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私が今、生きて、生活しているこの世界が、ゲームによく似た世界だと書かれてあった。
そのゲームの名前、登場人物、彼らの設定。
確かによく似ている。
もちろん、違うところもかなりある。
だからゲームの中ではないと結論付けたとも補足されている。
正直に言って、その補足を目にして止まりかけた呼吸が吐き出され、落ち着いた。
それほどまでに衝撃的だった。
もし、これがゲームの中だとしたら、一体、私は何なのだろうと誰かに問いかけたくなる。
だから違ってよかった、と、本当にそう思った。
資料の中には、それぞれの登場人物の生い立ちや性格などの公式設定とそれ以外の裏設定とにわかれ、丁寧に書き込まれていた。
瑞姫さんが知る限りの記憶に基づいているので、あやふやな箇所もあるとは添えてあるが、読み解く分にはかなりの精度のように思える。
そうして、先に進んでいけば、各人物の攻略方法やイベント発生条件とやらが書かれていた。
そうか、あの時、東條さんが言っていた『イベント』って、このことだったのか。
つまりあの場違いなまでの発言は、彼女にとっては場違いではなく、決められたセリフだったのか。
それが、あのセリフ。
もし、自分が失恋してても、あんなことを言われて傍にいてほしいとは到底思えない。
始業式は、イベント尽くしで、特に諏訪とのイベントが目白押しだと書いてある。
ということは、諏訪は朝からあの調子で彼女との会話に付き合わされていたのか。
さすがに気の毒に思う。
だから、諏訪はあんなにイラついていたのか。
本来ならば、同じクラスになっていた私が見かねて注意を促すらしいのだが、生憎私は隣のクラスで、しかも保健室で気を失っていたわけだし。
ステイタスというもので、相手の感情がどのくらいなのかを計ることができるらしいのだが、これにもいくつかの条件があるそうだ。
疾風の場合は、ゲーム内では八雲兄上の随身で、八雲兄上の好感度に合わせて上下するらしい。
今回の場合は私の好感度だろうか?
だとしたら、決して上がることはないので、ゼロのままか、それともあの時の疾風の反応からするとマイナスだろうな。
橘も割と条件が難しいらしい。
『あなたの味方』という言葉がキーワードらしいのだが、これが諸刃の剣なのだそうだ。
使ってはいけない場面で口にすると、てき面に下がる。
うん、下がっていた。確かに、下がっていた!!
あとは千景か。
とりあえず、他のキャラクターの好感度を一定以上、上げておかないと登場しないし、好感度も上がらないということだ。
結構、過酷なゲームのようだ。
というより、本当にこのゲーム、面白いのだろうか?
ゲームをしていた瑞姫さんには申し訳ないが、どうにもこの資料を読む限り、私にはなじめそうにない。
(あ? 面白くなかったよ、ゲームとしては。なんたって、主人公が最悪だったもの)
瑞姫さんが溜息交じりに告げる。
ゲームとしては?
ゲームじゃなかったら面白かったの?
(ああ、うん。声優さんがねー! 最っ高!! に、いい仕事していてね。さすがプロだわーって思ったほど、良かったんだよ)
へ、へえ?
(いい声って、聴くだけで幸せになれるんだよね)
瑞姫さんは、人の声が好きなのか。
(今、ドン引きしたでしょ!? 昔の話だからね!? 今は、そうでもなくなったから)
瑞姫さんの言う『昔の話』という言葉に、胸がちくりとする。
彼女がここにいるということは、ゲームをしていた『瑞姫さん』は、もう亡くなってしまっているということなのだから。
ゲームの中の私は、どんな感じだったのだろう?
