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安倍家は四族と間違いやすいが外族だ。
外津国と呼ばれる大陸から、いつの頃かやってきて、己の実力のみで台頭し、現在の地位を築き上げた。
安倍家についてはしばし不可思議な記述がある。
魑魅魍魎の類を妻に迎えた等がその筆頭だ。
おそらくは、いずこからか渡ってきた外国人を妻に迎えたのだろうと考えられている。
国籍を与えられるような表ルートではなく、漂着したとか、本国にはおられず命懸けで渡って来たとか、そういった正規ではない方法でやって来た外国人が鬼や妖怪などと呼ばれた時代もあるらしい。
それゆえに安倍家は異端視され、また謎めいた一族と思われてきたようだ。
東條凛の父親が、その安倍家出身とは驚いた。
5番目の子供とはいえ、外族もまた葉族に比べれば相当に格上だ。
何故、彼は葉族に就職したのだろう?
そう。『就職』なのだ。
東條家の使用人ではなく、東條家が経営する会社に就職したのだ。
たまたま東條家当主が彼を気に入り、傍に置くようになったのだが、そこらへんのいきさつが非常に曖昧でよくわからないのだが東條凛の母親と知り合い、恋仲になり、彼女を連れて出て行ったらしい。
当然、仕事はそこで退職しており、籍を入れてから安倍家の系列の会社に再就職しているようだ。
それと少し気になったのが、その頃、東條家の屋敷勤めの使用人で丁度彼らと同じ年頃の青年がひとり死亡している。
こちらも交通事故らしい。
深く考えない方がいいだろう、これは。
どちらが父親であろうと、東條凛が存在する。
それがすべてだ。
東條家のことはさておき、部屋に戻った私は、掃除をしていて汚れた服を着替えるついでに汗を流そうと着替えを手にバスルームへ向かう。
疾風を待たせているので手早く済まそうと服を脱ぎ去り、鏡に映った自分に一瞬どきりとする。
身体に幾重にも走る白い線と、右腕と右脚に太く残るケロイド。
何度見ても見慣れないそれに一瞬息を止め、そうして吐き出す。
こんなことで怖がっていては、もっとひどい時期を過ごした瑞姫さんに申し訳が立たない。
これは随分と良くなった上に、これ以上酷くはならず、少しずつ消えていくのだから。
そう自分に言い聞かせ、鏡の中の自分を見据える。
もう二度と逃げ出さない。
そう決めたから、戻って来たんだ。
怖がるな。
大丈夫だ。
目を閉じ、深呼吸をして心を落ち着ける。
うん、大丈夫。
もう平気だ。
バスルームへ入ると、シャワーコックを捻り、頭からお湯を被った。
「瑞姫、髪が湿ってる! ちゃんとよく拭いて」
着替えを済ませ、疾風が待つリビングへ向かえば、渋面の疾風がタオルを持ってくると私の髪を拭き始める。
「え? 大丈夫! 風邪ひかないし」
「そう言うやつに限って、風邪をひくんだ。瑞姫の大丈夫はあてにしない」
手つきは丁寧だけれど、口調は結構酷い。
これは、今までの流れから来ているな。
瑞姫さん、何やったんですか、あなた!?
思わず恨みがましい声が出そうになったけれど、瑞姫さんは知らんぷりをしている。
まったく反応がない。
これは、迂闊に返事をすれば藪蛇になると思っての無反応だろう。
「大丈夫だって。あんまりドライヤーをあてたくないし」
「だったら、きちんとタオルで水分を拭き取れ」
お母さんみたいなことを言う。
勿論、これを口にすれば、絶対に怒られるから言わないけど。
「……瑞姫?」
「え!? な、なに!?」
「今、良からぬことを考えただろう?」
「良からぬ事って!?」
何でバレちゃったんだろう?
「口許、微妙にヒクついてた」
ぷにっと口の横あたりを摘まんで言う疾風。
「そんなことないだろう」
「いや。自分で考えたことがおかしくて我慢してた顔だぞ」
「笑ってないから!!」
「……瑞姫?」
促すように名前を呼ばれ、私は知らん顔をする。
根競べなら負けない。
「………………」
しばらくの間、無言の駆け引きが続く。
そうして、諦めた疾風が溜息を吐いた。
「もういい。負けた」
「疾風?」
「東條の書類、いつ使うつもりだ?」
話題を変えるように、疾風が問いかけてくる。
「わからない。今はまだ使うつもりはない」
「いいのか?」
「うん。今はね。向こうから近付いてこなければ、放っておく」
ゲームに似た世界だからと言って、そのシナリオ通りに動く必要はないはずだ。
私は、私だ。
自分の人生を自分で決めて生きていこうと考えることは、悪いことではないはずだ。
もちろん、1人で生きていくことはできないので、色々と手助けが必要になってしまうのは、不甲斐無いところではあるが。
瑞姫さんもずっと考えていた、『誰かの役に立ちたい』という願い。
それが、今のところ、私の将来の目標でもある。
「おまえがそれでいいのなら、俺は従うが。近付いてこないとは言い切れないぞ。おまえを八雲様と間違えた挙句、おそらく八雲様の弟だと思い込んでるぞ」
「……弟……いや、もう、どうでもいい。調べればわかることだし、それ」
「まあな」
疾風は頷いて答えるけれど、相手はそんなことを調べるはずもないと思っているようだ。
私も、多分調べないだろうなとは思う。
「瑞姫、そう言えば、柾様が話をしたいと言っていたぞ」
「柾兄上が?」
長兄殿が私に何の用だろう?
「兄上のご都合に合わせるからと伝えておいてくれないか?」
「承知した」
同腹の兄妹だというのに、予定を伝えるのは本人ではなくて人を介してというのがこの世界のおかしなところだと、瑞姫さんに言われたことがある。
指摘されて初めて気付く歪み。
言葉を交わすことなく、メールでやり取りする家もあるらしい。
普通というものがどういうものなのか、少しだけ気になった。