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 人がいれば、それなりに事情というモノが生まれてくる。

 その事情も他人から見れば大したものではないが、本人にとって最悪にしか思えないようなこともある。

 在原と橘の事情もそういうモノだった。


「……ストーカーまがいのお嬢様……がっつり肉食系のようだが、いるものだねぇ……」

 困り切っている様子の在原の説明に、私はいたく感動した。

「それこそ、作り話の中にしかいないと思っていたよ」

 つい最近、招待された園遊会で挨拶をした御嬢さんの1人が、在原を自分の婚約者として紹介されたのだと思い込んでしまったらしい。

 翌日から家に押しかけてくる、結納の日取りや形式、結婚式の予定や招待客の選定、新居について話し合うべきだと控えめを装いながら訴えてくるらしい。

 痛い勘違いだが、本人は自分の容姿や家柄が在原と釣り合うと言い切り、自分以外の婚約者はありえないだろうと主張しているようだ。

「ちなみにその梅香様は、僕より7歳年上の22歳、今年23歳になられる方だ……」

 もはやダメージが強すぎて正気を保てないのか、遠くを眺めて茫然としている在原がぼそりと呟く。

「……ありえない……」

 その呟きに橘も苦笑しながら頷いている。

「まぁ、俺達、15歳だし。あちらが手を出して来たら犯罪だよね」

「あちらが男性で、こちらが15歳の少女なら完全に犯罪と言い切れるのに、逆だと微妙に迷うのは何故だろうか」

 橘の言葉に頷きかけて、途中で首を捻ってしまった私は己の疑問を率直に告げてしまう。

「大学卒業した時点で婚約者がいないというのがそもそもおかしいと思うんだけど」

 一番まっとうな問題点を指摘したのは疾風だった。

「本人を見れば、いないということをすぐに納得できると思うよ。速攻で断られてるはずだ。日本語を話しているはずなのに、言葉が通じない。先方には何度も連絡を入れているのに、一向に態度が改まることがない。仕方がないので、主催者の方にもクレームをつけることになってしまった。引き合わせた方が主催者だったからね」

「………………」

 なんと不憫な。

 思わず在原の肩をポンポンと叩いて宥めてしまった。

「力になれずにすまないな」

「え!? お願い、助けて! 知恵貸してください!!」

 必死の形相で在原は私の腕を掴む。

「え? 知恵?」

「瑞姫、年の離れたお姉さんがいるよね!? 扱い方のコツとか教えて!!」

「……え、そっち?」

 てっきり相良の名前を使う方向かと思っていたら、もっと初歩的なことを聞かれて驚いてしまった。

 疾風が大丈夫だと言っていたのを思い出し、納得する。

「ちなみに、今日、うまく逃げ出せたのは、俺と出かける約束があるからと前もって言ってあるからなんだ。確か『妻たる者、夫の交友関係に口を挟むような真似は致しませんわ』とか言ってたし。婚約もしてないのに、妻って、ねぇ……」

 苦笑を浮かべた橘が肩をすくめて告げる。

「おまけに、『静稀様はお若いのですからいくらでも浮気をなさってもかまいませんわ』とかも言ってた。さすがにあれはぞっとしたな」

「……うわぁ……」

 疾風が完全に血の気を失っている。

「何だか昭和の臭いがする考え方だな。高校生に芸者遊びをけしかけてるようにも聞こえるが」

「あ、やっぱり? うちの父がお座敷好きで、俺も連れて行ってもらったことがあるけど、あれは本当に歌や舞の芸を披露してくれる席であって、愛人の座を狙ってるような御姐さんは全然いないよね」

