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傍から見ても御節作りは大変だと思っていたけれど、実際手伝ってみて、本当に大変だと実感した。
美味しい料理でないといけないから、絶対に殺気立っちゃダメなんだけど、戦場のごとき忙しさってこーゆーのだろうと思わせるほどに秒刻みで動かないといけない。
総監督であり、自ら率先して働いている御祖母様の動きの優雅なこと。
総蒔絵の御重箱に出来上がった料理を詰めていく様子は、本当に楽しそうだ。
新年のご挨拶に来てくださった方に召し上がっていただく御重なので、味はもちろんだけれど、見た目もさらに重視される。
それぞれの御重に入るものはしきたり通りだけれど、どのように飾るかは、その時々で変えるのだそうだ。
毎年来てくださる方に、毎年同じ飾り方では失礼だし、厭きてしまわれるだろう、確かに。
私たちもお土産用のお持ち帰り御重に御祖母様のお手本を真似して詰めていく。
入れるのはいいのだが、問題は蓋がきちんと納まるかということだ。
空気に触れてしまえば、せっかくのお料理のお味が落ちてしまう。
御重もプラスチック材ではなく木箱だ。
作りがきちんとしていれば、何度でも使ってもらえるし、捨てる時も焼却ゴミになるか、再利用できる資源として扱ってもらえるからだそうだ。
当主夫人というのは、そういう細やかな部分もきちんと心配りしないといけないのか。
他人事のように大変だなと思ってしまう。
まあ、実際、嫁にいこうがいくまいが、この部分は瑞姫の仕事ではないから、気が楽だ。
この飾りつけのところで、ひとつお仕事をもらって嬉しかったのが、ピックのデザインを任されたこと。
銀杏や甘露煮などを取り易いように竹楊枝を差しているのだが、その楊枝の柄に少しばかり洒落っ気を出したいと御祖母様が仰って、お正月らしいおめでたい模様を調べてデザインしてみた。
オーソドックスな扇とか、干支やかるたなどもあれば、反物や松竹梅などもある。
家族内採用なピックは、御祖父様や父の顔をデフォルメしたものだ。
これは自分専用のものとひと目でわかるので、家族全員分作ったらと大笑いした茉莉姉上に言われた。
次回からは、先にデザインして、うちの注文を受けている職人さんに作ってもらおうかという話も出た。
なんにせよ、私でも役に立てることがあるというのは嬉しいことだ。
お持ち帰り用の御重に蓋を乗せ、きちんと納まったら、ポリ系のシートで包み、汁零れがないように確認した後、相良家の家紋が入った風呂敷に包んでいく。
手触りからすると、やはり絹だろうか。
あまり深くは考えないことにしよう。
家紋は長剣梅鉢の方だ。
六つ瓜に七つ引もうちの家紋。
2つ家紋があるのです。
使ってた時代が違うだけで。
本来の家紋が長剣梅鉢の方で、戦国以降に六つ瓜に七つ引になったんだそうだ。
これに女紋といって、嫁いだ夫人の紋が加わるので、相良家の娘たちが使う紋は複雑怪奇になる。
娘が一人だったら、母親の紋を受け継げばいいんだけど、複数人、必ずいるので、区別をするために祖母や曾祖母、あるいは数代前の方の紋を受け継ぐことになるのも珍しくはない。
茉莉姉上は、母の揚羽蝶の紋を受け継ぎ、菊花姉上は下り藤の紋だ。
これは三代前の当主夫人の紋ということだ。
私は御祖母様の丸に中陰唐団扇の紋だ。
丸の中にお相撲の行司さんが持つ軍配のような紋が入っている珍しいものだ。
御祖母様は相良の分家である西家から嫁いでこられたので、西家の家紋だということだ。
ちなみに、私と御祖母様の区別は、相良家の家紋の隣に同じ大きさの紋が並ぶと御祖母様、小さな紋であれば私となる。
嫁いできた方と、その家で生まれた娘との違いなのだそうだ。
他の家でも同じことをしているのかは、さすがにわからない。
これは我が家独特のしきたりのようだとは聞いているが。
何とか御重の準備が終わったころ、分家の方々が遠方から年跨ぎの挨拶に来られる。
大晦日に来て、元日の挨拶が終わったら、三箇日まで本家の手伝いをしてくれるのだ。
