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春休みが終わり、新学年が始まる。
あの日以来、何故か皆がいつも以上の頻度で別棟に顔を出すようになった。
特に用事があるわけではないらしい。
私の顔を見ると、何故か安心したように微笑うのだ。
心配させるようなことをしたっけか?
思い当たるようなことは何もない。
『ありがとう』と礼を言っただけだ。
してもらって当たり前という考え方は持っていないから、何かしてもらったらありがとうと礼を言うのは普通だと思う。
別に気にかけるようなことじゃないよね?
何を気にしているんだろうか。
気にしているといえば、夢の話だが、瑞姫がこちらに近づいて来てくれている。
もう少しで辿り着くような感じだ。
まあ、夢の話なので、実際にどうってことはないのだが。
***************
人だかりができている掲示板に近づけば、新学年のクラス分けが掲示されていた。
「今年は同じクラスになってるといいね、疾風」
傍にいた疾風に声を掛けながら、掲示板を眺める。
実は、疾風と同じクラスになったことが今までないのだ。
ここまで来ると作為的だが、まあ、仕方がない。
そんなことを考えつつ、掲示板を眺めて事実を確認する。
やっぱり、作為的だった。
「……疾風、同じクラスでよかったね……」
「そうだな」
単純に嬉しそうな疾風とは異なり、私の視線は他の所に釘付けだ。
隣のクラスに、東條凛がいた。
そのクラスには諏訪伊織の名前がある。
私のクラスには、疾風のほかに、在原静稀、大神紅蓮、そして菅原千瑛の名前があった。
次のクラスには、菅原千景と橘誉の名がある。
ゲームと同じ展開なら、今年も私は諏訪と同じクラスになるはずだった。
それが隣のクラスということは、学校側に提出している東條家の書類が効いているというわけか。
東條凛自体は、私への嫌がらせや殺人未遂には全く関与していない。
だが、それを行った東條家の人間だ。
当然、学校側も色々と警戒しているはずで、その警戒の中、私と東條凛を同じクラスにするという選択肢はなかったのだろう。
そうして学校側の目が届きにくいところで事が起こった場合、即座に対応できる人間を傍に配置したのが、今回のクラス割だと考えられる。
私の傍付である疾風と、生徒会役員である大神を傍につけるということは。
それ以前に、入学を許可するということは、何か思惑があったのかもしれない。
大人の思惑など、子供に手が出せようはずもない。
「疾風、教室へ行こうか」
そう声を掛け、人混みから外れたとき、こちらへと近付いてくる大神の姿に気が付いた。
穏やかな笑みを湛える好青年な印象を与える大神は、私の手前で立ち止まる。
「相良さん、少しばかり話してもいいかな?」
許可を求めているようで、拒否を認めない強引な誘い。
こちらを興味津々な表情で眺めてくる生徒たちの姿を見れば、この場から立ち去った方がいいだろう。
「ここではなんだから、少し移動しようか」
了承の言葉代わりに場所移動を提案すれば、大神は黙って頷き、踵を返す。
「岡部君も一緒に話を聞いてほしいので、同行してくれますか?」
肩越しに声を掛け、誘う。
「わかった」
返す疾風の声は硬い。
生徒たちを避けながら、中庭付近まで移動する。
「ここでなら、大丈夫でしょう」
周囲に人がいないことを確認して、大神が振り返る。
「東條家の人間が、転校してきました。伊織と同じクラスです」
その言葉に、疾風の表情が険しくなる。
「学校側から生徒会の方に、相良家から提出された東條家の念書を見るようにと指示が出たので、目を通しています」
大神は、仔細を知っていると頷きながら説明をする。
「本来なら、入学を申し込むことがあの念書に抵触することくらいわかりそうなものですが。あの書類を盾に、学校側も一度は入学拒否を考えたそうです」
「……許可した理由は?」
唸るような声音で、疾風が問う。
「理事会の決定だそうです。ちなみに、東條さんの入学試験結果は散々だそうで、入学許可できるレベルに達していないそうですよ」
くつりと人の悪い笑みを浮かべた大神が、暴露する。
「何故それで入学許可が下りる?」
「理事会の思惑が絡むからです。彼らは、相良家からの書類を利用して、東條家を潰そうと考えたようです。実際、試験結果を理由に入学許可できない旨を告げて反応を見たところ、慌てた東條家は入学金を積んだそうです」
「金を積んだ? 何を考えてるんだ」
不機嫌そうな疾風の言葉に、私も頷く。
「東雲学園に相良さんが通っていることを知っているのかいないのか、そこは計りかねますが、孫娘の我儘に振り回されている様子が伺えたと聞いています」
大神の言葉に、思わず顔を顰める。
強引に祖父母が東雲行きを決定するのがゲーム冒頭のシーンだが、孫娘が東雲へ行きたいと彼らを振り回しているのか?
奇妙な違和感を感じる。
「校長からの伝言です。理事会の思惑など気にせずに、学園生活を存分に楽しんでください、とのことでした。どうやら、理事会と職員側とで温度差があるようですね」
その言葉に、思わず納得してしまう。
経営側と教育者たちとでは、意識が全く異なって当たり前だ。
生徒が大事な教育者たちは、優等生である私の安全を守ろうという意見が出ても不思議ではない。
もちろん、東條凛が何をできるかなんて、考えもしないだろうが。
「理事会のことは留意しておこう」
彼らの手駒になるつもりなど毛頭ない。
もちろん、学園側に対してもそうだ。
「生徒会としては、東條さんより君の安全を取ることにもとより決定している。だから、そのつもりでいてほしい」
「具体的には何をするつもりかな?」
「まあ、一番地味な方法として、東條さんが君に接触できないように、君のガードをするということかな」
「……目立たないように頼んでもいいかな? 目立てば、余計に相手がエスカレートする場合もあるし」
「そうだね。その点は考慮するよ」
とりあえず、打つべきところに釘を刺し、視線を空へと向ける。
「教室へ行こうか」
今この時点で話せることはないと判断し、教室へ行くことを促した。
新しい教室には、生徒の数が半分ほど揃っていた。
全員揃ったところで、始業式が始まるのだろう。
いつものように、放送が入るまで適当な場所へ座って歓談しながら待つ。
講堂へと足を運ぶようにという放送が入り、教室を出た者たちが廊下である程度の隊列を作り、歩き出す。
ぞろぞろと講堂へ向かった私たちは、中で整列する。
そうして生徒たちが揃ったところで、始業式が始まった。
校長が長々と話をする。
それを聞き流しながら、私は何かが近づいてくるような感覚を覚えていた。
ゆっくりゆっくりそれは近付き、何かを探している。
この気配は……
「見つけた!」
自分の内側にある気配を捉え、自分の意識がそちらへと向かっていくことを感じる。
身体から意識が剥離していく。
意識を保っていられない。
近くで悲鳴が上がった。
何が起きているのかも、全く把握できない。
驚愕に満ちた表情でこちらを振り返った疾風の顔を認識する。
「……疾風……あとを、頼……む…………」
疾風にこの声が届いたかどうかはわからない。
だけれど、自分の顔が笑みを浮かべていることだけは、理解できる。
伝えたいことはまだあったけれど、もう声が出ない。
遠ざかる意識。
そのまま私は暗闇に意識を吸い込まれた。