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八雲兄の言葉をヒントに、お菓子を量産することにした。
数を多くするために、1個の大きさを小指の爪ほどの大きさのキャラメルとビー玉くらいの大きさのロリポップなんてどうだろうか。
キャラメルはカボチャ型とコウモリ型に入れて、固まったところを切っていく方法だ。
これはパティシエの坂田さんのアイディアだ。
最初はサイコロ型の方が初心者には安全だと思っていたけれど、ハロウィン用の飴型があるからそれを使いましょうと言われ、型を見せてもらってちょっとひと目惚れした。
飴細工はいろんな方法があるらしく、説明を聞くだけでわくわくする。
坂田さんは初老のご婦人だ。
ほんわかとした優しい雰囲気を持つが、自分が作るスイーツには絶対に妥協をしない職人さんだ。
坂田さんが作る飴細工は、本当に繊細で綺麗で魔法のようで、幼い頃の私はお仕事中の坂田さんを少し離れたところから食い入るように見ていたらしい。
勿論、今でも坂田さんがお仕事している様子をまじまじと見てしまうけれど。
料理人さんたちがお仕事しているときは、絶対に傍に近づかないと幼い頃に約束させられた。
刃物を持っているということもあるし、お湯を扱うということもある。
それに、衛生管理という非常に難しい条件維持ということもある。
とにかく、彼らの仕事場には、子供にとって危険がいっぱいなのだと、教わったのだ。
だから、そんなに甘くておいしそうな香りが漂っていても、彼らの許可が下りるまでは傍にはいかない。
約束をきちんと守ったら、美味しいご褒美があるからではない。
まあ、そういうわけで、厨房の皆様からの私の評価はそこそこ良いので、こういうときにお願いがしやすいのだ。
練習日当日、それぞれが材料一式を持って別棟へと到着した。
もちろん、初心者なので、そう難しいお菓子を作れるはずがない。
当然、材料もほんのわずかだ。
「静稀、エプロンつけたら、ちゃんと手を石鹸で洗えよ」
橘がしっかりと在原に釘をさす。
「先にレシピを見やすいように広げてからだよ、静稀」
橘の言葉を継いで私も言う。
「あ! そっか。また手を洗わないといけなくなるからね」
それぞれが材料を乗せている簡易テーブルまで走って戻った在原が、ネットからダウンロードしたレシピを丁寧に広げて並べた。
坂田さんは私たちのやり取りをにこにこと笑いながら見守っている。
「岡部は、何作るの?」
疾風のところにだけレシピが置いていないことに気が付いた在原が、不思議そうに問う。
「ん? カルメラ」
「え?」
「カルメラ。知らないのか?」
「カルメラって、キャラメルの親戚?」
カルメラを知らない在原が、盛大に首を傾げる。
「あら。疾風さんはカルメラですか。それは懐かしい味ですね」
ほっこりとほほ笑んだ坂田さんが目を細める。
「はい。祖母直伝です」
「まあ、それは素敵ですねぇ。ぜひ、後でお味見させてくださいね」
「はい」
「……だーかーらーっ!! カルメラって、何!?」
足を踏み鳴らしそうな勢いで在原が問う。
「ザラメと重曹と卵白と水で作るんだ。ちょっとだけ昔のおやつだったらしい。私も疾風のおばあ様に作っていただいたことがある。甘くてさくっとして美味しかった」
なんというか、素朴で優しい味だった。
かなり昔に縁日の屋台にあったと聞いたことがある。
確かにこの世界じゃかなり珍しいものだろうな。
さすが疾風、盲点を狙ったな。
「……ザラメ? ジュウソウ?」
在原、そこからか!?
「出来上がってからのお楽しみでいいだろう? ほら、手を洗って」
橘が在原を追いやる。
菅原双子が全く同じ表情で橘を眺めている。
「……オカン?」
「千瑛、言葉を選んであげて。傷つきやすい年頃なんだから」
思わず千瑛を窘める。
私もそう思ったけど! そう思ったけど! 言ったら可哀想だと思って言わなかったんだからね。
「千瑛はこの間聞いたけど、千景は何を作るの?」
「ミニドーナツ。僕にお菓子をくれなんて言う勇気があるやつって、知り合い以外いないでしょ?」
神経質で気難しそうに見えるからなぁ、千景は。
「私はお菓子頂戴って、言ってもいいの?」
「もちろん。瑞姫はドーナツ好きでしょ?」
当然と言うように頷かれた。
ちょっと嬉しいかも。
「うん。プレーンタイプが一番好き」
「時間が経つと油が回っちゃうのが難点なんだけど。そこのアドバイスをもらえたらなと思ってさ」
千景はそういうと坂田さんの方に視線を送る。
なるほど。
ちゃんと考えてるんだ、すごいなぁ。
時間が経つと油が回って味が落ちるなんて、わかっていても気にしないか、まったく気づかないかだろうな、私なら。
「ほら、早く作り始めよう? 時間が無くなっちゃうよ」
声を掛け合って、私たちはそれぞれ手を綺麗に洗った後、レシピとにらめっこしながらお菓子作りを始めた。
お菓子作りというものは、性格が如実に表れるものらしい。
慎重派と大胆派。
坂田さんは主に大胆派のフォローに回ってもらっている。
その場の思い付きで、本当にとんでもないことをいきなりはじめてしまうのだ。
在原はグミを作る予定で、色々とジュースを買ってきたのだが、何故か鉄観音のグミを作り始めたりとか、グミの中に花を入れたらいいかもしれないと言い出して、庭に咲いている花を取ろうとしたり。
