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 元日の朝は、穏やかな晴天だった。

 心地良い爽やかな目覚めの後、身支度を手早く整える。

 母は一般家庭からの輿入れだったので、乳母もばあやもいません。

 自分の事は自分でやるという質実剛健な家だしね。

 名家、旧家には執事や家令がいるというイメージが強いようだが、英国ではあるまいし、日本の旧家で執事を雇うところはそう多くない。

 元々執事という制度がなかったせいだ。

 勿論、家令がいる家は割とある。

 こちらは制度としてあったせいだ。




 文官武官、両方を輩出していた家だけに、相良家は極度に身の回りの世話をされることを厭う傾向がある。

 戦場で寝首をかかれないためだ。

 岡部家は家臣で、一蓮托生の随身の家系であるため、傍に置くことに躊躇いはないが、他の者だとまず信用しない。

 領地・領民を守るために、周囲の状況を見極め、時に上司を裏切り、仲間を裏切り、敵を味方に引き入れ生き延びてきたからだ。

 周囲に強国があるための、弱小国の宿命と言えないこともない。

 どんなことをしても領地と民を侵されることだけは赦すわけにはいかなかったからだ。

 今はそんなことはないとわかっていても、DNAに刻まれているのか、岡部の人間以外に世話を焼かれることは、思っている以上に苦痛だった。

 だからこそ、自分の事は自分でやるという、旧名家にあるまじき独立独歩な気質が叩き込まれている。




 帯を結び、姿見で確認する。

 晴れ着とはいえ、振袖ではない。

 長すぎる袖は邪魔だ。

 料理を取り分けたりといったお仕事が待っているのだから。

「よし! 行くか」

 まずは家長に新年の挨拶をしてから、両親、兄姉の順で挨拶して、庫裡の仕事を手伝って、それから分家の皆さんの挨拶を受けつつ、席に案内して、と。

 本日のお仕事を確認しながら、別棟から本邸へと移動する。

 祖父がいるであろう書院へ向かい、声を掛ける。

「……御祖父様、瑞姫です」

「はいりなさい」

 襖の向こうから祖父の声が聞こえる。

「失礼いたします」

 所作通りに襖を開け、中に入り、襖を閉めてその場で手をついて一礼する。

「こちらに来なさい」

「はい」

 手招きされて、少しだけ近づく。

 そこで新年の挨拶を告げる。

 毎年行われる型通りの言葉に、祖父は目を細めてこちらを見ている。

「瑞姫、寒うはないか?」

 傷を気遣っての言葉を掛ける祖父に、私は頷く。

「はい、大丈夫です」

「そうか。今日は身内だけだ。皆、おまえのことを案じているから、その姿が辛ければ楽な格好に改めても咎めぬぞ」

「ありがとうございます。辛くなれば、我慢せずに着替えます」

 あらかじめ許可しておけば、私が気兼ねなく着替えるだろうと思ってのことだろう。

 意地っ張りな性格を読まれている。

「今年一年、無理なく励め」

「はい」

 祖父からの言葉に、頭を下げる。

 家長への挨拶はこれで終わりだ。

 静かに部屋を退出して、祖母と両親がいる部屋へと向かった。




 純和風武家屋敷にそれがあるというのも変な感じだが、子供部屋と呼ばれる南側に面した座敷がある。

 庭に面した縁側には雪見障子が設えられ、明かりを得やすいように考えられている。

 この部屋の雪見障子や障子にはめ込んである硝子、畳も、幼い頃に何度も取り替えられていた。

 元気いっぱい、遊びたい盛りだった蘇芳兄上が暴れまわって、壊しまくったせいだ。

 この部屋だけでなく、ピアノ室まで壊したため、蘇芳兄上には壮絶な罰が下されたと聞いたことがある。

 だが、私は知っている。

 子供部屋の障子が叩き割られたうちの半分の犯人は八雲兄上であるということを。

 年が近いので、一番下の私の面倒を見ていたのは八雲兄上だった。

 当時から超弩級のシスコンであった八雲兄上は、この部屋で私の面倒を甲斐甲斐しく見てくれていた。

 大して癇癪も起こさず、何が楽しいのか、常にきゃっきゃと笑う私の面倒を飽きもせずに見ていた八雲兄上は、この部屋で暴れる蘇芳兄上が実は大嫌いだった。

 理由は、私が強がって泣くからだそうだ。

 手加減なしに暴れる蘇芳兄上が鬱陶しくなると、八雲兄上は問答無用で実の兄を蹴り飛ばしていた。

 これが、障子が壊れる理由である。

 普段は大人しく聞き分けの良い子供である八雲兄上が、暴れん坊の蘇芳兄上を蹴り飛ばすなど、当時、大人たちは想像すらしていなかったのだろう。

