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32 (諏訪伊織視点-後編)

諏訪伊織視点

坊ちゃん大いに悩むの巻

 相良の意識が戻ったと知らされ、すぐに病院に駆けつけた。

 だが、親族以外は面会謝絶だった。

 特に俺は、事件の記憶が呼びさまされ、取り乱す恐れがあるかもしれないとかで、容体が安定し、精神的に落ち着いていると確認されてからだと病室の入り口で止められた。

 謝罪をしなければ、母に本当に殺されるかもしれないという恐怖感から病院に向かった俺としては、いささか拍子抜けだった。

 問題はそこから後だった。

 容体が安定し、回復に向かい、ベッドから起き上がれるようになったと聞かされながらも、俺は相良と会うことは許されなかった。

 何度も病院に行き、相良に会わせろと言っても、誰も頷かない。

 挙句の果てには口先だけの謝罪など、意味のないことに相良の時間を取らせるつもりはないとまで言われた。

 何故、謝罪させないのだと問えば、何について謝るつもりだ、謝ってどうするつもりだ、何のために謝るつもりだと問い返される。

 謝ればそれで済むと思っていた俺は、その問いに答えることは何一つできなかった。

 辛うじて最初の問いに、『事件に巻き込んでしまったことについて謝るつもりだ』とその次に会いに行った時に答えたら、深々と溜息を吐かれてしまった。

 皆が皆、俺は何もわかっていないと言う。

 中等部でも、事件の事は知れ渡っており、俺が無事でよかったと言ってくれる者もいれば、あからさまな非難の眼差しを送ってくる者もいた。

 あの事件の前後、数日間に渡って学校を休んでいた岡部が登校してきたとき、俺はやつから何か言われると思っていた。

 俺だけではなく、他の奴らもそう思っていたらしい。

 だが、岡部は俺に何も言わなかった。

 いや。俺を存在しないものとして扱った。

 すれ違っても俺の姿を映さない。

 あの気性の荒さから、最低でも睨まれるとか、掴みかかって殴られるとかされても仕方がないと思っていた。

 何をされても甘んじて受け入れるべきだろうという頭は働いていた。

 しかしながら完璧な無視と言うのは想定外の事だった。


 リハビリをし始めたという噂を聞きつけ、それならばと病院に行ったが、やはり面会許可は下りなかった。

 何故わざわざ足を運んできてやっているのに、俺に会おうとしないんだ。

 謝りにきてやっているのに、無礼だろう。

 そう思っていたのは事実だ。

 だが、母はそれを許してはくれなかった。

 両親が全面的に相良の治療をバックアップすると申し出、医師の手配や最新設備の投入などで本家へ向かう相良家の怒りを何とか収めることができたと後から聞いた。

 相良一族の結束は固く、大事な末姫の危機に怒り狂い、一時は諏訪との取引を取りやめるという噂が飛び交い、それを本気にした他の関連企業が一斉に諏訪から手を引き、諏訪の屋台骨が揺らぎ、煽りを食らった端の会社が倒産したと聞かされ、ぞっとした。