それ、食用じゃないから! と、叫んで止めましたとも。
味はともかく、食用として育てられている花にしてほしい。
うちの花で食中毒でも起こされたら大変だ。
鉄観音については、紅茶にしてと頼みました。
私の心からの叫びを憐れに思ったのか、橘が在原にこんこんと説教していたのが笑えました。
いや、本当に橘ってお母さんみたいだ。
前からちょっと思っていたけど、世話好きなんだろうね、この人。
疾風も千景も淡々と自分の作業に没頭していたので、在原の暴走に完全無視だった。
つくづく君たちの性格が羨ましいと思うよ。
ようやく冷えたキャラメルを型から外し、切り分けていく。
ステンレススケッパーで慎重に断ち切る。
包丁の方が使いやすいかと思ったけれど、こっちの方が意外と綺麗に切れたので驚きだ。
さすがプロが言うだけのことはある。
坂田さんもゴム製のスケッパーとステンレス製のスケッパーを使い分けているそうだ。
非常に勉強になりました。
こういう実用的な知識って、教えてもらえると嬉しくなる。
ロリポップの型枠は100均で手に入れたものだ。
こっちの世界でも100均ってあるんだね。
初めて入って、記憶にあるところと似ていて感動しましたとも。
お店の名前とか、扱ってる商品とかは少し違っていたけれど、懐かしい感じがした。
結構好きだったんだよ、100均の文房具とか。
特にミニノートとか付箋とか。
ボールペンはインクがすぐ固まって使えなくなるところが難点だったけど。
あまりの懐かしさにしばし呆然としていたら、物珍しがっているのだと坂田さんに勘違いされて笑われた。
値段が高いものでも安いものでも、耐用年数が同じなら安いもので充分なんだというのが、坂田さんの持論でした。
余程突出したメーカーがない限り、クオリティにあまり大きな差はないのだそうだ。
本当にそうなのだろうか?
値段が高ければ、そちらの方が断然いいような気がするのだが。
もしかしたら、技術でカバーするとか、技術を身に着けるチャンスだとか、そういう類の考え方なのだろうか。
反論する術を持たない私は、先生の言葉に素直に従うだけだ。
お菓子ができたら、試食会に雪崩れ込むのは当然だ。
お茶を片手に、互いが作ったお菓子の論評だ。
ちなみに、お茶は坂田さんではなく、私が淹れた。
こればかりは他の人の手に委ねるわけがない。
お茶淹れは私が唯一、人に誇れる技能なのだ。
ちゃんと基礎から勉強したから、自信を持って淹れることができる。
そのうち、お茶のブレンドの仕方もきちんとマスターしたいと思っている。
大事な人に美味しいお茶を淹れてあげられるということは、私にとっての癒しであるのかもしれない。
美味しそうに目を細めて飲んでくれている姿は、何より嬉しい。
ほっこりした気分で私は友人たちを眺めていた。
試食会で余ったお菓子は、それぞれで知人に贈ることに決めた。
そのお菓子がハロウィン用であることは、知らない人には秘密ということで、素直に味だけ楽しんでもらうのもいいかもと思ったせいだ。
「疾風、こっちを颯希に渡してくれる?」
きちんとラッピングして、疾風にキャラメルを渡す。
「颯希にまで渡す必要はないぞ」
少々疾風は渋い顔だ。
「いいじゃないか。中等部の颯希は、ハロウィンはないんだから」
「甘すぎる!」
「だって、素直に喜んでくれるから」
最近、疾風は感情を表に出さなくなった。
だから、素直な颯希が余計に可愛く見える。
男の子に可愛いと言ったら、絶対に怒られることはわかっているが。
「子供なだけだろ。感情を制御できなきゃ、俺たちはひとり立ちできないんだから」
つまり、半人前に気を掛けるなといいたいわけだ、疾風は。
疾風なりに颯希を可愛がっているんだな。
「自分に素直なのはいいことだと思うけど? まあ、あれだね。岡部は瑞姫ちゃんが弟君に構うのが気に食わないわけだ」
にやりと笑った千瑛が疾風をからかう。
「別に。瑞姫が颯希をかまうのは昔からの事だしな。颯希が瑞姫の重荷になるのなら、すぐに排除するつもりだけど」
淡々と答える疾風に、千瑛は面白くなさそうにそっぽを向く。
「千瑛、用が済んだなら帰るぞ」
これ以上、他人に迷惑をかけるなと、千景が声を挟む。
「はあい。じゃあ、瑞姫ちゃん。当日、楽しみに待っててね」
友チョコならぬ友菓子が千瑛の中ではあるらしい。
当日、親しいものだけに特別にごく普通のお菓子を用意してくれるようだ。
千瑛のごく普通という認定基準が気になるところだが、突っ込むまい。
「当日、頑張ろうねー」
そう言って、菅原家の双子は仲良く帰宅した。
在原と橘も、きちんと片づけて帰っていく。
「坂田さん、今日はありがとうございました」
自分の仕事もあるだろうに、私たちのためにわざわざ時間を割いてくれたパティシエに礼を言う。
「いいえ。私も楽しかったですよ。本番のお菓子が成功するといいですね」
「はい。次はもっと頑張って作ります」
後片付けがきちんと終わったか、隅々まで確認して、私は頷く。
そうして、ハロウィン前日、私たちは自分の為に、お菓子を作ったのであった。
ムーン様の方の作品を仕上げるので、週末、もしかしたら掲載が滞るかもしれません。




