の代わりが私ならば、好感度は0のままだ。
そして、あの態度を見る限り、諏訪の好感度も0かマイナスだろう。
瑞姫さんは、『私、意外とデータを取るタイプなんだよね。いや、データを取るという使命がなければ、途中で止めたくなるほどだったんだけど』とボヤいていたっけ。
これまでのことを見る限り、どうやら彼女は瑞姫さんとは正反対のタイプらしい。
普通だったら、10位に入るとわかっていても、勉強はするだろう。
そうして、より上位に食い込もうと思うだろう。
一切勉強しないなんてことは、ありえない。
ましてや、入学試験が圏外だったことを知っていれば、10位以内に入れるわけがないと思うはずだ。
ちらりと、自分の席に座っている大神に視線をやれば、それに気付いた大神が苦笑を浮かべ首を横に振っている。
彼の情報では勉強はしていないということか。
そして、気になるところは、入学試験、合格目安点よりどれだけ得点差があったのかということだ。
彼らの会話を聞いていて、ふと気づく。
誰も、東條凛のことを名字で呼ぶ人がいない。
自己紹介をしておらず、また、どう呼んでほしいかも言わない彼女に対し、呼ぶ名がないため呼ばないという建前を振りかざしつつ、真実は彼女の名前を呼ぶことすら拒否したいという私情を思い切り前面に出しての対応のようだ。
気持ちは非常にわかる。
兄の名を呼ばれた時、私自身、怒りが沸いた。
兄の名を勝手に呼ぶなと、言いたくなった。
そんな相手に自分の名前を親しげに呼ばれたくなどない。
自分勝手と言われようが、我儘と言われようが、嫌なものは嫌なのだ。
友に名前を呼ばれるのとはわけが違う。
生徒会役員を共に果たした諏訪や大神に未だ、名前を呼ばせないのと多少意味は異なるが、それでも名前を呼ばれるということはそれだけで特別な意味を持つ。
自分が認めた相手でないと、名前を呼ばれたくないし、呼びたくもない。
彼女はそのことにいつ気が付くのだろうか。
***************
結局のところ、先生方に抗議に行く者は現れず、私を名前で呼ばないという取り決めを周知させるだけに留まった。
2年になって最初のマナーの授業は、ダンスであった。
基本中の基本、ワルツだ。
それを聞いた瞬間、暗澹たる思いに囚われる。
こういった学校は、得てして男子よりも女子の方がわずかに人数が多い。
進学校で理系よりであれば、男子が多いという具合に、ある程度の傾向がある。
東雲の場合、ほんのわずか、クラスの半分より1人、2人、女子が多いのだ。
私はダンスが好きではない。
間違いなく、この身長と男子用制服のおかげで男子パートに振り分けられるからだ。
男子パートに振り分けられるという点で、多少なりとも利点はある。
自分のパートナーを誰よりも先に選ぶことができるということだ。
授業の中で、ダンスの自分のパートナーを選ぶ優先権は、男子にある。
ダンスをリードするのは男子パートの方なので、自分がリードしやすい女の子にパートナーをお願いしに行けるというわけだ。
ちなみに、ダンスのパートナーを選ぶとき、私は実にモテる。
選ぶのは男子パートを踊る女子と、男子生徒にあるのだが、女の子同士の方が踊りやすいからと殺到してくるのだ。
この時ばかりは諏訪や橘を押さえて私が一番人気となる。
背が高すぎる疾風は人気がない。
首が痛くなるからというのが理由だ。
マナールームと呼ばれるマナーの授業専用の教室へ向かうと、隣のクラスの生徒たちも半ば集まっていた。
「相良!」
珍しくすでに教室に来ていた諏訪が、私の到着と同時に声を掛けてくる。
「頼みがあるのだが」
女子生徒に囲まれていた諏訪は、彼女たちの包囲網を突破すると、私の前に立つ。
「俺のパートナーになってくれないだろうか?」
恐る恐るといった風に、私の顔色を窺いながらパートナーの申し込みをしてくる。
それに気付いた女子生徒たちから諦めや失望の表情が浮かんだ。
私に言うとわかっていて、それでも希望を持っていたのだろう。
「諏訪、申し訳ないが、お断りさせていただく」
「もう、決まっているのか?」
「いや。誤解しているようなので、訂正しておこう。私は、男子パートを踊ることになっている」
「…………そう、か」
一瞬、目を瞠った諏訪が、何故か嬉しそうに笑った。
何故そんなに嬉しそうなんだ!?
どこに嬉しく思うことがある!?
