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「瑞姫! 倒れたって!?」
茉莉姉上の一喝にも負けずに飛び込んできた在原、橘、千景に私は驚く。
「瑞姫ちゃん、大丈夫!?」
それに少し遅れた千瑛と、大神。
こんなにも彼女を心配してきてくれたのか。
「大丈夫。心配かけてごめん」
「心配ならいくらでもするけど!! 瑞姫が大丈夫ならそれでいい」
泣きそうな表情で立ち止まる在原と千瑛、千景。
「原因は? 寝不足? 貧血?」
わずかに表情を曇らせ、大神が問う。
「どちらも違う。まだ、原因不明」
理由はわかっている。
私と彼女が入れ替わるためだ。
だが、これは秘匿情報であって、口にしていいことではない。
「瑞姫……良かった、無事で」
ふらりと近付いてきた橘が、私の目の前で立ち止まると手を伸ばし、ぎゅっと抱き締めてきた。
「……誉?」
「よかった。目が覚めて……」
ああ、そうか。
誉の養母は身体が弱い。
倒れると、いつもこれで体力が尽きるのではないかと心配しているのだろう。
彼女と私が重なってしまったのか。
「……瑞姫……」
ぎゅうぎゅうと抱き締めてくる力はとても強い。
というか、さらに強まってきている感じだ。
だけど橘は震えている。
怖がらせてしまったのか。
「大丈夫だ、大したことではないから」
ぽんぽんと動く左手で、橘の右腕を軽く叩いて宥める。
「そうやって、すぐに無理をするから倒れるんだ」
震える橘は、抱きしめるというよりもしがみついてくる感じだ。
「う~ん。何というか、スイッチが切り替わった感じ? 本当に大したことじゃないから。もう倒れないし」
確証はないけれど、橘を宥めないことには放してもらえない。
助けてもらおうと疾風を見れば、眉間に皺を寄せて入口を睨みつけている疾風の姿がある。
「疾風?」
首を傾げれば、また足音が聞こえてきた。
「失礼します! 相良さんが倒れてこちらへ運ばれてきたと聞きましたが……」
諏訪の声だった。
その瞬間、目の前が暗くなり、車に撥ねられる直前のことが過る。
途端に苦しくなる呼吸。
「瑞姫っ!?」
橘と疾風の声が耳を打ち、普通に呼吸ができるようになった。
「どうした! 瑞姫!?」
「あ……大丈夫。何でも……」
(フラッシュバックね)
「フラッシュバック……?」
もう一人の瑞姫の声に、ぽつりと呟く。
フラッシュバックって、何だっけ……?
深呼吸を繰り返しながらぼんやり考えていれば、橘が押しのけられ、茉莉姉上が私の顔を両手で挟むように固定する。
「瑞姫! もっとゆっくり息をしなさい! そう、ゆっくり……」
その声に誘導されるように、ゆっくりと呼吸を繰り返す。
緩やかな呼吸は眠気を誘い、再び意識が遠のいていく。
「茉莉……姉、上……」
「いいわよ、そのまま眠っても。大丈夫、ゆっくり休みなさい」
ああ、茉莉姉上が許可してくれたから、眠っても大丈夫なんだ。
そう思うと、気が楽になり、途端に眠気が押し寄せてくる。
そのまま気を失うように、私は眠りに身を委ねた。
***************
「あっちゃー……やっぱりこうなったか」
気が付けば、額に手を当て溜息を吐くあの人がいた。
「えーっと……?」
何がどうなったのか、よくわからない。
周囲を見渡せば、あの闇の中ではなくて、今度は蒼い世界。
海の青なのか、空の青なのかはわからないが、あの闇よりも遥かに居心地がいい。
この人が感じている世界が、あの暗い闇の中じゃなくて本当によかったと思う。
「あの……」
思わず私は呼びかける。
「ん? 何かな?」
首を傾げるその人に、私は現時点で困っていることを告げる。
「あなたのことを何てお呼びすればいいんでしょうか?」
「ああ。そうか。本体と記憶の欠片じゃ味気ないしね」
「ええっ!? そんな呼び方、できませんっ!」
「う~ん。以前の名前は確かに憶えているけど。あれは『私』の名前じゃないしねー」
彼女も困ったように首を傾げている。
「好きに呼んでくれて構わないけど?」
「年上の方にそれでは失礼ですし」
「いやいやいや。根本的に、一緒なのよ? 私と君は。同じ瑞姫なんだから」
「……じゃあ、瑞姫さんでいいでしょうか?」