 したがって、子供部屋が荒らされた原因のすべては蘇芳兄上になってしまっていた。

 例え、蘇芳兄上が八雲兄上がやったと言ったとしても、姉上たちが八雲兄上の味方になるので、結局怒られるのは蘇芳兄上なのだ。

 多少蘇芳兄上が不憫だと思わないでもないが、自業自得の感は多分にある。


 両親たちへの挨拶が終わったら、子供部屋へと足を運ぶ。

 本当はひとりひとりの部屋に挨拶に行くのが礼儀なのだろうが、多分、皆、子供部屋の方へ集まっているはずだ。

 確かあの部屋は掘りごたつだったはずだ。

 夏場は畳敷きになっているが、冬になると畳を外して掘りごたつへと姿を変える。

 実に趣のある部屋だ。

 渋く囲炉裏でもいいが、囲炉裏がある部屋は庫裡の隣の座敷だけだ。

 声を掛け、襖を開ければ、中にはすでに兄姉たちの姿がある。

「あけましておめでとうございます」

 祖父母や両親の時のようにきっちりとした挨拶ではなく、略式で挨拶すると、兄や姉たちも笑って挨拶を返してくれる。

「今年は、瑞姫も高2になるのよねー。進路、決める時期になったわけだ」

 しみじみとした表情で菊花姉上が告げる。

「八雲も法曹の試験、現役合格だって? 弁護士になるつもりなの?」

「概ね、そのつもりです。まだ、勉強しなければならないことも多いですし……どこか、弁護士事務所に就職できればいいのですが」

「自分で事務所構えるつもりじゃないんだ?」

「この世界、そう甘いものではないんですよ。経験値を積むことが最重要課題です」

「そっか。ちゃんと考えてるんだねー……瑞姫は? このまま、デザイナーになるつもりなの?」

 にこにこと菊花姉上が問いかけてくる。

「いえ。しばらくはデザイナーを続けますが、学びたいこと、職業にしたいものは別のものなので。疾風にもまだ相談していませんし」

「まだ相談してないの? 何故?」

 茉莉姉上も、兄たちも不思議そうにこちらを見ている。

「どの大学のどの学部に行って、何を学ぶのか、まだしっかりとしたビジョンがなくて。説得するだけの材料がないから」

「そうね。デザイナーなら、瑞姫にかかる負担は少ないだろうと疾風が考えてるのはわかってるものね」

「私のも、国家資格だし……就職先とかも考えないといけないんだろうと思ってるし」

「それでも、その仕事につきたいのね?」

「はい」

「じゃ、頑張んなさいな。可愛いお嫁さんが許される家じゃないしね、うちは」

 『役に立つこと』が課せられた家で、花嫁修業をしていればいいなんてことは許されない。

 そう言って笑った菊花姉上は、八雲兄上に視線を向ける。

「八雲もそのうち、彼女連れて来てよね」

「……姉さんたちの婚約が調ったらですね」

 その切り返し、危険なのでは!?

 地雷、ぐりっと踏んづけそうなんだけど。

「言ってくれるわね! でも、冗談じゃないわよ。八雲ったら何でも秘密主義なんだし」

 ぷうっと頬を膨らませ、菊花姉上が言う。

「確かにね。初恋の相手とか、全然わからないし」

「……隠してませんよ?」

 茉莉姉上の言葉に、心外そうに八雲兄上が告げる。

「え?」

「ほら、ここに」

 八雲兄上が、隣に座る私の頬をぷにっと摘まむ。

「う?」

「え!?」

 ぷにぷにと突かれ、小動物を撫でるかのように指先で私の頬を辿る。

「まさか」

「ええ、そのまさかです。納得できるでしょう? こんなに可愛い生物、他にはいないですし」

 にこやかに告げる八雲兄上。

「ひゃっ! あにうえ!! くすぐったいです」

「ああ、ごめん、ごめん」

 くすくす笑いながら、八雲兄上が私の頭を撫でる。

「瑞姫がようやく喋れるようになったころに、僕のことを『にーに』と呼んでくれた時に、射抜かれましたねぇ。何コレ、この可愛い生物は! とね」

「……昔っから劇甘に大甘なのは、そーゆーことだったの!?」

 菊花姉上が声を上げる。

「隠してないでしょう?」

「いや、隠してないけど、奨励しないわよ」

「いやだなぁ。分別はありますよ。瑞姫は可愛い妹ですって」

 笑顔のまま、八雲兄上は頷いている。

「シスコンも充分に変態なので、分別という言葉に対して謝ってください!」

 ぎょっとした私は、ばしばしと八雲兄上の腕を叩いてみる。

「はいはい、そこまで。そろそろ広間の方へ行くわよ」

 茉莉姉上の言葉に、抗議をとりあえず飲み込んだ私は、ゆっくりと立ち上がる。


 賑やかな三箇日になりそうだ。

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