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1月が終わり、2月が始まると、世間はバレンタイン一色となる。
好きな人への告白イベントと捉えた一昔前と違い、友チョコやらご褒美チョコなどが一般的となっているそうだ。
それもなかなか楽しそうで羨ましいが、ここではチョコのやり取りはない。
プレゼントの贈り合い的な発想だけは一緒だが。
何方に何を差し上げるのか、それを考えるのが一番難しいところだ。
もちろん、何方からプレゼントが来るのかもわからないので、余裕を持って用意すべきだろうという考え方もある。
「う~ん。どうしようか?」
床に胡坐をかいて膝にノートパソコンを乗せて何やら作業している疾風の背中にこてんと倒れ掛かり、問いかければ、疾風が肩越しに振り返る。
「何が?」
「バレンタイン。何をプレゼントしようかと思って」
そう言って、のそのそと疾風の手許を覗き込む。
「何してるの?」
「んーお遊び?」
再び画面に視線を移した疾風が、何やら操作をし始める。
波打つグラフ。
何かの変動値だ。
「……株?」
「ん」
短く頷いた疾風の視線は画面から動かない。
東雲に通う男子学生の一部では、ネットで株をしている者がいる。
リスクがどれくらいでと仲間内で声高に話している姿を何度か見たことがある。
それなりにというか、そこそこ儲けているようだ。
だが、疾風は彼らとは違う。
滅多に株をすることはないが、やるときは徹底的に稼ぐ。
それこそ、会社を乗っ取る気か!? と、聞きたくなるほどに。
常に私の傍にいて、武術に通じているため、武道馬鹿と思われがちだが、疾風の株に対する知識とその手の打ち方は専門家も顔色を変えるほどだ。
本人としては遊び感覚だから、質が悪い。
意外な才能と、岡部家ではからかわれているらしい。
そんな疾風が、私を放って株に勤しむのも少しばかり奇妙だ。
よくよく画面を眺めてみれば、気付くことがある。
「……これ、東條家の研究所の株じゃないか!?」
「そ。買収しようと思って。瑞姫の使う染料の研究してもらおうかなーと」
疾風が遊んでいる会社は、東條家の傘下にある染料の研究所であった。
「何で?」
「……いらないだろ?」
色々端折っての疾風の言葉に、がっくりと肩を落とす。
東條家には必要ないから、岡部が貰い受けると言っているのだ。
「もう少しで終わるから、ちょっと待ってて」
まるで構ってほしい子猫を宥めるような言い方に、そのまま床に倒れ込む。
「いや、もう、好きに遊んでてください」
多分、他にも似たようなことをやってる人たちがいるんだろうなぁ、うちの分家や岡部でも。
嬉々とした表情で東條の持ち株を減らしていっているんだろう。
後継ぎがいてもいなくても、どちらにせよ存続できない状況へ追い込むつもりで。
「よし。買収終わり。これ、俺から瑞姫へのバレンタインのプレゼント」
にっこりと笑って告げる疾風の言葉の語尾にハートマークがついてそうな気がした。
「あんなにがっつり目立って働いてたのに、やっぱり怒ってたのか!? 地味にしっかり怒っていたのか!?」
実行犯に関節外しとかやらかして、地味にストレス発散していたのに、まだ怒っていたのか。
意外としつこいな!
「当たり前だろ? 瑞姫を害する者は、絶対に許さない。息の根止めるだけじゃ、物足りない。存在ごとなかったことにしてやるよ」
「もしもしー? 何か、すごく怖いことを聞いたような気がするんですけどー?」
「当たり前のことだから、気にしなくていい」
あっさりと告げて笑う疾風の表情はいつもの疾風のものだ。
「気にするよ。疾風に危ないことをやってほしくはない」
「ちゃんと合法的な手段に則ってるから大丈夫。あんな奴らの為に犯罪犯す気にはなれないから。それに、俺にそんな方法取らせたくないなら、瑞姫はもっと自分を大切にしろよ」
何故私が逆に説教を食らう羽目に!?
「充分大切にしてるとも」
「俺から見れば、全然足りない。自分を軽んじてる。瑞姫に何かあった時に、俺たちがどう思うのか、もっとよく考えて」
その言葉は、ちょっと堪えた。
効率だけを考えて動く癖を突かれてしまえば、反論することができない。
「俺、瑞姫からのバレンタインのプレゼントは、甘いものがいい。ハロウィンの時のキャラメル、美味しかったから」
話を変えるかのように、先程の質問に答えた疾風は、照れ隠しのように視線を彷徨わせている。
「疾風、甘いもの苦手じゃなかったっけ?」
ええい、突っ込んでやる!
「……瑞姫が作ったのなら、大丈夫だ」
「何その理屈!? 意味が分かんないけど?」
「何でもいいだろ? とりあえず、小腹が満たされる系の甘いものがいい」
「……カステラとか?」
一瞬、スポンジケーキが思い浮かんだが、それよりもさらにカステラの方が美味しそうに思えた。
あの、そこに埋もれてるザラメがいいんだよね。
カステラの底にザラメがないのは、カステラとは認めない!
