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ここ数日ほど、穏やかな日々が過ごせている。
そう、思いたいのに……。
新学期2日目の実力テストの結果が掲示板に貼り出される。
その結果に私は驚いた。
2位だ。
一応、1年の時の教科書とノートを開いて、瑞姫さんに要点を教えてもらってはいた。
日記を読むつもりにしていたけれど、実力テストがあることを思い出して、慌てて教科書を開いたのだ。
中等部の後半から高等部1年までの授業を受けてはいない。
それは瑞姫さんが受けていたので、記憶としては残っているものの、あやふやな点が多いのだ。
いきなり成績を落としては、注目を浴びてしまう。
今は目立ちたくないのだ。
瑞姫さんと入れ替わって、時間もほとんど経っていない。
彼女との差異を違和感として捉えられては困るのだ。
たった数時間でどれほどのことができるのだろうかと思っていたが、誰もが怪しまない順位を保てたのでほっとした。
だが、驚いたのは、私の成績ではない。
今この時期なのに、すでに赤点を取った者がいたのだ。
それも、全種目赤点、しかも、2人。
東雲は未来の経営者を育てるということもあり、レベルはかなり高い。
だからこそ、外部生たちも狭き門だと知りつつも東雲を目指すのだ。
ちなみに授業料などの料金は、外部生に限り、私立にしては割と安いらしい。
寄付金という形で幼稚舎から通う内部生の保護者が外部生の授業料などを一部負担しているらしい。
優秀な人材なら、きちんと育て上げて社会に貢献できるようにという考え方なのだろう。
元々、内部生というのは四族出身者が殆どだ。
寄付金を積むくらい、さほどの負担にはならないはずだ。
それはさておき、内部生も外部生も、東雲の名を汚さぬようにと日頃から勉学に励む者が多いのだが、驚くべきことに例外がいたようだ。
『以下の者、課題提出後、再試とする』と書かれた文字の下、2人の名前が書き記されていた。
その名前を見て、脱力してしまう。
『島津斉昭・東條凛』
そのどちらも、現在の私にとって厄災のような名前だ。
東條凛は、まあ、始業式の日に会っただけで、あとは会わないように気を付けているけれど。
島津の方は、運が悪いことに同じクラスだ。
島津と相良は大大名と小大名という歴然とした力関係が、その昔、存在していた。
さらに領地を欲する島津は、事あるごとに相良へ兵を進めようとし、その度にご先祖様が追い返していたという。
一度たりとも領地を奪われたことがない。
それが、相良の誇りでもある。
つまりは、領地を奪われまいとして、様々なことをやらかしたとも言い換えることができる。
島津にとって相良はまさに目の上のタンコブというものだ。
中央へ攻め入るための拠点としてどうしても欲しい領地であるが、そこにある相良と阿蘇に毎回阻まれるのだから。
しかも、相良の姫を嫁に貰い、婚姻関係を結ぼうと持ちかけても、絶対に頷かないのだ、誰ひとりとして。
二重の意味でプライドを傷つけられた島津家は、相良家を敵視していたわけで、相良としても実に面倒臭い相手に愛想を売りたくないので両家は犬猿の仲だった。
これは、何百年も昔の話だけれど。
そして、現代。
直系で続いてきた相良家は、名家として名を馳せ、分家から養子を迎え入れて家を繋いできた島津家はその相良家よりも家勢に翳りがある。
今度は別の意味で、犬猿の仲になっていた。
祖父たちの仲は、最悪なまでに悪い。
父たちは、一言も口をきいたことがないらしい。
その子供たちの代はというと、島津斉昭は中等部のあたりからよからぬ遊びを好んで行っており、その筋の女性からは異様にモテているわけで。
そこまでは、中等部に通う身でありながら父親にならなくて済んでよかったねという一言で切り捨てられるのだが、どこでどう間違ったのか、瑞姫さんに言い寄るようになった。
それが現在進行形で私にまで及んでいる。
外見上は同一人物なのだから、当たり前だけれど、嫌悪感は半端ない。
