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ハロウィンが終わると、生徒会選挙が始まる。
藤堂生徒会長にとって、ハロウィンが最後の大仕事だったわけだ。
選挙に関しては、前会長は建前上は中立を保たねばならないため、目立った動きをするわけにはいかない。
そのはずなのだが。
「おはよう、相良さん」
魅惑の低音ボイスが惜しげもなく私を呼ぶ。
これが、以前の私であれば、丼飯3杯はイケる! と喜ぶところだろう。
優しげに甘く響く声が、私の名を紡ぐのだから。
「おはようございます、生徒会長」
朝っぱらから、人の教室に日参するなと申し上げたいところだ。
3年生、しかも生徒会長自ら、1年生の教室に毎朝来ては挨拶して帰るのだ。
色んな憶測が飛び交っている。
その憶測や噂のいくつかは、現生徒会役員が流していることはわかっている。
「考えは変わらない?」
「変える必要は見当たりません」
穏やかに和やかに微笑みながらの会話。
だが、冷気が漂っている気がしているのだろう、クラスメイト達の顔色がすこぶる悪い。
もしかしたら、諏訪が荒れていた時よりも空気が悪いかもしれない。
「どうしても?」
「疑問があるのですが」
藤堂会長の問いかけには答えず、逆に疑問を返す。
「何かな?」
「今年の1年は、人材の宝庫だと言われております」
「うん、そうだね」
「何故、彼らではなく、私だったのか。篩にかけた基準をぜひ、お伺いしたいものです」
中等部の生徒会役員だったからという理由は、認めない。
暗に匂わせると、藤堂生徒会長の表情がわずかに動く。
「人の上に立つという教育を施されている者は、かなりの人数いるはずです。逆に私は末子ですから、そういった教育とは無縁です。そして、人の和を大切にするような人間でもない。適任者というカテゴリーの中から外れるはずですが。ああ、これは、単純な疑問ですので、答えをもらったところで納得して引き受けるということはありません」
穏やかな声を作って告げる。
決して荒げることなく、柔らかな口調を心掛ける。
八雲兄の交渉術だ。
ここで二宮先輩ならぼろを出すはずだろう。
だが、藤堂生徒会長は難なく誤魔化すだろう。
それを見越して次の手を打ち、断続的に揺さ振りをかける。
相手がそうと思わないように、静かにこっそりと楔を打っていく。
「さすが、学年主席だけあって面白いところを狙うね。今年の1年は4人で主席争いをしていると聞いているが、全員有望株だというのはもちろん理解しているつもりだよ」
「得点だけ見れば、そうかもしれません。ですが、出る杭は打たれるといって本来の実力を隠している者もいるということはご存知ですか?」
橘とか千瑛とか!
高得点取って注目浴びるの嫌だからと言って、手抜きでテストを受けているやつだっているのだ。
千景も面倒臭がって、上位に入るけれど、目立たない位置を常にキープしている。
他にもあげればきりがない。
成績優秀者として外部から入ってきた生徒を押さえる形で常に上位は内部生なのだ、今年の1年は。
「彼らが本気になれば、主席争いをするのは10数名に膨れ上がるでしょうね」
さすがにこれは知らなかったと見える。
笑みをたたえていた藤堂生徒会長の表情が抜け落ちた。
「……私に固執すると、足許をすくわれますよ?」
さて、今から藤堂生徒会長は、もう一度1年生のデータを見直すことだろう。
「君も存外、人が悪いな。相良さん」
苦笑を浮かべ、藤堂生徒会長が告げる。
「旗頭というものは、その足許を隠すために存在するんですよ?」
にっこりと笑って見せれば、生徒会長の笑みがさらに苦く深くなる。
「確かに。君は見事にその旗頭を演じているよ。やはり、僕としては君に後を託すのが一番望ましい」
「私があなたの立場なら、決して私に後を任そうとは思いませんよ。危険が大きすぎる」
本当にしつこいな。
一応、揺さ振られてはくれたようだ。
ここは一旦引いて、次の機をみるべきか。
「では、また」
にこやかな笑みを作り、藤堂生徒会長が教室から去っていく。
緊張していた空気が一気に緩んだ。
「瑞姫様~っ!! 生徒会長様が直々に、一体何事なんですの? というより、どうしてあの方相手ににこやかにお話などできるのですか!?」
女子生徒たちが一斉に泣きついてくる。
「ごめんね。怖がらせてしまったようだ。来期の生徒会入りとその次の生徒会長の任に就くようにと言われたんだけれど、その気がないので断っているところなんだ」
「……まあ」
おおよその見当はついていただろう彼女たちの反応は微妙なものだ。
「瑞姫様を後任にとお考えのところは、お目が高いと申し上げたいところですけれど」
「ん?」
「いくら会長様でもこればかりは許せませんわ」
「そうですわね」
「え?」
口々に言い合い、頷き合う。
一体、何!?