(瑞姫? 瑞姫はねぇ……そうね。12歳の時の瑞姫がそのまま16歳になった感じだよ。髪が長くて、女の子らしい体形で、身長もそこまで高くなかったし)
「すみません!! ガリガリに痩せてて高身長で、全然女の子らしくなくて!」
思わず声に出して言ってから、慌てて手で口を押える。
(ああ、それはね、仕方ないよね。身長が高くなれば、その分肩幅も広くなっちゃうし、それに武術をしているんだもの、どうしても骨太になるしね)
……ごめんなさい。そんなつもりじゃ……
(傷を癒す方が先だから、どうしても栄養面はそっちに向かっちゃうし。まあ、男子の制服を着て、まったく違和感なく美少年になるとは私も驚いたけど)
美少年……美少年は千景だと思うのですよ。
(瑞姫の方が美少年だって。傷跡を無理なく隠すためには、男子の制服の方が都合がいいから、女の子っぽい体形で違和感ありまくりよりも断然いいしね。それにね)
苦笑して、瑞姫さんが言葉を切る。
(男子用の制服を着なくて済む頃になれば、徐々に必要箇所に必要なだけふっくらしてくるから大丈夫。まあ、上2人のような迫力美人になるかどうかは断言できないけど)
私も、姉上たちのような迫力系は無理だと思います。
(だよねー……性格的に無理だよね)
2人揃って空笑い。
時間が解決することを、今、気にしても仕方がない。
そう考えてそのことはもう気にしないことにする。
(大体のところは、把握したようだね? じゃ、作戦会議に移ろうか)
その一言で、空気が締まる。
この後、わずか数分間だけれど、作戦会議が開かれた。
***************
母屋にある子供部屋へと疾風を伴って向かう。
茉莉姉上がいつ帰ってくるのかを確認しにだ。
未婚の子供たちの予定は、常にここに記すというのが我が家の決まり事だ。
私の場合、学校と帰宅予定時刻を書き記すだけなので、月曜から金曜日までは全部一緒だけれど。
からりと襖を開けると、中に八雲兄上と菊花姉上がいた。
「うわあ!! 八雲兄上と菊花姉上、帰ってらしたんですか!?」
いつもは遅くまで帰ってこない2人がいるのが珍しくて、私は思わず声を上げる。
「うん、まあね」
そう返す八雲兄上の表情は微妙なものだった。
「……瑞姫。東條の孫が転校してきたって、本当かい?」
「何故それを!?」
「本当のようだね」
東雲ではなく、国公立大学に通っているはずの兄と、れっきとした社会人である姉が、何故高等部の事情を知っているのだろうか。
いや、姉の職業は知っている。
知っているが、法に触れていないか、時々心配になる。
「みーずき! 何固まってるの! 茉莉姉さんに聞いたんだってば」
「あ。茉莉姉上か」
ごめんなさい、菊花姉上。
ちょっとだけ疑いました。
「僕は、後輩からのメールだけどね」
八雲兄上、いまだに高等部に勢力をお持ちですか。
どれだけの影響力を持ってるんだろう、この方は。
「東條の孫が、瑞姫を僕と間違えたんだって?」
爽やかな笑顔なのに、何かが滲み出ているような気がする。
これは、あれだ。
笑顔が黒いというやつだな。
「何故か、八雲兄上を3年生だと思い込んでいたようです」
「ふうん……」
首を傾げ、何かを考えるようなそぶりを見せる。
「いっそのこと、学園の株を買って、理事になろうかな?」
ふと漏らした視線の先に疾風がいる。
疾風は必死に視線を合わせまいと違う場所を見ている。
うん、それが懸命だと思うよ。
視線合わせちゃだめだからね。
「ね、それで? その東條の孫ってどんなだった?」
興味津々といった様子で菊花姉上が私に身を乗り出して問いかける。
「……そうですね。大勢の前で独り芝居をしているような印象を受けました」
正直にそう答えれば、背後で吹き出す気配がする。
振り返れば、疾風が肩を揺らしている。
「疾風。素直に笑っていいよ」
「ご、ごめん……」
手で口を押え、それでも笑いをこらえようとしているが、こらえきれていない。
「なるほどねぇ」
私と疾風の反応で、何かを感じ取ったらしい菊花姉上が感心したように呟く。
「こちらでも、色々と調べることにするから、瑞姫はあまり接触しないようにしなさいね」
そう言って、菊花姉上は子供部屋を出て行ってしまった。
「……前回は表に出てこれなかったから、心配してたんだよ、あれでもね」
苦笑を浮かべ、八雲兄上が言う。
「そうですか」
頷いて襖を見るが、もう開けられることはない。
久しぶりに会った姉兄は、やはりいつも通り過保護なのだと感心した。