「確かに!」

「やっぱり、瑞姫もお座敷に行ったことがあるんだ?」

「ああ。お祖父様が屋形をひとつ、後援しているんだ。古くからの知り合いだそうだ。たまに茶席に連れて行ってくださる」

「……瑞姫は御姐さん方にもてそうだよね」

「まぁ、それなりに可愛がってはもらっていると思う。お祖父様から引き継いで私が後援することになりそうだから」

「ちょっとー、ナニ盛り上がってるの!? 僕を放って楽しそうにお座敷の話とかしないでほしいんだけど」

 橘とお座敷の話で盛り上がろうとした矢先に在原が不機嫌そうに割って入る。

 いや、だって。ドン引きしそうな痛々しい人の話より、楽しい話の方が面白いし。

「悪かった。気分転換しないと、普通に聞けない話だし」

 橘があっさりと謝罪したと思ったら、フォローしようもないことを言っている。

「年の離れた姉がいる人って知っている限りじゃ瑞姫しかいないんだ」

「年の離れた従姉妹なら、諏訪も条件に入ると思うんだが」

「あの悪女モドキに振り回されてる諏訪になんて、絶対に嫌だ」

 似たような条件を持つ諏訪を進めてみれば、実に嫌そうな表情で在原は答える。

 この数時間で思ったが、在原は表情豊かだな。

「悪女モドキ? 詩織様のことか?」

「諏訪は言ってはなんだけど、盲目的になり過ぎて趣味が悪いと思う。女子生徒の憧れの諏訪詩織様なんて呼ばれ方、今はほとんどしてないんだぞ」

「そうなのか?」

 意外なことを聞いた。

 淑やかで儚げな容姿の詩織様は、とりあえず一通りの御稽古を修めているらしいので、憧れ的存在だと先輩方は言っていたような気がするのだが。

「瑞姫を犠牲にして自分だけは助かろうとした我儘で傲慢な姫君というのが、僕たちより下の詩織嬢の評価だ。知らなかったのかい?」

「まったく」

「挙句の果てには、八雲先輩の婚約者の座を狙っているしたたかさを披露してくださっているからな。瑞姫がぜひ姉になってほしいと言ったとか吹いてるし」

「……言った覚えはないな」

「うん、知ってる。相良家が、諏訪分家に対して相当な怒りを持っているというのは有名な話だしね。瑞姫が個人的に詩織嬢と会わないのも知られているよ。それなのに諏訪伊織は詩織嬢を慕っているというのだから情けない話だ」

「諏訪が詩織様を慕っているのは、それこそ初等部の頃からだ。ここ数年のことでそう簡単に想いを断ち切れるわけがないだろう」

 庇うつもりはないが、人の気持ちというのは複雑すぎてそう簡単にはいかないものだということくらい言ってもいいだろう。

「瑞姫は優しすぎるんだ。分家の娘など、潰してしまえばいいのに」

「疾風!」

 詩織様に対して、超辛口な疾風を窘める。

「だけど!」

「私は当事者だ。だから、口を挟まないだけだ。一族の総意に従う。それでいいだろう?」

「……納得いかない」

「終わったことだ。そして、私は生きている。一族の者が望まないので、詩織様とは公式の場以外で会うことも話すこともない。この立場は守る。納得しなくていいから、理解だけはしていてくれ」

 むすりとしたままの疾風を宥め、私は在原に視線を向ける。

「これからずっと、私は詩織様とは無関係だ。そこだけ覚えていてほしい。私は彼女に対して何も思わない」

「……無関係というより無関心、だね。詩織嬢のような人にとって、無関心はきつい罰になるだろうね。わかったよ」

「ありがとう。では、その代わりに姉に頼んで梅香様の件、手を打ってみよう」

「え!? いいのか? いや。そこまでは望んでないぞ、本当に」

 本当に嫌だったのだろう。

 梅香様のことを切り出せば、在原の顔色が輝き、そうして慌てて首を横に振る。

「構わない。姉はそういった情報操作が上手い。面白がって情報収集して動いてくれるだろう」

「非常にありがたいです。だけど、まさか話がそう転ぶとは思わなかった」

 少し困惑したように首を横に振りながら呟く在原。

「しばらくの間は、こちらも情報収集が必要だから我慢してくれ。新学期になったら、学校で話せるだろう」

「ちょっと逃げ出すかもしれないけど、我慢できそう。僕、頑張るよ」

 そこでこの話は打ち切り、今度は高等部での話が始まる。


 思う存分親睦を図り、アドレスを交換し、その日は夕方で解散した。




 そして、入学式。


 クラス編成を見て教室に向かった私は、その教室の一角で予定通りに詩織様に振られ、澱んだ空気を漂わせる諏訪の姿を見つけた。

 爽やかな初日を台無しにする暗く濁った背景を背負う新入生代表に、その親友も引き攣った表情を隠せないでいた。


 明日の実力テストはひとり勝ちだな。

 諏訪を心配するでもなく、実に晴れやかに私はそう思った。

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