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「不本意だが、同席するように」
父に呼ばれ、書斎に顔を出せば、実に不機嫌そうな表情でそう言われた。
「父様がそう仰るのでしたら……何方がお見えなのですか?」
普段は飄々としている父がここまで不機嫌そうな顔を隠さないのは珍しい。
余程嫌な相手なのかと思えば、出て来た名前に納得した。
「東條だ。追い返そうとしたが、しつこい。謝罪に来たと言っているが、謝罪に来た態度ではないな」
むすりとした顔で告げる父に、同席していた八雲兄が目を眇める。
「僕も同席してよろしいでしょうか?」
「許す! あと2人の息子も同席すると言って聞かぬからな。瑞姫は父の傍に座るがいい」
「私が上座に座ってもよろしいのですか?」
我が家は年功序列だ。
最年少の私は下座と決まっている。
上座など、御祖父様の膝の上が指定席であったおむつ時代以来だ。
ほとんど記憶がないということだ。
「かまわん。八雲も威圧してもいいぞ」
父様、ご立腹。
そりゃ、そうだよなー。
逆恨みの八つ当たりで娘を殺されそうになったんだもん、怒らない親はいないだろう。
「ちなみに、父様、姉上たちは?」
「別室にて待機だ。菊花は玩具で遊ぶと言っていたが」
「……盗聴と盗撮とか、言いませんよね? まさか、自分の家でそんなことは……」
父の視線が微妙に泳いだ。
許可したのか!?
「もしかして、蘇芳兄上が手を貸してるとか……」
「なかなかの洞察力だ」
認めちゃったよ。
「……あまり、ことを大きくなさらないでほしいのですが」
「それは、相手の出方次第だな。結果は同じだと思うが」
潰す気満々ですか。
私でもそうするだろうとは思いますが。
諏訪と東條では規模が違いすぎる。
諏訪が潰れれば経済界へのダメージが大きい。
だが、東條が潰れたところで、ほとんど影響はない。
会社ごと取り込み、東條の首だけを切り離せば済むので、失業者が増えるという心配もない。
むしろ、業績改善などを行い、無駄を省いて経営機能を強化させれば、今現在、東條グループで働いている社員の給料のベースアップも可能だ。
それをするか、もしくは同じ葉族のハイエナと呼ばれる者たちの前に投げ出せば、勝手に食らいついて片付けてくれることだろう。
そう父は考えているのだ。
「では、行くか」
仕方なさそうな声音で私たちを促した父の後について、客間へと向かった。
玄関近くの板廊下から入る座敷に案内されて入ってきたのは、東條夫妻。
初老の夫婦は案内されるまま、座卓の前の座布団に座った。
「………………」
ひくりと目許を引き攣らせる蘇芳兄上。
だが、隣に座る長兄の半眼に窘められ、無言を貫く。
その間、両家どちらも言葉を発しない。
それを確認して父が襖を開き、座敷へ入る。
その後に八雲兄、私と続き、襖を閉めた私は、言われた通り父の斜め前の上座へと座る。
父の隣にはすでに母が座して待っていた。
「………………」
家政婦さんがお茶を配り、部屋を出る。
誰も何も言わない。
沈黙が重くのしかかる。
本来ならば、訪れた客人に声を掛け、歓迎を示すのが当主や次代の役目だが、今回ばかりは招かれざる客だ。
誰もが視線を合わさず、ただ沈黙を守る。
どれぐらい時間が経っただろうか。
少なくとも20分は過ぎた。
普段は陽気で賑やかすぎるほどというよりも騒がしい蘇芳兄上も、こういう時は沈黙を守ることを厭わない。
むしろ、精悍な顔立ちなだけに黙り込むと威圧感を増し、ちょっとした迫力がある。
うん。蘇芳兄上は黙っていた方が格好いいよ。
骨格しっかりして筋肉もきっちりついてるから、彫像っぽくて格好いいんだ、じっとして黙っていれば。
動き出して、一言喋るととてつもなく残念に感じるのは何故だろう?