恐る恐る問いかければ、苦笑して頷く瑞姫さんの姿がある。
「それで構わないけれど、君が本体なんだからもっと堂々としてればいいのに」
「いえ。あなたには礼を尽くすべきだと思いますし。あの、それで。瑞姫さんに色々お伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「私がわかる範囲内であれば、正直に答えるけれど。ああ、立ち話もなんだし、座る?」
そう言って、彼女が示した先には向かい合ったソファセットがある。
「え!? いつの間に?」
「まあ、夢の中なんだし。そういうのもありじゃない?」
「……ありなんですか……」
のんびりと、というよりも、鷹揚に構える瑞姫さんの大物ぶりに私は感心する。
物事に動じない方だと言われている私よりも格段に上だ、この人。
瑞姫さんは場所をあっさりとソファに移して手招きすると、向かい側のソファを勧めてくる。
「それで、何が聞きたいの?」
「まずは、『やっぱりこうなったか』と仰った言葉の意味です」
この人には率直に尋ねた方がいい。
正直に答えると言ってくれる人に遠回しに言葉を選ぶ必要はない。
「んー……意味は2つある」
ちょっと考え込みながら、瑞姫さんは答えた。
「2つ?」
「1つは、君がここにきちゃったこと。もう1つは諏訪が来た時の君の反応」
「あ! フラッシュバックって言っていたこと?」
「そう。本当はフラッシュバックでも何でもないけど。だって、瑞姫には事件直後ってことだから。諏訪の姿を見て、事件直後の記憶が繋がり、あそこから続きを始めようとしただけだから」
「………………あ」
わかった。
そういうことなのか。
車に撥ねられた直後、私は気を失った。
そこから瑞姫さんが『瑞姫』になったのだけど、私がそこからやり直そうとしたのなら確かに痛いとか苦しいとか、そういう感情に囚われることになる。
だけど、瑞姫の身体にとって、それはも済んでしまったことなのだから、フラッシュバックと呼ばれる現象に似てしまうんだ。
だから瑞姫さんはフラッシュバックと言って、周囲を納得させる言葉を告げたのか。
「諏訪の件はわかりました。では、もう1つのこちらに来たこととは?」
理解したことを頷くことで示し、もう1つの件について尋ねる。
その言葉に、瑞姫さんはちょっと考えるそぶりを見せた。
「まだ、君が身体に馴染んでないというか……私がいることで馴染めてないというか……まあ、そういうこと、かな?」
「だったら!」
「こらこらこら! 勘違いするんじゃありませんっ!!」
私が何かを言い出す前に、瑞姫さんがきちっと制してくる。
「いい? もう一度、はっきり言っておくけれど。瑞姫、君が生まれてから12年半、この身体をコントロールしてきたんだ。私は君がいなくなってからの3年半、君に代わってこの身体を生かしてきた。どちらが主か、問答無用でわかるだろう?」
きつい眼差し。
反論は許されない。
余地がない。
それでいて、私が逃げ出した理由を問わない優しさ。
「一度離れた心が、身体と結びつくまで時間がかかるのは、ある意味、仕方がない。そのための繋ぎとして私がまだ意識を保っているのかもしれない。すべては仮定だ。神様が総てを説明してくれない限り、何もわからない。いるのだとしたら、ね?」
にっこりと笑う瑞姫さんの笑顔は迫力がある。
きっと神様がいたとしても、彼女の笑顔の前には怖がって出てこれないだろう。
怒っていることがはっきりわかる笑顔なのだから。
「まあ、しばらくの間は、ここで私と瑞姫が情報交換するのも悪くないかもね」
仕方なさそうな笑顔で、瑞姫さんが告げる。
その一言に、私は純粋に喜んだ。
「まだ起きていてくれるの?」
「これだけ意識が覚醒してるんだから、本当にもう仕方ない。乗りかかった船っていう諺通りにコメンテーターになりますとも」
苦笑して頷く瑞姫さんとしては、本当に不本意なんだろう。
「さあ、もう一度、戻りなさい。今度は家に帰ってから会おう。じゃないと、安心して会話ができない」
「はいっ!」
瑞姫さんに促され、前回とは異なり喜び勇んでその場を離れる。
また会ってくれる。
その言葉が嬉しくて、私は覚醒することへの恐怖を克服できた。