「ご安心ください、瑞姫様」
にっこりと小松さんが笑う。
「小松の姫君? それに、三輪の姫君も、何を?」
「1年女子、総力を挙げまして瑞姫様をお守りいたしますわ! ええ。決して嫌がる瑞姫様を生徒会長様になどさせませんわ!」
「そうですとも。王子様をお守りするのは姫の役目ですもの」
にこやかに晴れやかに笑って告げる女子一同に、私は目を瞠る。
「え?」
何故、姫が王子を守るの!?
王子って、誰? 私!?
ない! それはない!!
何で私が彼女たちに守られなきゃいけないの!
どうしてこうなった!?
私の思いを余所に、生徒会役員選挙は思わぬ方向へ転がっていった。
「瑞姫ちゃん、モテモテね」
テラスでぼんやりと空を眺めていた私に、千瑛がくすくすと笑いながら言う。
「なんでこうなるのかが、わからない」
私が思っている以上に1年女子の結束は固かったようだ。
藤堂会長が教室に近づこうとすれば、二十重に取り巻いて、他のクラスの女子までやってきて、彼の行く手を阻む。
そうして、『嫌がる女性に無理強いなさるなんて無粋ですわ』などとやんわりと詰るのだ。
これにはさすがの藤堂生徒会長も苦戦を強いられているようだ。
『嫌がる女性』って、一応、女性扱いしてくれてありがとう。
王子様と呼ばれてから男扱いされているのかとちょっと落ち込みそうになったからね。
「女子だけじゃないから、大丈夫だよ」
相変わらず楽しげに笑う千瑛が意外なことを告げる。
「え?」
「男子も動いているの。二宮先輩不支持でね。だから、生徒会長の後継者で断然有利なはずの二宮先輩は苦戦しているんだよ」
にっこりと意味ありげに笑う千瑛。
「千瑛! 君か!?」
戦略を練るという点で、千瑛は私より格段に上だ。
普段はあのとぼけた性格を前面に出しているため、ちょっと変わった御嬢さんで通っているが。
「くふふ。ちょっと言っただけよ? 生徒会長になろうって人が、後輩の手腕と人気に頼って当選しようと思ってるなんて、どうかなーって」
絶対、それだけじゃないだろう。
もっとイロイロと言っているはずだ。
でなければ、千瑛の隣で千景が頭を抱えているはずがない。
「あ。それから! 書記には大神を推しておいたから。裏でこそこそ人を操ろうとせこいこと考えないように、表に引きづりだしちゃえばいいのよ」
「……は?」
確かにそれは、私も考えたけれど、実行に移すかどうか迷っていた案だ。
「だって。今回の騒動、裏に絡んでるの、大神だよ」
けろりとした表情で千瑛が暴露する。
「大神が、動いた?」
「そ。まだ序の口のつもりらしいけど。隣のクラスに私がいるのに気付かないで動くなんて、大神も割と注意力散漫よねぇ」
気付かないじゃなくて、気付かせなかったの間違いでは?
そう思ったが、口には出さない。
「そう、か」
想像していた以上に、事態が混迷化してきている。
千瑛が大神を表舞台に引き吊り出そうとするのなら、任せてみようか。
少なくとも、多少、彼の動きを封じることはできるだろう。
私はごく普通の学生生活を送りたいだけであって、人の前に立つことは本意ではない。
「平凡な人生って私には無理なのかな?」
思わずつぶやいた言葉に、千景が崩れ落ち、テーブルにおでこをぶつける。
「あら、瑞姫ちゃん。平凡って一番難しいのよ? だって、明確な判断基準がないんだもの」
にっこりと笑って告げた千瑛の言葉に、思わずそうかと頷いてしまった。