「こまかひいさん、元気ぃしちょったんかの?」
分家筆頭の大叔父が御祖父様への挨拶を終えて、庫裡に顔を出す。
「あ。大叔父様、お久しぶりです。この通り、元気ですよ。大叔父様もお変わりなく?」
祖父の弟で分家に移った大叔父は、かつての領地にある本家の家を管理している方だ。
南九州であるせいか、あちらに住んでいる分家の方たちはのんびりした性格の方が多い。
だが、情が強いため、一度怒らせると決して相手を許さない苛烈さも持ち合わせている。
年に何度も顔を合わせているので、向こうの方言を聞き慣れてしまい、私も普通に使って、時々皆に笑われることがある。
片付けることをなおすとか言ってしまうのだ。
筋肉痛などの凝りをこわるというのも方言だ。
どうにも可愛らしい表現に聞こえるようだ。
『こまかひいさん』というのは『小さい姫様』という意味だ。
『こまか』というのは『小さい』という意味と『若い・幼い・年下』という意味も含まれている。
現在、本家で一番年若い女子という意味で私のことをそう言うのだそうだ。
蘇芳兄上のところに子供ができたら、この呼び名はその子に移るはずだ……と、思う。うん、そうなればいい。
幼い頃から、『ひいさん』と呼ばれているので、『姫君』とか『お姫様』と呼ばれるとちょっと抵抗を感じてしまう。
それこそ4歳までは、『ひいなさん』と呼ばれていた。
『雛様』という意味で、無事に育つようにという意味が込められているらしい。
そこの頃までは、家族以外から名前を呼ばれたことがなかったと、記憶している。
実にかすかな記憶だが。
「うんうん。元気にしとうよ。元気んなかのは川のほうやけど。水かさのうて、いろいろ問題やて」
「川が? ああ、大事な観光資源ですもんね。急流で清流ですから」
「ほうかて若いもんが色々と考えちょうとが、一時のもんやし。ダムさぁ、こさえるけんがいかんがね」
難しい表情になって、大叔父が唸る。
ああ。そのことを御祖父様に相談しに来たんだな、今回は。
地元の事で問題が上がれば、自治体やその上の関係機関への調整をお願いしに来るのが大叔父のお仕事のひとつだ。
大叔父が地元にいるので御祖父様も安心してこちらでお仕事ができると仰っていた。
「ダム、ですか」
「ああええ。御上や学者先生方が気張ってダムさぁ、こしらえたんはええが。わっちら、むかぁしからあの川さ、つきおうとうんじゃけん、あのままがよかぁさ」
ああ、なるほど。
急流でたまに氾濫する川を治水しようと上流側にダムを作ったら、色々と問題が起こったわけか。
昔から氾濫する川だと知っているから、周辺に住宅を作らなかったり、人工的に支流を作って多すぎる水を他へ流して水量を調整したりとかしていたのに、ダムができたせいでそこらへんがうまく機能しなくなってきたのか。
急流で清流ということであれば、清流の女王である鮎が豊富で味も良いと評判になる。
それを目当てに観光客が来るわけで。
まあ、温泉や焼酎蔵なんていうのもあるんだけど。
その鮎が取れなくなってきたら、地元としては死活問題だ。
あそこで食べた鮎のせごしは絶品だった。
珍味のうるかも美味である。
早く焼酎を片手に味わえる日が来ないかと日々うっとりして待っているのだ。
あと5年の辛抱だけど。
3月生まれなので、まだまだ先だ。ああ、待ち遠しい。
「今年は私、お節料理のお手伝いしたんですよ」
「なんばこさえたんかいね?」
「栗きんとんの裏ごしと、真薯のうらごしとまるめたの。あと、盛り付けも」
「そりゃ、大事したね。なら、きんとんはようけ味わって食べんといかんばいね」
にこにこと人の好さそうな笑みを浮かべて大きく頷く大叔父。
親戚の中でも特に私を可愛がってくれているので、ちょこっとしたことでも大げさに驚いたり、喜んだりしてくれる。
つまり、私が大怪我した時に大激怒したのはこの大叔父なのだ。
多分、諏訪家が一番怖がっているのもこの人だろう。
諏訪家の斗織様に当主の資格なしと会うなり一喝したのだから。
私が瀕死の怪我を負った直接の原因は詩織様をさらおうとした犯人が車で撥ねたせいだが、そもそもの原因が分家当主の多額の負債だ。
