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57 (橘誉視点)

橘誉視点




 橘家嫡男。

 それが、俺に与えられた役割だった。




 自分という存在が、どこか歪なものであることに気付いたのは、物心がついて間もなくのことだった。

 母が2人いるということが、どういう意味を持つのか、教えられたのは名も知らぬ他人からだ。

 名家という立場にありながら、賤しい存在だと蔑まれ、手をあげられたこともある。


 母は身体の弱い人で、一日中、ベッドの上で過ごしていた。

 会えるのは、1ヶ月に数度。

 その間、俺はただ一人、部屋で過ごす。

 親の愛というものには恵まれていると理解している。

 母は、それこそ惜しみない愛情を注いでくれた。

「誉が笑っていることが、私の一番の幸せよ」

 そう言って微笑む母がいるから、俺は笑顔でいることを選らんだ。


 世の中には要らぬことを声高に告げる人がいるもので、己が正義だと言いたげに、俺が父の愛人の子だと言って、賤しい子供だとひと目がなければ暴力をふるうやつもいた。

 その頃には、俺が正妻である由美子夫人の子供ではなく、彼女の腹違いの妹の子であることは理解していた。

 どういう理由で母が俺を産んだのかはわからない。

 だが、俺は望まれて生まれたのだということは由美子夫人から言われ続けたため、己の出生などに価値を求めるような子供ではなくなっていた。

 俺の役目は、橘家を繋ぐこと。

 それだけだ。

 誰に何を言われようと、それは揺るがない。

 俺は俺に振られた役割を果たすだけだ。

 そう思う、醒めた一面を持つ子供に育っていった。




 東雲学園に就学し、初等部に進んで間もなくの頃だったか、橘家でパーティを催し、俺は両親に挟まれるように立ち、客に挨拶をしていた。

 ほとんど、招待客が揃ったところでタイムスケジュール通りにイベントが進んでいく。

 その頃になると、子供である俺の役目はほとんどない。

 自由に動いていいという許可をもらい、パーティ会場から離れる。

 自分の住む屋敷の中だ、動いたところで迷子にはならない。

 だが、会場で刺さる好奇の視線を避けるために逃げ出したのが、仇となった。

 母と同じ年ぐらいの女性と遭遇し、いきなり頬を打たれたのだ。

「汚らわしい! 賤しい子供が何故こんなところに!?」

 嫌悪もあらわに俺を蔑む表情は、実に醜い。

「自分の家だから」

 俺は笑って答える。

 一応、暮らしているが、この家が自分の居場所だと思ったことは一度もない。

 育ての母が俺の家だと言うから、居るだけだ。

 何をどう頑張っても子供でしかない俺が、この家を出て一人で暮らすことなど不可能だ。

 家の借り方などわからないし、第一、借りるためのお金などどうやって得るのかも知らない。

 食事をするために、調理をしなければならないというのは辛うじてわかるが、どうやってするのかなどさっぱりだ。

 だが、厚化粧のその女は、俺の言葉が気に入らなかったらしく、手を再び上げた。

 ぱんと乾いた音が鳴り響く。

 予想していた痛みは訪れなかった。

「ひっ!! 相良様!?」

 女の蒼白な表情と、俺の前に立つ少女の姿。

 どうやら女は俺ではなく、目の前に立つ少女を叩いてしまったようだ。

 ガタガタと震える女を少女は冷ややかな目で見上げている。

「も、申し訳も……」

「自分が何をしているのか、わかっているのか?」

 少女の言葉は冷静だった。

 そうして、女よりも絶対的に上の立場であることを前提に問いかけていた。

「わ、わたしは……」

「大人が子供を手に掛けるという意味を知っていて、やったのか?」

 淡々とした口調。

「私が、このまま人前に出て、何があったのかを言えば、どうなるかわかっているのか?」

「それは!! お許しください、相良様!! わたくしはただ、その賤しい子供を……」

「賤しい子供なら、打ってもよくて、私なら駄目なのか? 意味が解らないな」

 愛らしい顔立ちの少女が、凄みのある笑みを浮かべる。

「見ていたが、彼に非があるようには見えない。彼が何者が知っていて手を挙げたと……?」

「そうですわ!! そんな賤しい子供、相良様が気に留めるようなものではありませんもの」

 我が意を得たりとばかりに表情を変えた女に、少女の表情が変わる。

「……賤しいと言うのは、何を差して言う?」

「それは、もちろん、その子供の母親のことですわ! 愛人の子供の分際で……」

「彼の母親、いや、その、祖母は葛城の姫だということを知っていてそう言えるのか? 不世出の巫女姫と名高かった方だそうだ。彼の母親は、その方の娘で、橘氏の婚約者だ。愛人の子供ではないな」

 俺と同じ年にしか見えないが、どう見ても女よりも年上のように振る舞う少女は、全く俺を振り返ろうとはせず、その背で俺を庇っている。

 女の子に庇ってもらうなど、初めてのことだった。

「葛城の……土蜘蛛!?」

 少女の言葉に、女の表情がさらに恐怖に彩られた。

 土蜘蛛が何を意味しているのか、全く分からないが、あまりいい評判を得ているようには見えない。

「あなたは、葛城を敵に回した、そういうことだ。それと、私の母は一般人だ。母の身分を言うのなら、私の方が幾段も低いということだが、それでも私より彼の方が賤しいと言うのか?」