「カステラ? 俺、端っこが好き」
「切り落としの?」
「うん。ばーさまが味見させてくれて、美味かったんだよな」
「疾風のおばあ様は、和菓子とか駄菓子系のおやつを作られるのがお上手だからなぁ」
小さな子供には手作りおやつを与えるのがいいと、幼い頃、よく疾風のおばあ様が作られたお菓子をいただいていた。
素朴で控えめな甘さのおやつに実に夢中になって食べたものだ。
もちろん、どっちが大きいという子供ならではの喧嘩もやったけど。
心温まる懐かしい記憶だ。
「じゃあ、そっち方向で考える。他にも、もう少し何かないか、考えてみようかな……」
頷きながら、視界に入った疾風の制服の袖口を見る。
あ、あれがいいかも。
一度やってみたかったし、大量に作れるみたいだし。
ふと思いついたものに笑みを浮かべた私は、疾風が帰った後、早速注文し、翌日届いたものでそれらを作り始めた。
何か1つでも特技があるというのはいいことだ。
特技と言っても、他の人と比べて突出している必要はない。
自分の中で、これは得意と思ってるだけで充分。
まあ、そんなレベルの特技だけれど。
バレンタインのプレゼントはちっちゃなカステラと私のお気に入りのショップのストラップ、そして量産したお返し用のとあるもの。
ついつい楽しくなっちゃって、調子に乗って作りすぎたんだけど、結構、反響がいい。
作り方をネット動画で確認してたら、感動するようなものまであって驚いた。
奥が深いよね、手作りって。
まあ、基本的に私は短気だから、何日も時間をかけてゆっくり作っていくというのが実は性に合わない。
イメージとしては、コツコツやっているように思われているらしいのだが、実際は短期集中型だ。
なので、短時間で作れるコレは、私の好みに合っていた。
そして面白くなって、気付けばかなりの数ができていたという。
今に思えば、あれだけ作って助かったと言える。
何故か今年は沢山もらって、お返しが間に合わないんじゃないかとちょっぴりハラハラしている最中なのだ。
予定外だったのが男子だ。
いつも女の子からもらうことが多かったので、その分を考えて作ってたわけなんだけど、疾風たちにもあげようと思って男子用のそれを作って、意外によくできたから面白がって大量生産したのが役に立った。
東雲じゃ、ホワイトデイがないので貰ったその場でお返ししないと、後からお返しすることができないのだ。
ついでに言うと、直接貰っちゃうので、名前がわかる人はいいけれど、あまり親しくない人だと、後々誰にもらったのかわからなくなるのだ。
カードがあればいいのだけれど、カードを入れてない場合が多いし。
何かをもらって、お返ししないと、どうにも落ち着かない根っからの日本人であり庶民でございます。
廊下を歩いているだけで呼び止められ、何かしらいただいてしまう本日は、ある意味、非常に表情筋酷使の日だろう。
常に笑顔を湛えていなければならない。
そして傍には常に疾風が控えている。
ごめんよ、疾風。荷物持ちさせて。
ちょっと心が痛むのは、疾風も結構貰っているので、重さを想像したくないぐらいありそうだからだ。
「……なんかさ、ハロウィンの時より呼び止められる回数、多くない?」
疾風が持つ荷物を眺め、少しばかり青褪めながら問いかけてみる。
「瑞姫の作ったキャラメルが美味かったからだろ?」
「そーゆー理由? いや、でも。ハロウィンとバレンタインってそもそも趣旨が全く違うし! お菓子もらえるハロウィンと違って、バレンタインはお菓子じゃなくてもいいんだし」
「んー? じゃあ、瑞姫が人気者で俺は嬉しい」
首を傾げた疾風が微妙な回答を寄越す。
その仕種は可愛いけど!!