「…………お帰り願おうか」
ちょっとばかり退屈しかかって、脳内で現実逃避を仕掛けたとき、父がぽつりと告げた。
これに反応したのは東條夫妻のみ。
母も兄たちも表面上はぴくりとも動かない。
「いきなり何を!?」
「……いきなり? いきなりはそちらだろう? 押しかけてきておいて、何も言わず座るだけ。何しに来たのか、用件も言わねば、こちらも対応しかねるが?」
淡々とした表情で父が言う。
用件言わずに会わせろ、じゃ、確かに何も言わないよなー。
「それは……!」
「用がないのなら、お帰り願おう。我々は暇ではないのだ。無駄な時間を取らせた詫びでも言われるか?」
父の態度は、少しばかり高圧的だ。
家勢の格差だ。
葉族は分家筋の末の家系だ。
分家から姓を与えられ、切り離された存在だ。
本家から見れば、末端もいいところ。
そんな他家の葉が来たところで、地族の中でも上位の相良本家がまともに対応するはずもない。
対等に扱われることを期待する方が愚かだ。
ちなみに、来客したのが一般の人だった場合、対応はかなり丁重なものになる。
通される座敷は中座敷で、用件によっては当主自ら対応することもある。
つまり、葉族は一般人よりも対応が下になるのだ、他家筋になると。
しかも東條は私を害そうとした者を分家から幾人も出している。
まともに対応するつもりなど毛頭ないということは明らかだ。
「いえ! この度のことを謝罪させていただきたく」
父を怒らせたと思ったのだろう、東條家当主が慌てて切り出す。
「……謝罪?」
不快そうな表情を浮かべ、眺める父。
「分家の者どもが大変申し訳ないことを……」
一気に話し出した東條家当主の話の内容は、実に意味のない内容だった。
謝罪ではなく、言い訳と言った方が正しいだろう。
自分たちは知らなかった、分家が勝手にしたことだ。
そういったことを羅列していく。
しかも、しめくくりが、私を害そうとした者たちは逮捕されたので、これから何も起こらないはずだというものだ。
それらの言葉を座布団の上でつらつらと語ったのだ、東條家当主は。
「……それで?」
面白くなさそうに蘇芳兄上が横から差す。
「は?」
「それで、どうするつもりかと聞いたのだが?」
呆れたような表情で、蘇芳兄上も上から目線で問いかける。
「分家のしたこと、で、すまされるおつもりか?」
「それは……分家の者がしたことですから」
「本家は関係ないと?」
「私共もまた被害者です! 娘の夫を殺されました」
「……被害者、ねぇ……」
胡乱な視線で流し見る蘇芳兄上の態度は剣呑だ。
「分家あっての本家。本家あっての分家というのが、本来の関係では? 分家をあおり、暴走させた責任は取らないと、そう仰っているわけだな?」
じろりと睨めつけた蘇芳兄上が纏う空気が変わる。
闘気、とでも言えばいいか。
怒りを抑えず、そのまま東條家当主へと気を向けている。
殺気とは違う押し潰されそうなほどに重い空気。
圧迫感を感じ、呼吸ができずに口をパクパクさせている。
「それで、謝罪とは、笑わせてくれるものだな」
にやりと口許を歪ませて笑みを作るが、笑っていない。
獲物を甚振って遊ぶ虎のような笑みだ。
蘇芳兄上、楽しそうだなー。
座ってるだけって退屈だな。
思わず、ふわあっと欠伸が出かかり、指先で口許を覆い隠す。
「おや、失礼。あまりにも退屈で」
蘇芳兄上の闘気など、私にとってはないも同じ。
のんびりした口調で形ばかりの非礼を詫びる。
「み、瑞姫様! 瑞姫様からもどうか御口添えを!!」
必死の形相で東條家当主が私を見て訴える。
莫迦だろ?
謝罪もせずに被害者に口添えを願うやつがどこにいる。
恥知らずという言葉も裸足で逃げ出しそうだ。
「……何のために?」
感情のこもらぬ視線を東條家当主に向ける。
その視線を受け止めた初老の男性はびくりと顔を引き攣らせる。
瑞姫の無表情は恐怖心を煽るらしい。
生きている人間と対峙しているような心地がしないのだとか。
失礼な!
だが、利用させてもらおう。
瑞姫を守るためなら、どんな手段でも躊躇う必要性を感じない。
「言い訳は聞きました。謝罪はない、対応策もない。それで、何を言えと?」
「ですから、逮捕されましたので……」
「裁判が行われて罪が確定したとしても、大した罪にはならないでしょう。数年で社会復帰です。それで、そのあとは? また逆恨みするでしょう? 私のせいで逮捕されたと」
「それは……さすがに、それは」
「ないと断言できる根拠はありますか? 何の関係もなかった私に勝手に恨みをぶつけるような人たちですが」
私の言葉に完全に黙り込んだ。
反論はできないだろう。
「それに関しては、一筆書いていただきましょうか」
「え?」
「東條の血を引くすべてのものは、今後一切、私に関わらないと。もし、関わった場合はそれ相応の対応を取られてもかまわないと」
私の言葉に、東條家当主は目を瞠る。
「それだけでよろしいのですか?」
「今後の対応という点では、それで構いません。ですが、謝罪とは別の話です。私は殺されかけたわけですから、それなりの対応というものがあるのでしょう?」
そう言って父を見れば、当たり前だと頷く父の姿がある。
「事の発端は、東條家の跡継ぎ問題でしょう? 僕も彼女たちの被害にあってますよ」
今まで黙っていた八雲兄上までもがトドメとばかりに参戦してくる。
その言葉に、当主夫妻はぎょっとしたような表情になった。
「実にバカバカしい、そして醜い人たちでしたね。そうまでして後を継ぎたいような家ですか? 東條家というのは」
半眼になった八雲兄の視線にさらされ、狼狽える。
「それは、その……」
「戻ってきたら、またそれが繰り返されるわけですよね? 例え、正式に跡継ぎを決めたところで、娘さんの旦那様を殺害したように、その後継ぎも殺害すればよいと考えるのではありませんか?」
八雲兄の指摘に、彼らは顔色を失った。
せっかく、邪魔者が消えて、手に入れた後継ぎを再び失うということに気が付いたからだろう。
今度失えば、もう二度と手に入れることはできないのだ。
「いりませんよね、そんな家。あなた方の代でお終いにしたらいかがでしょうか?」
にっこりと告げた言葉は、提案のように聞こえて、決定だった。
勿論、東條家は足掻くだろう。
だがしかし、それは相良家が決定したことだ。
覆すことはできない。
何故なら、それが我々が望んだ謝罪の一環だからだ。
促されるままに、2通、同じ文章を書いた東條家当主は、そのまま帰された。
これは、後日、弁護士に目を通してもらい、正式な公文書にしてもらう。
1通は東條家へ送り、もう1通は相良で保管する。
これが保険であることは言うまでもない。
そうして、このコピーを数枚作ってもらい、その1通を学園側に提出しておいてもいいかと、父に相談した。
その考えにあっさり頷いて許可を出した父は、コピーができたら提出しておこうと言ってくれた。
これが使われる日が来なければいい。
それが正直な願いだった。