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セレブ校にしては珍しく、東雲学園にはソサエティがない。
お金持ちの御嬢様が特権振りかざして我儘し放題、ということ発想がないのだ。
それは、非常に品のないこととして目を背けられてしまうのだ。
何故か不思議なことにサロン自体はあるのだ。
よくよく考えてみれば、ソサエティがあれば、『seventh heaven』の主人公、東條凛が攻略キャラと絡めなくなってしまうからだ。
東條家は葉族だ。
神・皇・天・地の四族ではない。
設定に基づいた考え方だと、ソサエティに所属できるのは四族だけなのだ。
しかも、普通に考えれば、初等部から東雲に通う子弟だけが入れる条件になるのだから、どうあがいても凛には無理だ。
だからソサエティが存在しなかったのだろうという結論に辿り着く。
サロンは、一応、誰でも来ていいことになっている。
ローズ・ガーデンと呼ばれる総硝子張りの温室をサロンとして開放しているのだ。
そこに置かれている調度類は、非常に値が張るものだと一目でわかる。
外部生は興味津々で覗きに来て、あまりにも高価な家具が点在していることに恐怖を覚え、二度と来ない。
内部生でも、家の格が違えば、やはり高価な家具は恐ろしく映るらしく、なかなか寄ってこない。
必然的に普段から使い慣れている者のみが使用することになる。
色とりどり、様々な薔薇を植え、根を傷つけないように人が歩くための板張りの通路を作り、さらにちょっとした東屋風のテーブルセットを点在させている。
四季咲きの薔薇をアーチにし、その薔薇の門の奥に私専用の場所がある。
心配性の八雲兄が傷が痛んだ時に人目を気にせずに休める場所をと、入口からも外側からも見えにくい薔薇に囲まれた一角にイタリア製のカウチとソファセットを用意した。
気になるところは、これらのセットは私が卒業した時に撤収させるのだろうか、それともそのまま放置するのだろうかということだ。
大神にサロンに行くからと告げ、用事を済ませてからローズ・ガーデンに向かう。
いつも通り、傍には疾風がいる。
在原と橘もサロンで待ち合わせだ。
温室の扉を開けると、馥郁とした香りが漂う。
強すぎないその香りは、野薔薇から品種改良したものだろう。
かかる声に会釈で返し、奥へと向かう。
「ああ、相良さん」
さも偶然だと言いたげに大神が声を掛けてくる。
「ごきげんよう。ご一緒しても?」
諏訪への説教タイムは、呼び出して頭ごなしに言うよりも、ごく自然にした方がいいのではないかという大神の言葉に従い、茶番を演じることになった。
「ええ、どうぞ。いいよね、伊織?」
「………………」
頬杖をつき、茫洋と遠くを見ている諏訪は何も聞いていない。
あまりにも腑抜けたその様子に、大神も溜息を吐く。
ゲームではこれが1年間続くのか。
よくもまあ、友達続けたな、大神よ。
心底感心した私は、爆弾を落とすことにした。
「おめでとう、諏訪。詩織様に振られたそうだな」
私の一言に、諏訪だけでなく、声が聞こえた人達全員の顔色が変わる。
「お前に何がわかるっ!!」
腑抜けていた諏訪の表情に生気が戻り、だんっとテーブルを叩くと私に向かって怒鳴りつける。
「……わからないな」
「だったら!」
「せっかく、詩織様が下さった最大のチャンスを、何故活かそうとはしないんだ?」
「……は?」
あまりの衝撃に正気に戻ったはいいが、今度は私が言っている言葉の意味が理解できずにきょとんとしている。
間抜け顔も以外に可愛いじゃないか、このイケメンめ!
「詩織様に振られたからといって、何故、失恋に繋がるんだ?」
あのゲームをしていて、実に疑問だったことをぶつけてみる。
「詩織が、俺を弟だと……」
「そこだ。詩織様が言ったから、諦めるのか? 実際、諦めきれてないだろう? そもそも、詩織様を慕う気持ちはお前自身のものだろう? だったら、人に何か言われたくらいでブレるな」
「俺は……」
「詩織様が何を言おうと、お前の気持ちはお前のものだ。自由に想っていて構わないはずだ」
「……いいのか? 俺は、詩織を好きでいても……」
「例え詩織様でも、お前の気持ちをとやかく言う筋合いはないな」
私の言葉に、光明を見出したとばかりに表情を輝かせる諏訪と、何を言い出すんだと顔を顰める大神。
言いたいことはわかるが、私に頼んだ時点で己の判断ミスを悟るがいい。
私が大神に頼まれたのは、諏訪を正気に戻して元気になるよう仕向けることだ。
内容に関しては、別に指示されたわけじゃないし。
「そう、か……そうか!」
瞳に輝きが戻り、頬に血の気がさす。
かつての諏訪に近づきつつある。
「しかしな、ここで問題がある」
「え?」
「詩織様と両想いになれるか、という問題だ」
問題点を指摘すれば、即座に萎れる諏訪。
なんか、こういうおもちゃが相当昔にあったような気がする。
前世の父親がお花の形の動くおもちゃを持っていたが、踊るのと萎れるのと動くパターンがあった記憶がある。
「当然、このままでは無理だが、ヒントは詩織様自身が下さっただろう? 弟としか思えない、と」
「……弟……」
「一般的に弟の定義は何だと思う? 血の繋がりがあり、常に傍にいる年下の男、だろう?」