「とても残念だが、それなら仕方あるまい。大人しく引き下がろう。だが、どなたを誘えばいいか……」
あっさりと引き下がりながら、困ったように呟く。
「君のクラスには阿蘇の姫がいらしたな? 彼女にお願いするといいだろう」
「足を踏まれそうだ」
少しばかり嫌そうに諏訪が言う。
それはそうだろう。
阿蘇家は相良寄りだ。
外戚と言っていいほど、数代おきに婚姻関係を結んでいる。
「私が口添えすれば引き受けてくれる。彼女は、そこまで意地悪はしないよ」
神職系の家系である阿蘇家と同じ神職系の諏訪家は、仕える神が異なるので、そういった面でも仲が悪い。
だから余計に周囲が誤解せずに済む相手でもあるのだ。
「それならいいが……」
困惑した表情を崩さずに、諏訪は頷く。
苦手な相手でも妥協できるほど、精神的に落ち着いてきたようだ。
これはいい傾向だろう。
「早く申し込んでおいた方がいいだろう。彼女は人気者だ」
ダンスの相手としては、非常に申し分のない相手だけに、阿蘇家の姫は数人同時に申し込みが来るなどこういう授業ではよく見る光景だ。
諏訪に付き合って、阿蘇の姫の許に向かい、口添えをした後、私は自分の相手を何方に頼もうかと考える。
「やはり、千瑛が一番かな? どう思う? 疾風」
半歩ほど下がった位置に立つ疾風に声を掛けたとき、ねっとりした声が私を呼んだ。
「あーっ!! 八雲様の弟君!! 隣のクラスだったんだね」
その声に、周囲の者たちの表情にも嫌そうな色が浮かんでは消える。
表情を取り繕えるというのは、便利でもあり、不便でもある。
「ダンスの相手を探しているんでしょう!? あたし、なってあげてもいいのよ?」
私に近付き、触れようとしてきたので、するりと躱す。
「あん、もう!! 恥ずかしがり屋さんなんだから!」
空を切った手に、東條凛は私が恥ずかしがって避けたのだと思ったらしい。
「でも、あたし、恥ずかしがり屋さんには慣れてるから大丈夫よ。遠慮なんかしなくてもいいし」
「あら。遠慮なんてしないわよ? それに、恥ずかしがやり屋さんでもないから」
私の胸許あたりで千瑛の声がする。
探しに行こうと思っていたら、本人が来てくれたようだ。
だけど、がっしりと抱き着いてくるのはちょっとやめてほしかった。
少しばかり息苦しいです、千瑛さん。
「だって、パートナーは私だもの。ねぇ?」
下から覗き込んでくる千瑛に、笑って頷く。
「お願いしてもいいかな、千瑛?」
「もちろんよ」
にっこり笑った千瑛は、ちらりと東條凛を見てせせら笑う。
「一度、鏡見てきたらどうなの?」
鏡を見ろというのは、自分の態度を見直せという意味だ。
決して、顔が不細工だということに気付けということではない。
だが、東條凛は後者だと勘違いしたようだ。
「何よ! あんただって大したことないじゃない!? あたしはかわ……」
「可愛いって顔じゃないわねー普通以下でしょ、ここじゃ。その年で化粧してるあなたと化粧要らずの私たちの顔立ちとじゃ雲泥の差があるってことよね。特に、年取ってから!」
にやりと笑う千瑛の顔は、確かに可愛らしい。
なのに、何故か千瑛は私の顔を差した。
「どう? すっぴんでこの顔の隣に並べる? 見劣りするって辛いわよねー」
何故、私の顔がここで出てくるんだ。
「あんただって!!」
「見劣りしてるかしら?」
にこやかな千瑛の笑顔。
楽しんでいるというのが、よくわかる。
黒く先が鏃のように尖った尻尾が機嫌よくゆらゆらと揺れているような幻覚を見たような気がした。
千景とそっくりな千瑛の顔は、小柄な身長と相まって非常に可愛らしく見える。
瑞姫さんは黒ゴスが似合いそうと千瑛を見るたびに呟くほどだ。
(見事だね、千瑛。女の戦いを熟知してるねー)
ふと、呆れたように瑞姫さんの声が聞こえた。
女の戦いって……。
思わず脱力しそうになる。
(どうあがいても、千瑛の勝利は間違いなしだから、移動しなさい)
了解しました、瑞姫さん。
私は千瑛の肩を軽く叩く。
「千瑛、疾風、行こうか」
そう2人に声を掛ける。
東條凛には声を掛けない。
最初からいないものとして扱っているからだ。
何せ、いまだに名乗りもしないのだ。
知人ですらないものをどうやって扱えというのか。
「そうだな。行くぞ、菅原」
疾風が千瑛に引き上げろと声を掛ける。
「菅原!? 千景君が女の子!?」
どうやら今頃になって、千瑛の顔が千景とそっくりであることに気が付いたようだ。
そうして、別の勘違いをしている。
(うわーっ!! ここでその間違いをするかな!?)
私の中で瑞姫さんが大爆笑をしている。
残念な人という言葉の意味を、私は何となくだけれど、理解し始めていた。