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 サロンはいつもと違ってひと気がなかった。

 カウチが置かれている場所まで行くと、すでに在原と橘がいた。

「やっほー! 瑞姫」

 在原が手を振り、合図する。

「千瑛たちは?」

「知らない。来るか来ないか、僕は聞いてなかったし」

「そうだね。俺も聞いてない」

「そうか。またねと言ってたから、ここを探し当てるかと思っていたんだが」

 問い質したいことがあったが、さすがにここでは聞けないだろう。

「まあいい。お腹が空いたから、食べようか」

 私たちが到着するまで律儀に待っていてくれたのだ。

 早く食べたいと思っているだろう。

 疾風が2人分のランチボックスをテーブルに置き、一緒に頼んでいたお茶も用意する。

「あ。その前に! お菓子頂戴! 悪戯しないから」

 手を差し出した在原がお菓子を要求する。

 その言葉に、思わず吹き出す。

「先に言っちゃうんだ? 悪戯しないって」

 手にしていたボックスからキャラメルが入った小さな箱を取り出して、在原の掌に落とす。

「うん。悪戯、するわけないでしょ? 僕、瑞姫の事大好きだし」

「そうか、ありがとう。じゃあ、私にもお菓子をくれるかな?」

 在原の『好き』は友達の好きだ。

 間違えることもない明確な感情に、安心して私も手を差し出す。

「うん、貰って」

 在原から渡されたのは、可愛らしいピンク色のグミ。

「桃味だよ。だから、ピンク」

「可愛いね。まともで安心した」

「……瑞姫用はね」

 ラッピングした透明な袋の中に転がっているグミを透かして眺めていた私に、橘が呆れたような口調で告げる。

「私用だけ?」

「うん。他のはちょっと失敗しちゃって」

 テヘペロと言い出しそうな表情で、在原が照れ笑いする。

 彼が持っていたお菓子用の小さなバスケットの中には、原色なグミが転がっている。

「見事な原色だね」

 そう表現するしかない。

 間違っても可愛いとか美味しそうとかいう感想は出ないだろう。

 何故こんな原色に?

 思わず首を捻っても仕方がないと思う。

「ほら、瑞姫がロリポップの色つけに食紅使ってただろ?」

「ああ、うん。そうだね」

「あれでね、僕も食紅使えば、綺麗な色が出るかなと思って」

「……そうだね」

 物凄く、後の展開が読める話だ。

「ちょこっと入れてみたら、色が出て面白くなっちゃって」

「ついつい入れ過ぎたと……?」

「あたり!!」

 やっぱり。

「それにちょっとゼラチンの量も間違えちゃって。成功したのは瑞姫の分だけ」

「……後のは?」

「固くてゴムみたいになっちゃった」

 そんなの、食べたくない!!