私が訪ねると、諏訪が悔しげに私を睨む。
言い返せないだけに悔しいらしい。
「諏訪は、詩織様の傍にいすぎたんだ。卒業式の時に言っただろう? あまり傍に侍るなと」
「っ!? あれは、そういうことだったのか!」
「無駄に終わったようだが、そういうことだ。それだからこそ、活かせることがある」
目を瞠った諏訪が、今度は顔を顰める。
私の言った言葉の意味に気付かなかった己の不甲斐無さを省みているらしい。
今更無駄なことだが。
「諏訪、自分の想いを諦める気はないのだろう?」
「もちろんだ」
「では、私の言うとおりに動けるか?」
「そうすれば、俺は詩織の隣に立てるのか?」
「絶対に、とは言えない。想いが届かないこともあるだろうし、諏訪自身の気持ちが萎んでしまう可能性も否定できないからな。だが、このまま何もしないよりかは、確実に確率が上がるとは言える」
「相良の言うとおりに動く」
「わかった。まず、諏訪の情報を完全に詩織様に伝わらないようにコントロールしろ。詩織様から諏訪伊織という人間の存在を一度、完全に消してしまうんだ」
「詩織から、俺を、消す!?」
「弟だった諏訪伊織を消す。それと同時に、詩織様が知らない諏訪伊織という人間を育て上げるんだ、自分自身でな」
「俺自身で俺を育てる……具体的には?」
「過去の諏訪伊織は、詩織様しかいない盲目的なところがあった。だから、広い視野を持って、誰にでも平等に接することができる大人の男を作り上げる。諏訪には父君といういいお手本がおられるだろう? 諏訪家当主として相応しいふるまいをなさる父君から色々学ぶべきことがある。もちろん、女性の扱い方も覚えるべきだ」
「だが、俺は……」
「他の女性と接することで、詩織様の素晴らしさを再認識できるぞ」
「……やるっ!」
決意に満ちた表情で即答する。
簡単に乗せられるとは、意外と犬気質だったんだな、諏訪は。
ゲームでは俺様キャラだったから、ここまで犬だとは思わなかった。
「相良!」
がしっと私の手を両手で握りしめ、諏訪が私の名を呼ぶ。
「これからはお前のことを師匠と呼ばせてくれ」
「嫌だと言っても呼ぶつもりでしょう?」
「ああ。誰も諦めろとしか言わなかった。お前だけが俺の気持ちを認めてくれた。お前は本当にすごい人間だ。相良の助言は、俺に必要なものばかりだ。何でも言ってくれ。俺が成長するためにも、お前に従おう」
言うんじゃなかった……。
ゲームでうじうじしてるし、今もうじってたから、鬱陶しくなって言ったけど、言ったら言ったで暑苦しくて鬱陶しさが倍増した。
後悔先に立たずってこのことか!
「……では、今ひとつ。タイムリミットは2年後だ。今年20歳になられる詩織様の婚約は大学卒業とほぼ同時だろう。それまでに隣に立てるまで成長しなければ意味がない」
「わかった。具体的に何をすればいいのか、父を見てこようと思う。今日はこれで失礼させてもらうが、また相談に乗ってくれ。じゃ」
おまけにぎゅっと手を握りしめた諏訪は、慌ただしくサロンから去って行った。
微妙な沈黙があたりを支配する。
諏訪の豹変具合に誰もついていけなかったようだ。
だが、私は清々しい気持ちで諏訪を見送ることができた。
決して鬱陶しい存在がサロンから消えたからではない。
「……相良さん……」
どうしてくれるのと言いたげな声がかけられる。
「条件は満たしたのですが、何か問題でも?」
「問題だらけでしょう!? 伊織をあの人から引き離したかったのに、何故」
「引き離しましたが?」
「思い切るように言わずに、彼の想いを肯定したじゃないですか?」
「肯定しなければ、諏訪は早晩壊れましたよ。それは誰も望んではいない結果だと思いますが」
私の指摘に大神は言葉に詰まる。
「ですが、他の方法が……彼女に思いを残されては……」
「近いうちに、諏訪の想いは醒めます。硝子のようにヒビが入った想いを衝撃に任せて割ってしまえば、心は壊れる。だけど、一度、真綿にくるんで衝撃を殺してしまえば、ゆっくりと欠片が零れ落ちても心が壊れることはない。諏訪は詩織様以外の人を受け入れることを選んだ。詩織様しかいなかった世界に他の人を徐々に受け入れていけば、そのことに対応することに追われ、壊れた欠片に気付くことはない。気が付けば、良き思い出になっているでしょう」
「……そこまで考えていたんですか」
茫然としたように大神が呟く。
今思いついたことであって、別にそこまで考えていないのが事実だ。
だが、都合がいいので黙っておこう。
「私の引き受けた役目は終わりました。あとはそちらで」
立ち上がり、大神にすべてを丸投げする。
この立ち上がるという動作が、存外難しいのだ。
ことさらゆっくり動かねば、皮膚が突っ張って痛い思いをする。
立ち上がってから歩き出すのも少しばかり苦労する。
それを知っている疾風が、いつものように傍に近づき腕を差し出す。
最初の一歩のための杖代わりだ。
「静稀、誉。待たせてすまない。ここでの用は終わったので、帰ることにしよう」
一歩、足を動かし、声を掛ける。
「そうだね、帰ろうか」
在原が頷き、橘が疾風とは反対側に立つと、私の腕を取る。
「せっかくだから、車寄せまでエスコートさせてもらおうかな」
冗談っぽく言いながら、手助けをしてくれる。
それに笑い返しながら、私は彼らと共に歩き出した。