 その間、相良は今まで通りの取引をやっていたにもかかわらず、ただの噂だけで諏訪へダメージを与えたのだ。

 本気で撤退すれば、母が恐れていた通りに諏訪は立ち直れないほどの大打撃を受けることになる。

 しかも、あいつに怪我を負わせた責任の一端がある俺は、諏訪の次期当主だ。

 俺が当主になった時に、このままであればもっとひどいことになるだろう。

 それだけのことは、俺にも解った。

 とにかく言葉だけでも謝らなければと、通いつめ、毎回、追い返される始末。

 どうすればいいのか、俺にも解らなくなってきた。

 そんなある日、学校の帰りに病院に行った俺の前に立ったのは、父だった。

 あの事件以来、父とはほとんど顔を合わせてはいなかった。

「伊織、瑞姫さんに会わせてやろう。ただし、おまえは彼女に声を掛けることはできない。ただ遠くから見るだけだ。いいな?」

 それがどういう意味なのかはわからなかった。

 とにかく、相良に会えるらしい。

 ならば会うべきだと単純に考え、頷いた。

 そして、俺は、そのことを後悔する。




 総合病院の1階の一番奥。

 そこにリハビリルームがある。

 患者が人目を気にせず、自分のペースでリハビリできるようにと、移動しやすい1階でありながら、奥まったところに作られている。

 リハビリのみの外来なら、直接受け付けを通さずにこの部屋に来れるシステムもあるらしい。

 そういう説明を聞きながら、案内をする男の後ろを父と歩く。

「リハビリルームには関係者以外は立ち入り禁止です。ですので、その隣にあるチェックルームからご覧いただくことになりますが、決して大きな声を立てたり物音を立てたりしないでください。リハビリの患者さんたちはとても神経質になっていらっしゃいますので、ストレスを与えないようにお願いいたします」

 それは、お願いという言葉を使った命令だった。

 諏訪の人間に命令するとは何様のつもりかと思ったが、父が了承する意思を伝えたので、何も言えなくなる。

 リハビリルームを素通りし、その奥にある目立たないドアを開け、そこへ案内される。

 そこはある一面のみが硝子張りで、それ以外はすべてコンクリート壁で囲まれた薄暗い部屋だった。

 俺達が隣の部屋に入ってきたというのに、リハビリルームにいる者は誰ひとり気付いた様子がない。

「もしかして、マジックミラーですか?」

 父が声を抑えて問いかける。

「はい、そうです。ここから患者さん、おひとりおひとりの動きをチェックしています。プライバシーにかかわりますので、ここで見たことは口外しないお約束は必ずお守りください」

「もちろんです」

 男の言葉に父が即答する。

「それで、相良は?」

 ざっと部屋の中を眺めても、相良瑞姫らしき人物は見当たらない。

 子供は2人いるが、どちらも男のようだ。

 ひとりは車いすに座っている。

「瑞姫ちゃんなら、そこにいますよ」

 男が示した先にいたのは、車いすに座っていた相良と似ても似つかない少年だった。

 似ているのは、さらさらな髪質くらいで、あの長い髪でもなければふっくらとした頬を持っているわけでもない。

 栄養失調なのかと思うくらいに痩せこけた少年だ。

「嘘だ、あれは相良じゃない」

「いいえ。あれが、今の相良瑞姫ちゃんですよ」

 否定する俺の言葉に、その男は何でもない事のように重ねて告げる。

「一週間以上も生死の境を彷徨い、生還した後も数日間は夢現の状態で眠っている時間が長いのです。その間、食事はとれませんから、栄養を点滴のみに頼れば、当然、痩せてしまいます。起き上がれるようになって、きちんとした食事ができるようになっても、傷を回復させようと身体が栄養を欲しますから、食べた分は身にならず、すべて傷の回復に当てられます。たくさん食べられればいいのですが、長い間、口から栄養を摂取しないと、胃の動きが活動的ではなくなり、食べるという行為そのものが苦痛になってしまう場合もあります。そのため、少量ずつから体を慣らしていかないといけません」

 この部屋の責任者なのか、それとも他の資格を持つ医師なのか。

 男は相良の食事量の少なさを説明しだす。

「身体を動かすことによって、食事量の増加と、エネルギーの配分を変える必要があるのです。寝たきりで衰えた筋肉を鍛えることで、粉砕した骨への負担を減らすようにしていきます」

 父への説明は淀みなく、何度も説明してきたかのような口ぶりに、相良の家族にも同じ説明をしていたのだとわかる。

 だが、俺の視線は相良から動かなくなった。


 ゆっくりと車いすから立ち上がる。

 もう1人の少年が、それを支えている。

 岡部だ。

 あいつ、こんなところまで一緒にいるんだ。

 俺には会おうとはしないくせに、岡部だけは傍に置く。

 そのことが無性に腹立たしい。

 睨みつけるように相良と岡部を見ていたら、胸の高さくらいの手摺のところへと2人は移動する。

 ほんの数歩、相良の腕を支えた岡部は、手摺に相良の腕を乗せる。

 何かを話した後、岡部は相良から離れて、その手摺の反対側の位置に立つ。

 俺のすぐそばで背中だけが見える。

 相良の足元にはマットが敷かれている。


「あれは?」

 俺は、あの2人が何をするつもりなのか聞いた。

「歩行訓練です。右の大腿骨の粉砕骨折という重傷なので、本来ならばもう少し時間をかけたいところですが、時間をかけてはかえって他への影響が大きいことから、歩行訓練を先日より始めています」