大きさからいくと颯希の方が似合ってて可愛いと思う。
「棒読みはやめなさい。嬉しくないと言ってるようだから」
「カステラは美味かった」
「もう食べたの!? え!? いつ!!」
「1個だけ。残りは家で食べる。在原も食べて、絶賛してた」
「ふうん。それはよかった」
在原は私と同じくらいの身長なのに、よく食べるからなぁ。
なんであれだけ食べて太らないのか、実に謎だ。
私が太らないのは、身体を動かしているおかげだ。
メンテナンスのためのストレッチや演舞で結構消費するようだ。
つまり、それらをやめれば一直線に増加する……。
うん、絶対にやめない。
運動大事。
そういえば、年を取って体重が増えるのって、運動不足による筋肉量の低下が底辺にあるからだと聞いたことがある。
いくら食事減量のダイエットをしても、付け焼刃の運動ダイエットをしても、根本の筋肉量が減ってしまっているから難しくなるらしいというのは、本当だろうか。
だとしたら、このまま運動を続けることを書きつけておかないとだめだな。
もし瑞姫と入れ替わった時に、このことを知らない瑞姫が運動をしなくなって体重が一直線に加速ということになったら、私が哀しすぎる。
引継ぎ条項の上位に入れるべきだろう。
「……相良」
聞き慣れた声が私を呼び止め、振り返れば、諏訪が立っている。
疾風、そんなに怖い表情で諏訪を睨まない。
とは言っても、以前なら疾風の睨みで表面上は平静を保っていてもかなり怖がっていた諏訪が、今は堪えられるようになっていた。
どうやら諏訪老の許での修行で、多少なりとも耐性ができたらしい。
「バレンタインのプレゼントだ。受け取ってもらえるか?」
手にしていた細長い箱を私に差し出して言う。
もう少し長ければペンダントやネックレスのケースのサイズだが、それより長さが足りない。
パッと見に思い浮かぶのは万年筆やボールペンのケースだろう。
「……私に、か?」
「ああ。受け取ってもらえると嬉しい」
ほんのりと目許を赤く染め、こちらが受け取るのをじっと待っている。
ここで貰う理由がないと突っぱねるのも大人げないだろう。
見知らぬ人からでも貰ってしまっているのだから。
「ありがたくいただこう」
そう言って受け取ると、バッグの中からお返し用のアレを取り出す。
「では、諏訪にお返しを」
「俺に?」
「拙いもので申し訳ないが、私の手作りなのでな」
手で握りしめられるほど小さなボックスを差し出すと、掌でそれを受け止めた諏訪が固まる。
「相良の、手作り……」
何故か妙に感動しているようだが、脳内でどんな妄想が繰り広げられているのだろうか。
覗いてみたいところだろうが、覗くと後悔しそうな気もする。
何事も知らぬが仏とか、後悔先に立たずとか、先達のありがたい言葉に逆らってはいけないということをよく理解しているつもりだ。
好奇心に殺されてはかなわない。
ここは諏訪の脳内妄想についてはすっぱりと諦めよう。
「あ、いたいた! 相良さん」
生徒会書記という役職についた笑顔魔人がこちらへと片手を振ってやってくる。
「はい、プレゼント」
私の掌に、ひょいっと小さな立方体のボックスを乗せる。
「ありがとう。では、お返しを」
大神にも小さなボックスを手渡す。
「お返し? 律儀だね。開けてもいいの?」
くすくすと笑いながら受け取った大神は、掌の上のボックスに視線を向ける。
「私の手作りだから拙いが、気に入ったのなら使ってくれ」
「そうなんだ。へえ」
興味深そうに箱を開けた大神の表情が驚きに彩られる。
「カフスボタン? これを作ったの?」
「制服用だ。カフスボタンについては規定がないからな、うちは。それなら使ってもらえるかと思って」
「……すごいな。花が立体的だ。竜胆?」
カフスボタンを摘まみ上げ、飾釦をしげしげと眺めた大神が呟く。
UVレジンと言って、特殊なエポキシ材を用いて紫外線で硬化させるアクセサリーだ。
「うん。花は、全部違うんだが、立体的に見えるように何層にも重ねて描いているんだ」
「見事だね。これなら、どこにでもつけていきたいよ」
「それは、男子用。女子用はスカーフタイのタイピンなんだ」
「……相良さん、質問なんだけど。一体いくつ作ったの?」
にこにこと笑顔で質問してくる大神。
「う~ん……覚えてない。100個は軽く超えたかな? 一度に10個近くはライトあてて作れるから」
「実は暇だったとか?」
「1回の照射が2分程度で充分な大きさだからね。そんなに時間はかかってないよ」
短気な私がイライラせずに楽しく作れただけある。
ライトをあててる間に次の分の絵を描いてればいいので、流れ作業だ。
「あ。ごめん、双子たちと会う約束があるんだ、この辺で」
「ああ。引き留めてごめんね。カフスボタン、ありがとう。じゃあ」
互いに手を挙げ、背を向け歩き出す。
「……あれ? 居たの、伊織。何でしょんぼり肩落としてるんだい?」
背後から大神の声が聞こえた。
諏訪、まだいたのか。
大神との会話で諏訪の存在をすっかり忘れていたことに気が付いた私は、その場に諏訪が留まっていたことを意外に思う。
ま、いいか。
別に用事はないと思い直し、振り返ることなく菅原双子と約束している場所へと疾風と2人で向かった。
名前のルビ打ちをしてほしいと仰る方が多いのですが、申し訳ありませんが、今後もするつもりはありません。
何故かと申しますと、ネタバレになるからです。
中には気付かれた方もいらっしゃいますが、名前にある一定の法則があります。
名前も伏線の一部となっておりますので、それを含めて楽しんでくださいませ。