浪費癖のある男を分家の婿養子に据え、それを事件が起こるまで知らなかった本家当主があっていいものかと、当主の役目を何と心得るかと怒鳴ったのだ。
確かに大叔父の言うことにも一理ある。
本家当主は分家を管理するのも当然の役目だ。
斗織様がきっちり管理してさえいれば、事件そのものが全く起こらなかったと考えれば、犯人よりも諏訪家憎しのうちの分家の考え方もある意味理解できる。
おこってしまったものは仕方がないことだし、私は私がやれることをするしかないので、大人たちの対応はそれぞれに任せるしかないのだが。
「たくさん作ったから、いっぱい食べてね」
「ひいさんは、ほんなこつあいらしかな」
上機嫌で大叔父は私の頭を撫で倒して、御祖母様にも簡単に挨拶した後、客間の方へと去って行った。
「………………鬼の寿一が、見た? あのデレよう!?」
「私たちには厳しいのに、何で瑞姫には大甘なのよ、あの人は! て、いうか、ホントにあれが鬼の寿一!?」
茉莉姉上と菊花姉上が顔を見合わせて、大叔父の態度について話し合っている。
大叔父の名前は、相良寿一だ。
『鬼の寿一』と呼ばれるように、自分にも他人にも厳しい人だそうだ。
私にも八雲兄にも、先程のように人の好い好々爺然とした態度で接してくれるので、全然怖い人だと思ったことはないが。
「まぁ、仕方ないか。瑞姫だもんね」
「そうよね。瑞姫だもん、当たり前か」
私を見た姉たちが、妙に納得してしまった。
ここでは、末っ子マジックが妙な方向に転がっているような気がするのだが、気のせいだろうか。
「ほらほら、あなたたち。これからお仕事が待ってるわよ。ちゃんと身支度を整えて!」
御祖母様がチェックをし終え、姉たちに声を掛ける。
「瑞姫はちゃんと暖かくしてもう休みなさい」
いくら本家の娘といえど、未成年に割り振られる仕事は少ない。
これから姉たちは、祖父母や両親、兄たちと、年末年始の挨拶に来る親族たちを出迎える仕事が待っている。
夜間業務は子供に振り分けるつもりはないと、きっちりしている。
遅くまで別棟の電気が点いていたら、夜更かしするなと怒られるほどだ。
「はい、御祖母様」
ここは素直に頷いて、部屋に戻るのが得策だ。
成人すれば、否応なしに姉たちと一緒にお出迎えの仕事が待っているのだから、それまではのんびりさせてもらおう。
それか、昼間にきっちり働けばいいことだ。
「瑞姫、ネットもほどほどにね」
菊花姉上が、釘を刺してくる。
「疾風にメールするのは!?」
バレてるけど、これだけは譲れない。
「疾風かぁ……まぁ、あの子なら仕方ないわね。あんまり長いことメール打って、迷惑かけないのよ」
「うん!」
疾風にだけは必ず近況報告をするためにメールを入れている。
「あ。さっちゃんは?」
颯希も最近は頻繁にメールをするようになっている。
明日も、2人揃ってうちに来ることだろう。
「颯希もまだ小さいんだから、返事は明日って書いて送るのならいいわ。じゃないと、あの心配性は返事がなければ電話しそうだしねぇ」
あはははは。菊花姉上、鋭いです。
一度、颯希にメールした後、寝落ちして、返信メールに気付かなかったら、返事がないと颯希が岡部で大騒ぎしたことがあるらしい。
本家に電話するとか、自分が会いに行って確かめるとか言ってパニック起こしている颯希に、疾風が叱りつけたそうだ。
時間的に考えて眠っている私を起こす気かと。
それで私が眠っているかもしれないということにようやく気付いた颯希は、落ち着いたそうだ。
主大事な性格は好ましいが、もう少し余裕がないと困ると疾風がぼやいていた。
眠ってしまった私が悪いんだけど。
「あ……うん。そうします。じゃあ、おやすみなさい」
そう言って、別棟の方へ引き上げる。
部屋に戻って疾風と颯希にメールを入れた後、明日着る着物を出し、帯を合わせて気付く。
「あ。しまった! 帯結ぶの手伝ってって言うの、忘れてた……」
まあ、何とかなるか。
三箇日は、晴れるといいな。
別棟の灯りを消し、ベッドにもぐりこんだ私は、昼間の疲れから、あっさりと眠りに落ちた。