「ただ、歩くだけ?」

「そう。歩くだけ、です」

「それが訓練?」

 歩くのがなぜ訓練になるのか、俺にはわからなかった。

 歩くことくらい、わざわざ訓練しなくても普通にできるじゃないか。

 その思いが表情に表れていたのだろう、男が苦笑する。

「君は骨折したことがないようですね」

「ない」

「それは幸せだ。瑞姫ちゃんは、身体を支えるべき足の一番大きな骨を砕いてしまったんです。人が二足歩行するために必要な骨が砕け、筋肉も衰えたら、当然、立つことができません。瑞姫ちゃんは、立つことすらできなかったんですよ」

「まさかっ!!」

 即座にその言葉を否定する。

 だが、俺の言葉は父によって打ち消される。

「そのまさかだ。おまえたちがしでかした結果が、これだ。よく見ておきなさい」

「……相良をあんな目に合わせたのは、俺じゃない。詩織をさらおうとした犯人だ!」

「助けてくれた恩人を巻き込んだのはおまえたちだ。相良家の人々がおまえを瑞姫さんに合わせようとしない理由をよく見ておきなさい」

 有無を言わさず肩を掴まれ、前に押し出される。


 相良が手すりに掴まりながらぎこちなく足を踏み出す。

 ゆっくりとした動作だ。

 颯爽と勢いよく歩いていた相良とは思えない動き。

 そして、それも長くは続かない。

 右足を出して、体重をかけようとした瞬間、相良の身体が崩れ落ちる。

「あっ!!」

 俺は、思わず声を上げる。

 床に倒れた相良は、左手だけで上体を支えて身体を起こす。

 岡部は、立った位置から動かない。

 手摺を支える支柱に掴まり、相良は左手だけで立ち上がる。

 それだけでかなりの時間を要していた。

 肩で息をしている。

 呼吸を整え、顔を上げた相良の表情は、気迫に満ちていた。

 汗をかきながらも気に留めた様子もなく、歩き出しては倒れ、自力で起き上がり、また歩く。

 何度倒れても、岡部は助けようとはせず、同じ場所から動かない。

「なんで、手を貸さない、岡部!?」

 リハビリルームには、他の患者もいる。

 比較的軽症そうな人だっている。

 誰もが相良が倒れても知らない顔をしている。


「訓練だから、ですよ」

 穏やかな声が告げる。

「正直、このリハビリプログラムを瑞姫ちゃんができるとはスタッフの誰も、思っていませんでした。きっと、辛くて投げ出すだろうと、想像していました。立てない、歩けない、思った通りに動かない。それがどれほど苦しいことか、なってみないとわかりません。ましてや、瑞姫ちゃんは所謂お嬢様です。耐えられないだろうと、思っていました。ところが、我々の想像を裏切って、一言も愚痴をこぼさず、泣きもせず、ああやって何度でも立ち上がって訓練をこなしています。疾風君にしてもそうです。最初の一度だけ、瑞姫ちゃんを助け起こそうとしました。ですが瑞姫ちゃんが、手を貸すな、見ていろと断ってから、ずっとあの位置で瑞姫ちゃんが歩いてくるのを待っているんです。大した自制心ですよ、2人とも」

 そこまで言って、男は父を振り返る。

「中学1年生とはいっても、まだ12歳の子供です。だがあの2人は大人でも耐えれそうにないことをやると決めて、乗り越えようとしています。友達を救って、大怪我をし、生死の境を彷徨い助かった少女は、今、懸命にリハビリをしている。これを美談だと言って取材に来た人がいました。あなたは、これを美談だと思いますか、諏訪さん? 私にはとても美談には思えません。そんな生易しいものではないんです。運び込まれた血塗れの少女を見たとき、私は、恥ずかしいことにこの子は助からないと思いました。もちろん、私の持てるすべてで処置にあたりましたが、本当に運に任せるしかないという思いだったんです。ですが、瑞姫ちゃんは自分の意思で生きることを選んだんです。そうして今も生きるために戦っているんです。いい暮らしをしているお嬢様と呼ばれる子が、ですよ? 泥臭く、懸命に足掻いて前に進もうとしている姿を、人々の娯楽のために見せることができますか?」