爽やかな朝だというのに、『相良、イイコトしない?』と挨拶もせずに話しかけてくるのだ。
こういうことが3日も続けば、疾風が問答無用で声を掛けた瞬間に床に沈めるようになった。
風紀を乱す言葉を発しているため、疾風の実力行使は大目に見てもらえているようだ。
怪我をさせるわけではなく、単に取り押さえているだけなので。
そのあと、風紀委員がどこかへ連れ去っていくという連係プレーも生まれている。
毎朝のことなので、大神もどうにかすると言ってくれたし。
「相良っ!」
にこやかな笑顔と共に、問題の島津が手を振って近付いてきた。
「俺、赤点取っちゃったんだけど、勉強、教えて? その後で、俺と別のベンキョウを一緒にし……」
「島津斉昭君。担任の先生が生徒指導室でお待ちです。そのあと、風紀委員会の方へお越しください」
島津の背後から、彼の肩をポンと叩いて告げたのは大神だった。
「えー!?」
「おや、ご不満ですか? では、さらに追加して、生徒会室へもお越しください。ご両親をお呼びして、現状を説明させていただきましょう」
「ちょっ!! ちょっと待って!! それなしっ!! それ、なしの方向で!!」
さすがに慌てた島津が、生徒会室への呼び出しを拒否する。
生徒会室に呼ばれ、しかも保護者呼び出しとなれば、その後待っているのは校長室あるいは理事長室への呼び出しの後、何らかの処分言い渡しだ。
謹慎、あるいは停学、または退学を言い渡されれば、家の面子を守るために処分保留にして転校手続きを取るしかない。
家の体面を守らなければならない名家は、少しの瑕疵も許されないと考える家も多いせいだ。
島津はこれまでにも何度か問題を起こしているらしい。
私には一切関係のないことなので、どんな問題を起こしたのかはまったく知らない。
「では、すぐに生徒指導室へ行ってください」
「えーっ!? 俺、だって、相良に……」
「相良さんは関係ありません。君の生活態度が問題となっているのですから、改めるまで風紀委員会も生徒会も君に付き合ってあげますよ」
にっこりと笑顔を深め、大神が告げる。
うん。聞くだけで怖いよね、何だか。
案の定、青褪めた島津は諦めたらしく、とぼとぼと肩を落として生徒指導室へと向かいだす。
「また妙な輩が出てくる前に、教室へ戻りませんか、相良さん?」
笑顔魔人が柔らかな人当たりの良い笑みを浮かべて誘い掛ける。
「……そうだな。見るべきは見たので、もうここにいる必要はないな」
傍にいた疾風を見上げ、教室へ戻ることを伝える。
先程、島津の発言を疾風が遮らなかったのは、大神が来るのが見えていたからのようだ。
あの場で疾風が島津を取り押さえるよりも、大神が追い払ってくれた方が周囲への被害は少ないのは確かだ。
精神面への負荷は考慮に入れていないので、実際どれほど被害が出ているのかはわからない。
「島津君は、ちょっとまずいことになっていましてね。それで、呼ばれたんですよ」
教室への道のりを歩きながら、大神が苦笑しながら掻い摘んで説明する。
「それを私に話しても大丈夫なのか?」
「中身については、確かにまずいのですが、どうせ、数日しないうちに噂が回るでしょう。彼の日頃の行いの結果というべきことですから」
「日頃の行い、か……」
頷いてみたものの、さっぱりわからない。
わかるつもりもないので、噂が出回ったらわかることだろう。
そこまで考えて、ふと気がついた。
また、一言も発することなく島津の姿が消えたようだ。
父たちは言葉を発したことがないと言っていたが、私の場合も、似たようなものだ。
絡んでくる島津に対し、私は一言も発する間もなく彼を見送っている。
話すことなど何もないので、まったく問題だと感じたことはない。
教室に辿り着き、もう一つのことに気付く。
そういえば、いつもは掲示板の前で諏訪の姿を見かけるが、今日は見ていない。
そういうこともあるんだなと、のんびり考えていたら、休み時間に飛び交う噂に驚くことになった。