 肩にかかった長い髪を手で払いながら、のんびりとした口調で問いかける。

 人の悪い笑みを浮かべながら。

「さて。人を賤しいと言う、あなたのその考え方こそ人として恥ずべきだと私は思うが、他の方はどう思うか、人を呼んで尋ねてみようか? この頬の手形を含めて」

 にっこりと空々しい笑みを浮かべて告げる少女のひとり勝ちだった。

 その場に崩れ落ちた女を冷めた視線で見下ろした少女は、俺の手を掴むと歩き出す。

 彼女が向かった先は、控室として用意された客間だった。

 ドアを閉め、さらにその奥へと姿を消した少女を茫然と眺める俺。

 彼女の顔に見覚えはあった。

 同じ東雲学園の初等部に通う生徒だ。

 名前は、確か、相良瑞姫と言ったはずだ。

 その相良が奥の部屋から戻ってくると、無造作に何かを突き出した。

「冷やすといい。見ていて痛々しい」

 自分も赤い頬をしていながら、そんなことを言う相良に、俺は首を横に振る。

「君が先に使って。庇ってくれてありがとう。でも、いつものことだから」

「いつものことだからと受け流すな、馬鹿者! 流していいこととならないことの区別くらいつけろ!」

 きつい声で言われ、驚く。

「だけど、本当のことだから」

「どこが本当だ!? 母親を貶められて黙る莫迦がどこにいる!? 憤るのは子供の特権だぞ!」

「えーっと……?」

「……笑いたくないのに、無理に笑わなくていいんだ」

 そう言われ、俺は驚く。

 何でわかったんだろう?

 母が笑っていてほしいと言っていたから、笑っていたということに。

 本当は、笑いたくなんてなかった。

 でも、笑うと喜んでくれるから、笑顔を作っていただけだ。

「あの……土蜘蛛って、何?」

 俺は先程の会話で気になっていたことを聞く。

「土蜘蛛、か? 聞くと不愉快になるから、聞かない方がいい」

「どうして?」

「葛城という家は、代々、不思議な力を持つ者が生まれるらしい。それが他の者にとってとても恐ろしく映るため、そういう呼び方が生まれたと聞いている。それ以上は、もう少し経ってから、自分で調べるといい」

 先程の表情とは打って変わって、少しばかり困ったような表情で答える少女に、俺はほっとした。

 凛然とした表情は、あまりにも大人びていて、相良が実は触れたら壊れるガラス細工のような脆さをどこかで感じていたせいもある。

 この少女は、ちゃんと生きている生身の人間なんだと、理解できて嬉しかった。

「わかった。自分で調べるよ」

 自力で調べた方がいいと、そう思って言えば、相良はゆったりと頷く。

「あの。相良、瑞姫さん、だよね? 俺、あ、僕、橘誉といいます」

 名乗っていなかったことを思い出し、慌てて名乗る。

 少女が初めて年相応の笑みを浮かべた。

 その柔らかな笑顔に、一瞬、目を奪われる。

「それで、あの。よかったら、友達になってくれませんか?」

 生まれて初めて言った言葉だった。

 誰かと友達になりたいなんて、思ったこともなかった。

 橘という名前の下に寄って来る人間は多かったが、俺自身を見てくれる人は誰もいなかった。

 父の親友だと言う人の息子は、例外と言えるかもしれないが、あれは、親が友人だという条件があってこそ、だ。

 それ以外の人では、初めてのことだった。

 俺の言葉に、その人は笑みを深くする。

 受け入れてくれると思った。

 でも、返ってきたのは真逆の言葉だった。

「すまないが、今は断る」

「どうして!?」

「誤解のないように言うが、君が嫌いだからという理由ではないからな? 私の家族が言うには、私は狙われやすい立場にいるらしい。そんな私と友人になるには、自分の身を守れるものでないとダメなんだそうだ。だから、今は断る」

「自分の身を守れるようになれば、いいんだ?」

「そうだ」

「うん。わかった。じゃあ、今は諦める」

 相良瑞姫に関する噂というのは、常に学園内で耳にする。

 誰に何を言われても友達を作ろうとはしないというものと、物々しいほどの警護の者が送り迎えをしているということ。

 誘拐など日常茶飯事に狙われているからだと聞いている。

 母も可哀想にと言っていた。

 可哀想な子供ではないことくらい、見ればわかる。

 だから、今は、諦めることにした。




 やっと見つけた、自分の居場所。

 彼女の傍が、自分が自分らしく居られる場所だということに気が付いた。

 だから、その場所を得るために努力した。

 随分長い時間を費やしたけれど、やっと手に入れたその場所は、とても居心地のいいものだ。

 相変わらず、家というものは歪な場所だという認識が取れないが、それでも学校や彼女の家で過ごす時間は何よりも得難いものだ。

 だからこそそれを手放すことはできない。

 瑞姫を守ることは、岡部に任せている。

 彼以上の適任はいないからだ。

 俺にできる事は、別のことだ。

 俺が俺の居場所を見つけたように、瑞姫も自分の居心地のいい居場所を見つけられるといい。

 そのために、俺ができる事は何でもしようと思う。


 どこか疲れた表情を覗かせる瑞姫のために、気晴らしになるプランを考えながら、俺は思う。

 瑞姫が心から笑える1日を作ってやりたいと。

 何も考えずに、楽しめるような、思い出に残るような1日を作りたい。

 それがどんな思いから生まれてくるのか、まだ考えもしないけれど、それでも彼女の為に俺は相良家に無茶を通した。

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