「……その記者の件は、諏訪が責任もって処分する」

「そう、願います」

 ネームプレートに『桧垣』と書かれている男は、まっすぐに父を見つめている。

 記者の件で諏訪を脅すとはいい度胸をしているな、この男。

 後で知ったが、この記者は相良をネタに記事を書こうとして病院をかぎまわり、相良の不興を買って会社を潰された後、諏訪の分家に転がり込んだらしい。

 この男はそれを知って、父にその男の処理をするように迫ったようだ。


 何度も転んで、その都度起き上がっては歩いていた相良が、とうとう端まで辿り着く。

 得意そうな満面の笑みで岡部を見た瞬間、バランスを崩す。

 今度は岡部が動いた。

 差し出された腕が掬い上げるように相良を支える。

 しっかりと抱きとめて顔を見合わせた瞬間、2人は声を上げて笑い出した。

 楽しそうに、おかしそうに。

 俺の前では絶対に見せない表情。

 笑いながらも岡部は手にしていたタオルで相良の汗を拭いてやる。

 担当医なのだろうか、車いすを運んできた白衣の男がそれに相良を座らせる。

 そうして、彼女の前に膝をついて、何かを話しかけると、相良が嬉しそうに笑い、岡部を見上げる。

 左手で小さなガッツポーズを取った後、手を上げ、ハイタッチをする。

 そのあとは、担当医ともハイタッチをした。

 相良の表情は明るい。

 さっきの気迫に満ちた表情が嘘だったかのようだ。

 笑顔のまま、3人はリハビリルームから出て行った。




 チェックルームに残された俺は、言葉が出なかった。

 とても遠い。

 そうしてわかったことがある。

 俺は、相良に謝れない。

 何を謝ったって、言葉を尽くしたって、それは俺の自己満足にしかならない。

 言葉で謝ることが求められている謝罪ではないのだということに気が付いた。

 ならば、俺は、絶対に相良に謝らない。

 俺は相良に認められる人間になって、助けてよかったと思われるまで、謝る権利を持たないんだ。

 そのことを理解させるために、父はここへ連れて来たんだ。

 唇を噛みしめた俺は、病院を飛び出した。




     ***************




 半年後、相良がようやく病院を退院した。

 相良に認めてもらえるよう、俺は生徒会長に立候補し、そうして副会長に紅蓮を、書記に相良を指名した。

 生徒会役員は、副と書記のみ会長指名で、他は選挙となる。

 断られるのを覚悟で、傍で俺を見てもらうために賭けのつもりで指名した書記を、相良は引き受けてくれた。

 俺を認めてくれたのだろうか。

 そう思ったのも束の間、長期入院のための欠席を生徒会活動で補填するよう先生に勧められたからだと紅蓮が教えてくれた。

 生徒会での活動中、相良の指摘は常に俺の盲点をついていた。

 ただ指摘するだけでなく、そこはどのようにすべきなのか、すべてに渡って相良の指示は適切だった。

 俺の代の生徒会は過去に類を見ないほど支持率を誇り、実行力を誇っていた。

 それはすべて生徒会長の俺の成果のように言われたが、そのほとんどが相良のフォローによって生まれた実績だった。

 どうあがいても、相良にはかなわない。

 何をやっても、認めてはもらえない。

 それなのに、他の奴らは俺を褒め称える。

 俺はどうすればいいのだろう。


 中等部を卒業した春休み。

 俺は、詩織に振られた。

 告白すらしていないのに、『伊織は弟のような存在だから、私の事は忘れて』と言われてしまったのだ。

 何故そんなことを言われるのか、わからなかった。

 何故好きでいてはいけないのか。

 傍にいてほしいと思ってはいけないのか。

 何故。

 感情の収拾がつかないまま、高等部の新学期が始まり、俺は再び驚く。

 岡部しか傍に置かなかった相良が、在原と橘を傍に置くようになったからだ。

 何故、俺ではないのか。

 どうして誰も俺を選んではくれないのか。




 本当に努力をすれば、相良は認めてくれるのか。




 相良の指摘はいつも正確で、身につまされるものばかりだ。




 俺はどうすればいいのだろう。




 答えは、見つからない……。

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