 何の罰ゲームだよ、それは。

 成功した分を私に回してくれたのは嬉しいが、他の人が気の毒になってしまう。

「予想通りの展開で、笑うしかなかったんだけど。ま、在原だしね」

 苦笑した橘が、私に手を差し出す。

「俺にもお菓子、くれるかな?」

「はいどうぞ」

 橘と疾風にキャラメルを手渡す。

 2人からもそれぞれクッキーとカラメルをもらい、食事を始める。


 和やかな空気の中、昼食を摂る。

 以前は疾風と2人で食べることが殆どだっただけに、4人ともなれば賑やかで楽しい。

 ここに千瑛と千景が加われば、騒がしいとしか言いようがないけれど、やはり楽しいと思える風景になる。

「食事が終わったところで、これからどうする?」

 デザートがてらにもらったばかりのお菓子を食べながら、橘が聞いてくる。

「そうだね。もう少しまったりしてからちょこっとだけ参加して、それから引き上げようか」

 今日の授業は午前中までなので、不参加表明の生徒たちはすでに帰宅している。

 いつでも帰っていい状態なのだ。

 最後まで残ってもいいし、配るお菓子がなくなったところで帰っても大丈夫だ。

 千瑛と千景にお菓子を渡したら、後は気分次第でお菓子をばらまいて帰ろうかとぐらいにしか考えてはいないけれど。

 だが、世の中には無粋なやつがいて、こちらの予定など無視してやってくるのだ。




 迷いない足音が温室の中に響き渡る。

 だんだんと近付いてくる足音に、疾風と在原が不快そうな表情を浮かべる。

「やはり、ここだったか」

 そう言って姿を現したのは諏訪だった。

「相良にこれを」

 手にしていた袋を私の前に置く。

 諏訪は、私以外の人間にまったく注意を払っていなかった。

 いるということを認識していても、気にする必要は欠片もないと思っているようだ。

「先日の件、分家から養子をとるつもりのようだった。教えてくれたことに礼を言う」

 淡々とした声音、静かな表情。

 何かを吹っ切ったかのような空気が漂っている。

 その肩に乗っている親父殿さえいなければ、威厳に満ちた威圧感さえ感じるかもしれない。

「そうか」

 元々、義妹に息子の教育を任せて、自分は表に顔を出していた律子様だ。

 例え自分の息子でも後継ぎには不向きと思えば切り捨てることに容赦はないだろう。

 だが、その原因の一端が自分にあるとは思ってはいないようだ。

 子供は母親が世界の全てだ。

 愛情深く育てられれば、それなりにまっとうに育つ。

 母親としての役割を果たさずに、問題を起こした息子をそのまま切り捨てるというのはどうだろうか。

 3年前の時は、律子様の顔を立て相良も一旦引き下がった。

 だが次はない。

 今回の事で、皆、牙を剝く気満々なのだ。

 今は私が抑えているが、箍を外せば全力で襲い掛かるだろう。

「俺が諏訪の後継者だ。すべてを掌握して見せる」

 きっぱりとした口調で諏訪が宣言する。

 その表情は、今までの甘さをすべて削ぎ落とした厳しいものだった。

 ようやく、自分の足場の脆さを認識したようだ。

 そうしてその足場を確固たるものにすべく動き出したのだろう。

 無条件で守ってもらえるはずの母親が、最大の敵にまわっているのだ。

 諏訪の心理としてはかなり苦しいもののはずだ。

 信じられるものは自分自身だけという状況に追い込まれているのだから。

「俺は、諏訪を手に入れる。だから、見ていろ!」

 『見ていてくれ』ではなく『見ていろ』か。

 真っ直ぐにこちらに挑むような視線。

 一見、俺様が復活したようにも見えるが、そうではない。

 私が諏訪を見ないことを前提で命令ではなく要求しているのだ。

 見た目も声もいい諏訪なので、こういう場面を他の女の子が見たら、きっとぽうっと頬を染め、熱を上げることだろう。

 だが、残念だ。

 その肩の親父殿がすべてを台無しにしている。

 諏訪を見ようと思っても、必ず親父殿と視線が合ってしまうのだ。

 笑いをこらえ、表情を保つことに必死になってしまって、諏訪の言葉に答える気にもならない。

 命令形にも聞こえる『見ていろ』発言で、橘までも嫌そうに表情を歪めている。

 誰も言葉を発しないのは、私が表情を動かさないからだ。

 私のリアクションでこの均衡が崩れるだろう。

 しかし、諏訪は私の答えを待つことはなかった。

 言いたいことだけ言うと、くるりと背を向け歩き出す。

 仕方ないな。

 貰った物にはそれなりの対価を返さなくては。

 バッグの中からお菓子を取り出す。

「諏訪!」

 声を掛けてそれを投げれば、振り返った諏訪は驚いたようにそれを受け止め、手の中のお菓子と私を見比べる。

「お菓子の礼だ」

 それだけ告げて、視線を疾風に移す。

 動くなと宥めるように疾風の肩に手を添えれば、諏訪はそのまま黙って去って行った。


 諏訪の気配が消え、在原と橘が顔を見合わせる。

「瑞姫、諏訪に投げたのって、あれ……」

「んー? ロリポップの花束」

 笑いをこらえたような在原の問いかけに、素直に答える。

「あれって、女の子用って言ってたよな?」

「そうだよ」

「絶対、勘違いしているよな。激励されたと思って!」

「花束だしな」

 吹き出したのは、誰が最初だっただろうか。

 それが呼び水となって一斉に笑い出す。

 どれぐらい笑っていただろうか、ようやく笑いが治まり、目尻に溜まった涙を指先で拭う。

「ひどいな、瑞姫は。男前すぎる」

「格好良すぎて、比較されるやつが不憫になってくるよ」

「褒めてくれてありがとう!」

 皆の言葉に、笑顔で礼を言う。

「褒めてないって!」

「それは残念だ。褒め言葉だと思ったのに」

 その言葉に、笑いの発作が起きかける。

「本当に、諏訪は不憫だね。俺たちの前であんなことを言うなんて」

 橘が苦笑しながら告げる。

 家の恥を他人の前で言う莫迦がどこにいる。

 それは弱みとなって、格好の餌食にされるだろう。

 そう橘は言いたいのだろう。

 私も同感だと思う。

 人の前でそれを言えば、伝えたい相手以外の周囲の人間にもその情報が伝わってしまう。

 そのことに注意を払えない彼は、まだ未熟だと思われてしまうだろう。

 肩をすくめ、苦笑を浮かべていた私たちの前で、疾風が手を上げる。

 静かに、誰か来る。

 そう伝えるジェスチャーだった。

 その直後、静かな足音がかすかに聞こえ、近付いてきた。

「ごきげんよう」

 薔薇の葉陰から姿を現したのは、少しばかり見覚えのある顔だった。

 名札には緑のラインが入っている。

 そうして、もうひとり、その後ろから現れた。

 赤のラインが入った名札をつけるその顔は。

「……生徒会長……」

 今季の生徒会長、その人であった。

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